YASUHIRO  独り言  

    山と医療の本音トーク

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4月12日(土)

医療でも山スキーでも本当に自分のスキルを磨こうと思うなら自分よりレベルが高いと思う人とパートナーを組まないと決して上達しないだろう。この人には勝てないかも知れない,自分より上を行っているかも知れないと思う人と組んでこそ初めて自分に磨きがかかる。切磋琢磨する関係があってこそ人は進歩する。明日はまだ滑った事の無い山域に入ってみたい。この時期太陽が出ると標高の低い場所では雪が腐って滑りが楽しめない。曇り空なら雪質もまずまず保たれる。明日は曇り空のようだからまずまず楽しめるだろう。明日もハード山行になりそうだから出発は朝3時頃,またも寝不足になりそうだ。

笠が岳

奥穂の雪壁を登る僕


4月11日(金)

医者と言う仕事はある意味で社会的な責任を負っている。どこにいても常に患者さんの事が気になるものである。今は携帯電話があるから便利になったがそれが無い時代でも24時間ポケットベルを持っていた。山に入っている時でもできるなら一刻でも早く連絡がつく下界に帰らなければと言う観念に捕われている。だから山行中も可能な限り削げる時間は削いでいる。山頂でのんびりたたずむという事は無いし,ゆっくり食事を楽しむという事も無い。そのような時間があれば一刻も早く下山しなければと思っている。ただハード山行中は常にカロリー補給をしなければ足がスムーズに前に出なくなる。時間をかけずにカロリーが補給できなおかつ美味しく喉が乾かないものとして僕は各種ゼリー飲料を愛用している。先日の槍穂山行では6ヶのゼリー飲料を持って行った。1ヶ約150kcalなので大体1000kcalの補給になる。凍らして持って行き山行中一番美味しい状態になるように調節してポイントポイントで飲んでいる。下りは無くても済むので先日の山行でも最後の一個は奥穂に登る直前に消費した。おかげで最後まで足はばてる事は無かった。その他歩きながら食べられる飴なんかをポケットに入れたりしている。厳しい山行が多い事もあるが山行中はできる限り省ける時間は省いている。のんびりしている時間があれば前夜の睡眠時間に当てた方が良いとも思う。どこへ行くにも日帰りしか選択が無いと言う環境なのである。

槍の雪壁をダブルアックスでよじ登る名人

槍山頂から見た北鎌尾根,この時期中々厳しそうだ。


4月10日(木)

今週胃が痛いと言う患者さんが来院した。胃が痛く牛乳を飲んでみたが良くならないので検査をして欲しいという事だった。胃カメラを行った。予想通り十二指腸潰瘍を認めピロリ菌も陽性だったので除菌も行う事にした。しかし話はそれだけでは終わらなかった。夜になって胃薬を飲んだが痛みが引かないというのだ。僕が処方した薬で痛みが引かない訳は無いと思った。夜も遅いので痛みが引かなければ別の病気が隠れている可能性もあるから救急病院に紹介するからと説明して電話を切った。翌日患者さんが再度来院した。少し痛みが引いたので朝まで待って来ましたと言う。もしやと思い心電図をとってみた。もしやの心筋梗塞であった。心筋梗塞の場合一般的には胸の痛みを訴えて来る事が多いがこのように胸の痛みを胃の痛みと勘違いして来る人もいるのである。すぐに救急車を呼んで専門病院でカテーテル治療を行ってもらった。午後から家族が来院して無事治療は成功しましたと報告を受けた。自然もそうだが人の体も一筋縄では行かない。過去に心筋梗塞で胃が痛いと訴えて来院したケースは稀だが何度かあった。

白出コルからみた前穂


4月9日(水)

快晴の休日だが本当に久しぶりに山へは行かなかった。入院中の患者さんから会いに来てコールが入り,往診に行くしかないなと山を諦めた。個人経営だが院長という職務は実に様々な仕事が舞い込む。職員の人事,医師会との付き合い,関連病院との付き合い,学会との付き合い,様々な原稿依頼など舞い込んだ仕事を如何に早くこなすかと言う能力が試される。僕が動かなければ何も始まらないからである。さて昨日も便が出なくなったと言うおじいちゃんが来院した。一度も検査はした事が無いと言う。下剤をかけても中々腸の中がきれいにならない。下剤ももう飲めないと言うので最後の手段で胃カメラから追加の下剤を注入した。午後遅く何とか検査ができる状態になり検査を行った。とても長い腸で苦労したが特に異常が無い事を説明した。結果説明を行い,ではお元気でと言うと帰り際いきなりおじいちゃんから両手を掴まれ握手された。(本当に有難う,安心しましたと)一昨日は若い女性,昨日はおじいちゃんと,握手を求められる事は嬉しいものだ。

