2008-03-15
■帽子の男
あんな変わった男には ちょっとやそっとじゃお目にかかれないよ
まったくもっての街嫌いで 静かな通りばっかり選んで歩いてた
でもたいていは野に出てて いつも帽子を被ってた
日曜に段差を直すときのと同じやつさ
で、だれもそいつの写真を持ってない
だれもかれの考えなんて知らないみたいだ
まるで赤ん坊のようにひとりぼっちで まるで子どものように優しかった
何か、よくオスカー・ワイルドのことをしゃべってたな
静かな夏の夜に よくかれに出会ったものだ
光に照らされたウサギのように 道端に立ち尽くしてた
けっして首を横には振らずただうなづくだけ いつもネクタイをしてた
変なやつだと言うひともいたし 恥ずかしがりやなだけさと言うひともいた
で、だれもそいつの写真を持ってない
そんなかれでもある娘に恋をしたみたいだ でもかの女はやっぱりいなくなっちまった
たぶんかれは静かすぎたし 考え方だって違いすぎたのさ
その後のかれはもう迷いなし 身なりになんて構わなくなった
七年もの間髭も剃らず ひたすら読書に打ち込んだ
で、だれもそいつの写真なんか持ってない
トウモロコシ畑にいるかれを見た 手で種を播いていたよ
天気のことはよくわかってたし 大地のこともわかってた
かれはいつも、昔はネイビーの三つ揃いだったんだろうというような服を着てた
種播きのときも 藁をつくるときも一緒だった
で、だれもそいつの写真持ってないんだ
何時間も立ちすくんで 丘を見つめていたんだって
自転車の横で そのまま止まってしまったかのように
まるで日没に浮かぶ彫像のようだった だれもかれの気持ちなんてわからなかった
でもかれが死んだとき みんながいいやつだったと言ったよ
けさ、おれたちはかれを横たえた 雨が疾しく降っていた
かれのことを知ってると思った連中がかれに最後まで付きあった
坊さんは雨の中、祈祷と聖水を振り撒いてたよ
で、おれたちは、あんなやつにはもう会えないねと言った
でも、だれひとりそいつの写真を持ってない
みんなそいつの写真なんて持っていないんだ
"The Man With The Cap" Patrick Street
アイルランドのシンガー・ソングライター、コラム・サンズの書いた「帽子の男」。パトリック・ストリートのファーストアルバムに収録されているヴァージョンで、歌っているのはアンディ・アーヴァイン。日本盤 CD のスリーブには大島豊さんによる名訳が載っていて、わたしの訳など車輪のあとに竹馬を発明するようなものだけど、まさかひとさまの訳をそのままここに載せるわけにもいかないので、お目汚しご勘弁。
ものすごく好きな歌。わたしの理想の男の姿が描かれている歌。この帽子の男のように、わたしは生きたい。でも無理だ。かれのように遠去けられて、敬遠されて、それでもどこか愛されて、そのことすべてをとくに気にもしないまま生きていたい。でも、わたしには無理だ。わたしはそんなに強くない。わたしは変なやつでも静かな人でもないし、ひとりぼっちでも優しくもない。オスカー・ワイルドなんて好きじゃない。天気のことも大地のこともまったくわからない。わたしはひとりで生きてはいけない。こんなふうに生きてみたいと思うのは、こんなふうには絶対に生きられないことがわかっているからだ。
帽子の男の写真をだれも持ってない。田舎の村でかれはみんなの噂だったろうけど、けっきょくだれもかれには馴染まなかった。かれもだれにも馴染まなかった。たぶんかれは何かに負けて村に来たのだろう。そして粛々とその敗北を受け止めて生きて、そして死んでいった。負けることがかれの生き方だった。ひとびとはかれについていろいろしゃべったけれども、すぐにかれのことを忘れるだろう。なぜって、かれはいつも忘れられたいと思って生きてたからだ。かれの写真なんかだれも持ってない。
わたしは、わたしの写真を持っていない。だれがわたしの写真を持っているのか知らない。もちろん証明写真くらいはある。遺影に使う写真くらいはいつでも用意しとけよ、とある先輩(既に亡くなった)にいわれたのでそのときどきの証明写真を1枚くらいは机の引き出しに入れている。ほかの写真はほとんどない。たまに、ひとから機会があって撮った写真をいただくこともあるのだけど、そのときはありがたく受け取っておきながら、そのうちどこかにやってしまう。わたしは、わたしの写真を持ちたくない。できるのなら、だれにも、わたしの写真を持っていてほしくない。ま、最初っからだれも欲しがりもしないんだろうけど。
わたしは、忘れたいのだ。あらゆることを。わたしは、忘れられたいのだ。あらゆるひとに。そんなことは無理だとわかっているから、わたしはそうあってほしいとだれにもわからないように願う。
わたしの友人に、わたしのことを忘れてほしいと願う。わたしのかつての恋人に、わたしのことを忘れてほしいと願う。わたしの家族に、わたしのことを忘れてほしいと願う。そうなっていちばん困るのはわたし自身のくせに。そのひとたちがわたしのことを忘れないでいてくれるからこそ、いまこうしてわたしは呑気に自分語りなどしているくせに。でも、できるのなら、きれいさっぱり忘れてほしい、わたしのことを。わたしも、きれいさっぱり忘れたい。いや、きっとそれは叶う。きっと忘れる。かならず忘れる。えらいひとがいうようにきっと願いは叶う。わたしがいなくなって半日もすれば、だれもわたしのことを思い出しはしないだろう。だから、わたしはわたしの写真を持っていない。
