2007-12-28
■眩む光、燃える雪
googleでSilvio Rodriguezを検索すると、YouTubeのこのページがトップに表示される。view数はすでに93万を超えている。スペイン語圏ではスーパースターとはいえ、どうして?と思ったら、要するに親キューバ派と反キューバ派との間でフレームの真っ最中だったのだ。
1800にも及ぶコメントをつぶさに読むことなどとてもできないが、ざっと眺めてみると"Viva"(万歳)と"miedo"(糞ったれ)ということばがほとんどひとつ置きに書き記されている。その賞賛と罵倒の交差は、まるで革命以降のキューバの半世紀をそのまま写し取ったかのようだ。そして、その中心にシルビオ・ロドリゲスがいることもまた、実に似つかわしく思えてならない。なぜなら、シルビオこそが、キューバ革命の理念を、今もなお、そのままの形で伝えようと苦闘する歌手であるからだ。
願わくば
木の葉が落ちるときにあなたの体に触れませんように
あなたがそれを水晶に変えてしまうから
あなたの体を押し流す雨が奇跡をもって止みますように
月があなたを残して旅立てますように
大地があなたの歩みに口づけることのなきように
願わくば
あなたへのたえまない視線も、必要な言葉も
完璧な微笑みすらも終わってしまいますように。
願わくば
眩む光も、燃える雪も
あなたを消し去ってしまう何ものかも去ってしまいますように
あなたをもっと、あなたをいつも見られないことが
少なくともわたしに死をもたらしますように
願わくば
あらゆる続くものも、あらゆる視界も
あなたに、歌ですら、触れることのないように
願わくば
わたしの背中で倒れるオーロラが悲鳴を上げることのないように
あなたの名前がその声でかれに忘れられますように
退屈な道から聞こえるあなたの小さな音を
壁が遮ってしまうことのなきように
死んで花に囲まれた古い政府への欲望が
あなたの後へと去っていきますように
願わくば
あなたへのたえまない視線も、必要な言葉も
完璧な微笑みすらも終わってしまいますように。
"Ojala" Silvio Rodriguez
その、時に陰鬱にすらうつる複雑で陰にみちた歌詞と、それに似合った青白いインテリ然とした面持ちとは裏腹に、シルビオ・ロドリゲスは学業もままならぬ貧しい農民の子として1946年に生まれた。1959年、カストロたちによるキューバ革命が成功する。当時13歳のかれは革命を熱意をもって支持し、やがて農村での識字運動に加わっていく。家族のなかで早くから音楽に親しんでいたかれは、その活動のなかでギターや作曲を習っていった。まさに革命の子と呼ぶにふさわしいプロフィールだ。しかし、その「革命の子」が、なぜこのように暗ささえたたえた歌をつくり、歌うのか。革命と、その後の社会を賞賛する声が、なぜこのような謎に満ちたものでなくてはならないのか。
シルビオと同じ「革命の子」として、三歳年上の作家、レイナルド・アレナスがいる。映画『夜になるまえに』でごぞんじの方も多いだろう。やはり貧農の子として生まれ、1959年当時16歳だったレイナルドは実際に革命部隊に加わり、銃を手にしている。
当時、ぼくは革命の一部だった。失うものは何もなかった。そしてそのときには、手に入れるべきものがたくさんあるように思えた。勉強し、オルギンの家を出て、新しい人生を始めることができた。*1
しかしその幸福感は早いうちから幻滅へと変わる。
革命の雰囲気は意見の相違を認めなかった。指導者たちが絶えず繰り返したように〈輝かしい〉未来に対する信念と狂信が支配していた。この狂信はORI、つまり革命統一組織と呼ばれるものの発展とともにピークに達した。その組織には無頼と俗悪という、革命によって助長された性格が必然的にそなわっていた。*2
レイナルドはその後、作家としてデビューし高い評価を得るものの、政権への反逆的態度と同性愛者であることによって、度重なる弾圧、投獄、軟禁を強いられることになる。結局1980年、小舟でアメリカ合衆国(USA)に亡命する。その地で作家活動と並行して反カストロの文化・政治運動を組織するが、90年、以前から発症していたエイズの病状が深刻化し、鎮痛剤の多量服用で自死する。キューバ政府いうところの「グサーノ(うじ虫)」の末路だった。
もちろん、ここでシルビオが正しく、レイナルドが間違っていたなどというつもりはない。そんなことはけっしてない。ならば、今もキューバに残り、歌い続けているシルビオが自由と尊厳を迫害する鈍感で野蛮な人間であるというのか。そんなこともありえない。かれらはそれぞれ自分自身の信じるもののために生きた、生きている。それ自体に正邪も高低もありえない。そして、その信じるもののために生きざるをえない状況を生みだすものこそが革命というできごとだったのである。
革命が起こった。政権が倒れた。世界が引っくり返った。見るものすべてが新しくなった。革命ということばはそのような光景を映すものとしてイメージされる。しかし、そのような高揚した幸福な時間はわずかなものだ。そのあとには長く苦しい日々の戦いが待ち構えている。その日々はおそらく革命にかかわるすべての人々を幻滅させるだろう。新たなる敵をつくりだし、それを叩こうとするものも現われるだろう。そうしたものに打ちのめされ、さらなる苦しみを抱くものも現われるだろう。どこで革命は間違ってしまったのかと多くの人は思うだろう。だからといって、革命の起きた瞬間のみに人は生きることはできない。そのときを水晶のように永遠にとどめておくことはかなわないのだ。
ヴァルター・ベンヤミンはいう。
過度ではない現在、時間のなかに立ちどまり停止した現在の概念を、歴史的唯物論者は抛棄することはできない。というのは、この概念がほかでもなく、かれがかれ自身の手で歴史を書いている現在という時間を、定義するものだからだ。歴史主義は過去の「永遠」の像を提出するが、歴史的唯物論者は、過去という現に在る唯一のものの経験を、提出する。*3
