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母親の土地など調べたら自宅建物が父親との共有になり、又山林が父親名義になっていたので驚いた。
山形での一日目は、お墓へと二日目に初めて妹の自宅と「離れ。」を姉から案内された。
妹が自宅に居て私は、「母親から盗ったものを返せ。」と怒ったが、「預かっただけだ。」と言い話が食い違った。
そこへ姉が仲裁に入って「私に任せな。」と言うので私は30分位離れていた。
結局、後で返すとの事で、姉と帯広へ帰った。
後で、最初から姉と妹は電話で話し合って居たので私が騙されていたことが母親から聴いて判った。
この後、私は札幌へ戻り母親からの頼みから妹に対し、アパートの今まで盗っていた家賃の返還や盗った金品全てを内容証明付きの書面で求めた。
妹から全く返答が無いので妹の夫が警察官なので、勤務先の天童警察署所長に連絡した。
効果があって、12月30日午後6時過ぎに父親を同行し妹夫婦が帯広の姉宅へ飛んで来た。
しかし、土地の権利書と実印だけを置いて30分も居ないで帰った。
この時、私はには父親から自宅の共有名義のことから山林の名義が、母親の名義に全部なっていないことに関して聴きたかった。
だが、父親が姉の家に入るなり「25万亨、返せ。」と怒鳴って繰り返していた。
私は、父親から借りていないので、父親の叫んでいることが判らなくボケが酷くなっているので何も聴けないで帰した。
その後、正月明け落ち着いてから札幌へ私は、戻って不動産の仲介業者に頼んでバリヤフリーのマンションを探して契約し帯広へ戻った。 |
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姉の家に、母親を迎えに来たと入ると、姉が「母さん札幌へ行かないって。」と言い、母親と逢わせようとしなかった。
私は、姉を母親の替わりのように信じていたので「母親の本当の意向なら、それなら仕方が無い帰る。」と言った。
札幌へ帰ろうと時間待ちしていると、姉が「母さんが如何しても最後だから駅まで見送りをしたい。」と言うので一緒に送る。」と言い送って貰った。
その帯広の駅で、母親と別れる時に私が耳元で「元気に暮しててね。」と言うと「亨、山形へ戻ったら●●●に殺される。」と言った。
私は、そんな冗談をと言って分かれた。
その後、母親が「余計なことを亨に言った、この口が悪い。」と言いながら姉から拳骨で頭を3回と口の横ホッペタを抓られた。
母親は、拳骨も抓られたのも本当に痛かったので、「お前、娘が親に何する。」と言い返して泣いたと私に、後で話した。
翌日、食事もしないで山形へ無一文のまま飛行機に乗せられ戻され、それを待ち構えて妹夫婦が迎えに来て又「離れ。」に監禁した。 |
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それから「帯広に嘘言って行ったし、亨君に余計な事を喋った。」と妹夫婦が怒って「一週間食べさせないから。」と言われた。
妹の夫警察官から、母は背負っていたナップサックを引き取られ叩かれた上に、又権利書し実印を盗られた。
その後、6日間何も食べられなく過ごし帯広から一食もしていなかったので、三日目には目まいして動かれなかったと母が言う。
監禁から6日目の午後3時過ぎに、50過ぎの女がお茶を湯の御に一杯入れて差し入れしてくれたと言う。
その女が白い歯を出して笑ったので判ったが、平成13年の初夏に妹夫婦から公証人役場へ連れ回された時の証人の妻だったことが判った。
それから母親は、意識をうしなってしまい気がついたら山形大学の付属病院のベットの上で治療を受けていたと話した。
私が平成17年10月に来た時には、既に平成16年10月に山形徳洲会病院へ転院されていた。
その山形の公証人役場へ連れ回された時の話は、妹夫婦が母親に「全財産を●●●に全部遣ると公証人の前で言え。」と脅された。
母親が「札幌の亨に渡すから、お前等などに遣らない。」と公証人の先生に言った事から、公証人役場を出た後で叩かれた。
その時に、大嶋夫婦の証人妻が白い歯を出して観て白い歯を出し笑っていたと言う。
その暴行の場所は、公証人役場の近くであったが判らなく、そこからすぐ自宅戻され「離れ。」に、監禁されていたと私に話した。
この証人夫婦は、後ほど平成14年96日、同じ公証人役場で口答遺言公正証書を妹●●●と父親との証人であった事が判った。
大嶋証人の夫婦は、公証人役場の側で居酒屋を開店している事から、その店内と私の推測で考えられた。
この断食監禁虐待事件で私は、平成19年に山形警察署に私が届け出たのが数日遅く時効になっていた。
父親は、わたしが平成17年10月8日山形へ移住して来た時には、既に数年前から「さくらパレス」と言う妹の自宅から近い老人施設に居た。 |
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そして、平成17年12月4日に私が父親に午後3時20分から10分程度逢って話し帰った後、直ぐに妹が逢いに来ていた事が判った。
妹が約2時間父親の個室に妹が居て、午後6時近くに帰った30分後に担当の介護士が心肺停止している父親を発見し妹に電話したと言う。
私と逢った時には、一週間前に腰を骨折しベットで寝て動けない状態でも、風邪も治り元気に話していた。
それが死因は、呼吸不全と言う診断である事から不自然死で、私は司法解剖を担当医に嘆願したが聴きいれられなかった。
妹に、二時間も居た当時の状況を説明を聴いても一切答えない。
父親の葬儀に措いても、親戚関係者の全員を私の居る実家から遠く離れている西蔵王のホテルに全員送り込み立寄らせ酢に帰した。
私は、葬儀の3日間一人で父親の遺体を守り一睡も出来なかった。
親戚の方々が「借金して失踪したと●●●夫婦から聞いていたので連絡しなかったし、年賀も出さなかった。」と教えてくれた。
母親に、この状況を話したら「爺ちゃんは、口を塞がれたか無理やり何か飲まされて殺されたのだ。」と言う。
なお、父親が他界する二日前の12月1日の同じ時間帯に父親と話をした時に「●●に騙されて全部盗られた。」と教えられた。
それに対して、私は「何を盗られた。」と聴いても答えなかった。
次の日に妹から電話が夕方あったので聴いたら「爺ちゃんボケているから。」と切った。 |