2008-01-10
■あらゆる音に、あらゆる想いに
いったい世界中でどれほどの歌が歌われているのだろうか! 楽しい歌、悲しい歌。高揚させる歌、鎮静させる歌。祈るような歌、憤るような歌。考えさせる歌、意味のない歌。さいわいなことに、いまわたしたちはその気になればどのような歌でも聞くことはできるけれど、だからといってそれが自分にとって必要なものであるのかはわからない。あなたの喜びが、かならずしもわたしのものではないように、あなたに大きな喜びをもたらす歌が、わたしにとってもそうであるとは限らない。あなたの悲しみも昂りも、祈りも憤りも、それはあなたの、あなただけのものであり、わたしがそれをわかちあえるかどうかはわからない。あなたは、そしてわたしは、その自分の小さな、さまざまな感情や想いをまずは自分ひとりで抱えていく。そして時にそれを歌う。まるで抱えきれなくなった荷物を下ろすかのように。そして、わたしは、あなたは、あなたの、わたしの、その小さな歌を聞く。
つまり、歌は、とてもとても小さな、わたしやあなたからしか始まることができないものなのだ。
でも、その小さな始まりから、契機から、割け目から流れだす声がやがて空気のなかに溶けていき、響きあい、想像もつかないはるかかなたまで伝わっていくこともある。その歌を歌い始めたひとのことを知ることはおおかたかなわないけれど、それでも歌のなかにかすかにその姿が浮き上がる。なぜなら、その歌を歌い継いでいくひとたちの姿をそこに見ることが、わたしたちにはできるからだ。歌はただひとりが歌っているうちは、まだほんとうにその姿を現したということはできない。ひとりが歌い、またひとりが歌い、さらにひとりが歌う。そのひとりひとりがそれぞれに歌にこめた想いがあって、歌ははじめてわたしたちに、あるひとつの意味として姿を見せる。そのようにして手渡されていくことによって、ひとつの歌はわたしたちのものとなっていく。
二十世紀という時代の「記録」はその記録という行為そのものの危うさにおいて際立っている、それはしばしば、自明の意味を剥奪された事態と向かいあうための営みとなる、この危機的条件のもとでなお正気を保って物事と向かいあうことができたとき、その経過報告ないし生存証明が記録と呼ばれる。そうであるとすれば、それを可能にする備忘の意思と感覚とは、なにを拠りどころとしたのだろうか、記憶であり、声である。私たちに手渡された記憶は、闇のなかにかき消された無数の「声」によって支えられているのである。*1
いしけりあそびさんは、アルゼンチンの歌手ディエゴ・トーレスの歌う「ケ・セラ」という歌を繰り返し、繰り返し紹介している。1999年にリリースされたこの歌は当時のIMF管理下にあって、急速に崩壊へと向かうアルゼンチンの社会を、ある若者の旅立ちに重ねて描いたものだ。いしけりあそびさんははっきりと「出稼ぎの歌」だと言っている。わたしもその通りだと思う。この歌は実に素晴しく、ひとりの歌い手が一生に一度めぐりあえるかどうかというレベルのものだろう。だからこそこの歌はアルゼンチンのみならずラテンアメリカ全体で、いや、この日本でだって、いしけりあそびさんやわたしのように、ひとびとのかけがえのない想いを載せることのできる歌となった。
アルゼンチンの社会は、1970年代以降独裁、クーデター、内戦、軍政、マルビナス戦争の敗戦と、文字通り国全体が踏みにじられるような経験をしてきた。裏切り、虐殺、逃亡、失踪は日常のものとなり、多くのひとが祖国を離れることも余儀なくされた。そのような社会で、チャーリー・ガルシア、レオン・ヒエコ、フィト・パエスといった歌い手たちはひそかに息をするかのごとく、ひとびとの想いを歌に載せ続けていた。
そして1983年、「トード・ア・プルモーン」(肺いっぱいに)という歌がつくられた。
作者であるアレハンドロ・ラーナーが歌う映像は、残念ながらYouTubeには存在しなかった。あるのはほかの歌手によるカバー、結婚式か何かで使われたであろうビデオ、カラオケで熱唱するひとたちの映像だった。しかし、それもまた、ひとびとのものになったこの歌にはふさわしいのかもしれない。今回は映像、音響的に一番鑑賞にたえるであろう、ブラジルのアイドル歌手「ビクトルとレオ」によるカバーのビデオを紹介する。
ぼくの前にある困難は
どこへ行こうとしているのかを知らないまま
この旅を続けること
行くにせよ戻るにせよ
もう貨車は向かっている
戻るってことは進むことでもあるんだ
ぼくの前にある困難は
このすべての荷を背負い
つらくきつい坂を歩んでいくこと
この暴虐な現実が
嘲るように高笑い
希望さえもぼくの探求を疲れさせるから
あらゆる音に あらゆる想いに
ぼくの道筋のあらゆる足跡に
ぼくの最後の歌のあらゆる連なりに
あらゆる日延べされた月日に
出発と到着に
ぼくが呼吸する酸素を吹きこもう
肺いっぱいに 肺いっぱいに
ぼくの前にある困難は
怒りを抑えて続けていくこと