白出沢をかっ飛ぶ僕,まだまだ余力は十分だった。

さあ新穂高へ急ごう


4月8日(火)

昨日は気が張っていたため仕事中も疲れる事はなかった。ただ仕事が終わった夜7時から再び当直勤務の当番が当たっていたので休む間も無く救急センターに駆けつけた。夜7時から深夜12時までの追加の仕事はさすがに疲れた。もう勘弁して欲しいという感じだった。ただ昨日は嬉しい事もあった。人間ドックで便濳血が引っ掛かり検査を受けに来た若い患者さんに思わぬ病気が見つかり無事手術を終えた。僕にとってはいつもの出来事だが,患者さんはよほど嬉しかったのか帰り際に(先生有り難うございます。握手して下さい)と握手を求められた。若い女性だったから正直照れくさかったがならばと握手した。昨日も医者になって良かったと内心嬉しかった。一昨日の槍奥穂のワンディ山行は反響が大きかったので早速詳しい写真解説を作成する事にした。鉄は熱い内に打たなければ意味は無い。槍穂ワンディ山行へ

見上げる奥穂の稜線には巨大な雪庇群がぶら下がっていた。

槍中腹から僕も飛ばせてもらいました


4月7日(月)

昨日は帰宅が夜10時と遅れそれから風呂に入ったり食事をしたり記録を整理したりと寝るのが深夜1時頃になった。25時間連続で起きていた事になったが今朝6時に起きたら体はスッキリしていた。最後奥穂の登りはスキーをかついでの厳しい膝ラッセルだったが絶対に山頂に立ってみせると言う強いモチベーションだけは最後まで切れる事はなかった。もし途中で敗退していたら今朝の疲れも尋常では無かっただろう。気持ちが切れなければ疲れもそれほど残らないものである。雪の多いこの時期に一日で槍と奥穂の山頂に立つと言う馬鹿馬鹿しい山行だったが僕達には真剣勝負だった。雪の多い涸沢は小屋も完全に埋まっており人っ子一人登山者はいなかった。

昨日のコース  累積標高差3560m

槍山頂余裕で到着

槍中腹から滑降

奥穂目指し涸沢を登りあげる

白出コルまで最後の標高差300mは厳しい膝ラッセルだった


4月6日(日)

時には気力と体力の限界に挑戦したい。槍と奥穂のワンディ登頂は累積標高差3560m
17時間の旅
だった。

【山域】槍ガ岳3180m  奥穂高岳3190m
【場所】岐阜県
【日時】2008年4月6日(日)
【コース】新穂高―槍が岳―天狗原―横尾本谷―涸沢―奥穂―白出沢―新穂高
【メンバー】僕・名人
【装備】フォルクル・マウンテン 156cm,ディアミール3,ガルモント(僕)   
    バーティクト 170cm,ディアミール,ガルモント(名人)
【天気】一日快晴

1.00  1110m 新穂高発
2.21  1540m 白出沢
3.30  1750m 滝谷
4.16  1990m 槍平小屋
7.00  3010m 飛騨乗り越し
8.15  3180m 槍ガ岳山頂
10.09  2600m 天狗原
10.50 1900m 横尾本谷と涸沢合流点
12.04 2300m 涸沢ヒュッテ
2.21 2983m 穂高岳山荘
3.26 3190m 奥穂高山頂
4.11 2983m 穂高岳山荘
5.38 1540m 白出沢
6.07 1110m 新穂高着

2008年4月5日(土)仕事が終わり急いで名人の待つ新穂に向かう。夜9時半到着、すぐ
に宴会して夜10時にお開き、明日は深夜1時に出るよと別れた。

2008年4月6日(日)深夜12時起床。1時間半は眠れたか。眠いが行くしかない。

1.00  1110m 新穂高発 ロープウェイ駐車場はもう有料に変わっていた。満天の
星を見上げ黙々と歩く。ハイペースで行く。先は長い。

2.21  1540m 白出沢 しばらく進んで河原に下りて左岸を進む。チビ谷のデブリ
は新雪でおとなしくなっていた。

3.30  1750m 滝谷 ここまで2時間半、いいペースだ。

4.16  1990m 槍平小屋 ようやく到着、冬季小屋に入ると前泊登山者が朝食を取っ
ていた。今日は槍だろうか。お先にと挨拶をして飛騨沢を進む。時間が早くクラスト
していて難儀だった。ひたすら高見を目指す。

