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  美食の国から
   
  ヨーロッパ美食の国から
東洋の日出ずる国≪ジャポン≫へ、
フランス人シェフの日本における
ダイナミックな活動とその人柄、足跡を追った。
   
  アンドレパッション
   
 

代官山の駅から少し歩いてレストラン・パッションhttp://www.pachon.co.jp/ を訪れた。
店内には沢山の絵画が飾られてあり、
その中に一枚の写真を見つけた。皇太子殿下、
雅子妃殿下と共にパッション氏が写った写真である。
2002年、雅子様のお父上の70歳の誕生日に
小和田家の家族とレストラン・パッションを訪れ
食事をされた時の写真であった。

オープン以来21年、来日からは35年、
今も多くのお客様を魅了し発展し続ける
オーナーシェフ、アンドレ・パッション氏。
インタビューの申し出を快く受けてくれた。

 
外観   店内写真
営業時間は暖炉に火がともる。
レストランパッションオーナーシェフ
 
シェフ
   
 

■カルチャーショック!!
「35年経った今は大丈夫」と言いながら日本に来た当初を振り返る。
「言葉の違いはもちろん・・・」「晩御飯の時間の短さ その反対にお風呂の時間の長さ
数をかぞえる時の指の折り方までフランスとは反対!」
「寝る時はフトン 泣き方も笑い方も感情表現の方法まで違う!!」
日本式の生活にはそうとうの苦労があった。
そんな中これまでの奥様の貢には、感謝がつきないようであった。

■ ニッポン
奥様との出会いは1970年、日本で行われた大阪万博の時である。
カナダ政府の依頼でカナディアンレストランの料理長として来日した時。
6ヶ月の間の仕事であったが、そのレストランでキャッシャーをしていた奥様と知り合い結婚した。
日本人の奥様を喜ばせるために万博後も日本に残ることにした。
そして、ある企業の依頼で京都にてフランス料理のシェフの仕事を得る。
1971年には、東京港区六本木の名店『イル・ド・フランス』のオープンに際し料理長になった。
そして1984年にレストラン・パッションをオープンさせた。
『奥様との事をもう少し詳しく話してほしい』とお願いしたら、
ユーモアを込めて「君は警察官か!?」と言ってそれ以上話してくれなかった。

■ 料理への道
1944年、南フランスのモンペリエに生まれる。
「少年時代はとても幸せでした」戦争が終り、人々は喜びと幸せに満ちていたという。
「物や食べ物がなくても楽しかった」「ボール1個で友達と遊んだり ヒーローごっこをしたり・・・」
学校への通学路、ホテルのキッチンの前を通っていた。
そこで働くコックさんたちを憧れの目で見ていたという。
「キッチンからいい香りがしてくる」
「白いコック服と高い帽子がまぶしく見えました いいなあ」
「毎日 家で食べる母親の料理もおいしかった」
アンドレ少年は、学校を卒業するころには、料理人になることを決めていた。
16歳でカルカッソンヌという町のレストラン『ロジ・ド・トランカベル』で料理修行を始める。

 
 
■料理修行
最初のレストランロジ・ド・トランカベルのシェフ、
マルセル・エムリック氏は、『カスレの王』と呼ばれた人であった。
カスレとは、ラングドッグの地方料理でインゲン豆を煮込んだ
料理である。そのカスレ秘伝の味は、今、
レストランパッションが受け継いでいる。

パッション氏は今もって最初の師匠である
マルセル氏への感謝を忘れない。
「最初の修行が良ければ 後がスムーズに行くんです 最初に悪い師匠について修行がいい加減ならそれまでです!」
「最初が一番肝心です 基本が大事です」
「これまでの人生で様々な人に出会いました 助けてもらったり 仕事の可能性を与えてくれたり・・・ 」
「その中でもマルセル氏は格別な人です」
最初のレストランでは、2年の兵役をはさんで5年間働いた。
ボルドーのレストランで3年修行をした後、
カナダに渡りモントリオールのホテルで働いた。
カスレ
   
  ■日本のフランス料理
日本人にとってフランス料理と言えば、『高級=レストランに食べに行くもの』
というイメージを持ってしまう。
それは当然のことであるが、フランスで生まれ育ったパッション氏にとっては、
母親のおいしい料理もフランス料理であり、
パン屋さんで買うバゲットのサンドイッチもフランス料理なのである。
フランスの土壌、海、自然の恵みの結晶がフランス料理なのである。 
又フランスの生活習慣の中にあるものと言ってもいい。
「日本でも レベルの高いフランス料理を食べることができます 
しかし 時々 それらの料理に とてもよくできたフランス料理のイミテーション(模倣)の
印象をもつことがあるんです」
「多くの日本人フランス料理人は お客にフランス料理を作りながら まかないで魚に醤油をかけて食べている それでは仕事のためだけの料理であり『フランス風料理』ではないですか?」
料理は、テクニックよりも料理人自身と作り手の背景が
一つの皿に大きく影響するということなのであろう。
日本人の中にも優れたシェフがいることを認めながら「彼らはフランスを忘れていない」と語る。
日本のフランス料理の技術レベルは高いのでアメリカ人が寿司をにぎっているイメージとは
重ならないと思うが、将来グランシェフを目指す若者に対してパッション氏は
「最低1日1回はフランス料理(前述の意味)を食べること(好きになること)」
「フランスに何年か滞在してフランスを肌で感じて来ること」
そして「日本に帰ってからも忘れないこと」とアドバイスする。
日本におけるフランス料理第一人者の含蓄の深い意見である。

■展望
1979年にケータリング事業を始め、成功させている。
1989年にはパッション氏の郷土であり、最初に修行した町カルカッソンヌにお城を購入した。
そこで毎年日本の調理師学生を受け入れ、料理授業の場に提供している。まさに郷土凱旋である。
1998年にレストラン ル・プティブドンを2004年にはビストロ パッションをオープンさせた。
奥様、二人の息子さんをはじめ40名のスタッフとともに 
― パッショングループのトップとして益々の活躍が期待される。
パッション氏の力強く優しい声が印象的だった。家族愛、郷土愛、フランス料理愛の氏であった。
グループの拡大と共に、パッション氏の下には力ある人材がたくさん育っていることであろう。
現在60歳、発展を続ける彼の胸中には、更なる大きな計画があるように思えた。

   
  (第2回了)
 
取材・文/馬場雅教
  ★シェフの一皿
〜 ボストン産オマール海老と夏野菜のサラダ 〜
   
  ■次回
ベルナール アンクティル氏 渋谷区鉢山町 レストラン ≪ル・プティ・ブドン≫
   
 
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