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素顔のオグシオ<中>

クールな潮田

北京へ熱く進化

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小学生のころの潮田。京都クラブで基本を学んだ

 潮田玲子(24)の母睦子さん(50)は「いつ、『もうバドミントンやめるわ』って言い出すかな」と娘が高校を卒業するまで思っていた。

 福岡県小倉から電車で30分ほどの京都(みやこ)郡苅田町で生まれた。野山で泥だらけになって遊び、母の趣味をまねて初めてラケットを握った3歳の時、反対側のコートへ打ち返して周囲を驚かせた。才能は抜群。なのに母が「長続きしない」と思ったのは、地道に努力するタイプでなかったから。練習好きな兄を見て「好きよね」と人ごとのように笑うこともあり、競技と距離を置いているように感じた。

 ちょっと気まぐれでクール。だが、小、中学校時代に所属した「京都(みやこ)クラブ」の福本信太郎監督(51)は、潮田が送別会でこう話したのを覚えている。「全国大会で3位になった時、うれしさより悔しさがあった」。普段はあまり勝負への執着を口にしない子だったから、少し驚いた。

 「よく『おとなしそう』と言われるけど、本当は頑固で負けず嫌い。勝つのが楽しくて続けてきた」と父将己さん(50)。潮田の相談相手だった泉将弘コーチ(35)は「周囲の考えを読んで行動して、ものも言えるけど、めったに内面を見せない。頭がいいんです」と言う。強い向上心と冷静な目。アスリートの資質を秘めていた。

 福岡の高校を卒業後、地元で競技を続けるつもりだったが、全日本合宿で知り合い、三洋電機入りが内定していた小椋久美子(24)から手紙で「一緒にやろう」と熱心に誘われた。一緒に風呂に入るほど仲がいい母が「レベルの高いところでやってみれば」と迷う背中を押した。

 今年の正月。帰省した潮田は家族に「北京に連れていく」と約束した。翌朝、姿がない。浜辺へ走り込みに行っていたのだ。両親はその変化に、世界を目指す者の迫力を感じた。

(佐藤謙治)
2008年4月16日  読売新聞)

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