各方面で物議をかもしてる人権擁護法ですが、
私としては、大手マスコミの反応が鈍いのが驚かされます。
彼らは「メディア条項」の取り扱いのみに興味関心をよせ、
それ以外の部分を黙殺するか、過少に扱っている。
この反応の鈍さはなんだろう?
要するに想像力の欠如なんでしょう。
頭の中でシミュレートができない。
こういう法が国法として成立すれば
いかなる状態が現出するのか?
しばしば、人権擁護法賛成派は反対派を嘲笑う。
「神経過敏すぎる」と。
人権の名のもとに多くの人が不当告発されるなんて
そんな恐怖政治みたいなことってありっこない、と。
根拠不明の楽観論で反対派の心配を杞憂と片付ける。
彼らは日常の平穏に慣れすぎてるのだろう。
平和な日本の安定した秩序に
思考までがどっぷりと浸かってしまっているのだろう。
未来とは現在の延長線上にあると思っている。
この想像力の貧困さよ。
では、そういう君らに実例を出してあげよう。
神奈川県川崎市の「川崎市人権オンブズパーソン条例」。
人権擁護法の自治体版である。
*
川崎市人権オンブズパーソン条例
人権擁護法の中の人権委員会のような存在は、
この条例の中では「人権オンブズパーソン」と呼ばれている。
何故、横文字なのかいまいち理由がわからないが、
オンブズパーソンは定員2名、任期3年。
川崎市民に人権侵害が及んだ場合、
オンブズパーソンに申し立てし、
これに応じて彼らは
申し立て内容が人権侵害に該当するか否かを判断する。
彼らの人権侵害の基準は、
◇
川崎市子どもの権利に関する条例
◇
男女平等かわさき条例
川崎市制定のこの2つの条例を基準とし、
「これは人権侵害に該当する!」と認められた場合は、
以下のような措置を行う。
1、人権侵害に関する相談に応じ、
必要な助言及び支援を行うこと。
2、人権侵害に関する救済の申立て又は
自己の発意に基づき、
調査、調整、勧告、是正要請等を行うこと。
3、制度の改善を求めるための意見を表明すること。
4、勧告,意見表明等の内容を公表すること。
5、人権に関する課題について意見を公表すること
ここで、人権侵害の目安となる条例の一つ、
「川崎市子どもの権利に関する条例」
について解説します。
1989年の国連総会で採択された「児童の権利条約」。
日本は1994年に批准した。
この条約は子供の権利を拡大視し、
子供を「保護の対象」ではなく
大人と同等の「権利の主体」と見ている。
人格形成の途上にあり、
完全に自己責任を負えない未熟な子供たちに、
無条件に「自己決定権」を認めようという条約で、
制定当初から批判が多かった。
米国などはこれを問題視し、
未だ、この条約を批准していない。
この条約を基に日本の各自治体では
「子供の権利条例」を制定する動きが相次いだ。
この川崎市の「子どもの権利に関する条例」もその一つ。
内容を見てみましょう。
「子どもは、権利の全面的な主体である」
「同時代を生きる地球市民として
国内外の子どもと相互の理解と交流を深め、
共生と平和を願い、自然を守り、都市のより良い環境を
創造することに欠かせない役割を持っている」
守るべき子供の権利として、
第11条 ありのままの自分でいる権利
(1)個性や他の者との違いが認められ、
人格が尊重されること。
(2)自分の考えや信仰を持つこと。
(3)秘密が侵されないこと。
(4)自分に関する情報が不当に収集され、
又は利用されないこと。
(5)子どもであることをもって
不当な取扱いを受けないこと。
(6)安心できる場所で自分を休ませ、
及び余暇を持つこと。
第12条 自分を守り,守られる権利
(1)あらゆる権利の侵害から逃れられること。
(2)自分が育つことを妨げる状況から保護されること。
(3)状況に応じた適切な相談の機会が、
相談にふさわしい雰囲気の中で確保されること。
(4)自分の将来に影響を及ぼすことについて
他の者が決めるときに、
自分の意見を述べるのにふさわしい雰囲気の中で表明し、
その意見が尊重されること。
(5)自分を回復するに当たり、その回復に適切で
ふさわしい雰囲気の場が与えられること。
第14条 自分で決める権利
(1)自分に関することを
年齢と成熟に応じて決めること。
(2)自分に関することを決めるときに、
適切な支援及び助言が受けられること。
(3)自分に関することを決めるために
必要な情報が得られること。
とまあ、こんな具合です。
私なんかからすると、
「クソ生意気なガキどもに手厚すぎるわい!」
と思うんですけどね。
まあ、いくらでも拡大解釈が可能な条文です。
で、この「子供の権利条例」を基準に、
川崎市の「人権オンブズパーソン」達は
これは人権侵害だと判断した場合は、
調査、調整、勧告、是正要請等を行い、
