ヘンドリック・ハメル『朝鮮幽囚記』
ヘンドリック・ハメル(生田滋訳)『朝鮮幽囚記』東洋文庫132, 平凡社, 1971.
ヘンドリック・ハメル (Hendrik Hamel) 1653年7月に難破し済州島に漂着したデ・スペルウェール号の乗組員
すなわち夫を殺した妻は、多くの人々の通る道傍に肩まで土に埋められ、その傍に木の鋸が置かれます。そしてそこを通る人々は貴族以外は彼女の頸をその鋸で挽いて死にいたらしめなければなりません。……夫が妻を殺した場合、それについて然るべき理由のあることが証明できる場合は、その理由が姦通であってもなくても、その罪によって訴えられることはありません。……過失致死犯は次のようにして罰せられます。彼等は酸っぱい、濁った、鼻をさすような匂いのする水で死者の全身を洗いますが、彼等はその水をじょうごを使って罪人の喉から流し込めるだけ流し込み、それから胃の所を棒で叩いて破裂させます。当地では盗みに対しては厳重な刑罰が課せられていますが、盗人は非常に沢山います。その刑罰は足の裏を叩いてしだいに死にいたらしめるのです。 (p. 41)
一般の人々は彼等の偶像の前で、ある種の迷信を行います。しかし彼等は偶像よりも自分の目上の人に対してより多くの敬意を払います。大官や貴族は偶像に対し敬意を表するということをまったく知りません。なぜならば彼等自身がそれよりも偉いと考えているからです。 (p. 43)
大官たちの家は非常に立派ですが、一般の人々の家は粗末なものです。これは自分の考えに基づいて家を建築することは誰にも許されていませんし、総督の許可なしに屋根を瓦でふくことも許されていないからです。 (p. 46)
この国民は妻を女奴隷と同じように見なし、些細な罪で妻を追い出すことがあります。夫は子供を引き取ろうとはしませんので、子供は妻が連れて行かねばなりません。したがってこの国は人口が多いのです。 (p. 48)
彼等は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません。 (p. 52)
彼等は病人、特に伝染病患者を非常に嫌います。病人はただちに自分の家から町あるいは村の外に出され、そのために作られた藁ぶきの小屋に連れて行かれます。そこには彼らを看病する者の外は誰も訪れませんし、誰も彼等と話をしません。その傍を通る者は必ず病人に向かってつばを吐きます。病人を看病してくれる親戚を持たない人々は、病人を看病に行かないで、そのまま見捨ててしまいます。 (p. 53)
ベイジル・ホール『朝鮮・琉球航海記』
ベイジル・ホール(春名徹訳)『朝鮮・琉球航海記』岩波文庫,1986.
ベイジル・ホール (Basil Hall, 1788~1844) 英国海軍軍人
これらの人々は、落着きと無関心がないまぜになった尊大な態度の持主である。また、好奇心を欠いている点でも、われわれに強い印象を与えた。身ぶりや絵によってわれわれが何を質問しているのかがあきらかになったときなど、彼らはしばしば嘲笑い、それを無視したのである。 (p. 28)
一方、家のなかは暗くて居心地が悪かった。むき出しの土の床はでこぼこ、壁は煤で黒ずみ、何もかもがきたならしくみえた。 (p. 76)
それでも留めることができないとみると、一人の男は、私の胸をつかんでいやというほどつねった。私はふりかえりざまに大声で、「何ということを!」 (Patience, Sir!) と、叫んだ。男は、私が不快を感じたことをみてとって手を放したが、つぎの瞬間には、 Patience, Sir! と自分も叫んだ。これを聞いた他の者たちもその真似をして、しばらくの間は、 Patience, Sir! という言葉だけがあたりにとびかったのである。誰の発音も申し分なく完璧であった。 (p. 80)
フランツ・フォン・シーボルト『日本』
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(尾崎賢治訳)『日本・第五巻』雄松堂出版, 1978.
フランツ・フォン・シーボルト (Philipp Franz Jonkheer Balthasar von Siebold, 1796~1866) ドイツの医学者・博物学者・日本学者
物腰からも日本人や中国人よりエネルギーと戦闘的精神を強く放射している。しかし精神的教養と生活の洗練という点では、韓国人は同じ階層の日本人よりかなり劣る。またわれわれが一番低い階層の日本人を見ても感心する共同生活におけるあの巧みさや高いレベルの暮らし方も、韓国人にはない。(pp. 4-5)
王位継承のさいは中国皇帝が叙任権を行使し、貢物を受けとるといわれている。少々きびしい見方をすれば、中国の家臣と解釈できるこの関係は、現在中国を支配している清朝が武力をもってこれを強制した一六三六年以来のことと記されている。一五九二年から一五九八年における日本の将軍秀吉(通常は太閤と呼ばれる)の侵入以来、朝鮮は日本に朝貢の義務を負っている。というよりむしろ日本とは善隣関係にある。 (pp. 34-35)
朝鮮の工業技術は隣国の中国や日本と比べてずっと遅れているように思う。木工は断然といってよいほど遅れており、陶磁器の作りはひどく粗末である。鉄器、特に刀その他の刃物は価値が低い。 (p. 38)
シャルル・ダレ『朝鮮事情』
シャルル・ダレ(金容権訳)『朝鮮事情』東洋文庫367, 平凡社, 1979.
