minimamoralia

2008-02-21

1月の日々 05:27


 さすがにこの歳になるとだんだん記憶力とやらが落ちてきて、大事なことはたいてい忘れてしまうようになった。じつにおっさんらしいことでまことに慶賀である。ただ、そんなことは忘れてしまうよ、と口にしたことだけは、なぜか忘れられないまま、頭のどこかに引っかかり続けている。どうしてなんでもかんでもきれいさっぱり忘れることができないのか。不便だ。


D

午後の風を受けて

あの一瞬のことを思い出す

そこから逃げてしまったことばや

そこで抱きとめられた瞬間のこと

そして空に突き出したバルコニー

1月の日々のことを あれこれと


月をきみにあげるだなんて

そこに行くようなものだって知ってただろう

ぼくは教えていたよ きみが成長する間に

おびえることはないさ ぼくはきみの持ち主ではないし

ぼくは大丈夫さ 言っただろう

ぼくはぼくのやれることをするよ


そしてぼくは忘れるだろう きみの体が

国境のない庭のようだったということを

そしてきみが太陽の光に溢れた一日のような存在だったことも

そしてもう ぼくたちはそれを取りに出かけることはない

そしてぼくたちは知るんだ いまここにあるおびえが勝ったことを

でもぼくの目をふさぎ続ける理屈が ぼくにもう行くなという

ぼくは行かないよ

ぼくはここに残るよ


ぼくはここに残って

心のなかの眠り姫を守り続けよう

かの女はいつの日だって遅れてきたんだ

ぼくがきみのことを知ったとき

きみの視線からもきみの話し方からも

きみが幸せではないと気づいた


きみの恋人はぼくの友達ではないし

ぼくが引き下がることではないけど

突然の奔走のなかで ぼくに与えられた

人生がまるで終わってしまったみたいだから


責め苦のなかで 障壁を破って

だれに許しを乞うこともなく

扉を閉めて 鍵を投げ捨てて

いまはもうだれもぼくをここから引っぱり出せはしない

ぼくを殺して片付けようとしても

きみと生きた日々の宝物があるから

ぼくは行かないよ

ぼくはここに残るよ


ぼくはここに残って

心のなかの眠り姫を守り続けよう

ぼくたちが残してきた時間のそばで

ぼくたちが残してきた時間のそばで

ぼくたちが残してきた時間のそばで

ぼくたちが残してきた時間のそばで

"Dias De Junio" Yordano

 ジョルダーノのこの美しい歌を聞くとどういうわけか、ビルの谷間を吹き抜ける北風のような冷たさについて思ってしまう。しんと冷え込んだ空気のなかにひそやかにこだまする足音のような音。ささやくような歌声にはいっしょに白い吐息が混じっているはずだ。寒い。コートの襟を立てて歩く男と女の姿をそこに見てしまう。そう感じるのはたぶん、「1月の日々」という題名に引きずられているからにちがいない。で、それはまちがいなく、わたしの誤解だ。この歌の舞台はベネズエラカラカス。北緯10度の街の1月がそんなに寒いわけはないじゃないか。

 ならば、どうして、この歌を聴いているわたしはこんなに寒いのか。

 この歌を含むジョルダーノの1986年のアルバム、"Jugando Conmigo" は、もうすでに CD も廃盤になってしまっているが、まちがいなく、ラテンアメリカのポップスにおけるひとつの達成だった。これほどの作品は同時期の世界中のシンガー・ソングライター(ラテンアメリカではカンタウトゥールという)の作品を見渡してみてもそうはあるまい。とくにバックを務めた "La Seccion Ritmica De Caracas" によるアレンジと演奏の、ひとつまちがえたら壊れてしまいそうなほどの繊細さ(実際、ときに壊れてしまっていることもあるのだけど)はいまだに色褪せない。この翌年、ニューヨークのウィリー・コローンが "La Seccion" をバックに従えて、"Especial No.5" というアルバムをつくり、日本盤も発売された。それはたしかに意欲的なものだったけれど、そこから何かが始まったわけではなかった。失敗作だったといってもいいだろう。仕方のないことだ。この歌がみごとに描ききったような、中産階級がどうしようもなく抱え込んでしまう倦怠のようなもの、あるいは諦念のようなものを、サルサという音楽は表現することができない。

