やはり、おかしい新銀行東京 都民は徹底追及を(1) - 08/04/13 | 17:00


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 評論家の故・江藤淳氏は1999年、自死する2カ月ほど前に参加した少人数の勉強会の場で、石原慎太郎都知事について、こんな言葉を口にし、周囲に深々と頭を下げた。

 「石原は発想の天才、行動の……です。しかし、私の友人です。よろしく見守っていただきたい」

 江藤氏は人との関係をつねに厳密にとらえていた。その人物が放った言葉だが、「行動の」の後に続いた言葉は「天才」とは逆の意味だった。

なぜ、銀行設立だったのか

 それから3年後、石原都知事は東京都主導による銀行創設を提唱する。既存金融機関から資金を借りられない中小零細企業に資金を提供する新銀行の設立構想だった。構想は実現する。東京都から1000億円、民間企業から合計250億円の出資を得て、2004年4月、新銀行東京は事業開始。だが、その後は、下り坂を転がり落ちるような展開だった。

 新銀行東京は融資焦げ付きが絶えず、毎期赤字を垂れ流した。結局、資本金1189億円に対して、08年9月中間決算までの累積損失は1000億円を超えた。大失敗である。

 それで見切りをつけて、事業を畳めばいいものを、石原都知事は新たに400億円の出資を東京都に求めた。スッタモンダした揚げ句に、東京都議会は与党の自民党、公明党の賛成で、追加出資を認めることになった。3月26日のことである。

 雑誌、全国紙、テレビ等々、あらゆるメディアが批判し、追加出資は好ましくないと報じたが、「東京発の金融不安を封じ込める」「清算したら巨額の損失が発生する」などの理由から、再び、都民の貴重なおカネが東京都の銀行事業に投下される。早い話が、見込みのない第三セクター事業に税金が費やされる構図と、何ら質的な違いはない。

 確かに、石原都知事が銀行設立を提唱した当時は金融危機の末期局面で信用収縮は収まらず、既存金融機関の与信能力は回復していなかった。石原都知事は発想の天才だったのかもしれない。しかし、その後、金融危機の解消とともに、既存金融機関の与信能力は回復し、新銀行東京の融資事業の余地は失われた。

 それをもって、「事業開始のタイミングが悪かった」と解釈する経済評論家もいる。しかし、その論評は正しくない。設立そのものが間違っていたからだ。理由はいまさら言うまでもない。実は1951年、東京都ですでに明らかになっている。

 当時、経済が逼迫する中で中小零細企業への融資の道が閉ざされる事態が発生した。そこで、東京都下の経済団体、東京都などが中小零細企業を対象とする銀行を設立する運びとなったのだ。しかし、最終局面で東京都の商工会議所などが「東京都の出資は問題あり」として、東京都を出資団から除外した。

 「東京都が出資すると、銀行の経営が歪む」。これが東京都を除外した理由だった。なぜ、歪むのか。

 公的セクターが深く関与すると、融資の実行にさまざまな圧力が加わるからだ。たとえば政治家の口利き、斡旋だ。決して珍しいことではない。90年代に政府が導入した保証協会の特別保証枠でも、そのたぐいが横行した。国民金融公庫などにも政治家の口利きは後を絶たない。

 ちなみに、当時設立した銀行は東京都民銀行として存在している。
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