シャルル・ダレ (Charles Dallet, 1829~1878)
この山国では、道路と運輸機関とが実に不足し、それが大規模な耕作を妨げている。人びとは、各自の家の周囲とか手近なところを耕作するだけだ。また、大部落はほとんどなく、田舎の人びとは三、四軒、多くてせいぜい十二、三軒ずつ、固まって散在している。年間の収穫は、住民の需要をかろうじて満たす程度であり、しかも朝鮮では、飢饉が頻繁にみられる。 (p. 20)
一六三七年に締結された条約は、清に対する朝鮮の実際上の隷属条件を加重することはなかったが、形式的には、これまでよりいっそう屈辱的な従属関係のものとなった。朝鮮国王は清国皇帝に対して、たんに叙任権を認めるばかりでなく、身分上の直接の権限、すなわち主従(君臣)関係まで承認しなければならなくなった。 (p. 34)
朝鮮の王宮は、パリの少しでも余裕ある年金生活者でも住むのを嫌がるようなつまらない建物である。王宮は、女と宦官で充ちている。 (p. 53)
ソウルは、山並みに囲まれており、漢江の流れに沿って位置し、高くて厚い城壁にかこまれた人口の多い大都市であるが、建築物には見るべきものはない。かなり広いいくつかの道路を除いては、曲がりくねった路地だけがあり、この路地には空気も流れることなく、足にかかるものといえばごみばかりである。家はふつう瓦で覆われているが、低くて狭い。 (p. 64)
官吏の地位は公然と売買され、それを買った人は、当然その費用を取り戻そうと努め、そのためには体裁をかまおうとさえしない。上は道知事から最も下級の小役人にいたるまで、徴税や訴訟やその他のすべての機会を利用して、それぞれの官吏は金をかせぐ。国王の御使すらも、極度の破廉恥さでその特権を濫用している。 (p. 71)
その一つは、朝鮮における学問は、全く民族的なものではないという点である。読む本といえば中国のもので、学ぶ言葉は朝鮮語でなく漢語であり、歴史に関しても朝鮮史はそっちのけで中国史を研究し、大学者が信奉している哲学体系は中国のものである。写本はいつも原本よりも劣るため、朝鮮の学者が中国の学者に比べてかなり見劣りするのは、当然の帰結である。 (pp. 130-131)
昔日のことはさておき、こんにち公開試験〔科挙〕が極めて堕落していることは確かである。こんにちでは、最も学識があり最も有能な人に学位免許状が授与されるのではなく、最も多額の金を持った者や最も強力な保護者のいる人びとに対して与えられている。 (p. 135)
朝鮮の貴族階級は、世界中で最も強力であり、最も傲慢である。他の国々では、君主、司法官、諸団体が貴族階級を本来の範囲内におさえて、権力の均衡を保っているが、朝鮮では、両班の人口が多く、内部では対立しているにもかかわらず、自分たちの階級的特権を保持し拡大するために団結することはよく心得ており、常民も官吏も、国王すらも、彼らの権力に対抗することができないでいる。 (p. 192)
朝鮮においても、他のアジア諸国と同じように、風俗は甚だしく腐敗しており、その必然的な結果として、女性の一般的な地位は不快なほどみじめで低い状態にある。女性は、男性の伴侶としてではなく、奴隷もしくは慰みもの、あるいは労働力であるにすぎない。 (p. 212)
この世では、もっとも良いことでも、常に悪い反面を伴っている。これまで述べた質朴な習慣にも、いくつかの不都合な点がある。その中でももっとも重大なことは、それらの習慣が、一群の悪い奴らの怠けぐせを野放しにすることである。これらの者は、人びとの歓待をあてにして、全く仕事をしないで、あちこちをぶらぶらしながら生活する。もっとも図々しい者になると、豊かな人や余裕のある人の家にまるまる数週間も身を落ち着け、服までも作ってもらう。 (p. 265)
韓国人は一般に、頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。異教徒のあいだには、なんらの倫理教育も行われていないし、キリスト教徒の場合も、教育がその成果をあらわすまでには時間がかかる。大人は不断の怒りを笑って済ませるから、子供たちは、ほとんど懲罰を受けることもなく成長し、成長した後は、男も女も見さかいのないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる。 (p. 269)
しかし不思議なことに、にもかかわらず軍隊は概して非常に弱く、彼らは重大な危機があるとさえ見れば、武器を放棄して四方へ逃亡することしか考えない。たぶんそれは、訓練不足か組織の欠陥のためであろう。 (p. 270)
韓国人は、金儲けに目がない。金を稼ぐために、あらゆる手段を使う。彼らは、財産を保護し盗難を防ぐ道徳的な法をほとんど知らず、まして遵守しようとはしない。しかしまた、守銭奴はほとんどいない。いるとしても、富裕な中人階級か商人のあいだにいるにすぎない。この国では、現金の二、三万フランもあれば金持だといわれる。一般に彼らは、欲深いと同時に、無駄づかいも多く、金を持てば余すところなく使ってしまう。 (p. 272)
韓国人のもう一つの大きな欠点は、暴食である。この点に関しては、金持も、貧乏人も、両班も、常民も、みんな差異はない。多く食べるということは名誉であり、会食者に出される食事の値うちは、その質ではなく、量ではかられる。したがって、食事中にはほとんど話をしない。ひと言ふた言を言えば、食物のひと口ふた口を失うからである。そして腹にしっかり弾力性を与えるよう、幼い頃から配慮して育てられる。母親たちは、小さな子供を膝の上に抱いてご飯やその他の栄養物を食べさせ、時どき匙の柄で腹をたたいて、十分に腹がふくらんだかどうかをみる。それ以上ふくらますことが生理的に不可能になったときに、食べさせるのをやめる。 (p. 273)
朝鮮の家屋は、一般に、非常に小さく不便である。台所の煙を送りだす通管〔房管〕を下に通す必要上、地面よりも少し高く建てられているが、しかしソウルでは、必ずしもこの方法が一般的とはなっていない。これは、冬場をしのぐにはかなり便利であるが、夏場になると、熱気が屋内にこもって、まるで人びとに耐えがたい体罰を課していると同じような状態になるからである。で、おおかたの人は戸外で眠る。 (pp. 300-301)
衣服は、白衣ということになっているが、しかし、ちゃんと清潔さを保っているのはとても労力のいることなので、たいていの場合、濃厚な垢のため色変わりしている。不潔ということは韓国人の大きな欠陥で、富裕な者でも、しばしば虫がついて破れたままの服を着用している。 (pp. 303-304)
