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2008年04月11日付・夕刊

 (1)“常識”破りの光景

高知赤十字病院に運び込まれる深夜の急患(高知市新本町2丁目) 昨年十一月、平日の午後十時半。高知赤十字病院(高知市新本町二丁目)の救急外来に居た私は信じられない光景を見た。

 救急外来にある医師の在席表示板で、四人いる脳神経外科医のうち三人のランプが消えていたのだ。

 脳外科で唯一残っていたのは、この日が外科当直の泉谷智彦医師(45)だけ。こんなに早く脳外科が帰るなんて…。それまで一カ月半見てきた高知医療センター(高知市池)の常識は何だったのか。

 私は医療センター脳外科の溝渕雅之医師(48)に連絡した。「すごい。ドクターが家に帰ってますよ」

 すると彼は言った。「普通はそうなんですよ。こちらはまだ、皆、いるんですけど」

 【写真】高知赤十字病院に運び込まれる深夜の急患(高知市新本町2丁目)

   ◇  ◇

 ひとまず医療センターの取材を離れた私は、同じ救命救急センターの資格を持つ高知赤十字病院を訪ねた。脳外科医の数は医療センターより二人少ない。しかし、救急車の数は年間で一千件以上多い。てっきり疲れ切っていると思っていたが…。

 「うちも忙しいけど、医療センターは倍ぐらい忙しいと思いますよ」。河野威部長(58)は笑った。

 溝渕医師の昨年九月の残業は百九十時間。「僕らも前は二百時間だったけど、今は百時間ちょっとかな」。それでもすごいのだが…。

 十七年三月の医療センター開院前まではきつかったという。ただ、楽になっても夏休みは二日だけだ。

 脳外科の四人は全員、徳島大からの派遣。河野部長は高知での勤務が二十年。頸(けい)動脈の血栓剥離(はくり)術の症例数で国内トップ級。泉谷医師も高知は十一年目。二人とも他県出身だが高知を離れるつもりはないという。

 余裕ができたのなら医療センターの手助けはできないものかと尋ねると、河野部長は首を横に振った。

 「うちも楽じゃないんです。ただ、向こうは呼ばれ過ぎなんですよ」

 そこが、両者の大きな違いだった。どういうことかというと、高知赤十字病院には各専門科を守ってくれる防波堤があったのだ。

 それは救急部(七人)。昼も夜もすべての救急車の患者に初期対応し、少々の疾病なら自分たちで治療を完結。夜間に来た患者の容体が少し心配なら、入院させた上で翌朝、専門科に引き継ぐ。重症なら即座に専門科の待機当番医に電話して呼び出す。

 それだけではない。ICUの当直も救急部がすべて担当。患者の急変に対処する。

 つまり、専門科の医師は夜中、医療センターのように頻繁に呼び出されることはないのだ。

 救急部のトップ、西山謹吾部長(50)はこう説明する。「医療センターのように何でも専門科の先生が出て来ていたら医師は倒れますよ。夜中の救急だからとりあえず、患者さんが翌朝まで無事に過ごせるように処置するのが第一。たいていのことは僕らでできますから」

 そのために救急部は全員、救急医学会の専門的な講習を終えている。

 西山部長の別名は「高知のミスター救急」。高知県の本格的な救急医療体制を構築した人物。十年前、高知赤十字病院が国内初となる脳死臓器移植判定をして大騒動になった時の中心人物だ。高知赤十字病院が三次救急を始めた時から十四年間、救急一筋。活力みなぎる彼は、救急医療についてマシンガンのようにしゃべり始めた。

 
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