わが聖地・チベットの苦しみ:野口健(アルピニスト)(2)
2008年4月10日(木)14:48(1から続き)
ダライ・ラマの言い分は正しい
山際 野口さんはどのようなかたちでチベット人と交流されるんですか。シェルパ(山岳案内人・荷運び人)と一緒に登頂するときでしょうか。
野口 ネパール人はイギリスの影響でシェルパとして登山隊のサポート要員となったりしますが、チベット側にはそういう文化がありません。チベット人は、ベースキャンプのさらに上のほう、ヤクが上がれるところまで、ヤク使いとして来るんです。6000メートルぐらいまでは、チベット人と一緒に登る。あるいはチベット登山協会という組織があって登山家たちの面倒を見てくれますが、そこでもさまざまな話をする機会があります。
山際 聖火をエベレストに上げる、という話がありましたが、チベット人にとってエベレストは神様の宿る「聖なる山」です。心情としていたたまれないのではないか。中国に対するチベット人の本心を、野口さんはお聞きになったことがありますか。
野口 表面的にはなかなかわかりませんが、親しくなると本音を語りますね。ダライ・ラマがインドに亡命したあとに、中国が認可したパンチェン・ラマというお坊さんがいます。チベット仏教ではダライ・ラマに次ぐ高僧ですが、チベット人は彼を傀儡だ、と思っている。象徴は必要ですから、とりあえず認めてはいますけど。
今回の暴動について中国政府は、ダライ・ラマが裏で糸を引いている、といっています。しかし本人は否定しています。私はダライ・ラマの言い分が正しい、と思う。もしほんとうに彼が「戦え!」といえば、あの程度では済みません。一億玉砕のようなことが起きるでしょう。
山際 ダライ・ラマに対する尊敬心や宗教心が、チベット人にはまだ根付いているんですね。
野口 そうですね。しかしそれはイラスム教徒的な盲目心ではありません。ダライ・ラマとはチベット仏教の象徴であると同時に、チベットそのものの象徴です。長きにわたってチベットは中国に支配され、虐げられ、苦しんできた。国力が違いますから、まともに戦っても勝てません。だからじっと耐えてきたし、どこかで中国の一部になるのをよしとした部分すらあるように思います。中国の政策によってものが溢れ、町全体も裕福になった。いまのほうが快適だ、と若者などは思っているのではないでしょうか。
しかし裕福になれば、新しい問題が起きる。アルコールが入ってきて、チベット人は酒を飲みますから、中毒者が増え、ラサでは酔った浮浪者が徘徊している状況です。経済格差も発生し、社会の脱落者が出てきた。精神的にすさんでいくわけです。
外交官だった私の父(野口雅昭氏・京都文教大学教授)は、戦後教育が日本の心を壊していくのを目の当たりにした、といいましたが、中国もチベットに対して同じことをやろうとしている。あからさまな弾圧はできないから、精神構造から崩していくという戦略です。
山際 ダライ・ラマは、「文化的ジェノサイド」といいましたね。チベット独自の文化や伝統を宗教も含めて根絶やしにし、チベットの生息空間をなくそうとしている。インドに亡命しているダライ・ラマの姉も「魂が大事で、それを失ってしまえば民族は滅びる」と発言しているようです。
中国の同化政策とは、一言でいえば、「魂を奪う政策」です。チベットの寺院では中国の愛国主義教育、つまり中国共産党を讃える教育まで行なっているという、驚くべき実態がある。
野口 「共産党バンザイ」という文言が、町中の至るところに書いてありますからね。しかし最後の最後、その文化の部分でチベット人はダライ・ラマに寄り添い、必死に抵抗している。耐えてきた彼らがついに爆発した。それが今回の騒乱です。
山際 チベットはもともとは独立国家です。チベット人の全人口は600万人程度なのに、中国によって100万を超えるチベット人が虐殺されてきた。チベット出身のペマ・ギャルポさんの話を聞くと、家族が1人も虐殺の目に遭っていない人は見当たらないそうです。そのような扱いを受けても、彼らはけっして武力で抵抗しない。
野口 短刀はもっていますが、実際に使用することはありません。
山際 そんなチベット人に対し、中国政府は、「人民戦争だ」と言い放った。戦争状態だから、銃撃し、殺してもよい、としたのです。
野口 中国はいつもそうで、ナンパ・ラ峠でチベット人への銃撃が話題になったときも、初めは事実すら認めませんでした。しかし映像が世界に行き渡ってしまうと、「チベット人が危害を加えてきたから、正当防衛で撃った」と訂正した。今回も同じで、最初は「発砲していない」といったでしょう。それが次には「警察が身の危険を感じ、正当防衛として威嚇射撃をした」と。死者の数についてもチベット亡命政府が「140人以上」、中国側は「20人」と食い違っている。
中国が20人しか撃ち殺していない自信があるなら、世界のメディアに「取材してください」といえばいい。しかし当局が取材許可を与えた海外メディアの記者は10数人、日本では共同通信社だけ。外国人旅行者ですら、多くがカメラやビデオを没収されている。没収自体が隠蔽行為です。
山際 「毒ギョーザ事件」に対する対応も同じですね。しかし、なぜこのタイミングでチベット人は暴動を起こしたのでしょうか。
野口 北京オリンピックで世界の目が中国に集まっているいまなら、国際社会が注目してくれる、と考えたのでしょう。戦略として正しいと思います。彼らには武力がありませんから、国際社会に訴えるしか手段がない。逆にいえば、彼らが必死で訴えるメッセージを、僕たちはしっかりキャッチしなければならないんです。