朝鮮では、ある種の科学研究は国家が保護しているし、またそれらの発展を奨励するため政府によって建てられた専門の学校がある。にもかかわらず、研究はほとんど取るに足りない。正式の天文学者は、毎年北京からもたらされる中国の暦を利用するに必要な知識をもっているくらいで、あとはばかばかしい占星術のきまり文句を知っているだけである。(p. 307)
韓国人は、科学研究の分野においてほとんど進歩のあとを見せていないが、産業の知識においては、なおさら遅れている。この国では、数世紀もの間、有用な技術はまったく進歩していない。 (p. 309)
商業の発達に大きな障害になっているものの一つに、不完全な貨幣制度がある。金貨や銀貨は存在しない。これらの金属を塊にして売ることは、多くの細かい規則によって禁止されている。例えば、中国の銀を朝鮮のものと同じ棒状に鋳造して売ってもいけない。必ずや見破られ、棒状の銀は没収されたうえ、その商人は重い罰金をとられ、おそらく笞刑に処せられるだろう。合法的に流通している唯一の通貨は、銅銭である。 (p. 313)
商取り引きにおけるもう一つの障害は、交通路のみじめな状態である。航行の可能な河川は非常に少なく、ただいくつかの河川だけが船を通すが、それもごく制限された区域の航行が許されているだけである。この国は、山岳や峡谷が多いのに、道路を作る技術はほとんど知られていない。したがってほとんどすべての運搬が、牛か馬、もしくは人の背によって行われている。 (pp. 314-315)
しかし政府は、おのれの保持のためには必要であると信じているこの鎖国を、細心に固守しており、いかなる利害や人道上の考慮をもってしても、これを放棄しようとしない。一八七一年、一八七二年の間、驚くべき飢饉が朝鮮をおそい、国土は荒廃した。あまりのひどさに、西海岸の人のうちには、娘を中国人の密貿易者に一人当たり米一升で売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東にたどりついた何人かの韓国人は、むごたらしい国状を図に描いて宣教師たちに示し、「どこの道にも死体がころがっている」と訴えた。しかし、そんな時でさえ、朝鮮政府は、中国や日本からの食料買い入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。 (p. 322)
アジアの北東部から日増しに侵略の歩を進めているロシア人によって、いずれその難関は突破されるだろう。一八六〇年〔北京条約のこと〕から、彼らの領土は朝鮮と隣接するようになり、これら二国間で、国境問題と通商問題に関してさまざまな難問が起こった。これらの問題は、今後も間違いなく繰り返されるであろうし、いつの日にか、朝鮮はロシア領に併合されてしまうであろう。 (p. 323)
ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』
William Elliot Griffis, Corea the Hermit Nation, Kessinger, 2004.
ウィリアム・グリフィス (William Elliot Griffis, 1843~1928) 米国の牧師・東洋学者
これは韓国人による歴史の塗装作業の良い見本である。つらい現実には国産塗料を塗りたくり、黄金に見せかける。さらに後世の事件に対しても、公的な虚飾が巧妙に施され、敗戦すら輝かしい勝利に変えられる。(pp. 150-151)
朝鮮は人にたとえられ、王はその頭、貴族は胴、人民は足である。胸と腹は膨れる一方、頭と下肢はやせ細っている。貴族はその強欲で人民の生き血をすするのみならず、王の大権をも侵している。国は充血を起こし、官僚主義の浮腫を患っている。(p. 229)
拷問の豊富さは、朝鮮がいまだに半文明国にとどまっていることを示すに十分である。法院と監獄の発明品としては、鉄鎖、背中を打つための竹、尻を打ち据えるためのパドル状の器具、肉が裂けるまでふくらはぎを叩くための鞭、肉と内臓を苛むためのロープ、手かせ、杖、そして膝とむこうずねを叩くための板等がある。(p. 234)
結婚後は、女との接触は不可能である。女はほとんど常に内房に引きこもり、許しを受けずに家の外を覗くことすらできない。隔離があまりに厳しいため、部外者の指が触れたというだけで父は娘を、夫は妻を殺し、妻は自殺することがある。(p. 245)
朝鮮の建築はきわめて原始的な状態にある。城郭、要塞、寺院、修道院および公共建築は、日本や中国の壮麗さにまるで及ばない。この国は古い歴史を誇っているのに、石造の遺跡がほとんどない。住居は瓦葺きか藁葺きで、ほとんど例外なく一階建てである。小都市では規則的な通りに配置されておらず、あちこちに散在している。大都市や首都でも、通りは狭くて曲がりくねっている。(p. 262)
約85パーセントの人々は読むことも書くこともできない。ただし地域差は大きい。(p. 444)
朝鮮にはサムライがいない。日本にあって朝鮮に欠けているものは、心身ともによく鍛えられ、兵士であると同時に学者であり、忠誠心と愛国心と自己犠牲の高い理想をかかげる文化的集団である。(p. 450)
W・R・カールズ『朝鮮風物誌』
W・R・カールズ (William Richard Carles, 1846~1929) は英国の外交官
われわれはすぐに、日本家屋が立ち並ぶ一帯を通り抜けることになった。これらの日本家屋は、最近外国人たちとの商売で大きな利益を上げている小商人たちが建てたものだった。こうした種類の家は、あえて比較するなら、日本領事館のような高級建築と、そこで働きながら仮住まいをする韓国人たちのあばら家の中間程度だった。日本家屋はすべて魅力的な反面、韓国人たちの家は、通風装置がまったくなっておらずにおいがひどい道路の両側に散らばって立つ、草ぶき屋根と土塀の家だった。(p. 28)
身分が低い他の女性たちは子どもに乳を吸わせ、家の門の前をうろついたり家事をしたりしていた。長衣を着けない彼女たちの顔は、天然痘をわずらった痕跡と、重労働の卑賤な待遇を受けたことが歴然としていた。肩の上に着る短く窮屈な服は、乳房をあらわにしており、彼女たちの陋醜な服とみすぼらしく不潔な所に住む様子を見て、われわれは朝鮮女性たちに対し好ましからぬ印象を持つようになった。(p. 36)