7.00  3010m 飛騨乗り越し さあ槍まで少しだ。誰もいない槍をアイゼンで登る。

8.15  3180m 槍ガ岳山頂 今日は素晴らしい展望です。槍沢も良く見える。さあ
先は長い急ごう。槍中腹から槍沢目指し滑降。一部モナカもあるが許す。

槍沢を2500mまで滑って天狗原に登り返す。日陰斜面は踝ラッセルだった。

10.09  2600m 天狗原 池はもちろん隠れていた。標高2700mまで登り上げいよいよ
横尾本谷の滑降。しかし雪はモナカで厳しい滑りだった。

10.50 1900m 横尾本谷と涸沢合流点 標高差700mの滑りで合流点に来た。
さあここからが勝負だ。黙々と奥穂を目指す。

12.04 2300m 涸沢ヒュッテ まだ雪の下だったここから傾斜は急になる。壺足、
スキーと忙しかった。

2.21 2983m 穂高岳山荘 予定より21分遅れ、さあ奥穂待ってなさい。今日はラ
イト覚悟だ。雪壁はダブルアックで行く。

3.26 3190m 奥穂高山頂 着きましたやりました。さあ長居は無用帰ろう。白出
沢が凍ってしまう。

4.11 2983m 穂高岳山荘 ここで板を付け。白出沢に飛び込んだ。西日が当たり
緩んでいた。後は一気に下るのみ

5.38 1540m 白出沢

6.07 1110m 新穂高着 長い一日だった。念願叶い大満足の一日だった。

槍へ

奥穂山頂


4月5日(土)

残雪期山スキーシーズンに突入した。冬の間,名人共々厳しいラッセルに耐えて来たが如何ほど体力作りができただろうか。もう先日の四ッ岳のようなパウダーを楽しめる事は無いだろうがこれからは蓄積された体力を生かしてこの時期にしかできないロングコースの山スキー山行を行ってみたい。板もこの時期に合わせて150cm台の細めの板が主流になる。スキーがあるからこそできるような山行,この魔法の道具を駆使しない訳には行かない。

四ッ岳

大滝川の徒渉点


4月4日(金)

山スキーにおいて費やされる時間と労力の大半は登っている際のものである。重い荷物を担いで時には雪の中をラッセルすることは大変な筋力を消費する。折角山頂まで辿り着いても既に体力を使い果たせば滑るだけの筋力も持たなくなくなってしまう。下りの滑りでいかに疲れ無い滑りをするかと言う事は大切な事である。疲れずそれでいて楽しい滑りが山スキーでは理想的である。コンマ一秒を争うアルペンスキーとは当然異なる滑りになる。雪に逆らわない体力を消費しないようなただ重力のみに従って落ちて行くような自然な滑りが一番疲れず楽しく滑れるような気がする。残雪期は特に雪が重くなり足の疲労も半端ではなくなる。雪に逆らわない自然体の滑りを心掛けたい。

僕のパウ

僕のパウ2

バーティクト180cmも良く浮いてくれました


4月3日(木)

昨日の四ッ岳は久しぶりのラッセルで疲れたが下山後名人と二人で平湯の森で温泉に入り温泉,水風呂と交互に何度も入った。そのおかげで今朝は体がとても軽い,ほとんど疲れは残っていない。目覚めも早く朝5時には自然に目が覚めてしまった。昨日は久しぶりのパウダーでまた厳冬期のような感動が蘇った。昨日の四ッ岳で今期の山スキー回数は35回目となった。記録に残していない山行も含めるともう少し増えるが,今シーズンも随分雪に楽しませてもらっている。今シーズンは昨年オフシーズンの自転車を使った体力作りの成果もあってか体調は良いようだ。名人も絶好調と昨日はガンガンラッセルを飛ばしていた。4月から新年度だが昨年度も仕事は忙しくて内視鏡件数は年間で6300件と超ハードな一年だった。仕事が忙しければ忙しいほどストレス解消に山スキーに出かけてしまうと言う好循環になっているのかも知れない。山も仕事も忙しくて休んでいる時間はなさそうだ。

穂高を背景に

パウダーシュプール

四ッ岳北面台地にて


4月2日(水)

季節はずれの寒波が来たという事で激パウメッカの四ッ岳に出かけました。ラッセル
は厳しかったですが予想通りの激パウでした。

【山域】四ッ岳
【場所】岐阜県
【日時】2008年4月2日(水)
【コース】平湯キャンプ場―大滝川徒渉―四ッ岳山頂往復
【メンバー】僕・名人
【装備】BD バーティクト 180cm,TLT,ガルモント(僕)   
    K2 Pontoon 189cm,TLT,ガルモント(名人)
【天気】晴れのち曇り

