2008-02-14
■恋人たち
そうか。ジェリー・ゴフィンは来年70歳になるのか。
Tonight you're mine completely
You give you love so sweetly
Tonight the light of love is in your eyes
But will you love me tomorrow?
Is this a lasting treasure
Or just a moment's pleasure?
Can I believe the magic of your sighs?
Will you still love me tomorrow?
Tonight with words unspoken
You say that I'm the only one
But will my heart be broken
When the night meets the morning sun?
I'd like to know that your love
Is love I can be sure of
So tell me now, and I won't ask again
Will you still love me tomorrow?
So tell me now, and I won't ask again
Will you still love me tomorrow?
Will you still love me tomorrow?
Will you still love me tomorrow?
"Will You Love Me Tomorrow" Shirelles
ゴフィン―キングの出世作としてあまりにも有名な曲で、今回はあえて原詞を載せた。たった15分で書いたという伝説のある詞だが、あちらこちらに当時20歳そこそこのジェリーの天才がほとばしっている。とくに第二連の"a lasting treasure"と"a moment's pleasure"の対比のみごとさといったらない。「永続する宝物」と、「このひとときの喜び」とは、どちらもまた、わたしたちが求めてやまないものであるからだ。そして、わたしたちは、人を愛するとき、その永遠と一瞬の両方がつねに同時に存在していてほしいと願う。それを完全な愛だと思う。しかし、ふたつのものはおなじ場所にありつづけることはできない。ただ一度、完全に手に入れたと思われた愛は、その瞬間から、つねに失なわれはじめてしまう。それは、その完全な瞬間をわたしたちが疑ってしまうからなのか。でも、その瞬間を疑いたくない。その瞬間を失ないたくない。だから、いま、ことばにしていって。二度とはきかないから。
もちろん、わたしたちは、ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングのその後の人生を知っている。かれらのかつてのポートレートは、まるで、その完全な、永遠に続く一瞬という、ありえないようなことばをそのまま映し取ったかのような奇跡的な美しさをいまでも保っているのだが、しかし、同時にその美しさは、もう取り戻すことのできない過去のものであることも知っている。そして、シレルズによるオリジナルの録音から約10年のちにキャロル自身が、もはや、その完全に幸福な世界に戻ることはできないのだ、といわんばかりの哀切にみちたヴァージョンを録音したことも知っている。あなたをもう愛していない、のではない。ただ、ことばを求めてしまったから、あなたの愛をことばにしてしまったから、もうあの完全な一瞬は戻ってこないことを知ってしまったから、わたしたちは楽園を去るしかなかったの。キャロルの『つづれおり』の中でのこの曲は、そう歌っているように聴こえてくる。
愛は自然をこえて高められ神の摂理を通じて救われる場合にのみ、完全なものとなる。かくして、エロスという魔人(デーモン)をもつ愛の暗澹たる終末は、あからさまな挫折を意味するものではなく、むしろ人間の自然そのものに固有な、もっとも根深い不完全さを真実ひきうけていくことにほかならない。なぜならば、人間にたいして愛の完成を拒むものがこの不完全さなのだから。それゆえに、人間の自然だけが決定するあらゆる愛のなかに、愛情(ナイグング)が、死神であるエロス(エロス タナトゥス)の本来の仕事として入りこんでくる、つまりそれは、人間は愛することはできぬという告白にほかならぬ。*1
そもそも、その愛が完全であるということじたいが、若さの情熱による錯覚であったのか、それとも、本来人間の営みには不可能なものだったのか。いや、けっしてそうではあるまい。完全な愛はたしかにそこにあったし、いまもまだそこにある。ただ、当然かれらは、そしてわたしたちも同様に、永遠にそこにいつづけることができないだけだ。愛が不在になるのではない。わたしたちが不在になるだけだ。愛をとどめてほしいとわたしたちが祈るように求めるのは、わたしたちは、わたしたちがそこにとどまることができないということを知ってしまったからなのだ。かくして、わたしたちはエデンを離れなくてはならない。イノセンスは永遠にわたしたちから失なわれる。しかし、それがどうした。愛はいまでも、そこにあるのだ。イノセンスは失なわれてしまったが、愛を失なってしまったわけではない。わたしたちは、自分たちが旅立っていく、その証しとして、たしかに愛を遺していく。
「彼女は言う、抱いて、そうすればそれはなされたことになるのよ。あなたはそうする。あなたは抱く。それはなされた、再び彼女は眠る」。その後には、すべてが遂行されたいま彼女はもはやそこにいない、夜の中に立ち去った彼女は、夜と共に消えたのである。「彼女は二度と戻らないだろう」。
この消滅について、人は思いをめぐらすことができる、彼は彼女をとどめておくことができず、共同体はそれが始まったときと同じように偶然のなせるがままに終りを告げたのだと。あるいはまた、彼女は自分の仕事を果たした、訪れる前に失なわれてしまった愛の記憶を残すことで、彼女は彼が思っている以上に彼を変えたのだ、と(立ち去ったときにはじめてそれが神の現前であったと納得した、エンマウスの弟子たちのように)。*2
あの恋人たちは、かれらの愛を確かめあおうとして、それをことばにしようとして、そのためにかれらの永遠を失なったのかもしれない。しかし、だからこそ、かれらは、かれらが愛しあっていたという、その、ゆるがしようのない事実を永遠に手にすることができた。あの恋人たちは、ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングは、恋人たちでありつづけることはできなかった。しかし、かれらが愛しあい、生み出した歌は、いまも、あちらこちらのあの恋人たちの愛の記憶を残しつづける。「彼女は彼が思っている以上に彼を変えたのだ」。
あの恋人たちはその肉体を一度もつかみとることはない、――かれらが戦いのために強くなることは一度もなくても、それがどうしたというのか? ただ希望なき人びとのためにのみ、希望はぼくらに与えられているのだ。*3
もはや老境に達したジェリー・ゴフィンは、だからいうだろう。わたしたちが願っていることばをいうだろう。明日も、また、ぼくは、あなたを、愛している。
- アーティスト: オムニバス, バーテル・ダッシュ, ザ・クリケッツ, ジル・ジャクソン, レニー・ウェルチ, ボビー・ライデル, ベティ・エヴェレット, ドナ・ローレン, エヴァリー・ブラザーズ, ラモーナ・キング, P.J.プロビー
- 出版社/メーカー: ミュージック・シーン
- 発売日: 2007/11/25
- メディア: CD
*1:「ゲーテの親和力について」ヴァルター・ベンヤミン、『ヴァルター・ベンヤミン著作集5』高木久雄編、晶文社、p104-105、括弧内は本書ではルビ
*2:「恋人たちの共同体」モーリス・ブランショ、『明かしえぬ共同体』西谷修訳、ちくま学芸文庫、p115、太字は本書のまま
- 6 http://www.rak3.jp/home/rak2_pv.cgi?no=yonaka&bbs_view=1
- 5 http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/MYBLOG/yblog.html
- 4 http://a.hatena.ne.jp/hatooon/
- 4 http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi
- 4 http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/52057333.html
- 3 http://a.hatena.ne.jp/hayamonogurai/
- 3 http://a.hatena.ne.jp/hi-ro/
- 3 http://a.hatena.ne.jp/naoco/detail
- 3 http://b.hatena.ne.jp/duke377/
- 3 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=t&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLJ,GGLJ:2006-34,GGLJ:ja&q=minimamoralia