日本酒の燗(かん)酒の旨(うま)さが忘れられている。
日本酒の酸の主成分は乳酸と琥珀(こはく)酸です。この酸は温酸といいます。温酸とは温めたら旨味が出てくる酸のことです。逆に冷酸といって冷やすと旨味の出てくる酸がクエン酸やリンゴ酸などです。果物を温めて食べる人は少なく冷やして食べていると思います。これは、果物の酸が冷酸が主体だからです。
ハマグリなど貝類の汁を飲むとき、フーフーいうほどに熱々の汁を飲むのが楽しく美味なものです。この貝の酸の成分こそ琥珀酸なのです。乳酸もおちちです。熱く温めた方が美味なのです。
なぜ、日本酒の燗を忘れたのでしょう。燗は湯煎(ゆせん)でするのが最高です。間接加熱が酒を壊さずに旨く仕上げてくれます。ヤカンなどで直火(じかび)で燗をすると、酒を壊してしまうのです。そのために、昔の料亭などではお燗番がついていたものです。おでん屋でのチロリでの燗酒は美味なものです。燗上がりするという言葉があります。冷やで飲むより燗の方が美味になるからです。
燗で酒を飲むことは贅沢(ぜいたく)なことだったのです。柳田村(現石川県能登町)の天領庄屋で、正月に使用人に酒を出しました。使用人たちが燗をして飲んでいるのを見た領主の夫人は烈火のごとく怒り「燗をして酒を飲むとは何事か、身分を弁(わきま)えろ!」と言ったそうです。燗で飲んでよい身分があったのでしょう。
現在では、何でも冷蔵庫で冷やして出してきます。手間を掛けていません。それなのに酒の値段は三倍ほどです。そこまで取るのなら上手な湯煎の燗酒を出してもらいたいものです。
吟醸酒は常温では腰が抜けてしゃっきりしません。冷やして初めて腰がシャンとし、切れ味が出てきます。冷やしすぎはいけません。渋味、苦味が出てきます。純米酒や本醸造酒、普通酒は冷やよし、燗よし、燗冷(ざ)よしが理想です。冷やというのは常温のことです。燗冷で腰が抜けずにしっかり飲める酒は、造りに正直であった証拠です。
一度皆さまに湯煎で手間を掛けて、日本酒の本来の燗の旨さを味わってもらいたいものです。
やなぎ・たつし 1948年、石川県白山市生まれ。72年、東京農業大醸造学科卒、宝酒造入社。74年菊姫合資会社入社と同時に無限責任社員に就任、現在に至る。
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