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2008年04月15日(火曜日)付

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ギョーザ事件―捜査を長期化させるな

 中国製冷凍ギョーザによる中毒事件の捜査が行き詰まっている。原因がはっきりしないままでは、消費者の不安が消えるはずもない。日中間によどんでいる深い霧も晴れない。

 高濃度の農薬メタミドホスをだれが、なぜ、どこで混入したのか。両国の捜査当局は、この事件が故意によるものとの見方で一致している。だが、双方が自国で混入した可能性はほぼない、と主張している。

 両捜査当局が協力して調査することになったものの、事件が明るみに出て2カ月半が過ぎた今も、目に見える進展はない。日本側は国内での捜査はほぼ終了し、あとは中国次第だというのだが、その中国側から新しい動きは伝わってこない。

 だが、このまま捜査が事実上、終結してしまっていいはずがない。犯罪が未解決で終わるというだけでは済まされない影響がある。

 一つは、日々の食の問題だ。3月に日本が輸入した中国産野菜は昨年の45%減だったという。日本の消費者が手を伸ばさなくなったのに加え、中国側が輸出検査を強めたためらしい。キャベツは97%減だというから、ほとんど閉め出し状態だ。

 貿易で生じるこうした問題を解決できないならば、日中の自由貿易協定などといっても、現実味を欠いてしまう。世界経済の主役になろうという中国にとって、この信用失墜は大きい。

 さらに深刻なのは、時間がたてばたつほど相互不信が膨らんでしまうことだ。日本では、中国側への不満が沈殿する。中国の人々の間には、日本側の陰謀ではないかという疑心が残る。両国関係への悪影響は計り知れない。

 そんな雰囲気の中では、東シナ海のガス田開発のように、譲り合わなければならない問題はますます前進しにくくなる。他の問題でも、日本の対中視線が国民レベルで厳しくなるのは避けられまい。中国も同じかもしれない。

 胡錦濤国家主席の訪日を来月に控え、両政府はギョーザ事件をひとまず外交からは切り離したいのが本音かもしれない。だが、相互の信頼感が傷つけば、日中の様々な局面に影を落とす。簡単に切り離せるものではない。

 事件を感情的な対立にしないためには、捜査を急ぐしかない。日本には中国側の捜査への不信感がある。中国が捜査を続けているのなら、進展状況を明らかにしてもらいたい。

 中国側は、メタミドホスが大量に包装袋を浸透するという実験結果を発表した。これが日本国内で混入された可能性があるという論拠になっている。日本側は反論しているが、再実験などを通じてより説得力のあるデータを中国側に示したらどうか。

 あいまいな決着で将来に禍根を残してはならない。

徳山ダム―何のための半世紀だった

 ため込む水は浜名湖の2倍という日本最大のダムが、岐阜県の山奥にまもなく完成する。いま最後の貯水試験の最中だ。

 徳山ダム。構想から50年余り、満々と水をたたえる人造湖を見て感じるのは、むなしさである。

 多目的ダムというのに、発電の施設もなければ、水道水や工業用水を取り込む設備もないままだ。「洪水対策に役立つ」というが、それだけならもっと小さなダムでよかった。

 総事業費は3500億円。神戸空港がもう一つできる金額である。

 このダムのために、一つの村が完全に水の底に沈められた。1500人の住民は全員、村の外へ移った。イヌワシやクマタカが舞っていた環境はすっかり変わってしまった。

 なぜ、こんなことになったのか。時代が移り、電力や水の需要が予想ほどには増えなくなったのに、引き返すことなく、過去の計画をそのまま進めたからだ。費用と効果のバランスを考えず、役所の都合ばかりを優先した日本型公共事業の典型といえる。

 これまで計画を改める機会は何度もあった。水力発電の必要性が薄れた60年代。用地買収の交渉が難航した80年代。水需要が伸びなくなった90年代。旧建設省や国土交通省がいずれかの時に立ち止まっていれば、こんなことにはならなかった。

 とりわけ残念なのは、90年代以降の動きだ。公共事業への批判にさらされ、河川行政の転換を図った。費用対効果の検証を徹底するなどして、全国で100以上のダム建設を中止した。

 だが、徳山ダムは計画を手直ししただけだった。同じように大規模な八ツ場ダム(群馬県)や川辺川ダム(熊本県)も建設を続けている。

 長い年月、多額の費用をつぎ込んだがゆえに途中でやめにくいということだろう。だが、それでは無駄なものをつくり続けることになりかねない。

 自治体の責任も大きい。愛知、岐阜両県と名古屋市は、水需要が伸びなくなったのに、計画に同意し続けた。そのツケは大きく、今後、水道などの利水分の建設費用1500億円を払っていかなければならない。それはけっきょく住民の負担になる。

 国交省は徳山ダムに関連し、さらに900億円を投じて取水のための導水路をつくろうとしている。渇水のときなどにダムの水を使おうというのだ。だが、渇水対策なら、ふんだんに水を持つ農業用水と調整すればいい。

 発電、利水、洪水対策、さらには渇水対策。そんなふうに看板を次々にかけ替えて公共事業を守るのは、もうやめてもらいたい。そして、こんなお役所仕事が半世紀もの間、なぜ許されてきたのか。そのことも突きつめて考えたい。

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