 望むのならば愛はそこにある。情熱はそこにある。自由もそこにある。生きることに困ることだけはない。とりあえずあらゆる何かはそこにある。わたしたちと同じように、ベネズエラのカラカスに生きる中産階級のひとびとはそういう日々を生きている。ただ、それらがそこにある、ということは、そこからそれらがなくなってしまうということにおびえつづけることでもあるのだ。失なうことへのおびえが、わたしの身体をふるえさせる。寒い。しかし、おびえたところで、わたしは確実に失なっていく。そこにあるものを。そして、わたしはただそれを認めて、目の前からそこにある美しいものたちが消えていくのをただ見ていることしかできない。寒い。これから何かをつかんでいこうとするひとたちには、その情けなさはたぶんわからないだろう。寒い。わたしも、きっと、いつかはそういうひとたちであったのだろうに。

けれどもグィードが平服にもどったら、さぞ美しい青年になるだろう、あの金髪とたくましい体をしているのだから。彼の声も思い出そうとしたが、すっかり忘れてしまっていた。それにひきかえ、ロドリゲスの声ははっきりと思い出せた。グィードの声を聞くためにだけでも、また彼と会わなければならなかった。考えれば考えるほど、なぜアメーリアが彼とではなく、ロドリゲスといっしょになっているのか、わからなかった。コップをこわしたあのころ、アメーリアとグィードがいっしょに何をしていたのか、それを知らないことで彼女は満足だった。

 目覚ましが鳴ったときにも彼女は眠っていなかった。そしてベッドの温もりのなかで、とめどなく思いを追った。最初の光が射しこんできたときには、もうすっかり冬になったみたいで、彼女は悲しかった。それにあの美しい太陽の光がもう見えないなんて。グィードもそう思っているかしら。色がすべてだと言っていた彼のことですもの。<<ほんとうにすばらしいわ>>そう言って、ジーニアは起きあがった。*1

 わたしは「やれることをする」というだけで、実は何もできないし、していない。ここに残って、ここに残されてあるはずのものを守ろうとしても、ただ、それは、この歌のように美しくも滑稽なだけだ。だって、それはないのだから。どんなにわたしがその行為を自分で英雄的なものだと思っても、それは悲劇のあとに演じられる喜劇でしかない。だって、それはもうないのだから。忘れるしかないのだ。"Yo Me Quedo Aqui"(ぼくはここに残るよ)。その響きはことのほか美しく、何かの決意を秘めたものとして響くのだけど、何のために残るのかといえば、ただ、過ぎ去った時間とともに埋められようというだけのことなのだ。ただ、わたしはそれを笑うこともできない。たぶんその滑稽さもまた、わたしのものだからだ。あらゆるものに満ちあふれた日々をわたしは生きていて、それを守ることにだけ汲々として疲れはてている、その滑稽な自画像がここにあるからだ。もっとあっけらかんと、パヴェーゼの若きジーニアのように、それがどんなに悲しかろうとも、健康的に忘れてしまえばいいのに。

 ぼくはここに残り、きみは行く。ぼくは1月の日々を忘れるだろうといいながら、ついにそうすることもできないまま、記憶のなかに埋もれたまま生きて、やがて死んでいこうと誓う。口にしたとおりに忘れてしまえばいいのに。わたしは記憶することで1月の日々に残る。あなたは忘れることで「美しい夏」へと向かう。その、そうまでしてジョルダーノが歌ったものに、そしてわたしが記憶したものに、はたして語るべき何かはあるのだろうか。だれかに伝えなければならない何かはあるのだろうか。たぶん、ない。