4.00 1310m 平湯キャンプ場発
5.39 1600m 大滝川徒渉
8.46 2400m 四ツ岳北面カール地形
10.01 2744m 四ツ岳山頂着
10.20 2744m 四ツ岳山頂発
10.59 1600m 大滝川徒渉点
11.49 1310m 平湯キャンプ場着

2008年4月1日(火)前夜仕事を終えて平湯へ直行、平湯温泉から路面に雪が残っている。
ここ数日でたんまり雪は降ったようだ。名人は除雪されていないキャンプ場の駐車場
をハイエースでしっかり踏み固めてくれていた。感謝感謝。さあ宴会して寝るよ。

2008年4月2日(水)朝3時起床。雪はたんまり、今日もラッセル頑張るよ。名人はポン、
僕はめっきり出番の無くなったBD バーティクト 180cmを今シーズン初めて持ち出し
た。この板も極太マシーンだ。

4.00 1310m 平湯キャンプ場発 オオー久しぶりのラッセルだ。ポンも喜んでく
れるだろう。僕のバーティクトもラッセル上手だ。いきなりのラッセルを名人と交代
しながら登り上げていく。雪は豊富で問題ない。

5.39 1600m 大滝川徒渉 徒渉点も随分雪は多い、ブリッジは2m程の厚みだ。
北面台地に登り上げてからも雪は豊富で自在にルートは取れる。ラッセルはポンで靴
程度だ。BD180cmもかなり楽にラッセルできる。交代で標高差200mを目処にラッセル
を続ける。名人ごまかさないでね。今日は風が冷たい、冬に逆戻りだ。

8.46 2400m 四ツ岳北面カール地形 この辺りも雪は豊富で斜度は緩く運動場の
ような雰囲気だ。快適な登り上げだ。

標高2600mを越えるとクラストしておりクトーの無い名人はアイゼン歩行とした。TLT
用140mm幅の手作りクトーを手に入れた僕はOさんに感謝しながらこのクトーでガンガ
ンクラスト斜面を登り上げる。強度も完璧で山頂まで問題なく登り上げる事ができた。

10.01 2744m 四ツ岳山頂着 着きました。風は強いですが帰りのパウダーを想像
すればにんまりです。

10.20 2744m 四ツ岳山頂発 名人いくぜよ。激パウよ。上部はクラストしていた
がエッジを効かせて快適に下りる。2600m以下は激パウ三昧だった。この感触やはり
最高です。ポンもBDも良く浮いてくれました。今日は大満足です。

10.59 1600m 大滝川徒渉点 あっという間の快楽でした。激パウは花火のような
快楽な訳です。これで苦労も報われました。最後までパウを楽しみましょう。
 
11.49 1310m 平湯キャンプ場着 今日も楽しかったです。このパウのために頑張っ
て働いている訳です。

四ッ岳も雪はまだまだ豊富です。当分楽しめそうです。

四ッ岳北面台地ラッセル

四ッ岳目指して

北面カールは運動場のような雰囲気

Oさんから頂いた手作り140mmクトー,完璧な出来栄でした。感謝感謝

四ッ岳山頂から

パウ名人,笑いが止りません。


4月1日(火)

昨日もそこそこ忙しい一日だった。大腸カメラを受けに来た患者さんは相変わらず多く年齢も15才から90才と幅が広くかなり気を使った。年齢が若くてもおかしな腹部症状が続く場合は必ず検査を勧める事にしている。若いから病気が無いと言う事は無い,若い年齢に多い特殊な病気が見つかる場合もあるからである。腸を洗浄するまでには時間がかかるが検査自体は早ければ5分前後で終わるので何か病気があるかもと心配するより検査をして何も無いと安心する事の方がずっと有益な場合が多い。さて今朝は肌寒い,山では随分新雪が増えたかな。明日はパウダーだろう。久しぶりにブラックダイヤモンドのバーティクト180cmを使ってみよう。これに合う幅広クトーが無くて使用をためらっていたが先日Oさんに作成してもらったPontoon用のクトーを使う予定。明日は楽しみな一日になりそうだ。

名人パウ

火打パウ

北面台地の背後には鉾が岳が


3月31日(月)