朝起きてみると、大型カバンがなくなっていた。捜索をして、船首でそれをすぐに見つけたが、私が朝鮮の骨董品を買おうと持って来た数ドルの金は既になくなっていた。韓国人の従僕がその金を盗んだことは、疑うべくもなかった。彼は釜山に行く途中で、私のカバンの中身を見たことがあった。上陸する前に彼を身体検査したが、なくなった金は出て来なかった。彼は私に笑みを浮かべて惜別のあいさつをして、次に会ったときも同じようにあいさつした。
きわめて経済的な日本人でさえ、朝鮮で貿易をすることが決して金儲けにならないと考えるほどだ。多くの日本の貿易業者が、朝鮮での事業に失敗した。またこの地域で事業を行うわずかなヨーロッパ人たちは、自分たちが輸入する商品に対する銀貨支給や現物支給の方法が難しいと不平を言っている。(p. 82)
ところが平安監司は突然話題を変え、ゴッチェ博士と朝鮮政府の関係や彼の旅行目的について尋ねた。そしてそれと同じように平安道の資源、貿易、人口に対する質問をあげ、私はひどく苦しかった。彼は私の旅行目的に対し警戒している様子で、礼儀にもとることを言い、自分の国のあらゆることを非難した。彼はいかなる貿易の存在も認定するまいとした。彼の言葉によると、大同江もまったく運行に耐えず、鉱山も価値がなく、ほとんど3000年の歴史を持つこの都市には関心に値するものはひとつもなく、陶磁器や青銅等のいかなる商品も購買する価値がないと言った。(p. 120)
観察使が私を訪ねて来て長いこと居座り、私が持っている異国的な品物に強い関心を見せた。彼は特に西洋の革製品の際立った仕上がりに驚き、それが使われる用途の数をほとんど信じようとしなかった。彼は価格について尋ね、私が彼に見せてやった少数の品物の価格にひどく驚いた。最後に彼は押さえつけていた感情をあらわにした。「朝鮮はひどく貧しい国です。朝鮮には金も製品もありません。われわれは外国製品を買うだけの余裕がありません。」もちろん私は彼に朝鮮の貿易を発展させられることを願うという印象を与えた。しかし彼は私の言うことにほとんど関心を見せず、多少沈鬱な様子で出て行った。(p. 125)
われわれが義州を発つ日に、3ヶ月に1度開かれる市場が開かれた。相当な数の人々が既に都市に集まっており、他の人々は他の道から来る途中だった。しかし私は、市場で記念品として買って行くほどの物を見つけられなかった。私はソウル近郊にいるものよりずっと劣る家畜に大きく失望した。(p. 151)
ある都市が清潔な都市だと呼ばれる権利を持つとすれば、元山こそその都市だ。日本人たちの高級住宅、広い道、都市を二分して流れる河川、その前に広がる海。他の都市と比較して見ると、この都市は私にはとてつもなく清潔に見えた。(p. 193)
G・W・ギルモア『ソウル風物誌』
G・W・ギルモア (George William Gilmore, 1857~?) 米国の神学者
人々は怠け者で、放心しているように見える。村は非衛生的で、家々も興味を引かない。観光客の記憶に皮相的にでも残るものがあるとしたら、ただ長居をしたという記憶の他にはない。(p. 20)
ある人が相当な量の金を貯蓄しているという事実が知られれば、官吏たちは借用を要求するだろう。万一それが拒絶されれば、その人は何種類かのでっち上げられた罪状で投獄されるだろう。その罪人ならぬ罪人は、その要求を充足するか、頑固に切り捨てることでその官吏たちに自分の安全を憂慮させるか、自分の親戚たちが要求額を支払うか、あるいは何らかの妥協案を出すまで、毎朝鞭打たれるだろう。(p. 28)
固有言語とともに、通信文や公式文書等々の媒体として漢字が通用するという事実を、われわれは知っている。固有言語で文を書かないわけではないが、高級文学では固有言語を使わず、安価な小説類でのみ用いる。ほとんどすべての哲学・宗教・倫理に関する文は、漢字で書く。このような事実は、中国の文化と文字が朝鮮半島を掌握していることを示している。中国の孔子や孟子の古典が、ここでは聖典として通用しており、学者を自認する人は必ず漢字をたやすく読めて速く書けなければならない。それが出世の方便で、さもないと官職につけない。(p. 53)
。(p. 62)
日本を旅行すれば、人々の間にある種の活気が感じられる。日本女性の目には、ほとんど常に楽しげな快活さがあり、愉快な生気を発している。そして彼女らの目は、微笑に応えるよう誘惑する。彼女らの人生は、遊びや遠足のように見える。ところが朝鮮女性には、このような活気や快活さ、そして生気のようなものが不足している。彼女らの人生は深刻で真摯だ。したがって憂鬱さが、朝鮮女性の特徴的な姿である。(p. 64)
韓国人は、清潔さの問題では多くの非難を浴びるだろう。東洋では警句を学ぶ。外国人たちは、韓国人をさかなにジョークを言うことを好む。ある英国人は、朝鮮では最も清潔だという人物が、彼がこれまでに見た中で最も汚い人物だったと言ったことがある。彼が意味するところは、韓国人が地球上で最も汚い人々だということだ。(p. 74)
朝鮮で疑う余地もなく国家の発展を妨げている伝統があるが、それは他でもない両班たちである。たとえ自分の財産で暮らしを建てて行けなくても、彼らは生計のために肉体労働や生産活動をすることはない。両班は飢えても物乞いをしても、働くことはない。親戚の援助を受けたり妻が生計を建てる場合でも、両班は絶対にその手で土を触ることはない。(p. 88)
韓国人の知的能力は優秀である。しかしわれわれは、単純に記憶力を養うだけの学習を警戒せねばならないという事実を悟った。そうした学習はひたすら文章に依存し、後に引用できるようにする貯蔵作業に過ぎない。それにもかかわらずわれわれは、彼らが立派な論理学者で、聡明な数学者であり、才能によっては前途有望な哲学者であることを知った。(p. 176)
士官候補生たちは、起床点呼ラッパの音を聞いても起きて来なかった。兵士たちは、どんな軍事訓練もほとんど受けなかった。一糸不乱さや時間厳守などというものは、全く見られなかった。軍人たちは単に飯のために服務し、軍人精神がなかった。教官たちは歓待と高い待遇を受けた反面、将校たちの怠慢と無関心、そして不信のため軍事装備を効果的に使えなかった。(p. 181)
朝鮮は独立国なのか、それとも中国の属国なのか? これに対する結論は、簡単には下せない。(p. 191)
公式的に見ると、日朝関係は最も優秀である。朝鮮の庶民と日本の商人の間で、ときに心理的な摩擦があるが、これは日本人が無理やり取引に持ち込んで途方もない要求をするためである。しかし一般的に、日本人の立場は善意で貫かれており、日本政府は朝鮮の繁栄を強く願っている。(p. 200)
