2007418日の 雷鳥沢雪崩事故報告

2007418日、立山雷鳥沢で大規模な表層雪崩が起きて3人の登山者が巻き込まれました。その内の一人、34歳のボードを楽しんでおられた長野県の方が亡くなられ、二人のスキーヤーは大怪我をされました。亡くなられた方には心からご冥福をお祈りいたします。

この日、私も仲間4人で、この沢を滑ろうと釼御前小屋を目指して登っておりまして、滑走時その内の二人がこの雪崩に巻き込まれてしまいました。今回の事故に際しまして富山県警、山小屋関係、現場で捜索協力頂いた皆様、及び関係各位様には多大なご心配とご迷惑をお掛けいたしました事、深くお詫び申し上げますと共に捜索のご協力に対し深く感謝申し上げます。

以上のような状況から、この度の山行きパーティーの同行メンバーとして、当日の経緯を説明報告させて頂きます。

当日の雷鳥沢方向、尾根途中から

[工程] 

室堂へのアルペンルートが開通して二日目、スキー仲間と立山駅に集合し、ケーブルカーで720分発の第二便にて出発致しました。美女平でバスに乗り換え予定通り室堂に到着。風も無く、高曇りで見通しも良く快適そうな天気でした。

この23日前辺りからの新雪も230cmあり、スキーヤーには絶好のコンディションに見えました。只、「日照後の降雪だから雪崩には気をつけて行こう」と、皆で確認しあってのスタートで、行き先は春スキーの定番、雷鳥沢。

室堂をスタートすると第一便のケーブルでスタートした人達でしょうか又は宿泊客か、数十人の登山者が左の尾根遥か前方まで小さくアリの様に連なっているのが見えました。

我々のパーティーは30代、50代、60代と年齢はバラバラですが、この日は全員体調が良く、幾つかのグループを追い越して登りました。標高が上がると雪面がクラストしており、頂上への最後の稜線ではスキーアイゼン無しでは登る事は無理です。一人私は装備不足なので、コル状の所で待機する事を申し出ました。3人が頂上に着いた事も無線で確認しあって、4人それぞれ写真を撮りあって滑走準備をしておりました。

 暫くしてボーダーが数人豪快に雷鳥沢に向かって滑り出し、シュプールを残しあっという間に見えなくなりました。次は我々のグループがスタートしました。頂上着の一人、H氏がコル付近で私に合流して、4人確認し合っていよいよメインの谷へ突入でした。K氏は谷を真っ直ぐに滑って降りて行きました。その後ろからU氏が滑りだしました。

 

[雪崩発生] 

私は尾根を滑り何回かターンして止まった時、未だ体が移動しているようで表層の動きを感じ取りました。

もう一回ターンして向きを谷側に変えた時、谷を挟んだ向こう側の尾根からハラリ、と巾数mの雪が流れ落ちたと思ったら、稲妻が横に走るように雷鳥沢上部の急斜面にビシッ・ビシッと亀裂が入り、あっという間に谷全体が雪崩れだしました。一瞬の事でありました。K氏は既に急斜面を滑り降り、中間部まで滑り谷底から少し上がった尾根への斜面中間地点で待機しており雪崩は回避いたしました。

[捜索・救助] 

小屋周辺と尾根上の登山者は只呆然と見ているだけで、身動き出来ません。上部の方で流されるボーダーが見えたようでした。 雪崩が止まって沢は騒然となりました。「**く〜ん、**さ〜ん」一斉に沢へ人が降りたようでした。

慌てて携帯しておりました無線で呼びかけると「二人が見えない」とK氏から連絡が来ました。K氏は直ぐにスキーを脱いで捜索を始め、私は県警に連絡しました。連絡も通報者の住所や名前と未確認者の名前など、慌てているのですが結構詳しく聞かれました。既に一報が入っていたからだと思います。

また、遭難者が他にいないかも情報を集めて連絡してくれと指示を受けました。デブリだらけの大斜面を捜索しようとしますが、何処をどう探して良いか全く分かりません。

ビーコンを持った別のグループが必死で反応を手繰ります。20分程?した時、3人が下のほうで掘り出されたとすれちがうスキーヤーが言います。急いで下へ向かう。

K氏がU氏の腕を抱えて歩いておりました。H氏は?・・・足を引きずっていましたが確認できました。急いで駆け寄り腕を抱えました。二人とも寒い、苦しい、と震えていました。少し離れたところではボーダーの方の心臓マッサージが続いております。

山岳警備隊の厳しい声が飛び、ヘリの到着に備えました。誰もが唇を紫にして遭難者を励ましマッサージを続けます。恐ろしい修羅場でした。

ヘリが来て3度着陸を試みましたが着陸不能。結局、雪上車に乗せ数百m離れた平地に移動。ヘリに乗せるまでの時間が長く感じます。遭難者は重症の方が先にヘリにて病院へ運ばれ残りの二人も遅れて搬送されました。

その後、捜索の為沢に置いてきたK氏のスキー、全ての貴重品の入ったリュックも山岳警備隊に取りに行く事を止められた。他のグループの装備等も同様でした。その後、我々二人とボードの数人のグループは雷鳥沢山荘にて県警の事情聴取を受けました。詳細に聴取を終えて言葉少なに下山。家に帰ってからも上市警察、山岳警備隊から何度も電話があり家族にも心配掛けました。

 

[反省と今後の対策] 

出発する時には「気をつけよう」と確認しあっていたことが結局は活かされませんでした。先行するボーダーを見たら安易に大丈夫だ、と各々が勝手に推測してしまって滑り降りたと言う事になります。

10秒早くとか10秒遅くとかコースをもう少し此方にとったなら・・・、とか「・・たら」、「・・れば」と言ってもこんな結果になってしまえば、意味もなさなくなる。しかし「今後の為に」と言う言葉が許されるなら「・・たら」、「・・れば」「・・・どうなる?」と言う事を常に現場で考える習慣がなくては、また同じ事が起きるかも知れない。

実際捜索する時点ではあの広大な斜面をどう探すのかは見当もつきません。そして発見された場所は思ったよりかなり下でした。尾根の上から谷底は完全に見えず、巻き込まれた登山者を目で追いかける事は出来なかった。

雪の山ではビーコン必携と強く感じました。また、捜索時にはリュックやスキー装備は身につけていたほうが良いと思いますが、今後の課題にしたいと思います。

 山岳警備隊員の話として聴いた事が衝撃的でありました。「山は自己責任で登るから、とか言うが実はそうではない」と言う。一人の人間に喜びや悲しみを共有する人がどれだけ周りに多くいるかと言う事を考えると、確かにそう簡単には言い切れる言葉ではないような気がします。

山へ登ろうとする者は必然的に家族や友人・知人への責任を背負いながら山へ向かわなくてはなりません。だから「山へは自己責任だけでは登れない。嫌でも家族・友人知人への心配・不安も強いる」、そう感じました。

 今回このような大きな事故に直面して改めて、山を楽しもうとする時、そこに潜む怖さと背中合わせだ、という事、また人は一人で生きているのではないと言う事もつくづく思い知らされました。誰にも迷惑かけずに自己責任で、と言う、思い上がった考えはとても社会性を得ているとは思えません。

最後に、今回我々が油断した事によって雪崩に巻き込まれ、折角山を楽しんでおられた方々の気持ちに水を注すようで、お詫び申し上げますと共に、痛切に反省したいと思います。

この報告書は諸団体へ提出したものを一部手直しして掲載致しました。

平成19430