▼▽ 帝国電網省 ▽▼ by 竹下義朗さん
☆ 捕鯨反対?自分達の価値観を押しつけるな! ―― 2008/01/11
皆さんは「IWC」という国際機関をご存じでしょうか?ILOは国際労働機
関、ICPOは国際刑事警察機構(通称「インターポール」)。ではIWCとは
何なのか?
これは、昭和21(1946)年に締結された『国際捕鯨取締条約』に基づき
設立された「国際捕鯨委員会(International Whaling Commission)」の
ことで、日本 も昭和26(1951)年に加盟しています。
元々は、鯨[くじら]資源の保存及び利用に関しての規則を採択したり、
鯨の学術的研究・調査を行う目的で設立されたものですが、今では
日本・ノルウェー ・アイスランド・デンマーク自治領フェロー諸島など、
昔から鯨を食糧として 捕獲してきた捕鯨国(調査捕鯨及び捕獲数量を
決めた上での商業捕鯨要求)と、 欧米を中心とする反捕鯨国(全面的
捕鯨禁止要求)の戦いの場と化しています。
反捕鯨国側は、
┌--------
姿形は魚と似てはいても、人間と同じ高等哺乳類である鯨=海豚[
いるか]や鯱 [しゃち]も同類)を捕獲することは「可哀想」だとか、
なにも鯨以外にも食糧 となる動物は他にいるのだから、
捕獲しなくてはならない「必然性」はない。
└--------
といった主張を展開し、日本を筆頭とする捕鯨国が、恰[あたか]も
非道な行為 を行っているが如き論陣を張っています。
しかし私からみれば、それこそが非道理であり、また、何でも自分達
がスタン ダードであるという欧米諸国の、傲慢さの象徴でしかないと
映るわけです。
というわけで今回は、捕鯨問題を通じて、欧米諸国の傲慢さに喝[かつ]
を入れたいと思います。
抑[そもそ]も、
今でこそ「反捕鯨国」に名を連ねている欧米諸国ですが、一昔前は
「捕鯨国」 と同様に、大海原狭しと大規模な捕鯨船団を繰り出して
鯨を獲りまくっていました。
その証拠の一つが、幕末日本に現れたペリー提督率いる米国
東印度艦隊 ── 所謂[いわゆる]「黒船」 ── の来航です。
彼らが何故、鎖国体制下の日本に 現れ、開国を要求したのかと
いえば、
一つは米国と支那(清国)との航路を確立する上で、日本への経由・
寄港が不可 欠だったことが挙げられますが、
それ以外に重要な問題があったのです。
それは「捕鯨の為」です。
米国西海岸から出航した捕鯨船団にとって、太平洋の大海原で
捕鯨をするには 膨大な薪[まき]・水・食糧の積載が不可欠でした。
然し、万が一それらが不足 したら、どうすれば良いのか?
手っ取り早い解決法は、最寄りの港 ── 然も外国の港 ── に
寄港し、現地 で調達する事。その為に日本の開国と開港が不可欠
だったわけです。では、嘗 [かつ]て捕鯨国であった欧米諸国が、
今では何故、捕鯨全面禁止を唱える反捕鯨国となっているのか?
それは彼らの捕鯨目的が、主に鯨油[げいゆ] ── 鯨の「油」 ──
だったか らなのです。
(嘗ての欧米諸国も、鯨肉を食さなかったわけではない)反捕鯨
国を構成する「元捕鯨国」の欧米諸国は、嘗て鯨油を一体何の
目的で消費して いたのか?
それは、現在の石油の代わりとしてです。
英国で始まった産業革命により急速に工業化が進むと、それ迄、
主に灯火燃料 (ランプの灯りに利用)でしかなかった鯨油が、機械油
などとして消費されるよ うになり、増加し続ける需要を満たす為
、「元捕鯨国」である欧米諸国は沿岸 捕鯨から大規模な船団を
繰り出しての遠洋捕鯨を行ったのです。
しかし、彼らの捕鯨の主な目的は「鯨油の確保」であり、石油の
精製技術が確 立し、灯火燃料や工業消費財が鯨油から石油に
とって代わると、採算面その他 諸々の理由から、捕鯨をする
必要性がなくなったわけです。
だからこそ「元捕鯨国」である欧米諸国は、捕鯨の全面禁止が
為されたところ でなんら痛くも痒くもないわけです。
しかし「捕鯨国」にとってみれば、捕鯨 全面禁止など、到底受け
容れることができる内容ではありません。
ーーー問題の第一の本質は、正にここにあるわけです。
「元捕鯨国」からみれば、主として「鯨油の供給源」であった鯨ですが、
捕鯨 国 ── 日本を例に挙げれば、昔からより有効的な利用を
してきました。
例えば日本では、鯨油の利用は当然として、肉(皮や内臓から
生殖器まで全て) は食べ、骨や髭[ひげ]も、靴篦[くつべら]や工芸
細工、更には絡繰[からく]り 人形の動力源である発条[ぜんまい]の
材料として、それこそ丸々一頭無駄なく 活用してきました。
白長須鯨(髭鯨)の各部位利用図 ▼ (日本捕鯨委員会ホームページ
なく食べて あげることこそが、尊い命を奪った者の責任であり最大の
供養である、という 考え方もあります。
その意味に於いて、鯨油を確保するだけの為に大規模な船団を繰り
出した「元 捕鯨国」と、日本を筆頭とする「捕鯨国」の捕鯨は些[いささ]
か異なり、同一 の次元で論ずることはナンセンスであるわけです。
また、「鯨を食べるのは可哀想、だから捕鯨を禁止すべき」という
主張にも異を唱えざるを得ません。例えば、嘗て、
牛を神の使い「聖獣」として尊[たっと]ぶ印度人(ヒンドゥー教徒)が、
主に牛 肉を原料とする米国のハンバーガーを非難したことがあった
そうですが、その 際、非難された米国側は「ハンバーガーは
我が国の食文化」として、にべもな く突っぱねたそうです。
米国側の主張は、それはそれで正しいわけですが、ならば、何故、
同じことを 他国に対しても適用できないのか?
