寝ても覚めても

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寝ても覚めても:三拍子そろったヤジ将軍=冨重圭以子

 札幌ドームでは、日本ハムの投手がピンチを迎えると、拍手がわき起こる。「頑張れ」と励ます拍手だが、最初はピンチを歓迎しているのか、とびっくりした。今季から日本ハムを担当する記者は違う意味で驚いていた。「何てやさしい応援なんでしょう」

 確かに、応援は昔よりもやさしくなった。かつては相手チームの選手はもちろん、好きなチームの選手でも、ふがいないプレーには容赦のないヤジが飛んだものだが、いまは励ましの拍手だ。声を合わせる整然とした応援のおかげか、スタンドのヤジ将軍も見かけなくなった。ちょっと寂しい。

 楽天の野村克也監督が、南海時代の話をしてくれた。「昔の大阪球場には、見事なヤジを飛ばすおっさんがおってな」と言う。「声がいい、タイミングがいい、内容がいい」。野村さん、絶賛である。ただ、西鉄の三原脩監督のファンだったようで、ヤジの一番の対象は南海の選手だった。

 声とタイミングは、その場にいないとわからないが、内容については、二つの例を挙げてくれたから、雰囲気はうかがえる。一つは「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞかなしき」。後拾遺和歌集の兼明親王の歌で最後は本当は「あやしき」らしい。有名になったのは、江戸城を築いた太田道灌の逸話のおかげだ。雨に降られ、農家で雨よけの蓑(みの)を借りようとしたら、農家の娘は山吹を差し出した。「貧しくて蓑の一つもありません」ということを、古歌になぞらえて示したという話である。

 三原ファンのヤジ将軍は、のちに監督も務めた穴吹義雄選手が出てくると、山吹にひっかけて、この歌を朗詠したそうだ。走者が出たって、実(得点)にはつながらない、と皮肉ったのだろう。

 野村さんが教えてくれた、もう一つのヤジは、半田春夫選手が打席に入るときの「これから、ハワイの真空切りをお目にかけます」。半田選手がハワイ出身であることを踏まえ、空振りするぞ、とやじったのだ。

 大阪球場のヤジ将軍が声を発すると、スタンドはわっとわき、南海のベンチでは「やめてくれ」と耳をふさいだそうだ。「でも、よう通る声でな、きこえるんだよ」。ヤジの奥深さにも感心するが、半世紀近く前のヤジを覚えている野村さんもさすがだ。

 差別的なヤジはごめんだが、何十年も残るような名ヤジを飛ばす将軍、どこかにいませんか。(専門編集委員)

毎日新聞 2008年4月11日 東京夕刊

 

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