現在位置:asahi.com>ビジネス> 経済気象台

経済活動と弁護士不足

2008年04月15日

 「法」は誰のものだろう。従業員50人規模の小さなメーカーが、商社からゲーム機の試作を頼まれ、注文通りのものをつくった。しかし商社は言を左右に支払いを渋った。裁判になり全面勝利までに8年近い時間がかかった。地裁の判決、高裁の判決、最高裁の和解勧告、2度目の高裁でやっと決定した。

 その間、メーカーは資金繰りの悪化で塗炭の苦しみを味わった。長い裁判に苦しむのは、弱く貧しい人たちだ。カネのある大企業や大組織はふんだんに弁護士を雇い、裁判にいくらでも金と時間をかけられる。

 「法の下における平等」とはなんだろう。法曹関係者を増やし、スピーディーに法を運用することが求められている。弁護士会が司法試験の合格者の増大に危機意識をもつのはよくわかる。「法というマーケット」の競争が激化するからだ。しかし金のある人間や組織が有利という現状をどうするかが問われている。民主主義とは機会の平等によって担保される。誰にでも「法の支配」の恩恵が行き渡ることが求められている。

 弁護士の「質」が合格者の数を制限することによって守られるという主張はいかがなものだろう。市場経済は「商品の質」は消費者によっても判断される。「法律の知識」というサービスを提供する弁護士もまたそれを利用する者の評価にさらされるのはやむを得ない。消費者に選択の自由を与えるべきだ。

 訴訟社会アメリカが良いなどとは誰も思わない。しかし日本のように経済活動の支障を来すような法曹関係者不足も困るのである。弁護士会が自分たちの利益を主張するのは当然だが、現実に不利益を被っている人々への説明責任もあろう。(遠雷)

PR情報

このページのトップに戻る