自国の食文化は他国からの非難があろうとも堅持し、他国の
食文化は自国の価値観に合わないから変えろ、という。
これ程、傲慢且つ横暴な論理・主張はありません。また世界を
見渡せば、日本 人の私からみても首を傾げるような文化・習慣が、
それこそゴロゴロしています。例えばスペインの闘牛。
闘牛士[マタドール]と牛の死闘に観衆が酔いしれ、喝采を浴びせる
ご存じスペ インの国技ですが、闘牛士によって斃[たお]された牛は、
闘牛場に隣接する解 体場に運び込まれ、解体された肉は最終的に
人々の胃袋に消えていきます。
単に食肉として処理される運命にあるのであれば、闘牛場に
引きづり出され、 闘牛士によって槍を突き立てられずともよいはず
です。端[はた]からみれば、 一種残酷な儀式といっても過言では
ありません。しかし、闘牛はスペインの国 技であり文化であるわけ
です。
また、英国で物議を醸[かも]した狐狩り。
古来日本で行われた「巻き狩り」同様、狐狩りは英国貴族・農民に
とっての伝統文化であるわけですが、やることは単に馬と猟犬を
操って狐を追い込み、最 後は猟銃で射殺するだけ。
食糧を得る為の狩猟ではなく、これを「スポーツ」と見たとしても、
動物保護 団体の目からすれば、単なる野生動物の虐待であり
野蛮な殺戮でしかないわけです。他にも、
スペイン・バレンシア地方の「トマト祭り」なぞは、単にトマトを
投げ付け合 うだけであり、食料を無駄にするという点では
愚行としかいいようがないわけ です。
私はこれらに対して「やめろ」などというつもりはありませんが、
自分達だっ て他国の人間からすれば疑問を持たれるような文化を
持っている、そのことを 自覚すべきであり、こと相手の食文化を云々
することは、国際儀礼の場に於い て、相手の信仰する宗教の話題に
触れないことと同様、タッチすべきではない と思っています。
そしてその論理は、昔は鯨油のお世話になったものの、今では必要
なくなった 「元捕鯨国」と、今でも鯨資源を必要としている捕鯨国との
関係に於いても、
適用されるべきである。そう私は考えます。
余談だが、支那人の一種「ゲテモノ」といえる食文化に対して、私も
侮蔑する 点はあるが、彼らに対して「やめろ」というつもりはない。
但し、私自身は絶対に口にはしたくないが・・・・
エスキモーによる捕鯨
ところで、反捕鯨国である米国の国内に於いて、「捕鯨が認められて
いる地域 ・民族」が存在することを皆さんはご存じでしょうか?
