中世、京都・東寺の荘園「備中国新見庄」として栄え、歴史ロマン漂う新見市で、昭和の近代化遺産が消えようとしています。
旧小野田セメント(現太平洋セメント)阿哲工場(同市正田)の迎賓館だった「職員倶楽部(くらぶ)」。新見の石灰産業の先駆けとなり、昭和天皇も立ち寄られたことがある工場最後の“生き証人”です。
倶楽部は一九三一(昭和六)年に建てられ、鉄筋コンクリート(一部木造)二階延べ約九百平方メートル。旧小野田セメントの国登録有形文化財・山手倶楽部(山口県山陽小野田市)に似た洋風建築で、凹凸のある「ドイツ壁」、車寄せや内部に応接室、食堂、寝室などがあります。
水洗トイレも備え、会社幹部や賓客の宿泊などに使われました。往時は豪華なシャンデリア、調度品で彩られ、ダンスパーティーも開かれたといいます。
工場が八〇年ごろ閉鎖された後、市が九六年度に跡地を購入。倶楽部は残したものの再利用の話が進まず「老朽化し危険」と今週末にも解体を始めます。
確かに天井などに風化の跡は見られますが、専門家は重厚な壁や床板、階段といった基本構造は丈夫だといいます。伯備線の開通(一九二八年)を見越し、工場が造られた国の近代化の証しを失うことにもなり、撤去は残念でなりません。
「古い物を壊し、新しい物を造るのが日本の美徳だった。九六年の文化財保護法改正から、近代化遺産に光が当てられだした」と小西伸彦・吉備国際大文化財学部准教授(産業考古学)。その光をもっと強めたい。
(新見支局・大立貴巳)