「人権擁護法」その1・・天下の雑法。

人権擁護法に関しては
他のブログやサイトでもあらかた取り上げてますし、
今さら当ブログが「その問題点とは?」なんて言うのも
おこがましい気もするんですが、
ちょいと出遅れ気味だったんで
シリーズもので書いていこうと思います。

法案の条文上の問題点は他所で書いてるんで
うちでは詳しくは書きません。
こっちでも見てくれた方が早いと思います(笑)

西尾幹ニのインターネット日録:
 「人権擁護法」という狂気の法案


Irregular Expression:
 人権擁護法案で得する奴は誰だ?


人権擁護法(案)


私がこの法案を見てて感じたのは3つです。

1,人権の定義?

2,人権侵害と心理要素

3,法案推進者の理念

以下、この3つを柱に書きます。


<人権の定義?>

多くのブログで揶揄の対象になっているのは
この法案の中における「人権」の定義が曖昧なこと。

 第二条 
 この法律において「人権侵害」とは、
 不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう。

それじゃあ「人権侵害とは人権を侵害する行為である」と
言っているのに等しいじゃんと。
法案作成者の頭の中身にはどうなってるんだと。
まあ、突っ込まれてもしょうがないですな。

それに対して法案を担当する法務省側は

 「人権は人権という言葉を使わず定義することが難しい。
 中身自体が拡大していく概念だ」

と答えている。

人権擁護法案 国会提出へ「メディア規制」凍結を条件

「人権」を定義するのが難しい?
そうじゃないでしょ。
人権とは何か、分かってないから定義出来ないんでしょ。

人間存在とは何か?
生きるとは何か?
人間の倫理とは何か?

国家としてこれを定義できない。
答えられない。
それは哲学の領域、倫理学の領域だと逃げている。
国家としての統一見解がない。

戦後、倫理的なるもの・宗教的なるものを
国家の屋台骨から外した日本は、
このいう哲学的テーマに関しては全く答えられない。
「人間存在について」が定義できないならば
「人権とは何か」について答えられないのが当たり前。

 人権は、
 人権という言葉を使わず定義することが難しい。
 中身自体が拡大していく概念だ

そうじゃないよ。
分ってないから答えられないんだよ。

人権とは何かが定義できないなら
「人権侵害とは何か」が定義できないのは当然のこと。
それでもあえて書こうとするならば、
個々のケースごとの具体例を書いていくしかない。

でも、個々のケースごとに書いていたら、
そのケースから外れる事柄は
法案の適用外になってしまう。
ここが、法案作成者のジレンマでしょう。

賛成論者は言う。

  「言葉の定義」の曖昧さをことさらに問題視して
  法案を全否定する意見には賛同できない。
  「人権侵害」を詳細かつ具体的に定義すれば、
  法案は骨抜きとなってしまう。

  *人権擁護法案10年史

まあ、気持ちは分かりますよ。
でも、曖昧だったら法律になりませんよ。
定義もできない曖昧なものならば
道徳訓として飾っとけばいいんですよ。


<人権侵害と心理要素>

それと、付け加えておきますと、
「人権侵害の定義が難しい」
「個々のケースを書くしかない」
そうなってしまうもう一つの理由は、
人権侵害なんて、実損でもでない限りは
心理的な要素が大きいということ。

つまり、個々の人間の感受性に左右される。
A君にとって何でもない言葉が、
B君にとっては許せない人権侵害と映ってしまう。
それぞれ個々の心理状態に左右される。
よって、一律な条文で書くことが難しい。

私は思うんですが、この手の事柄って、
他者に対する侵害が具体的な行為や結果として出れば
それを規制したり罰したりすればいいんであって、
人の心理状態や価値観で左右されるようなことまで、
法の規制にかけるべきではない。

それは現行法の強化とか、
あるいは「メディアの行き過ぎた取材攻勢」などの
個々のカテゴリーの法律として作るべきであって、
「人権擁護法」なんていう巨大なカテゴリーで
くくるべきではないと思う。

確かに「差別用語」ってのは存在する。
ただ、社会を運営する有権者の知恵として、
これは国民モラルの向上という観点から考えるべきであって
法という投網で一網打尽に罰を与えるべきではない。
それは全体主義の発想。

それをやって差別が無くなるのか?
無くなるわけないよ。
差別は人の心が発してるのであって、
言葉だけを規制しても意味がない。
別な「隠語」が生まれるだけだね。
枝葉を刈り取ることに夢中になっても、
人の心という幹の部分が同じだったら、
また枝葉は伸びてくるよ。

これは「モラル向上」の観点で考えるべきで、
表面上の言葉を規制しても意味がない。


<法案推進者の理念>

私は今、ジェンダーフリーに関して
シリーズものであれこれ書いてますが、
その過程で「男女共同参画基本法」なんてものを
いろいろ調べましたけど、
結論として分かったことは
法というのは、内容が曖昧であればあるほど、
法案作成者や推進者の理念に引っ張られるということ。

条文が細かく規定されていれば
価値中立的に法律は発動するけど、
条文が曖昧であれば、必ず法律作成者や推進者の
「社会はこうあるべきだ」という理念に
法律の方向性が引っ張られてしまう。
これは官僚の「前例主義」や
「典拠主義」に由来してるのかもしれないけどね。

この「人権擁護法」を作成した人の
政治理念なり、社会理念なりは分からない。
一応、下記の人々が作ったわけですが、

人権擁護推進審議会

この人たちの理念までは分からない。

ただ、唯一ハッキリしてるのは、
法案推進者の理念だね。
この法案を推してるのが
部落解放同盟+野中広務。

この部落解放同盟に関しては
後日詳しく書くつもりですが、
人権の名の下で「同和利権」をむさぼり、
糾弾集会とういう名の「私刑」を行って
広島県下で学校校長を複数人、
自殺にまで追いやってるのは周知の事実。

こういうご立派な推進者がいるわけで、
この曖昧な法案が通れば
法を行使する際に、
彼らの理念の影響力が強まることは確実だと思う。

彼らの「差別に対する憎悪」「社会に対する憎悪」や
「結果の平等」「富者や成功者に対する憎悪」に
この法律が引きずられて、
多くの国民がしょっ引かれてはたまらない。

そういう社会を良しとする人はいいのだろうが、
私はゴメンですな。


さて、この「人権擁護法」に関しては
シリーズもので書いていきますが、
「ジェンフリ考」と違って、
あまりカッチリした書き方はしません。

思いついたことを書くというスタイルで
連載していこうと思います。



これも人権侵害? 全国弁護士会、次々「勧告」





by misaki80sw | 2005-03-19 23:23 | 人権擁護法
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