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2008年4月15日

◎震災復旧談合判決 「地がかり」を消し去る好機

 能登半島地震の震災復旧工事をめぐる談合事件の有罪判決で、金沢地裁が指摘した「談 合は七尾市などの業者間で恒常的に続けられていた」との事実は極めて重く、各自治体や建設業界は判決を深刻に受け止める必要がある。

 一連の公判では、過去の工事実績や現場と会社の距離の近さなどを『地がかり』と呼び 、『地がかり』の強い業者が落札できるというルールが浮かび上がった。そうした暗黙のルールの存在が業者間の地域的なすみ分けを可能とし、談合しやすい土壌が定着したと考えられる。

 富山県でも滑川市発注の下水道工事の指名競争入札で業者が談合容疑で逮捕された。事 件がこれだけ相次いでも談合がなくならないのは、入札制度がそれを防止するような仕組みになっていないからでもあろう。各自治体は一般競争入札の拡大や罰則強化などを早急に進め、今回の判決を『地がかり』に象徴される業界の悪しき慣習を消し去る好機にしてもらいたい。

 震災復旧工事の談合事件判決では、業者が七尾市発注工事の談合事件で警察の事情聴取 を受けていながら、石川県発注工事の談合にも応じていたことについて「罪の意識がなく悪質」と断じた。談合が日常的になり、感覚がまひしていたとしか考えられない。

 自治体の入札制度改革として、価格以外の要素を加味する「総合評価方式」を導入する 動きが広がってきた。気になるのは、所在地が地元である点や工事実績、除雪契約など地域とのつながりを点数化する「地域貢献度」の項目については、今回の事件の『地がかり』に通じる一面があるという点だ。「地域重視」や「地元業者育成」という狙いも、度が過ぎれば談合の温床につながりかねない危うさをもつことを自治体側は常に認識しておく必要があろう。

◎「道路」の一般財源化 自分の物、の錯覚ないか?

 政府、与党が道路特定財源を〇九年度から一般財源化する方針で合意し、野党との政策 協議を進めることについて、注文がある。特定財源であるにせよ、一般財源であるにせよ、それは政府・与党の物ではなく、野党の物でもなく、いわんや道路族議員の物ではなく、国民すなわち公の物であることを忘れずに国民のための議論をしてもらいたいということである。というのも一般財源化に反対なのは族議員であり、国土交通省であり、建設業者であり、これまでの駆け引きを通して一般財源化をまるで「自分の所有物」を取られるかのように思う“錯覚”が透けて見えたからだ。

 一般財源化は、福田康夫首相の「決断」で、今回に限って党内の手続きを省略して打ち 出されたといわれる。政府、与党の合意に至るまでに、たとえば道路の必要性を判断する際に「厳格かつ客観的な評価」をするとなっていた当初案が「地方財政に影響させず、必要とされる道路は整備する」との表現に後退した。

 族議員や国交省に抵抗された結果だそうだが、抵抗する側の意識に道路特定財源を「私 物化」するものがあるのではないか。

 道路族は「地方のため」という名分を振りかざし、道路特定財源に充てられる目的税に 関してそれを負担する人々のために使うべきだとの主張を掲げ、一般財源化に反対してきたし、いまでもそうだ。

 が、自動車が国土のすみずみにまで普及した現在、特定の人たちの物ではなくなり、国 民全体の物になったというのが実体ではないか。道路族に限らず、私物とみてはならない公的な物であることをこの際、頭にしっかりたたき込んでほしい。

 合意では、先に十年間に延長した道路整備中期計画を見直すほか、国交省が天下りのた めにつくったとされる道路関連法人の無駄遣いをなくすことも申し合わせている。今後も抵抗勢力による「骨抜き」が予想される。党利党略に使うのも一種の私物化である。与野党とも国民のために「国のかたち」を改革する思いで政策協議を進めてほしいものだ。


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