今朝起きていつもより疲労感が強い,笹倉温泉から火打山の日帰りは残雪期の定番だが昨日は降雪直後と言う事で山頂までロングチビラッセルが続いた。板も久しぶりに重いファットスキーを持ち出したので足の負担も強かった。火打の登りで通常と違うコース取りをした事が結果的に更に疲労を増幅する結果となった。板で登っていれば踝程度のラッセルで済むが板を脱いだ途端に膝上まで沈むラッセルに僕達は苦しめられた。8時間もかけて登った火打山だがスキーで下れば1時間半だった。久しぶりに昨日はパウダーに出会えて苦労した甲斐があったと言うものだろう。この焼山北面台地,景観は日本屈指のスケールである。

アマナ平まで来ると遥か火打がようやく見えた

左火打,右焼山

火打は左の三角,赤が正しいコース,青にはまり上部でドン詰まりスキーが使えずつぼ足で登り切った

ここは日本屈指の景観


3月30日(日)

笹倉温泉から標高差2000mのチビラッセルに耐え火打山頂から重いパウダーを楽しみ
ました。雪量もまずまずで快適スキーでした。

【山域】火打山 2461m  詳細なコース案内へ
【場所】新潟県
【日時】2008年3月30日(日)
【コース】笹倉温泉―焼山北面台地―火打往復
【メンバー】僕・名人
【装備】アトミックシュガーダディ 153cm,ディアミール,ガルモント(僕) 
    BDバーティクト170cm,ディアミール,ガルモント(名人) 
【天気】晴れのち曇り

5.00  450m 笹倉温泉
6.05  750m 九十九折り林道終点
7.30  1000m アマナ平
8.12  1235m 焼山北面台地
11.39 2000m 尾根乗越し
12.43 2350m 火打と影火打間の鞍部
12.59 2461m 火打山頂
1.13  2461m 火打山頂発
2.12  1000m アマナ平
2.47 450m 笹倉温泉

2008年3月29日(日)いつものように糸魚川すし活経由で笹倉温泉に入った。除雪はこ
こまでだった。雪量は例年より少し多いくらいか。名人は深夜2時に着くという事で
先に酒を飲んで寝た。

2008年3月30日(日)朝4時起床。知らぬ間に名人の車は横付けされていた。名人は2
時間ほどは眠れただろうか。4時半に挨拶に行くともう名人も起きていた。寝不足で
かわいそうだからすし活の細巻きを差し入れしてあげる。

5.00  450m 笹倉温泉発 路面は凍結していて歩きやすかった。九十九折りに入る
と前日の雪が10cm程積もっており踝ラッセルだった。この辺りも雪は多い。

6.05  750m 九十九折り林道終点 ここからアマナ平を目指す。いつ来ても道は複
雑で今日も少し迷ってロス。

7.30  1000m アマナ平 この辺りも雪はまずまず多い。ここからの北面台地の登り
はラッセルは少し厳しくなる。今日はファットが正解だ。

8.12  1235m 焼山北面台地 空は快晴、焼山が良く生える。いつ来ても素晴らしい
光景。うまくルートを取り賽の河原も無事横断、眼前に聳える火打を目指す。

今日はいつもと違うコース取りをしようと通常の一つ手前の沢から入った。しかしこ
れは失敗、上部で急斜面に阻まれ壺足膝上ラッセルになった。大いに時間を食った。
来るんじゃなかった。

11.39 2000m 尾根乗越し 難儀してようやく通常の尾根を乗り越した。この辺りか
ら雪面は堅くなりスピードは上がった。

12.43 2350m 火打と影火打間の鞍部 さあもう一息だ。

12.59 2461m 火打山頂 無事到着、天候は下り坂、視界は悪くなった。風も強く早
く下りよう。

1.13  2461m 火打山頂発 帰りは快適だ。標高2000m辺りから素晴らしいパウダー
が続いた。この感触最高です。北面台地まで下ると雪は重く、後は消化試合だった。

2.12  1000m アマナ平 もう小雨もきそうだ、一気に行くしかない。

2.47 450m 笹倉温泉 無事ゴール、片づけをしていると雨が強くなった。ギリギ
リセーフだった。帰りは焼山温泉で汗を流し雨降る高速を帰路を急いだ。


アマナ平

焼山北面台地

焼山

火打山


3月29日(土)