朝鮮の使用人たちは勉強熱心だが、彼らを訓練するには大変な我慢強さが要求される苦しさがある。まず韓国人たちは、風呂に入る必要性を感じないらしい。家庭内の暮らしで絶対に必要な清潔さを彼らに維持させるには、絶え間ない注意が必要である。(p. 208)
イザベラ・バード『朝鮮紀行』
イザベラ・バード (Isabella L. Bird, aka Mrs. J. F. Bishop, 1831~1904) 英国の旅行家・探検家
彼らには東洋の悪癖である猜疑心、狡猾さ、不誠実さがあり、男どうしの信頼はない。女は蟄居しており、きわめて劣った地位にある。(p. 24)
北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから! 都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定二五万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どおしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。 (pp. 58-59)
庁舎に必ずたむろしている知識層から、わたしたちは育ちの悪い無作法な行為を何度も受けた。わたしの居室のカーテンを勝手に開けて中をのぞき、やめていただけないかと慇懃に頼んでいる船頭に威嚇する者までいた。 (p. 128)
非特権下級であり、年貢という重い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目のもとに無慈悲な取り立てを行う両班から苛酷な圧迫を受けているのは疑いない。商人なり農民なりがある程度の穴あき銭を貯めたという評判がたてば、両班か官吏が借金を求めにくる。 (p. 138)
出発前、ほこりとごみと汚物にまみれた宿の庭にすわり、うつろに口をぽかんと開けた、無表情で汚くてどこをとっても貧しい人々に囲まれると、わたしには羽根つきの羽根のように列強にもてあそばれる朝鮮が、なんの望みもなんの救いもない哀れで痛ましい存在に思われ、ロシアの保護下に入らないかぎり一二〇〇万とも一四〇〇万ともいわれる朝鮮国民にはなんの前途もないという気がした。 (p. 425)
少女向けのこの国独自の学校はなく、上流階級の女性は朝鮮固有の文字が読めるものの、読み書きのできる朝鮮女性は一〇〇〇人にひとりと推定されている。 (p. 439)
まとめとして、わたしはあえてつぎのように提言する。朝鮮の国民の環境は日本もしくはロシアの援助を得て漸進的に改善されるはずである。 (pp. 497-498)
朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかってる、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。それもあって人々はわれがちに官職に就こうとし、職位は商品として売買される。 (pp. 556-557)
わたしは一八九七年の明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、韓国人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。
Ⅰ 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
Ⅱ 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。 (p. 563)
ゲ・デ・チャガイ編『朝鮮旅行記』
ゲ・デ・チャガイ編(井上絋一訳)『朝鮮旅行記』東洋文庫547, 平凡社, 1992.
ガリーナ・ダヴィドヴナ・チャガイ (Гадина Давыдовна Тяґай) はソ連科学アカデミー東洋学研究所の研究員
[ソウルの]町を縦横に走るその他の街路は、約三サージェン幅の狭くて曲がりくねった道で、とりわけ朝夕は悪臭が充満する。つまり、食事の支度が開始されるその時刻には、街路に面して設けられ、しかも屋根の上ではなくて家屋の裾に開口する煙道のおかげで、煮炊きの煙が一斉に街路へ向けて放出されるからである。また汚物がそのまま街路へ投棄される夏には、なお一層ひどい事態になるそうである。 (p. 24)
昼食後、[吉州の]町を見物した。家々はいかにもみすぼらしくて、今にも崩れそうである。次席の家は他のものよりも幾分大きいが、本質的には他の家々とほとんど変わらない。一様に汚くて、みすぼらしいのだ。 (p. 52)
慶興はすっかり荒れ果てた古い町で、汚いことこの上ない。要塞の壁があちこちに残骸を晒している。国有の建造物もやはり一方に傾いでいて、町の移転はもはや時間の問題である。 (p. 63)
朝鮮政府は現有の軍事力を全く頼りにすることができない。周知の通り、武器を担える朝鮮男子は全員が兵役義務を負っている。しかしながら、多少とも資格を有する指揮官や組織編制を完璧に欠如するため、これを戦闘力と見なす訳にはゆかないのだ。その意味では、中国軍よりも始末におえない。 (p. 160)
朝鮮には大きな町の数が概して多くない。これらの町は人口を吸引するほどの魅力を有さず、教育および品物や改良された生産に関する知識がそこから国中へ広まってゆき、また商業がそこへ集中するといったような中枢の機能を果たしてはいない。韓国人は、まず何といっても農民である。 (p. 285)
学校の与える知識は、極端に乏しい。現行の高官任命方式、また高等教育機関、ならびに自らの識見を伝達することの可能な有識者の欠如は、学術の開花に好影響を及ぼすことがありえず、実際のところ、朝鮮には学術が皆無である。 (p. 303)
朝鮮の女が置かれている無権利状態のおかげで、朝鮮には、わが国で理解されるような家庭生活が存在しない。彼女は夫の女友達ではなくて、むしろ女奴隷ないし彼の召使いである。またそれ故に、夫婦は一つ屋根の下に暮らしていても、常に別個の時を過ごすのだ。 (p. 309)
朝鮮の貴族は、総じて非常に有力で誇り高いが、自らの権利保全にひどくご執心で、その権利を尊重しないような動きが僅かでも見られると、途方もない残忍さでそれを鎮圧するのだ。朝鮮貴族の人口は今や膨大な数に達している。この状況は、国にとって大きな災厄となっている。 (pp. 312-313)
A・H・サヴェジランダー『朝鮮-静かなる朝の国』
Savage-Landor, Henry A., Corea or Cho-sen - The Land of the Morning Calm, IndyPublish.com, 2007.