そして、わたしは記録するという習慣を持たない。実生活で日記なんて書いたことがない。小学校の課題では休みの最終日に全部天気を埋めて提出した。もちろん間違えてなんかなかった。ノートもつけない。メモもとらない。本に線を引くのは嫌いだ。手帳は毎年最初から最後まで真っ白なままだ。実はまともに写真を撮ったことがない。カメラを渡されるとどうしたらいいかわからない。それでも、あとで同じ場所で同じ経験をしたひとと話をすると、わたしの方が正確な記憶を持っているということがほとんどなのだ。どうして、わたしだけ忘れることができないんだろう。
わたしは、忘れたい。悲しいことも、悔しいことも、嬉しいことも、楽しいことも。どうしてそんなことを思うのか。わたしはぜんぶ覚えているからだ。都合のいいこと、悪いこと。悲しかったこと、悔しかったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと。どんなことでもわたしはそらんじるように語ることがいまでもできる。ただ、わたしはわたしの記憶力を、自己保身と自己正当化のためだけに使ってきた。言ってみれば、わたしは、東堂の記憶力を持った大前田なのだ。わたしは、わたしの最も誇るべき能力を、最も恥ずべき目的にしか使ってこなかった。だから、わたしは、忘れたい、あらゆることを。だから、わたしは、忘れなくてはいけない。自分の恥を忘れるために。そのためになら、ほかのあらゆることも一緒に忘れたってかまわない。
でも、結局、わたしは忘れない。わたしは自分の恥と一緒に生きていくしかない。だから、せめて、みんなには、この恥ずべきわたしのことを忘れてほしいと願う。祈るように願う。それで一番困るのは自分のくせに。でも、忘れてください、頼むから。もしわたしのことを嫌いではないのなら。
わたしが生きているうちにそうするのが無理だというのなら、せめてわたしが死んだときには「いいやつだった」なんて言わなくていいから、実際、いいやつなんかじゃないから、まして悪いやつでもないから、要するにつまらんやつだから、そのままきれいさっぱり忘れてほしい。できればわたしがいたことさえも。だから、わたしはほんとうは文章なんて残してはいけないんだ。わたしは文章を書くべき人間じゃあないんだ。わたしは文章を書く資格などない人間なんだ。なら、なぜ書く? やっぱり、それでも、わたしはわたしの恥を、せめてわたしの中にだけでも、留めておかなくてはいけないと、一方で思っているんだろう。忘れたいのに、忘れることなどあってはならないと、わたしがわたしに強いているからだろう。そうしなければ、わたしは、ほんとうは忘れてなどいないくせに、忘れたふりをして、また恥の上塗りをするだろうから。この恥知らず。
わたしは、「帽子の男」みたいに強くない。かれのように黙って自分の恥を、敗北をひとりで受けとめて生きていくことはできない。わたしもかれのようでありたいと願っているけれど、実際のわたしはおしゃべりで軽薄で(体型は重厚だけど)、いつもひとにわたしを気にかけてといっているかのような人間だ。わたしのような弱い人間はひととの関係のなかでしか生きていけない。ひとさまのおこぼれを頂戴しないと生きていけない。ひとに忘れられたら生きていけない。わたしは、そんなわたしがもちろん嫌いだから、心の奥だけでも、みんなにはわたしのことを忘れてほしいと願う。ただ、わたしは、わたしの最も誇るべき能力にかけても、わたし自身の恥だけは、わたし自身の敗北だけは、忘れてはならない。だからわたしは書く。いつかわたしが忘れたりすることのないために、いつか文章だけがわたしになるために、いつかそれだけを残して消えていくために、いつかそのままみんなに忘れ去られるために。わたしだけがそれを覚えていればいい。わたしはわたしの写真を持たないかわりにわたしの文章を持つ。わたしだけがそれを持つ。みんなは一度読んだらそのまま忘れてしまってかまわない。わたしの写真など持たなくていい。わたしのことなど忘れていい(というか、忘れるよね、普通。というかわざわざ記憶したりしないよね、普通)。
勉次は決められなかった。ただ彼は、いま筆を捨てたらほんとうに最後だと思った。彼はその考えが論理的に説明されうると思ったが、自分で父にたいしてすることはできないと感じた。彼は一方で或る罠のようなものを感じた、彼はそれを感じることを恥じた。それは自分に恥を感じていない証拠のような気もした。しかし彼は、何か感じた場合、それをそのものとして解かずに他のもので押し流すことは決してしまいと思った。これは彼らの組織の破壊をとおして、自分の経験でこの二年半のあいだに考え積ったことである。自分は肚からの恥知らずかも知れない、しかし罠を罠と感じることを自分に拒むまい。もしこれを破ったらそれこそしまいだ。彼は、自分が気質的に、他人に説明してもわからぬような破廉恥漢なのだろうかという、漠然とした、うつけた淋しさを感じたが、やはり答えた、「よくわかりますが、それでも書いていきたいと思います。」*1
だから、この文章を読んだことも忘れるように!
(でも、忘れるってことは、最初に何か印象があるってことだよな。そんなんあるわきゃないか!)
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