[トップページ] [平成11年上期一覧][Common Sense][319.8 戦争と平和][393 安全保障法制]


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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (76)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成11年2月27日 6,740部発行
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_/_/     Common Sense: PKO常識のある人、ない人
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/        1.重箱の隅をつつく議論
_/_/        2.見送る人々
_/_/        3.ケシカラヌ人々
_/_/        4.従軍慰安婦、来る!?
_/_/        5.自衛隊は帰ろう
_/_/        6.歓迎する人々
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■1.重箱の隅をつつく議論■

     国連の今の悩みは、PKOはこれまでのように比較的安全な
    場所にしか派遣しないという原則でいいのか、という問題だ。
    ・・・ところが、日本はこうした国際社会の悩みと無縁なところ
    で、重箱の隅をつつくような論議を重ねている。・・・国連第一
    主義を掲げるのなら、国連と同じ水準で世界の悲劇に関心を持
    ってほしい。・・・同時代の世界の人々の悩みと悲劇に関心を向
    ける日本人であって欲しい。[1]

 前号JOG(75)で紹介した元・国連事務次長の明石康氏の言葉であ
る。明石さんが国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の責任
者だったとき、わが国は始めてPKOに参加し、自衛隊をカンボジ
アに派遣した。

 この時、野党は自衛隊の海外派遣に反対して、国会で牛歩戦術を
とった。投票箱まで行くのに、たっぷり時間をかけて、時間切れに
持ち込もうという奇抜な戦術であった。また、機関銃は持っていっ
てはいけない、紛争地域に行ってはいけない、など、憲法とのつじ
つま合わせのための「重箱の隅をつつく」議論が展開された。

 この最初のPKO参加で、常識のある人、ない人が入り乱れ、様
々な悲喜劇が繰り広げられた。自衛隊に同行してカンボジアまでつ
いていった宮嶋茂樹氏の体験レポート「ああ、堂々の自衛隊」(双
葉文庫)[2]から紹介する。

■2.見送る人々■

     日本に近いうちはマスコミのヘリがぶんぶん飛び回りうるさ
    かった。私は副長に
    
    「どうせ、あいつら帰って自衛隊の悪口書くんでっせ。これが
    ロシアや中国の軍艦やったら、あんなに近づいたらスパイ行為
    と見なされて撃ち落とされてもしゃあないでっせ。あいつら、
    自衛隊やと思ってナメとんや。ちょうどいい訓練やし、3イン
    チ砲の餌食にしてやりましょう。みんな黙っとったらバレまへ
    んよ。事故で落ちたと思いまっせ。」
    
    と進言した。私の取材の独占度を上げてギャラを吊り上げよう
    という実に頭脳的なシブイ考えだったが、副長は監理幕僚に向
    かって、頭の横で指をクルクルさせただけであった。あれはい
    かなる軍事的秘密合図であったか。[2,p50]

 カンボジア行きの輸送船に同乗した愛国青年・宮嶋茂樹の、まず
は多難な船出の一幕である。しかし冷たい見送りだけではなかった。

     私がなにより感動したのは、・・・通り過ぎる島々から手を振
    ってくれる普通の人びとであった。消防団が出て、放水をして
    見送ってくれる島。子どもたちが埠頭から手を振ってくれる島。
    そうした島々を通り過ぎる度に「右、帽フレー」「左、帽フレ
    ー」が繰り返される。そうすると、相手も手がちぎれんばかり
    に振り返してくる。
    
     東京にいて大朝日新聞などを読んでいると、自衛隊はまるで
    犯罪を犯しに海外へ出かけるようで、国民がみんな反対してい
    るようなイメージを持つ。しかし、事実は、今のこの熱心な見
    送り風景なのだ。[2,p45]

■3.ケシカラヌ人々■

 カンボジアの現地に着いても、慰問に来る人、来ない人で、常識
の有無が問われた。

     ケシカラヌのは、宮沢首相であった。バンコクまで来ていな
    がら、なぜタケオまで、足を延ばせぬのか。バンコク−プノン
    ペンは一時間。プノンペンからタケオまではヘリを使えば、数
    十分であろう。軽井沢までゴルフに行く時間で、慰問をできる
    のである。
    
     アメリカのブッシュ大統領は、まだ治安も不安な中、ソマリ
    アの米軍を慰問した。首相と大統領、どちらも国軍の最高司令
    官である。[2,p162]
    
 かわりに現れたのは、社会党の北村哲参議院議員であった。

     社会党の方と聞いて、ウシのようにしか歩けないのかと思っ
    たが、ちゃんとスタスタと歩いておられた。・・・北村議員の滞
    在時間はすべて含めて70分であった。電光赤化、もとい、電
    光石火の早業もあれば、牛歩もある。この行動の柔軟さ。大し
    たものである。
    
 このとき北村議員は自衛隊輸送車による交通事故についてしつこ
く質問していた。
    
     不幸にも現地人一人が死亡したこの事故は、大朝日新聞が大
    々的に採りあげ、・・・それだけ読んでいると、あたかも侵略軍
    のような自衛隊が、か弱い現地の人々を蹂躙しているかのよう
    な印象を受けた。議員もそれを読み、質問したのであろう。・
    ・・
    
     ちなみに、その大朝日新聞の車が、タケオ近くで大事故を起
    こされたことを日本人は知るまい。しかも、それを救助したの
    が自衛隊であることも、多くの日本人は知るまい。それは、当
    の朝日新聞が一行も報じていないからである。[2,p168]