A・H・サヴェジランダー (Arnold Henry Savage-Landor, 1865~1924) イタリア生れの画家・旅行作家
現在韓国人が自国を呼ぶときの名は朝鮮で、高麗という国名は完全に捨て去られている。朝鮮という語の意味はきわめて詩的で、「静かなる朝の国」というものである。これは現在の韓国人にふさわしい。彼らは祖先である高麗人の活気と力強さを、すっかり失ってしまったようだから。(p. 18)
朝鮮の住民は、私の経験から言うと、あまり洗濯をせず、入浴はなおさらしない。彼らが手を洗うところは何度も見たし、顔を洗うところは時々見た。毎日顔を洗う人は、ごく少数である。(p. 32)
朝鮮音楽は、平均的なヨーロッパ人には不愉快以外の何ものでもない。これは全音と半音、および音階の飛びの違いによるところが大きいが、慣れた後ではその風変わりなところと独創的なところが個人的に気に入った。(p. 43)
都市としてのソウルの名所は少ない。建物の貧弱さと街路の不潔さ以外に、世界中を歩き回る旅行者の関心を引きそうなものは思いつかない。そうした旅行者は、わざわざソウルまで来るまでもないだろう。ソウルには美しいものは何もない。しかしあなたが何か風変わりで独創的なものを探しているなら、ソウルほどおもしろい都市はないだろう。(p. 52)
ソウルの街路は、これ以上ないほど不規則に曲がりくねっている。主な大通りを除いて、ほとんどの通りは四人が横に並んで歩けないほど狭い。下水は家の横の街路の中の、蓋をしていない溝に流される。下水溝のすぐ上に窓があるため、朝鮮の善男善女は家の中では、すぐ下で腐って行く悪臭を放つゴミの臭いを嗅がずには呼吸できない。(pp. 85-86)
誰もが「搾取」すなわち人の金を横取りする恐ろしいシステムに気づいてると思われる。朝鮮全域にわたって人々の顔にやつれと悲しみの表情が見られるのは、実に痛ましいことである。人々はけだるく憂鬱そうに寝そべり、明日は自分たちの運命がどうなるのかわからずにいる。誰もが政府の形態がどう改革されるのか気にしているが、誰もがあまりに怠惰で、自己の地位向上を試みさえしない。これが何世代にもわたって続いて来たのである! (p. 93)
王族と貴族の生活は、全体として言えば、きわめて怠惰なものである。運動は下品な習慣で、自分で稼ぐ人々がするものとみなされる。朝鮮の貴族は、肉体労働のようなみっともないことをするよりは、自殺した方がましだと考える。(p. 114)
私が聞いたところでは、今日の科挙は単なるいんちきで、人々が熱望する学位が得られるのは、文学その他の知識や高い達成度ではなく、単純な買収のシステムによってである。さらに聞いたところでは、ときに本当に才能がある男子が毎年のように失望を重ねる一方、貴族や金持ちの愚鈍な息子は好成績で合格し、落とされることはほとんど、あるいはまったくないと言う。(p. 121)
かつて韓国人は、特に10~14世紀の高麗時代には熱心な仏教徒だったらしいが、現在は一般に宗教的ではない。(p. 124)
W・F・サンズ『極東回想記』
W・F・サンズ (William Franklin Sands, 1874~1946) 米国の外交官
なぜこの国がこれほど荒廃しているのかに対するここの人々の説明は、実に朝鮮的である。彼らの言葉によると、できるだけ外国人を落胆させるために沿岸部は荒廃させ、内陸では虎を追い出すために森を焼き払い、山はその頂上にある土壌が流れて来るように崩したのだそうだ。(pp. 41-42)
しかし朝鮮女性はあまりに厳格に保護されているため、侵入者から暴行を受けたときでも、告発するよりはこれを隠したほうが安全だと考える。少し高い階級にいる女性たちが家の外に出るときは、長衣で顔を覆う。(p. 46)
西方世界の様子や発明品を眺める彼らの様子は、アブラハム時代のイスラエル人が鉄道や電車や複雑なヨーロッパの装置を見るように当惑している。何も理解できず、また理解しようともしない。彼らは「隠者の王国」であり続けることを願っている。(pp. 47-48)
家はぎっしりと固まって建っており、小川と路地に沿って集まっている。洪水の季節を除いて、青いごみだらけの下水は床に沿って染み出し、腸チフス・天然痘・コレラを伝染させる。こんな井戸で女たちは楽しげに洗濯をし、毎日食物を洗う。排水路の表面から悪臭がするこの浅い井戸よりひどいものはない。汚い下層民の家からは、土俗の食品であるキムチのすっぱい臭いがする。(p. 50)
朝鮮はこのような過渡期的外交の最も良い事例である。なぜなら朝鮮は、内部的に脆弱であるのみならず、列強間に確実な公式的保護国や友好国がないという点で、極東国家の中で最も弱い国だったからだ。(p. 65)
韓国人の下人は、中国人や日本人のように有能でもなく、社会的身分も同じでなかった。守衛、駕籠かき、警備員は絶え間なく悶着の原因になった。女中を置いている日本とは異なり、朝鮮ではふつう下男しかおらず、あらゆる階層が慢性的な賭博依存症だった。日本人や中国人はときどき自分たちだけで集まって気分転換をすることはあっても、面倒を起こすことはほとんどなかった。しかし韓国人の下人たちは彼らどうしで放っておくことができなかった。彼らは支配を受けなければならなかった。(pp. 111-112)
科挙制度は最も低い水準まで転落した。公職に任命されれば、ある程度の貴族の序列が付与されるため、「涜職」と社会的な理由のために科挙に応試した。文科に合格するためには、家柄がよいか、おびただしい賄賂を使わねばならなかった。(p. 128)
朝鮮の両班たちは深酒をしない。身分が低い人々は、北部ヨーロッパ人やアメリカ人ほどではないが、酒を多く飲む。彼らはそのように多く酒を飲めば、体を支えていられなくなる。彼らはみなとんでもない愛煙家だが、米国人宣教師たちがそうした悪習を正そうと努力した。彼らはまたとてつもない大食漢である。(pp. 145-146)
人々は韓国人を、世界で最も臆病な人々だという。私が推測するところでは、彼らが国内外的に圧迫を受けて来たため、権威の前で萎縮するという点はある面で首肯できる。そうかと思えば彼らは、これ以上耐えられなくなるまで何かが起これば、ロシアの農夫のように目に入るものを片っ端から破壊する。(pp. 150-151)