長年ピロリ菌が原因の十二指腸潰瘍に悩まされていると言う患者さんが来院した。最近もやはり再発して胃痛が続くと言う。胃カメラを行うと案の定潰瘍は再発していた。過去に一度除菌を試みたが薬の副作用で蕁麻疹が出てしまい服薬は中止して除菌は成功しなかったと言う。除菌の際には3種類の薬を飲むのだがどの薬で副作用が出たのか分からず再除菌も拒否されたので先生の所で何とかしてくれないかと相談に来られた。難しいケースである。どの組み合わせなら大丈夫なのかの調査から始めて副作用が出た薬をはずしたオリジナルの組み合わせで駄目元で再除菌を試みた。ダメかも知れないが頑張ってみます。オリジナルの組み合わせで除菌を行い,5週間後再度カメラを行ってみた。潰瘍は治癒して除菌も成功していた。患者さんは大喜びだった。何十年もこのピロリ菌で悩まされていたのに本当に消えて良かったです。十二指腸潰瘍は除菌が成功すれば再発する事は無い。時には機転を利かして治療する事も大切だ。


3月28日(金)

休み明けの昨日はいつも以上に患者さんで院内は混み合っていた。患者さんの待ち時間も1時間以上になる事はざらでとても申し訳なかったが,山のような数の検査と外来の狭間でただただラッセルのように仕事を続けるしか無かった。一番忙しい時間帯に昨日から胸が痛いと言う方が来院した。それほど危機感は無く,自分で車を運転して来たと言う。それではと心電図を取ってみた。驚いた。急性心筋梗塞だった。本人に伝えてもそれほどピンと来ないようだ。すぐに安静にさせ救急車を呼んで心臓専門医に搬送した。緊急カテーテルの結果やはり100%閉塞の急性心筋梗塞だった。術後急速に症状は改善されたと担当医から連絡があり安堵した。過去に急性心筋梗塞で突然不整脈を起こして心肺停止状態になった方を幾人も見て来た。とっても恐い病気である。人は見掛によらないと言うが,病気も見掛によらず恐い場合がある。

昨年暮れ大きな雪崩で犠牲者が出た槍平。全く雪崩が起きるような場所には思えなかった。自然も見掛によらず恐い。


3月27日(木)

昨日の飛騨沢山行で昨年暮れに槍平で起きた雪崩後を詳しく確認した。中崎尾根から落ちた雪崩が沢を伝って槍平小屋まで流れて来たと言う事だ。現場を見てとても雪崩が小屋付近まで流れて来るなんて想像できなかった。かなり距離があるからである。昨日の気象条件は厳しかったが自然は時に想像を超えた牙を剥くことがある。人の想像を遥かに超えた現象を引き起こすためどれだけ注意していても叶わない。自然とはそう言うものだと理解してつき合わなければならないのだろう。飛騨乗越からのホワイトアウトの滑降で不思議な事が分かった。先頭で滑るとほとんどまともな滑りはできないが,二番手三番手はそこそこうまく滑る事ができるのである。先頭が滑ったシュプールが雪面に残るとそれを頼りに平行感覚や斜度の確認調整ができるのである。先頭の場合は全て白の空間の中平衡感覚がなくなり酔っぱらい運転となった。

標高2400mからようやくガスが晴れまともな滑りができるようになった。


3月26日(水)

激しい風雪の中飛騨乗越を目指したが、ホワイトアウトの中の厳しい滑降を強いられ
る羽目になりました。

【山域】飛騨乗越 3010m
【場所】岐阜県
【日時】2008年3月26日(水)
【コース】新穂高―槍平―飛騨乗越往復
【メンバー】僕・長男・名人
【装備】フォルクル・マウンテン 156cm,ディアミール3,ガルモント(僕)   
    バース7 150cm,ディアミール,ガルモント(長男) 
    バーティクト 170cm,ディアミール,ガルモント(名人)
【天気】一日風雪

3.00  1110m 新穂高発
5.15  1540m 白出小屋
7.25  1750m 滝谷
8.29  1990m 槍平小屋
12.20 3010m 飛騨乗越
12.40 3010m 飛騨乗越発
1.56  1990m 槍平小屋着
3.22  1540m 白出小屋着
3.50  1110m 新穂高着

前夜いつものように新穂で名人と待ち合わせ、長男と三人で宴会をして早めに切り上
げた。明日は朝3時出発だ。

2008年3月26日(水)朝2時起床、起きてびっくり雪が降っている。まあ雨でなくて良
かった。さあ先は長い。

3.00  1110m 新穂高発 湿った雪が除雪された林道に5cm程積もっている。担ぐか
シールで歩くか迷ったがシールで歩く。これが大きな誤算だった。

しばらくで除雪終了、本格的な歩行となるが早々にシールを濡らしてしまった長男の
板に湿った雪が猛烈な下駄となって張り付いた。何度もワックスを塗るが効き目なく
大幅に時間をロスする羽目になる。