■4.従軍慰安婦、来る!?■

 ピース・ボートという「市民団体」も現れた。40度の炎天下で、
化粧をした「若いきれいなネーチャン」もいる。選挙をスムーズに
進めるために、地雷を撤去し、橋や道路を修復している自衛隊員に
対して、「環境への影響は調査したのか?」と問いかけた。
    
     それは異様な光景だった。背後の兵舎には、汗とドロにまみ
    れ、基地にすら帰ることのできぬトティエ駐屯の将兵が、埃ま
    みれで死んだようになっている。
    
     自分たちの利益のためにやっているのではない。カンボジア
    の人々のためにやっているのである。その前で、化粧の白い顔
    を曝した同じ日本人の一行が、「環境への影響は」と尋ねる光
    景。・・・その激しい生きざまには頭が下がった。
    
     きっと、この方は、自分の家が火事になったら、放水した場
    合のまわりへの環境の変化を調べてから、消防車を呼ぶのであ
    ろう。・・・立派なことである。・・・
    
     みんなはしゃいでいた。今夜、営内の天幕のベッドの上で、
    何十人もの隊員たちが、彼女たちの夢を見るであろう。ピー
    ス・ボートの皆さんは、まことに国家のために貢献してくださ
    ったである。まこと、従軍慰安婦にも負けぬ、慰安をしてくれ
    たのである。
    
     ああ、そのための頬紅。そのための口紅。この炎天下、辛か
    ったであろう。厳しかったであろう。にもかかわらず、美しく
    装い、隊員達たちを励ましてくれたのである。[2,p178]
    
■5.自衛隊は帰ろう■

 正月元日には、「ジャパン・フェスティバル」と称して、模擬店
などを基地内に開き、現地人を迎え入れた。その最中に乱入した一
派があった。

     その時である。会場中心でざわめきが起きた。すわ、わが軍
    のオープンさを逆手にとったポルポト派の破壊工作かと、私が
    飛んでいくと、そこには横断幕を持った三人の日本人がいた。
    
    『自衛隊は帰ろう』
    
     私は目を疑った。「明日の日本はこれで良いのか?市民連
    合」とかいう連中であった。・・・気の毒なのは、隊員達であっ
    た。帰れるものなら、それは帰りたかろう。月に何万円もKD
    Dに搾取されつつも、日本に電話しているほどなのである。
    [2,p186]
    
     「市民連合」の皆様は、「明日の日本」どころか、おのれの
    頭はこれで良いのかと基地全体の嘲笑を買い、集まっていたマ
    スコミにも、相手にされなかった。しかし、さすがは大朝日で
    ある。この記者の方はひじょうに熱心に取材をしておられた。
    いかなる場合にも手を抜かぬこの姿勢、やはり社員教育の厳し
    さが違うと感じ入ったのであった。
    
     やがて、呆れたことには、「市民連合」の皆様は、10分ほ
    どわめいただけで帰ってしまったのであった。[2,p190]

■6.歓迎する人々■

 海外で自衛隊を温かく迎えたのは、かえって日本人以外の人々で
あった。事前視察のため、空路カンボジアに向かった福井祐輔二等
陸佐は、次のように報告している。

 国連から支給された航空券はエコノミークラスだったが、成田発
のパキスタン航空機に搭乗するや否や、機長が挨拶に現れ、「PK
Oという尊い任務に就かれる軍人をエコノミーに搭乗させるのは私
たちの手落ち」と言って、固持する福井二佐を無理矢理エグゼクテ
ィブ・クラスへ移させた。

 バンコク空港では、同じ飛行機に乗る英国人女性から、自衛隊P
KOの記事が載っている英字新聞がプレゼントされた。

 また先遣隊をポチュントン空港に出迎えた時には、地方視察から
帰ったシアヌーク殿下一行と鉢合わせ。殿下を全員で敬礼して見送
ると、車中の殿下、妃殿下は合掌してあいさつを返され、通り過ぎ
た後も、後ろを振り返って合掌を続けられた。

 「PKOに参加できる幸福を深く心に感じました。」福井二佐の
言葉である。[3]

[参考]
1. タジキスタンの散った『最後のサムライ』−秋野豊さんの志を
   偲ぶ、田中和子、祖国と青年、H10.10
2. 「ああ、堂々の自衛隊」、宮嶋茂樹、双葉文庫、H9.6
3. 読売新聞、H4.10.7
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/★★読者の声★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

                   若き自衛隊員WOLF氏より

 最新号[JOG(76)]で取り上げられていたPKOの話題、興味深く
拝見しました。私は陸上自衛隊に勤務しており、所属は第一次カン
ボジア派遣大隊が編成された部隊です。

 新入隊員として教育を受講中だった私は残念ながらPKOに参加
できませんでしたが、今もなお、いつかのチャンスを期待しつつ訓
練に励んでおります。

 これからも自衛隊は海外でのPKO活動を続けていくことになる
でしょう。世間では色々と言われておりますが、私たちの活動がき
っと誰かのためになることを信じて任務に邁進するだけです。

 現在の自衛隊は実に多くの問題を抱えています。必ずしも皆様の
ご期待に添えない場合もあるとも思います。ただ、その中にも真摯
な気持ちで日々の任務に精励している人間がいることを知っていた
だければ幸いです。

 隊内歌にこんな歌詞があります。「平和は守るものじゃない、平
和は築くものなのだ。」我々の仕事はどんなつまらないことに思え
るものであっても最後はここに集約されるものだと思っております。

編集長・伊勢雅臣:第一次カンボジア派遣大隊の志願者は、募集人
員の30倍だったそうですね。「平和は築くものだ」とは、
JOG(75)の秋野さんにもつながる言葉です。

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