その内容を公表することが出来る。
この調査権というのは
人権擁護法の人権委員会のように
ゲシュタポもどきの強烈なものではない。
特に民間相手に勝手に踏み込んで調査などは出来ない。
しかし、相手が市の公的機関の場合は、
その保有する書類を自由に閲覧したり、
提出を命じたり、自由に立ち入ることが出来る。
実は、この「人権オンブズパーソン」制度によって
一番打撃を被っているのが川崎市の教員たち。
では、実例を見てみましょう。
このブログの記事をご覧あれ↓
*
川崎市の教育を考える会(仮):
川崎市人権オンブズパーソンの悪弊
まあ、他人様のブログなので
引用するのは遠慮いたしますが、
ある教師が、言うことをきかない生徒に対して
正当な叱責を行ったところ、
それが人権侵害と訴えられ、
人権オンブズパーソンが介入して、
「君の行為は人権侵害だ」と認定されてしまい、
教師と校長は謝罪に追い込まれてしまった。
さらに、その経緯が
市の報告書としてホームページなどに公開される。
*
人権オンブズパーソン平成15年度報告書:
第3章 救済申立て・相談事案から
◇事案:教員の暴言等による不適切対応
◇救済申立内容
1,被権利侵害者:小学校低学年の児童
2,権利侵害者:担任教員
3,相談者:保護者(児童の両親)
4,救済申立内容:
児童は教室内で悪いことが起きるたびに、
担任より大声で叱責を受けるなど、
一年間つらい思いをしながら学校に通っていた。
保護者は、担任教員の指導が適切でないと
校長に訴えていたが、誠意ある対応がないため、
救済を申し立てた。
◇救済活動等
人権オンブズパーソンは、救済申立てに基づき、
教育委員会をとおして学校に調査実施通知書を送付し、
担任教員や校長の面談を行った。
面談で、救済内容について事実確認をしたところ、
担任教員は、児童の授業中の立ち歩きや、
クラスメイトとのおしゃべりにより
授業の中断を余儀なくされた時などに大声で注意をしたり、
聞き入れられない時には腕を強くひっぱるなどの
言動があったことが判明した。
人権オンブズパーソンは、校長と担任教員に、
担任教員が児童の心を傷つけるような
行き過ぎた言葉や行動があり、
教育的配慮に欠けていたことを指摘した。
その指摘に対して、担任教員は事実を認め、
自ら反省し、校長とともに保護者に謝罪した。
また、校長は教育委員会に相談し、
児童への行き過ぎた指導について
反省を促すための研修を担任教員に対し行った。
(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
なんでしょうか、これは?
児童の授業中の立ち歩きや、
クラスメイトとのおしゃべりにより
授業の中断を余儀なくされた時などに
大声で注意をしたり、
聞き入れられない時には
腕を強くひっぱるなどの言動があったことが判明した。
なんか問題あるんでしょうか?
授業中の立ち歩き?
クラスメイトとのおしゃべり?
そんなもん、頭をはたいてやれ。
怒られて当然だろ!
とまあ、こんな調子で訴えられ、
最終的に謝罪に追い込まれたりしたら、
教師はうかつに叱れなくなる。
「人権侵害教師」のレッテルを貼られてはたまらないもんね。
実際問題、川崎市の教育現場では
生徒に対して叱ることが難しくなっているらしい。
生徒もそれをいいことに、やりたい放題やる。
さらに上記ブログにも書いてますが
この条例の恐ろしいところは
人権擁護法と全く同じで、
訴えられた側に異議申し立ての機会を認めてないこと。
当然ながら弁護士もつかない。
不服であれば自腹で裁判を起こすしかない。
この川崎市の人権オンブズパーソン条例は
いわば人権擁護法のミニ版。
人権擁護法ほど強烈ではなく、
その権限も軽度で限られたものである。
しかし、その限られた権限であっても
「掣肘する存在がない」「止める人間がいない」
という点においては同一であり、
人権の名の下、他人を糾弾することが出来る。
その弊害は川崎市の教育現場において
すでに現れ始めている。
この雛形のような条例を見て、
さらに強力な人権擁護法が通った時の
日本の状況を想像してみればいいと思う。
告発・糾弾・立ち入り調査・弁明の機会無し。
誰もが人権委員会の権威に怯え、
己の言動を掣肘され、
言いたいことも言えず、
行動すべき時にも行動できない。
まるで暗黒の世じゃないですか。
*
川崎市の教育を考える会(仮)
*
月刊「正論」2002年7月号:
「反人権」教育が子供を救う
*
人格と家庭を破壊する危険持つ「子どもの権利条例」
*
川崎市子どもの権利条例サイト
*
川崎市人権オンブズパーソンサイト
娘通信♪関連過去記事
*
「人権擁護法」その2・・部落解放同盟
*
「人権擁護法」その1・・天下の雑法。