林道は至る所で雪崩が発生していた。3月の異常な暖冬のためだ。

5.15  1540m 白出小屋 時間ロスでようやく着いたが長男の下駄は一向に解消され
る事はない。見るに見かねて僕の板と交換したが、長男は初めてのTLTの操作に誤り
クライミングサポートを壊してしまった。泣きっ面に蜂とはこのことか。

河原に下りてからも猛烈なデブリに唖然とした。チビ谷は凄かった。

7.25  1750m 滝谷 天候はずっと雪が降っており、とってもブルー

8.29  1990m 槍平小屋 なんとかここまで来た。冬季小屋に前泊登山者二名、今日
の悪天で引き返すという。ここで体制を整えて飛騨沢に突入する事にした。

槍平からはガスが濃くなり視界数十メートル、ラッセルもつらく重い雪に難儀した。
視界のない飛騨沢に危険を感じて雪質調査、新雪25cmの下に弱層がある、更にいくつ
か層があったが雪の結合はさほど悪くはなく慎重に行けば危険は少ないと判断した。

ホワイトアウトの飛騨沢を黙々と交代でラッセルを続ける。何も見えない中GPSだけ
が羅針盤となる。標高2500mを越えると風が猛烈に強くなる。心の中では皆もう止め
たいと思っていただろうが誰も口にしないので黙々と歩いた。

標高2800mを越えると長男のペースが落ち顔が風で打たれて尋常でない。さすがにも
うギブアップサインを出している、がクラストした急斜面でのシール剥ぎは危険と思
い平坦な飛騨乗越まで頑張るように励ます。

もう飛騨乗越は近いがホワイトアウトで何も見えないのでGPSだけを頼りに位置を確
認した。

12.20 3010m 飛騨乗越 何とかたどり着いたが風雪激しくサングラス内にも雪が吹
き込み何も見えない。早くこの地獄から脱出したい。長男は震えながら何とかシール
を外していたが時間がかかった。さあ下りよう。

12.40 3010m 飛騨乗越発 サングラスは凍り付き何も見えないので外したが目を開
けているのも大変だった。ホワイトアウトの中斜度も全く分からない。三人はぐれな
いように塊ながら下りて行く。めまいと吐き気までしてきた。酔っぱらい運転のよう
だ。

それでも標高2400m辺りからようやくガスがはれ視界が取れるようになった。やった
もうこっちのものだ。後は重いパウダーを楽しみながら槍平に下った。

1.56  1990m 槍平小屋着
3.22  1540m 白出小屋着 新穂高手前の林道で前泊登山者にようやく追いついた。
さすがにスキーは早いですねと驚いていた。
3.50  1110m 新穂高着

できれば長男を槍の穂先に立たせたかったが今日の悪天では飛騨乗越が精一杯だった。

滝谷にて

槍平下の沢


3月25日(火)

昨日地元の北国新聞社から白山の雪の状況について取材を受けた。積雪は市の瀬で1m弱,別当出合で2m弱,室堂で5m程だったろう。もちろんこの時期山頂に立つ事は容易では無いのでこの時期の山頂付近の写真は貴重である。今朝朝刊を見ると僕達のスキー登山が記事になったいて感激した。僕はこれまでも何度も記事になったのだが茶髪は初めて新聞に出たと少し喜んでいた。<良かったな,途中で敗退し無くて>頑張った甲斐があったろうと話をした。茶髪も今週末には北海道に戻るため明日もハードな山行に連れ出そうと考えている。久しぶりに名人とも休みが合うので楽しみだ。ただ天候が今一つなのでそれなりの装備と心構えで挑もうと考えている。明日も12時間近くの山行になるだろう。

別当出合の様子

気力を振り絞りようやく登頂

山頂から滑降

少しはスキーがうまくなったかな


3月24日(月)

朝起きてさすがに体中筋肉痛が出て来た。この時期例年なら百万岩から市ノ瀬の間まで除雪が進んでいる事が多いが昨日はほとんど除雪が進んでおらず昨年の厳冬期の白山日帰り登山を思い起こさせた。白峰から市ノ瀬は高度差もそれほど無いので行きも帰りも根性の歩きを強いられる。カーブを曲がっても曲がって目的先が見えずもういいかげんにしてくれと泣きが入った。早く着きたい一心でかなりハイペースになったため,僕の借り物の靴で歩いていた茶髪はすぐに靴擦れができてさすがに踵の部分に水膨れができていた。足は痛いのは承知していたが僕も心を鬼にして山頂まで諦めさせずに歩かせた。山スキーはある意味人生と同じで辛いからと目標を諦めて敗退してはいけないのである。頑張り抜いて目標を達成した時に始めて掴めるものも大きいのである。

