道路を問う
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【社会】中国残留『不忘の碑』 体験談に感銘 調布に建立 国立の女性 私財で2008年4月9日 夕刊
戦時中、国策として満州(中国東北部)に渡り、戦後も国の無策で大陸に取り残された残留婦人の言葉に感銘を受けた主婦が、私財を投じて石碑を建立した。東京都調布市にある「延浄寺」境内にたたずむ石碑に刻まれた文字は「不忘(わすれず)の碑」。十二日に記念のつどいを開く。 (出田阿生) 建立したのは国立市の赤塚頌子(のぶこ)さん(66)。長年、保育の仕事に携わり、こつこつためたお金を使った。きっかけは、国分寺市の残留婦人鈴木則子さん(79)のインタビュー記事だ。 鈴木さんは一九四三年、一家で満州(興安南省・ハラヘイ)へ渡り、ソ連軍侵攻で六百人の開拓団に交じって地獄の逃避行も経験。この時、暴徒にやりで突かれて血まみれになった知人の女性が「何のために大陸に来たのか。国に帰って、この死にざまを伝えてくれ」と叫んだ言葉は、敗戦から三十三年後に帰国するまで胸に刻まれていた。残留邦人の支援をする「中国帰国者の会」を主宰し、国家賠償訴訟の原告にもなった。 大陸に眠る無数の同胞に託され、生かされた命。そう考える鈴木さんは「美しい言葉をうのみにしてだまされて、国に、大きな力に流されないようにしなければならない」と記事で訴えた。 自らは戦争体験のない赤塚さんだが、昨年夏に記事を読んで「忘れないこと、伝えることが反戦・平和運動なんだ」と強く感じた。すぐに何かできないかと伝えると、鈴木さんから「石碑をつくってほしい」と提案されたという。 知人らと石碑の文案を練った。文字は、知り合いの書家が無償で書いてくれた。寺の社務所を残留孤児らの日本語教室の会場に提供していた延浄寺の住職網代正孝さん(68)が境内の一角を貸してくれることに。 石碑は高さ約三・五メートル。寺の前を通る人にも見える。刻まれた言葉は「国に従って 国に棄(す)てられた人びとを 忘れず ふたたび 同じ道を歩まぬための 道しるべに」。 「慰霊碑ではなく、絶対に二度と戦争はしないという決意、未来につながる石碑をつくりたかった」と赤塚さんは話す。 記念のつどいは、十二日午後一時半から三時。岩波新書から「中国残留邦人−置き去られた六十余年」を出版したばかりの作家井出孫六さんを招いて講演会を開く。参加無料。 問い合わせは同寺=電03(3326)7337。
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