指導者に対する朝鮮国民の厳格な監視と、国民に対する寛大で一貫した正直な統治が指導者たちによって行われれば、韓国人は立派な民族に育成できるものと、私は今でも確信している。中国や日本を旅行する際の危険な感じは、朝鮮にはない。(p. 197)
朝鮮の芸能人は東洋の他の国でよりも身分が低く、妓生が権力者の家や宮中に出入りを許されるとは言っても、日本の芸者ほどの待遇を受けていなかった。妓生たちは顔もきれいではなかった。私は朝鮮女性のどの階級ででも、美貌の女性を見たことがない。(p. 202)
韓国人が朝鮮のためにやらかした最悪のことは、伊藤博文を暗殺し、私の後任者であるスティーヴンス (Durham W. Stevens) を殺したことである。私が朝鮮の際立った人物たちと閔泳煥のような熱烈な愛国者たち、そして皇帝とそのお喋りな内待たちから聞いたことを総合すると、日本の天皇が容認した伊藤卿の提案とは、日本・中国・朝鮮間に緊密な同盟関係を結ぶ方向だったことを示していた。(p. 234)
アンガス・ハミルトン『朝鮮』
Angus Hamilton, Korea, New York, Charles Scribner’s Sons, 1904.
アンガス・ハミルトン (Angus Hamilton)
この隠者の王国の住民たちは、泰然として何もしないことにきわめて慣れ切っている。そのため、朝鮮の日常には無限の魅力と多様性がある。住民たちは受動的に快楽を得て、体質的な無能さゆえに、明るい日差しのなかで優雅な散歩に耽るか、家の陰にあぐらをかいて坐る以外することがないかのようである。彼らは不活発そのもので、活発な動きほどその固有の特性に似つかわしくないものはない。 (p. 41)
外国の教育方法が導入され、近代的な学校ができるまで、韓国人の知力には有望な徴候が認められなかった。現在でさえ、文化的階級が持つ知識といえば中国の古典についての曖昧な知識に限られ、習得したといえる人は稀である。上流階級の男女は中国の文献と言語を理解しているふりをしているが、中流階級には、純粋に朝鮮語の文法で書かれた国内新聞の漢字・ハングルまじり文を読める人はほとんどいない。(p. 103)
女性の肌の露出、店主たちの騒音と暴行、街路の散らかり具合、そこには日本の繊細な文化を思わせるものはない。日本に特有の謙虚さ、清潔さ、礼儀正しさは、朝鮮の日本人居住区には著しく欠けている。(p. 130)
これらの漁村の貧困ときたならしさは、驚くほどである。人々は精神がなく、寝て伸びをして食べてを繰り返す怠惰でだらしない存在でいることに満足しているように見える。金を出すと言っても、日中釣り舟を出させるのは不可能だった。もっとも彼らは、舟も網も綱も予約されているわけでないことは認めた。原住民のこのような無関心な精神の結果として、日本人漁師たちが急速に沖合いの漁場を確保しつつある。この怠惰で瞑想的で汚い人々がすぐにも立ち上がらないと、自分たちの海域における水産業は彼らの手からすり抜けて行ってしまうだろう。(p. 249)
F・A・マッケンジー『朝鮮の悲劇』
F・A・マッケンジー(渡部学訳注)『朝鮮の悲劇』東洋文庫222, 平凡社, 1972.
F・A・マッケンジー (Frederick Arther McKenzie, 1869~1931) カナダ生まれのジャーナリスト
ごく初期のころ朝鮮に居住していたある外国人が、私に、つぎのように語ったことがある。「私が最初朝鮮に行ったとき、私はあたかも、現世からほんとうのアリスの不思議な国に来たような錯覚を覚えた。すべてがたいへん幻想的であり、この世のどこよりもあまりに異質的であり、不条理であり、よそよそしく、そして奇妙であったので、私はしばしば、自分自身がいま目覚めているのか、それとも夢をみているのか、と自問せざるをえなかった」と。(p. 27)
繁盛して富裕になったような人は、たちまちにして守令の執心の犠牲となった。守令は、とくに秋の収穫の豊かであった農民のところへやってきて、金品の借用を申し出る。もしも、その人がこれを拒否すれば、郡守はただちに彼を投獄し、その申し出を承認するまで、半ば絶食同様にさせたうえ、日に一、二回の笞刑を加えるのであった。(p. 28)
貴族に対する収租地の特許は、民衆にとってのもう一つの重荷であった。貴族すなわち両班(ヤングバン)は、自分たちは勤労階級に依存して生活する権利がある、と考えていた。(p. 28)
上流社会の婦人たちはきびしい隔離生活を営むが、その隠蔽の厳重さは彼女らの夫に対する尊敬の念の証左とみなされている。下層階級の婦人たちは、たいていはその家族を養うために一生懸命働く。彼女らは異様な衣服をまとうが、それは乳房はあけっぴろげにしておりながら、しかもその乳房の上の方の胸部はこれを丹念に覆うているのである。(p. 31)
古い制度下の韓国の貨幣は、世界中の悪貨のうちでも最たるものであった。あるイギリス公使の公式報告の中での有名な嘲笑、それは、韓国の貨幣は良貨・良い偽造貨・悪い偽造貨・あまりにも粗悪なので暗い所でしか通用しないような偽造貨、の四つに分類することができる、としているが、これは必ずしもつくり話ではない。(p. 109)
E・ワグナー『朝鮮の子どもたち』
E・ワグナー (Ellasue Canter Wagner, 1881~1957) 米国の教育家・女性牧師
朝鮮の家屋に関する問題のうち最も特異なものは暖房に関する問題だが、その方法は経済的ではあるが、通風という点から見ればきわめて非衛生的で致命的である。(p. 27)
朝鮮女性の生活は、決して楽ではない。幼い頃から彼女たちは、知的にも地位や能力でも自分よりずっと愛情を受けて来た兄たちより劣等だと教え込まれる。そして彼女が楽な暮らしをして幸福になろうとすれば、早くに結婚して夫と姑に徹底して服従しなければならない。妻と母の役割は彼女たちの暮らしで最も重要な任務で、嫁ぎ先の祖先を祀り仕える息子を産むことでのみまともな待遇を受けることができる。(p. 31)
無知と迷信が蔓延しているところでは、誰の助けも受けられない子どもたちの無防備な肩が常に押さえつけられている。家を取り巻いているきわめて非衛生的な諸条件、そして様々な衛生法と常識を守らないことによって、あらゆる種類の疾病と苦痛が生じる。(p. 45)
イザベラ・バード(林尚得訳)『朝鮮奥地紀行』平凡社, 1993年.