別当手前で夜が明けた

まだ雪深い別当出合

疲れ果てて山頂に座り込んだ茶髪

室堂にて


3月23日(日)

帰省中の弟子に気合いを注入しようと往復約50km、標高差2200mの試練に連れ出した。
白峰ゲートから先の除雪はわずか2km程度で終わり、行きも帰りも弟子には辛い試
練だった。

【山域】白山 2702m
【場所】石川県
【日時】本日 2008年 3月23日(日)
【コース】白峰−市ノ瀬−別当出合−砂防新道−白山−観光新道−市ノ瀬−白峰
【メンバー】僕・茶髪(現役山スキー部)
【装備】 フォルクル・マウンテン 156cm,ディアミール3,ガルモント(僕)  
     バース7 150cm,ディアミール,ガルモント(茶髪)
【天気】曇り

1.12 510m 白峰ゲート発
3.58 830m 市ノ瀬
5.58 1240m 別当出合
8.50 1970m 甚ノ助ヒュッテ付近
9.57 2320m 弥陀ケ原
10.30 2450m 室堂
11.33 2702m 白山山頂
11.48 2702m 白山山頂発
12.43 1240m 別当出合
1.25 830m 市ノ瀬
3.27 510m 白峰ゲート着

北海道で修行中の茶髪だが、少しは技術体力共に向上しただろうか。いいとこ連れてっ
てやるからと白山に連れ出す事にした。前夜白峰ゲート前で車中泊。どこまで除雪が
進んでいるか。ワクワクしながら弟子と枕を並べて寝た。

2008年 3月23日(日)なにやら胸騒ぎ、深夜12時半に目が覚めた。弟子を起こしてさ
あ行くぞと支度した。

1.12 510m 白峰ゲート発 自転車にまたがりいざ、どこまでも除雪が進んでおく
れと期待するも路面は凍結している事が多く押し歩き頻回、おまけにわずか2kmで
除雪は終わっていた。そんなバナナ。ウウー、ここから歩きなのか。茶髪早くも真っ
青。

ここからハイペースでガンガン行く。徐々に茶髪との差は開いていく。時折大声で頑
張れと励ます。

3.58 830m 市ノ瀬 ようやく到着、おくれて茶髪到着。もう靴擦れがひどくて
歩けないと泣きを入れる。甘えるんじゃないと気合いを注入、頑丈にテーピングして
尻を叩く。雪は十分だ。ここから林道はカットカットで進む。茶髪は靴擦れとの闘い
だった。

5.58 1240m 別当出合 ようやく夏の登山口だ。すでに4時間40分。かなり疲れた。
ここから一本橋を渡り急な尾根に取り付いた。林道交差を過ぎてから茶髪のペースは
一気にダウン。もうアカンとまた泣きが入る。

山スキーは人生だ。こんなことで投げ出していいのかと説教する。茶髪も気合いを入
れ直し根性出すという。

8.50 1970m 甚ノ助ヒュッテ付近 小屋は完全に埋まり場所も分からなかった。
この辺りから斜度が増しクラストしたのでスキーを背負いアイゼンで歩く事にした。

靴擦れと疲労で茶髪は10歩歩いて休憩と益々ペースは落ちる。もう気合いだけだ。

9.57 2320m 弥陀ケ原 
10.30 2450m 室堂
さあ山頂までもうすぐだ。行くしかない。最後の気力を振り絞り山頂を目指す。

11.33 2702m 白山山頂 やった。山頂だ。茶髪は座り込んだまま。出発から10時
間40分、長い道のりだった、さあ休憩したら滑るだけ。

11.48 2702m 白山山頂発 クラスト斜面をガンガン行く。茶髪も少しはうまくなっ
たようだ。室堂の大鳥居も頭がわずかに出ているくらいだった。下山ルートは観光新
道大斜面を滑る事にする。標高2000mから下はようやくザラメになってきた。快適な
り。

12.43 1240m 別当出合 帰りは早いあっという間です。ここからも市ノ瀬までス
キーは走った。

1.25 830m 市ノ瀬 さあここからも帰りの試練だった。

3.27 510m 白峰ゲート着 ふーっ正直疲れました。茶髪ご苦労様、まあ最後まで
靴擦れに耐えて頑張りました。

白峰からの白山は甘くはなかった。

恐怖の一本橋

稜線直下 もうまるでペースの上がらない茶髪

稜線でようやく白山が見えた

室堂を眼下に

ようやくゴールです

観光新道を滑る


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一度しかない人生,毎日が完全燃焼できるような日々を送りたい。