時間のなかに立ちどまるのは現在であって、決して過去ではないのだと。その現在の重なりが歴史をつくる。そして現在というのはいつでもことのほか苦い。
革命において銃はほんのわずかなものしか奪えない。歴史主義者は銃についてのみ語る。ほんとうに未来を築くものは銃のあとに続く長い槌音であるはずなのに。その槌があまりに重く、かつその音があまりに小さく、だれもそれを聞き取ろうとはしないがゆえに、だれもそれについては語らない。その槌が振られる瞬間こそが現在であるはずなのに。たぶんシルビオもキューバ革命に幻滅しているはずだ。ただしレイナルドとは違った形で。だからシルビオはいまでも「革命の子」であり続ける。
希望はいつも過去か未来にあり、現在にはない。しかし、だからこそ歌い手は歌い、書き手は書かなければならない。その希望を移り変わり、かつとどまる現在に呼び戻すために。そのかすかな槌音をとどめるために。おそらくシルビオもレイナルドも愛唱したであろうホセ・マルティの詩にあるように。
おまえに救いを求める
わたしの酷い習慣が
おまえの幸福なハーモニーと
自然な穏やかさを掻き乱し
おまえの胸に苦しみを投げつけ
苦悩でおまえの胸を打ち据えては
おまえの流れを掻き乱し
ここでは鉛色 そこでは赤
あちらでは死のような白としたが故に
おまえは飛び上がり うめき声を上げ
苦痛の重みに耐えきれず
軋んだ音を立てるのだ。
詩を捨てよと
卑劣な心がわたしに言うが
決してわたしを見捨てない
おまえを忘れることができようか!
詩よ 死者が行くという
神の国について人は語る――
詩よ わたしたちはともに地獄に落ちるか
それとも ともに救われるかだ!*4
革命という希望を生きるということは、というより、生きるという希望そのものを生きるということは、日々繰り返される幻滅とともに生きていくということにほかならない。わたしたちは日々、何かを裏切り、裏切られ、失っていく。革命の、誕生の興奮をそのまま携えていくことはままならない。そして、その過去の希望は色褪せていき、ときには絶望と名前を変えることになる。しかし、その絶望もまた日々の幻滅のなかで色褪せるだろう。そのときにわたしたちにはなにが残るのか? ただの「むくろ」だけなのか?
もし、そうならば、それはもはや革命ではないし、生きることですらない。革命とは、ひとがより善く生きていくための長い長い現在の積み重ねでなくてはならないのだ。ひとつひとつ今の幻滅を取り除き、それらを名づけ直す面倒な作業でなくてはならないのだ。けっして水晶の中に閉じ込められることのない、かけがえのない生の表現でなくてはならないのだ。だからこそわたしたちは「革命」ということばに希望を抱く。それは、そのことばの裏に、書き残されることのなかった、ひとびとの幻滅や夢が重ねられているからだ。革命家の演説ではなく、ことばにならないままこの世を去ってしまったひとびとの祈りがそこに重ねられているからだ。革命とは追悼に似ている。儀式の瞬間のみが語られ、その後の喪を生きる現在はどこかに忘れられてしまう。ただ、それだけが類似の理由ではない。何よりも、どちらも失なったものを惜しみ、その惜別のなかにみずからの未来を重ね合わせ、そこからみずからの現在の生を獲得していこうとする行為であるからだ。
だからこそ革命の歌は、革命の詩は、低くか細い声で、こんがらがって、謎めいていて、暗闇に似たものでなくてはならない。賞賛でも罵倒でもなく、顕彰でも忘却でもあってはならない。聞こえなかった声、見えなかった影を語るものでなくてはならないのだ。
願わくは、歌さえも、あなたに触れることのないように。
- アーティスト: Silvio Rodriguez
- 出版社/メーカー: EMI Int'l
- 発売日: 2004/11/02
- メディア: CD
NakanishiB
2008/03/14 21:48 どうも、やっと発見しました、いろいろお世話になっておきながら…、私は遅刻が属性なのでご勘弁ください(^_^;)。とりあえずのご挨拶はここでします、あと遅すぎるけど誕生日おめでとうございます。
duke377
2008/03/16 00:24 ありがとうございます!隠居小屋でカラオケがなってるようなもので、お目苦しいことばかりかと思いますが、もしかしたら、ごくごく稀に、何か意味ありげなことも書かれているかもしれませんので、よろしくおねがいします。何よりうれしいのは、このエントリ、ここで初めて本気で書いたもので、自分では圧倒的に出来のよいものだと思っているのに、出した日時が悪すぎたのか、ほとんどだれにも読まれてなかったんです…。そこにコメントいただけたので本当にうれしいです。しかし今だにこれ以上のものどころか、これに比肩するものすら書けていないってのが一番の問題なんですが…。
- 4 http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/51215483.html
- 4 http://mobile.nifty.com/s/blogsearch?type=msearch&ie=SJIS&q=抑殱俚&tmpl=blog&fr=21&start=21&cr=e
- 3 http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi
- 2 http://a.hatena.ne.jp/monde-21/
- 2 http://d.hatena.ne.jp/keyword/ベンヤミン
- 2 http://search.hatena.ne.jp/search?word=duke377&site=d.hatena.ne.jp
- 1 http://a.hatena.ne.jp/hidexi/
- 1 http://a.hatena.ne.jp/tamdao/
- 1 http://a.hatena.ne.jp/tamdao/?of=10
- 1 http://blog-search.yahoo.co.jp/search?fr=top_v2&ei=UTF-8&p=いしけりあそび