韓国人には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な悪徳が見られ、人間同士の信頼は薄い。女性は隔離され、ひどく劣悪な地位に置かれている。(1巻, 30-31頁)
政府、法律、教育、礼儀作法、社会関係そして道徳における中国の影響には卓越したものがある。これら全ての面で朝鮮は、強力な隣人の弱々しい反映に過ぎない。(1巻, 44頁)
私は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また紹興[中国浙江省北部の県]の悪臭に出会うまではもっとも悪臭のひどい都市と考えていた!大都市、首都にしてはそのみすぼらしさは名状できない程ひどいものである。礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。その結果、二十五万人と見積もられている人びとが「地べた」、主として迷路のような路地で暮らしている。その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしか無い。さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬるしたどぶと、そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。(1巻, 71-72頁)
それにも拘わらず、ソウルには美術の対象になるものが何も無く、古代の遺物ははなはだ少ない。公衆用の庭園も無く、行幸の稀有な一件を除けば見せものも無い。劇場も無い。ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。ソウルには古い時代の廃墟も無く、図書館も無く、文学も無い。しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、ソウルは寺院無しの状態で放置されている。一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、ソウルには墓がないままにされている!(1巻, 106-107頁)
全ての衙門の周りにしっかり縋り付いている学者階級の者どもの、躾の悪い無礼な目にずいぶん沢山遭った。そのある者は、船員が止めるよう丁重に求めた時、その船員をどやしつけながら私の部屋のカーテンを持ち上げ、頭と肩を入れる程であった。(1巻, 159頁)
その肩に税の重荷が掛かっている人びとつまり特権を持たない厖大な大衆が両班にひどく苦しめられているのは、疑いない事である。両班は代金を支払わないで、人びとを酷使して労働させるばかりでなく、さらに貸し付け金の名目で、無慈悲に強制取り立て[収奪]を行なっている。ある商人か農夫がある程度の金額を蓄えたと噂されるか知られると、両班または役人が貸し付け金を要求する。(1巻, 172頁)
長安寺から元山への内陸旅行の間、私は漢江の谷間でよりも、朝鮮の農法を見る良い機会に恵まれた。日本のこの上なく見事な手際のよさと、中国の旺盛な勤勉に比べて、朝鮮の農業はある程度無駄が多く、だらしない。(1巻, 259-260頁)
徳川を出発する前に、無感動できたなく、ぽかんと口を開け、貧しさにどっぷり浸っている群集に包囲されて宿屋の中庭のごみ、むさ苦しさ、がらくた、半端物の真ん中でじっとしていた時、韓国人は見込みのない、無力で哀れな痛ましい、ある大きな勢力に属している単なる羽に過ぎない、と私は感じた。そして若しロシアの手中に握られ、その統治の下で、軽い税金同様勤勉の利得が保証されない限り、千二百万人若しくは千四百万人の韓国人に希望は一つも無い、と感じていた。(2巻, 186頁)
もしある人が小金を溜めた、と伝えられると、役人がその貸与かたを要求する。仮にその要求を承諾すると、貸し手は往々にして元金または利息に二度と会えなくなる。もしその要求を拒絶すると、その人は逮捕され、破滅させるために捏造されたある種の罪で投獄される。そして要求された金額を差し出すまで、彼か親類の者が鞭打たれる。(2巻, 196頁)
狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、肉体労働を蔑む間違った自尊心、寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚、女性を本質的に蔑む評価などが朝鮮教育制度の産物と思われる。(2巻, 269頁)
要約して、以下のような意見を思い切って述べる事にする。多くの人口を抱えている朝鮮の状況は、日本かロシアの孰れかの援助を得て次第に改善されるよう運命付けられている。(2巻, 279頁)
朝鮮の大きくて普遍的な災難は大勢の強壮な男たちが、少しましな暮らしをしている親類か友人に頼るか「たかり」に耽る習慣である。それを恥としないし、非難する世論も無い。少ないけれども一定の収入がある人は多くの親類、妻の親類、大勢の友人、親類の友人たちを扶養しなくてはならない。この事が、官職への殺到とその官職を売れ口のある必需品にしている訳を一部説明している。(2巻, 351頁)
一八九七年の明確に逆行する動きにも拘わらず私は、この国の人びとの将来に希望が無いとは決して思わない。だが、次の二つの事が非常に重要である。
一、朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、外部から改革されねばならない事。
二、君主の権力は、厳しくて永続的な憲法上の抑制の下に置かねばならない事。(2巻, 359頁)