妥協や売節から遠く離れて
ぼくの思想や信条を守ること
いいにせよ悪いにせよ それはぼくのものだから
矛盾のあるひとりの人間なのだから
ぼくの前にある困難は
この狂気と野望の道の
通行料を払い続けること
この道行きの友と
光と階段と
力を肺いっぱいに吹きこみながら
あらゆる音に あらゆる想いに
ぼくの道筋のあらゆる足跡に
ぼくの最後の歌のあらゆる連なりに
あらゆる日延べされた月日に
出発と到着に
ぼくが呼吸する酸素を吹きこもう
肺いっぱいに 肺いっぱいに
"Todo a pulmon" Alejandro Lerner Canta Por Leo E Victor
「ケ・セラ」が旅立ちの歌であるならば、「トード・ア・プルモーン」は帰還の歌だ。それも亡命からの。
1983年アルゼンチンは総選挙を行ない、民政化された。ラーナー自身には亡命の経験はないようだが、歌詞のあらゆる場所にそれをイメージさせる言葉が並ぶ。帰ってきた祖国は光に照らされていた。ただ、その光が照らしているものは、厳しく荒れた、細く険しい坂道だった。ささやかに芽生えた希望すらも萎えさせるような。しかし、その困難から逃げはしないとラーナーは歌う。そして多くのひとびともその決意をわがものとして受け止める。
あらゆる音に(cada nota)、あらゆる想いに(cada idea)、道筋のあらゆる足跡にひとびとのささやかな声が記憶されている。だからぼくは肺いっぱいに酸素を吹きこんで、そのささやかな声を大きなものにしていくのだとラーナーは歌う。そのラーナーの声をひとびとがさらに大きなものとしていく。
そしていまもなお、ひとびとは歌っている。肺いっぱいに、肺いっぱいに酸素を吹きこんで。
歌はこうして歌となるのだ。
- アーティスト: Alejandro Lerner
- 出版社/メーカー: Polygram
- 発売日: 1996/03/19
- メディア: CD
(3/27追記:YouTubeのリンク切れを修正しました。バージョン違いです)
- 13 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=t&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGIH_jaJP214JP214&q=minimamoralia
- 7 http://d.hatena.ne.jp/hi-ro/
- 6 http://a.hatena.ne.jp/hayamonogurai/
- 5 http://www.google.com/search?client=opera&rls=ja&q=minimamoralia&sourceid=opera&ie=utf-8&oe=utf-8
- 4 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGIH_jaJP214JP214&q=minimamoralia
- 3 http://a.hatena.ne.jp/tamdao/
- 3 http://d.hatena.ne.jp/keyword/アルゼンチン
- 2 http://a.hatena.ne.jp/surround/
- 2 http://b.hatena.ne.jp/add?mode=confirm&url=http://d.hatena.ne.jp/duke377/20080110/1199998414
- 2 http://b.hatena.ne.jp/tokyocat/
ラテンやアメリカの黒人音楽(っていってもご存知のようにボクが知っているのはサザンソウルまでなんで、今はだいぶ様子が変わってそうですが)の場合、基本的にはミュージシャン個人の芸術センスや心情の発露というよりは、背後に控える集団の感情表現ですから、どれだけ人々の思いを載せることができるか、ありていに言うと「おおぜいに歌われてナンボ」ですものね。コンサートで客に合唱されない歌はダメな歌、無断で(?)カバーされる歌は偉大な歌だと(笑)。ホセ・フェリシアーノ、ディエゴ・トーレス、と歌われたケ・セラもそうだけど、この歌は幸せな歌われ方をしていますよね。
でも、この歌は現代ラテンの中でも別格でしょうねぇ…。キューバ派と反キューバ派の両方が集会のテーマに使うくらいだから…。YouTubeは、本人はともかく、メルセデスかせめてジョランディータにしたかったんですが、ま、あのアンちゃんたちのツルッツルッぷりは、それはそれで感動しますね。
サザン・ソウルといえば、前回は買えなかったO.V.ライトBOXを今回こそはと手に入れて、最近はそればっかし聞いてます。”Affricted”とか”A Nickel And A Nail”なんて、70年代にしたって「ありえねーっ」って歌詞ですが、それで押し通しちゃうんだからとんでもない歌手だったよねぇ…。