[トップページ] [平成10年上期一覧][Media Watch][070.14 中国の言論統制][222.01319 中国:外交]
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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (42)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成10年6月20日 2,681部発行
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_/_/        Media Watch:中国の友人
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_/_/           ■ 目 次 ■
_/_/       1.中国の友人
_/_/       2.一人だけ北京に残った朝日特派員
_/_/       3.「歴史の証人」は何を報道したか
_/_/       4.「中国の友人」による社内検閲
_/_/       5.国外追放への対応方法
_/_/       6.女性工作員疑惑
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■1.中国の友人■

 中国はその数千年の動乱の歴史を通じて、我々日本人には想像も
できないような凄まじい外交術を発達させてきた。その一つに、国
際社会で「中国の友人」と呼ばれているものがある。

 たとえば、中国がある国の将来性ある政治家なり、ジャーナリス
トなりに−仮にA氏と呼ぼう−狙いをつけたとする。A氏は中国に
招待され、VIPとして「熱烈歓迎」を受ける。鼻高々で帰国した
A氏は、以後、「何か中国に頼みたいことがあったら、自分に任せ
なさい、私には中国政府要人との太いパイプがあるから」、と触れ
回る。実際にいくつかそういう実績を上げると、A氏は中国とのコ
ネをバックに出世していく。

 A氏が実力者となると、今度は中国の方がいろいろ要求を出して
くる。経済援助を増やして欲しい、とか、反台湾政策をとれ、等々
である。A氏は自分の地位を守るためには、中国の意向に従わざる
をえなくなる。

 マスコミでの「中国の友人」の実例に登場願おう。朝日新聞の秋
岡家栄記者である。

■2.一人だけ北京に残った朝日特派員■

 昭和40年に日中交換記者協定が実現し、朝日、毎日、読売、産
経など9社が北京に特派員を派遣した。翌41年11月、文化大革
命が勃発すると、漢字の読める日本人記者団は壁新聞から情報を得
て大活躍をした。中国政府はこれを「外国反動分子による反中国宣
伝」と非難し、日本人特派員を次々と追放し始めた。

 たとえば、42年9月には、毎日や産経が毛沢東の顔写真代わり
に似顔絵を使った事を理由に追放され、43年6月には日経の鮫島
特派員がスパイ容疑で逮捕・拘留される、という具合である。こう
して45年9月には、北京に残るのは、朝日の秋岡特派員だけにな
ってしまった。

 毎日、産経が追放された時、9社で抗議と追放理由の詳細な説明
を求める共同声明を出そうということになったが、朝日新聞が脱退
までちらつかせて強硬に反対した。[1,p34]

 当時の朝日新聞社の広岡社長は、「中国文化大革命という歴史の
証人として、わが社だけでも踏みとどまるべきである。そのために
は向こうのディメリットな部分が多少あっても目をつぶって、メリ
ットのある部分を書くこともやむを得ない」という趣旨の発言を社
内でもしていたと伝えられている。[1,p64]

■3.「歴史の証人」は何を報道したか■

 「歴史の証人」として北京に一人残った秋岡特派員はどのような
報道をしたか。

 46年、中国共産党副主席林彪は、クーデターを計画し、毛沢東
主席が上海から北京に帰る列車を爆破しようとした。しかしこれが
事前に露見し、9月12日、北戴空港からソ連に国外脱出を図った
が、モンゴルで搭乗機が墜落し、全員死亡した。中国当局はこれを
ひた隠しにした。[2,p179]

 秋岡特派員は、11月中旬に、ある筋から事件の実際を教えられ
たが、「絶対に口外しない」という約束をさせられたため、いっさ
い記事を書こうともせず、本社にすらこの情報を送らなかった。
[1,p69]

 しかし、10月1日の国慶節パレードが当然中止され、人民日報
にも、林彪の名が現れなくなったので、何か重大な政変があったの
ではないか、との観測が世界中にひろまった。産経は11月2日付
け外報トップで、「ナゾ深める”林彪氏失脚”の原因」という記事
を掲載した。[2,p180]

 秋岡特派員は、パレードが中止になったのは、「新しい祝賀形式
に変わったのではないか」(46.9.27)と述べ、林彪失脚のうわさに
も「しかし、これだけの事実をもって党首脳の序列に変化があった
のではないか、と断定するだけの根拠は薄い」(46.12.4)と報じた。 
さらに翌年2月10日には、一面トップで「林氏 失脚後も健在」 
とまで報道している。

 中国政府が林彪事件の真相を公にしたのは、7月末に訪中したフ
ランスの外相らに毛沢東が直接語ったのが最初である。秋岡特派員
はようやく8月1日付け朝刊で、「これが林彪事件の真相」と発表
した。見事な中国政府のスポークスマンぶりであった。朝日のみ北
京特派員を残した成果は、産経より遅れること8ヶ月も林彪事件の
真相が意図的に読者に伏せられたということであった。

■4.「中国の友人」による社内検閲■

 帰国した秋岡記者は、広岡社長の威光と、中国とのコネをバック
に、さらに本格的な「活躍」を続ける。

 昭和48年4月に、「文革(文化大革命)で失脚したトウ小平が、
副総理として復活した」というニュースが世界を駆けめぐった。週
刊朝日編集部では、これを文革の重大な転回点ではないか、と考え、
中国問題の専門家中嶋嶺雄氏らの対談記事を4月28日号に掲載し
た。中嶋氏は早い段階から、文革を中国政府内の権力闘争であると
喝破していた人物である。

