06年6月に発生した田原本町の母子3人放火殺人事件を巡る供述調書漏えい事件の初公判が14日、奈良地裁(石川恭司裁判長)で開かれ、41席用意された傍聴席の抽選に111人が列を作った。言論や出版の自由と少年法を巡って議論を呼んだ事件の公判だけに、多くの関心が集まった。公判後、弁護側は今後、公訴棄却を求める方針や講談社関係者の証人申請をする考えを明らかにした。【宮間俊樹、花澤茂人、高橋恵子、林由紀子】
奈良地検の捜査のきっかけになったのは、長男(18)=殺人などの非行事実で中等少年院送致=の供述調書を引用した単行本「僕はパパを殺すことに決めた」(講談社)。
午前10時に開廷。101号法廷の傍聴席は、報道陣や関係者、傍聴人らで埋まった。刑法の秘密漏示罪に問われた精神科医、崎浜盛三被告(50)は黒いスーツ、白いシャツ、灰色のネクタイ姿で出廷。髪は短く刈り、少しやせた様子だった。
人定質問が終わり、被告人席に着いた崎浜被告は、弁護人から手渡された起訴状のコピーに目を落としたり、検察官に目をやりながら、神妙な顔つきで聴き入った。
約1時間の初公判終了後、記者会見した崎浜被告の主任弁護人、高野嘉雄弁護士は、講談社の関係者を証人申請する考えを明らかにした。起訴が不当だとして公訴棄却も求める方針。
単行本の著者、草薙厚子さんは公判後、「鑑定医が無実の人として1日も早く刑事裁判から解放されることを切望します」などのコメントを出した。
傍聴席の抽選に並んだ奈良市内の男性(64)は「調書をどうして見せてしまったのか、今後の裁判の流れがどうなるか気になる」と話した。大阪府高槻市内の無職男性(66)は「世の中の雰囲気として、表現の自由に対しての厳しさが強まってきているように思う。この裁判がどのように展開するのか見たくて来た」と述べた。
空き地になっている放火殺人事件の現場には、菜の花やタンポポを供えた跡があった。
現場近くを訪れた橿原市の無職男性(65)は「長男の障害について知ってほしいと思う医師の気持ちも分からないではないし、情報を漏らしたら罪になるというのは、理解しにくい面もある。長男の将来を考えるといけないことかもしれないが、複雑な気持ちだ」と話した。田原本町の70代の無職女性は「本の出版でプライベートな情報が公にされたことは、長男の一生について回るのでは。被告や出版社は、なぜこんなことになったのか裁判の場で明らかにしてほしい」と話した。
◆識者に聞く
供述調書漏えい事件の初公判を、どう見るのか。識者に聞いた。
調書の内容を、公にする必要があるかどうかの判断がまず最初にある。言論の自由以前の話で、今回の調書の内容がそれに当たるかは微妙だ。今回の件は、ものすごく大きくとらえれば表現や言論の自由に触れてくるが、そこまで広げるものではないと思う。
少年に殺意がなかったと知らせたかったという被告の動機は妥当ではない。医者はその時の少年の精神状態を専門的に鑑定するもので、殺意がなかったなど犯罪事実への言及は医者の仕事ではない。
長男に発達障害があり、殺意はなかったのだと分かってもらうために調書を見せたのだから、「正当な理由」があったという被告の主張はまったくその通りだと思う。調書をほぼ全面的に流用した安直な本が出版され、長男やその家族のプライバシーが侵されたという責任は、著者や出版社が負うべきものであって、被告にはない。元々この件は民事裁判で争われる性質のもの。見せしめのために、ことさら刑事事件として立件し、逃亡や証拠隠滅の恐れもないのに、被告を逮捕・拘置までした検察のやり方こそ最も非難されるべきだろう。
崎浜被告は、事件の全体像や真実を社会に伝えたいと考え、草薙さんの取材に応じた。その善意は評価できるもので、なぜ刑罰に問われないといけないのか。今回は出版した側は立件されず、情報源だけを対象にした公判となった。結果としてメディアが出版の責任を情報源に押しつけたような形になってしまった。供述調書を直接引用するなど、著者も講談社も脇が甘かった。
秘密漏示罪の構成要件に関しては、医師という専門的知見があるから崎浜被告は鑑定を依頼されているので、弁護側の主張は無理がある。医師が鑑定をしたら医師でなくなるというのではないだろう。調書を漏えいした動機だが、少年が犯罪を犯していないなど冤罪(えんざい)を明らかにする場合なら正当な理由となりうるが、殺意がないことを伝えたいというだけで正当な理由とはいえないと思う。精神鑑定は責任能力の有無を調べるためのもので、殺意の有無は精神鑑定では問題となっていない。
初公判では、弁護側が求釈明で検察側を揺さぶるのはよくあること。検察側が答えないのも一般的で、今後検察は公判の中で明らかにするのだろう。
毎日新聞 2008年4月15日 地方版