それはアラスカ州に 住むエスキモー=「イヌイット」という呼称もあるが、
我々が称する同地域住 民全体の呼称ではないので、「エスキモー」を
用いる)たち先住民です。
彼らには「絶滅危惧種」に指定されているホッキョククジラを食糧として
獲る ことが、「原住民生存捕鯨枠」として認められているのです。
私はエスキモー が捕鯨することを批判するつもりは毛頭ありません。
彼らが生きていく上で不 可欠な猟であり、食文化であるからです。
しかし、「反捕鯨国」の領土内に「捕鯨容認地域」がある、そのことに
対して は強く糾弾せざるを得ません。一方では「捕鯨全面禁止」を
唱え、もう一方で は自国の先住民保護を理由に一部捕鯨を認める。
これこそ、米国お得意の「二重基準[ダブル・スタンダード]」であり、
傲慢の 極致といっても過言ではありません。はじめに「捕鯨禁止
ありき」の様相を呈 している現在のIWCに対しても、
他の捕鯨国と共に日本は脱退し、捕鯨国による新たな捕鯨管理
機関 ── 「第 二のIWC」 ── を設立、公正な視点から鯨資源の
管理・研究をすべきもの と考えます。
鯨の乱獲による絶滅も困りますが、増え過ぎによる生態系の不均
衡や破壊も困る。
嘗て何処ぞの国で、野生鹿を狼が襲う姿を見て「鹿が可哀想」と
いい、狼を駆 除したまでは良かったものの、天敵=狼)がいなく
なった為に野生鹿が増え過 ぎ、餌不足による餓死で、狼がいた
頃よりも頭数が減ってしまった、などとい う前例もあるのですから、
鯨の総頭数管理は必要不可欠であり、捕鯨全面禁止がもたらす
マイナス面にも 目を向けるべきではないのか。
私は、そう反捕鯨国や捕鯨反対運動の支持者 に強く言いたいです。
= この稿おわり =
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ようちゃんの意見。↓
★私は鯨は食べた事が無いですけれど、父は食べてたと聞きました。
毎朝、魚屋さんが(?)売りに来たと言う話を叔父さん、伯父さん達、親類が来てた時に話してました。
私は、何故、魚屋さんが売りに来るのか?ーーも分からなかった。
父の世代の四国の県庁所在地のある大きな町には早朝から、魚屋さん、八百屋さんが、三輪トラックとか言う形の車で、各家庭に、販売に来ていたそうです。 その時に鯨が哺乳類で、牛より大きくて、魚の形をしてて、海で泳いでる」と言う話を聞き、ビックリして、何度も、色々と聞き、絵本の「鯨のうた」を買って、貰い、兄から子供百科辞典の中の動物図鑑や魚図鑑も見せてもらって、大体、分かり、大学時代に沖縄で鯨ウォッチングを見て、全貌を知った。
でも父達の子供時代に、映画館へ学校から鑑賞に連れて行かれて、捕鯨の映画を見た話をしていた。ディズニー映画の「白雪姫」と同時上映で見たらしい。その捕鯨のシーンで大砲のような装置から「銛」=「もり」というので弾丸の代わりにロープの付いた「銛」が飛んで行って、鯨の背中に打ち込んでから、 巻き取り機械で、鯨を船に引き上げるのだけれど、鯨が大きくて、波も凄くて、船が引きずられるように揺らめきながらヨタヨタと揺れた時は、もう心配で 手に汗握って、捕鯨主や船の乗組員達の、手すりにつかまり踏ん張ってる姿を応援したそうです。迫力ある映画で日本の捕鯨船団に、映画館で全員が終わってからも拍手を送っていたという事でした。迫力ある映画で大変、感動したと言う話をして、「白雪姫」のカラー・アニメなど、どうでも良かったらしい。もう1度見たくて、家から祖父に連れて行ってもらって2回も見たそうです。男ばかりの家だから、お姫様より鯨が良いのに決まってるけれど、 捕鯨の映画は、兎に角最優秀作品で色もカラーで綺麗だったと
感激してました。 まだテレビは白黒だったらしいです。
それと、毎朝、鯨を買ってたらしいと言うので、 どうして、朝からそういう鯨の切り身を買うのですか、鮭の切り身と似てるのか?と聞くと、全く違うのです!
何でも、その肉の塊は、とても大きい図鑑と同じB4の大きさで、本を5冊重ねた厚さの肉片を購入してた。と言うのです。!!!!
「ギョ」?? 益々、分からなくなり、色々と絵に描いてくれたりした。父は5人も男ばかりの家庭だった。 だから毎朝 鯨肉をおかずして貰っていたというのです。それも、焼くとか煮るとか言うのでは無く、刺身だったと言いました。
凍ってる状態で、市場で大型図鑑の大きさに切り分けた肉片を得意先へ配達する、温泉旅館、ホテル街に隣接してる家だったので、特別だったそうです。 朝は 生姜・醤油で刺身にして、熱いご飯に似せて食べていた。 そして、昼は学校給食でパン、牛乳、鯨カツと鯨ステーキとかがよく出てきた。と話をしていた。 夜も生姜につけた鯨肉を、小麦をまぶして揚げた「龍田揚げ」とかをよく食べていた。という話をしてました、オールウエイズの時代の昭和30年頃までの小学生は四国では、 学校給食も出ていた。ポピュラーな普通の卵や納豆と同じ種類で扱われた食材だったようです。
でも、私には想像がつきませんが 「鯨のハリハリ鍋」などは 冬の鍋の代表だったと言う事です。今は貴重品で高級食材となってる。
おそらく、50代のから上の世代で 体格の良い四国、関西の男性達は
給食でも、家でも、普通に殆ど毎日、 牛、豚、鳥の肉類と同様に食べていた、大衆的で経済的な、食材であった事は事実です。
だから、私はこの記事に賛成です。 牛、豚、鳥と鯨も同じ、普通の動物たんぱく質で食材でしょう!
鯨は家畜では無いが、家畜以外のウサギも、鹿も熊も猪も鴨も やはり食材です。我が社の社長は、これらを何時も食べます。
豪州ではカンガルーも食べてるし、鰐だって家畜で無いが食べてるし、米国ではバファローも食べれば七面鳥も食べてる。
鯨の増えすぎは肴資源の減少になるし、 「間引き」する必要があると、話してましたよ。