 帰国早々にこの記事を見た見た秋岡氏は、編集部にこう言った。

     この記事の内容が正しいかどうかは問わない。ただこのなか
    にある中嶋・竹内対談の『トウ小平復権は脱文章の象徴か』と
    のタイトルを見れば、中国側は激怒してわが社の特派員を追放
    する強硬措置に出る恐れがある。

     この前、朝日ジャーナルが問題になったときも、北京の新聞
    司の担当者は件の号を私の目の前で机に叩きつけた。中国は文
    革報道に極めて神経を尖らせているから、今度の週刊朝日の記
    事にも黙ってはいないだろう。何とか善後処置を取る必要があ
    る。
    
 編集部がなかなか折れないと知るや、秋岡氏は編集長を別の場所
に呼びだして、「今のような事をやっていると、編集長の地位も危
なくなるぞ」と露骨に脅かした。[1,p42]

 中嶋氏はその鋭い文革分析で、中国側に睨まれており、氏を登場
させた事自体が問題にされたようだ。事件は結局、秋岡氏を通じて、
中国代表部に遺憾の意を表明する事で決着した模様である。

     当時は、中国代表部の意向を代弁していると自称する、いわ
    ゆる「秋岡感触」という不文律が罷り通っていて、中国代表部
    の意向が直接秋岡氏に伝わり、朝日新聞社がそれに従うという
    風潮が生まれていたことは間違いない。[1,p45]

 中国代表部は、こうして日本国内で数百万人が読む新聞に内部か
ら検閲を加えていたわけである。その恐るべき政略には脱帽せざる
をえない。

 こうして、後に胡耀邦党総書記が、「死者2千万」と総括した文
革の実態は我が国にはほとんど知らされなく、ムード的な親中国意
識が我が国を支配してきたのである。[3,p220] 突出した対中政府
援助もこの成果の一つであろう。[4]

■5.国外追放への対応方法■

 外国の特派員を、国外追放で脅すというのはソ連もよく使った手
である。昭和42年から、5年間、朝日新聞のモスクワ特派員だっ
た木村明生氏は、冷静で客観的な報道ぶりから、ついには在日ソ連
大使館のブロンニコフ一等書記官(実はKGB中佐)が、しばしば
朝日新聞を訪れ、「木村の送ってくる記事は反ソ的だ。朝日新聞が
自ら更迭しないなら国外追放の処置をとる」と恫喝した。

 木村氏がモスクワに着任する前、外務省からは、「もしソ連当局
から国外追放処分を受けるようなことをがあれば、報復としてプラ
ウダ特派員を追放するから、しっかりやって下さい」とまで言われ
ていたのだが、朝日新聞は社内人事の形で、木村氏を更迭処理した
ため、外務省としても打つ手がなくなってしまった。

 帰国した木村氏は閑職に追いやられ、以後10年間、朝日新聞紙
上には1行の記事も書かせてもらえなかったという。[1,p213]

 朝日とは対照的な態度を示したのが、ロンドン・タイムズであっ
た。ソ連の反体制運動内に強力な情報源を持ち、数々の特ダネをも
のしたボナビア特派員が国外追放されると、社長自らロンドンの空
港まで出迎え、労をねぎらった。ロンドン・タイムズは代わりの記
者も派遣せず、半年後にはソ連の方から頭を下げて、特派員派遣を
要請した。[1,p214]

 朝日の態度は中国の場合と同じだが、さすがに権謀術数、数千年
の歴史を持つ中国のやり方は、ソ連とは格が違う。ソ連は「反ソ」 
記事を書く記者を追放しただけだが、中国は「親中」記事を書き、
社内検閲までしてくれる「友人」を確保しているのである。

■6.女性工作員疑惑■

 最近、橋本首相が中国女性工作員と交際があったという疑いが表
面化し、国会でも西村慎吾議員が問いただした。月刊誌「諸君」は、
相手の女性は日本から無償の援助を引き出す任務を与えられた中国
の厚生官僚であり、実際に彼女の工作によって中国に病院を建設す
る目的で26億円のODAが拠出された、との疑惑を報道している。 
[5]

 女性を使って外国の要人をコントロールするのは、これまた権謀
術数の定石で、昭和38年には、イギリスのプロヒューモ陸軍大臣
の関係したコールガールがソ連大使館幹部とのつながりがあったこ
とが分かり、辞任。西ドイツのブラント首相も、個人秘書が東側の
スパイだとスクープされて辞任している。いづれも、どのような実
害があったかは関係なく、その疑いを持たれただけで、辞任してい
る。この手の工作員から自国の国益を守るためには、疑いがあった
だけで、当の政治家を辞任させるというのが、国際常識である。

 クリントン大統領の女性スキャンダルには大きな紙面をさく日本
の新聞各紙は、産経を除いて、この件については、不思議な沈黙を
続けたままである。日本政府からマスコミ各社まで、「中国の友
人」があちこちで暗躍しているのだろうか。

[参考]
1. 朝日新聞血風録、稲垣武、文春文庫、平成8年
 朝日新聞の中で、身を持って偏向報道と戦った著者の感動的な生
き様。
2. 朝日新聞の「戦後」責任、片岡正巳、展転社、平成10年
3. 「悪魔祓い」の戦後史、稲垣武、文春文庫、平成9年
4. JOG(4) 中国の軍事力増強に貢献する日本の経済援助
5. 諸君、平成10年6月号、7月号

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