『全然〜ない』が正統な日本語であり、最近よく耳にする「2」は間違っていると言うであろう。事実、ぼく自身も、そのように教えられ、そう信じてきた。つい半年前まで。
誤用が慣用化して使われるようになった
ところが、昭和16年に出版された池田亀鑑博士の論文を読んでいたら、
「これは全然誤謬である」などの表現が頻繁に登場するので驚いた。
「全然正しい」
そこで、初めて「全然」を大辞林 第二版 でひいてみた。
語釈は、先頭は否定語を伴う現在の標準的な用法、次が「あますところなく、ことごとく、全く」、 三番目が「2」のような「俗な言い方」となっている(こういう場面の定番である「広辞苑(第5版)」も順番は違うが同様の説明)のだが 、引かれている用例の、公刊年次に注目してほしい。
夏目漱石「一体生徒が―悪るいです」(坊っちゃん=明治39年)先に挙げた昭和16年の例を入れて4例だけで結論付けるのはかなり問題があるが、 少なくとも戦前は『全然〜ない』の形で使われることはなく、これが使われるようになったのは戦後のこと ではないか。 すなわち、「全然大丈夫」は、本来の用法に戻っただけ。 実は「誤用」として責められるべきは『全然〜ない』のほうかもしれないよ。 (2000/10/27)
正宗白鳥「母は―同意して」(何処へ=明治41年)
内村鑑三「実に―たる改革を宣告せり」(求安録=明治26年)
夏目漱石「我輩は猫である」に否定表現が2例あるという指摘(でも4例が正しいようです)と、
既に定着している用法を“責められるべきかもしれない”とすることには賛成できないという意見をいただいた。(「全然」のおおよその歴史について、この方と発行者からご教示いただいた。)
そこで少し調べてみたところ、多くの研究があるようで、そのうちの2編を入手。以下に要約する。
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鈴木英夫(1993) 新漢語の受け入れについて -「全然」を例として- 『国語研究』428-449明治書院・諸橋『大漢和』に「荘子」の例が引かれているが、江戸初期以前の日本の文献には見られない。
・江戸時代半ば(寛政年間)に白話小説のなかの近世中国語として日本に入ってきた。その後、戯作や一般向け小説等で用いられるようになるが、文脈に合った和語「すっかり」「まったく」「まるで*」などのルビが付されており、「全然」は和語に添えられた『振り漢字』としての役割しかない。 *:「まるで判らない」の「まるで」
・日本人作者による使用は、江戸末期(安政年間)以降。滝沢馬琴、仮名垣魯文にはない。成島柳北「柳橋新誌」、坪内逍遥「当世書生気質」でのルビ付使用が最初期。坪内逍遥は小説ではルビ付、固い論説文では漢語(ルビなし)の「全然」を用いた。
・ルビなし「全然」は明治30年代後半から一般化していき、明治40年頃以後は特殊な場合を除きルビ付は使われない。
・白話小説の翻訳、ルビ付用法、ルビなし用法のいずれも、否定にも肯定にも対応している。意味の本質は「すべて」「十全」。
・大正時代には否定表現との共起も一般化。 ・一般化が遅れた理由のひとつは、辞書に採用されなかったこと。ロブシャイト「英華字典」系統以外の英和辞書に現れるのは明治20年代。
・「全然OK」のような表現は昭和20年以降。
・国語辞書に取り入れられるのは明治40年以降、「まったく」「まるで」の意。否定表現の採用は昭和10年頃から。
・宮内和夫氏が「『全然』の改新 -『とても』にふれて-」(「実践国語教育」247号 昭36・3)で、下に打ち消しの言い方が来ないと誤り、としている。
・物事をすべてにわたって検討するのは、良いもの・価値の高いものより、変わったもの・価値の低いものについてみることのほうが多いため、否定表現と共起すると考えられるようになったのではないか。
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野田春美(2000) 「ぜんぜん」と肯定形の共起 「計量国語学」第22巻第5号169-182・「ぜんぜん」と共起する肯定形を見ると、「異なる」「変わる」「逆」などの"違う"ことを表すことが60%(新聞・評論・小説・シナリオ等の調査)。"違う"以外の用例では、「だめ」に偏っているが、マイナス評価の語との共起より、否定・マイナス評価でない語との共起が多い。
・「違う」「だめ」は、ある状態を絶対基準として、その状態ではないことを表すことば。「ぜんぜん」との共起により、絶対基準からの隔たりの大きさを示す。
・新野直哉氏は(「"全然"+肯定」について、『国語論究 第6集 近代語の研究』明治書院)・「AよりBのほうが全然〜」のような文は戦前には見られない。と指摘している。
・「否定形と共起するのが本来の用法」という考えは迷信。
・10代〜70代の294人に対するアンケートの結果、肯定形との共起について、30歳〜50歳代の許容度が低いが、60歳代以上の許容度は高く、「迷信以前に教育を受けたため、抵抗感が薄い」とする新野説を裏付け?
・許容度は文脈により高低があるが、文脈に支えられる「全然+肯定形(広い・おいしい…)」より、語自体が悪い状態を否定する「全然 平気・大丈夫」のほうが広い世代に許容されている。
・若年層では「全然+肯定形」は、好ましい状態を述べるのに用いられやすくなっいる。