ダライ・ラマの言い分は正しい
山際 野口さんはどのようなかたちでチベット人と交流されるんですか。シェルパ(山岳案内人・荷運び人)と一緒に登頂するときでしょうか。
野口 ネパール人はイギリスの影響でシェルパとして登山隊のサポート要員となったりしますが、チベット側にはそういう文化がありません。チベット人は、ベースキャンプのさらに上のほう、ヤクが上がれるところまで、ヤク使いとして来るんです。6000メートルぐらいまでは、チベット人と一緒に登る。あるいはチベット登山協会という組織があって登山家たちの面倒を見てくれますが、そこでもさまざまな話をする機会があります。
山際 聖火をエベレストに上げる、という話がありましたが、チベット人にとってエベレストは神様の宿る「聖なる山」です。心情としていたたまれないのではないか。中国に対するチベット人の本心を、野口さんはお聞きになったことがありますか。
野口 表面的にはなかなかわかりませんが、親しくなると本音を語りますね。ダライ・ラマがインドに亡命したあとに、中国が認可したパンチェン・ラマというお坊さんがいます。チベット仏教ではダライ・ラマに次ぐ高僧ですが、チベット人は彼を傀儡だ、と思っている。象徴は必要ですから、とりあえず認めてはいますけど。
今回の暴動について中国政府は、ダライ・ラマが裏で糸を引いている、といっています。しかし本人は否定しています。私はダライ・ラマの言い分が正しい、と思う。もしほんとうに彼が「戦え!」といえば、あの程度では済みません。一億玉砕のようなことが起きるでしょう。
山際 ダライ・ラマに対する尊敬心や宗教心が、チベット人にはまだ根付いているんですね。
野口 そうですね。しかしそれはイラスム教徒的な盲目心ではありません。ダライ・ラマとはチベット仏教の象徴であると同時に、チベットそのものの象徴です。長きにわたってチベットは中国に支配され、虐げられ、苦しんできた。国力が違いますから、まともに戦っても勝てません。だからじっと耐えてきたし、どこかで中国の一部になるのをよしとした部分すらあるように思います。中国の政策によってものが溢れ、町全体も裕福になった。いまのほうが快適だ、と若者などは思っているのではないでしょうか。
しかし裕福になれば、新しい問題が起きる。アルコールが入ってきて、チベット人は酒を飲みますから、中毒者が増え、ラサでは酔った浮浪者が徘徊している状況です。経済格差も発生し、社会の脱落者が出てきた。精神的にすさんでいくわけです。
外交官だった私の父(野口雅昭氏・京都文教大学教授)は、戦後教育が日本の心を壊していくのを目の当たりにした、といいましたが、中国もチベットに対して同じことをやろうとしている。あからさまな弾圧はできないから、精神構造から崩していくという戦略です。
山際 ダライ・ラマは、「文化的ジェノサイド」といいましたね。チベット独自の文化や伝統を宗教も含めて根絶やしにし、チベットの生息空間をなくそうとしている。インドに亡命しているダライ・ラマの姉も「魂が大事で、それを失ってしまえば民族は滅びる」と発言しているようです。
中国の同化政策とは、一言でいえば、「魂を奪う政策」です。チベットの寺院では中国の愛国主義教育、つまり中国共産党を讃える教育まで行なっているという、驚くべき実態がある。
野口 「共産党バンザイ」という文言が、町中の至るところに書いてありますからね。しかし最後の最後、その文化の部分でチベット人はダライ・ラマに寄り添い、必死に抵抗している。耐えてきた彼らがついに爆発した。それが今回の騒乱です。
山際 チベットはもともとは独立国家です。チベット人の全人口は600万人程度なのに、中国によって100万を超えるチベット人が虐殺されてきた。チベット出身のペマ・ギャルポさんの話を聞くと、家族が1人も虐殺の目に遭っていない人は見当たらないそうです。そのような扱いを受けても、彼らはけっして武力で抵抗しない。
野口 短刀はもっていますが、実際に使用することはありません。
山際 そんなチベット人に対し、中国政府は、「人民戦争だ」と言い放った。戦争状態だから、銃撃し、殺してもよい、としたのです。
野口 中国はいつもそうで、ナンパ・ラ峠でチベット人への銃撃が話題になったときも、初めは事実すら認めませんでした。しかし映像が世界に行き渡ってしまうと、「チベット人が危害を加えてきたから、正当防衛で撃った」と訂正した。今回も同じで、最初は「発砲していない」といったでしょう。それが次には「警察が身の危険を感じ、正当防衛として威嚇射撃をした」と。死者の数についてもチベット亡命政府が「140人以上」、中国側は「20人」と食い違っている。
中国が20人しか撃ち殺していない自信があるなら、世界のメディアに「取材してください」といえばいい。しかし当局が取材許可を与えた海外メディアの記者は10数人、日本では共同通信社だけ。外国人旅行者ですら、多くがカメラやビデオを没収されている。没収自体が隠蔽行為です。
山際 「毒ギョーザ事件」に対する対応も同じですね。しかし、なぜこのタイミングでチベット人は暴動を起こしたのでしょうか。
野口 北京オリンピックで世界の目が中国に集まっているいまなら、国際社会が注目してくれる、と考えたのでしょう。戦略として正しいと思います。彼らには武力がありませんから、国際社会に訴えるしか手段がない。逆にいえば、彼らが必死で訴えるメッセージを、僕たちはしっかりキャッチしなければならないんです。
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