 その、ない、こそがわたしがいま生きているあかしではあるにせよ。その、ない、こそがわたしが語り、書いているなにかではあるにせよ。その記憶はけっして、だれかに迎えられ、共有され、深められ、残されるようなものではない。わたしがひとりで抱えこんでいけばすむはずのものだ。だったら、なぜ、忘れることができないのか。なぜその記憶を振り捨ててでも、あたらしいものに場所を譲ることができないのか。その我執のおぞましさにわたしは寒けを覚える。そして、そのおぞましさすらをわたしだと思い、なぜか愛おしく思う。わたしは寒さになじんでいく。

 カラカスの街がどんなに暑かろうとも、北半球であるかぎり、1月は冬だ。冬の記憶はそのままでは実りを迎えることはない。だったら土に埋めてしまえばいいのだ。そうすれば、いつかはなにかの花か実にでも、せめてなにかの小枝くらいにはなってくれるのかもしれないし。しかし、都市でずっと生きてきた男たちには、都市でずっと生きてきたわたしには、もはや土はあまりにも縁遠いものになってしまった。わたしはもう土について物語の中ですら、歌の中ですら出会うこともない。だからわたしは「ここに残っている」。どこかへ行くこともできない。そこにあったはずのもの、もうどこかへ行ってしまったものをただただ惜しんで、忘れることすらできないまま、ここにい続ける。しかしパヴェーゼの小説では、男たちとはちがって、ジーニアやアメーリアは、健やかに忘れて、次の場所へ行く。かの女たちは、まだこれから何かをつかんでいこうとする。そう、忘れることで、あたらしいものは、そこにやってくるのに。

「あなたの好きなところへ行くわ」とジーニアが言った、「あたしをつれて行って」*2

Hits

Hits

(このアルバムに "Dias De Junio" は収録されていません)

*1:パヴェーゼ『美しい夏』、河島英昭訳、岩波文庫、p87-88

*2:パヴェーゼ、p177

tora_taroutora_tarou 2008/02/22 09:54 伯爵様、お仕事ご苦労様です。日記作成、いつも大変な労働であることと拝察いたします。3月にはお目にかかれることを楽しみにしております。

duke377duke377 2008/02/22 15:13 虎太郎さま、どうもですー。また連絡しますんでー。

isikeriasobiisikeriasobi 2008/02/23 08:01 えぇ〜伯爵さま〜”Especial No.5”、いい歌あるじゃな〜い!
Soltera とか(この歌にジーンと来るのは職業柄もありますが…)。

duke377duke377 2008/02/23 15:03 伯爵はやめぃ!あのオヤジに言ったって聞くわきゃないんで放置してるだけなんだから(汗)
わたしも嫌いなわけじゃないっすよ。でも、その後のサルサどころかその後のウィリーの音楽にすら、なにか残したわけじゃないからなー。結局、個人の感情の表出って、サルサじゃないから。そこの折り合いがつけられないまま出したアルバムって感想は揺るがないな。チャネイ(チャーリー・ビエラ)のやったことと比べればわかるっしょ。
この時期のジョルダーノやイラン・チェスターの音楽って、渡辺治さんじゃないけど、階級が階層に再編成される新自由主義時代の軋みみたいなものを、その壊された側から歌ったものだと思うんすよ。その意味では当時のカラカスって、ニューヨークよりずっと最前線だったんだなと。だから、こんなにすごいのに、今ではあまり聴かれなくなっちゃった。
こういうことって、考えるとすごく面白いし、大事なことなんだけど、いまのわたしはそれを書いて、読んでくれてる人に、ああ、これは自分の問題でもあるな、と思ってもらえる自信ねえっすわ…。

isikeriasobiisikeriasobi 2008/02/23 19:51 …それ以前にコンフント・チャネイだのイラン・チェスターだのを聞いて渡辺治を読んでいる人がほとんどいないのでは?

duke377duke377 2008/02/24 02:43 わはは。手厳しいなー。ま、愚痴ってもどうにもならんし、また、次のエントリがんばりますわ。来週は忙しいんで、月明けになる可能性が高いけど…。

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