打坂地蔵尊
 〜勇気ある殉職、鬼塚車掌〜

 昭和22年9月1日午前10時ごろ、当時21歳の鬼塚道男(おにづかみちお)車掌は、西彼杵郡時津村(現在の時津町)打坂で、乗客の生命を救おうとして殉職した。

当時の木炭バス
当時の木炭バス
瀬戸営業所勤務の鬼塚車掌は、この日の朝8時、大瀬戸発長崎行の木炭バスに乗務、満員に近い客を乗せ、打坂を約30メートル上っていた。ところが峠の頂上まであと数メートルというところで、突然、ブレーキがきかなくなり、バスはずるずると後退を始めた。
 当時の打坂は急こう配で片側は10メートル以上の深い崖がひかえ、運転者仲間に"地獄坂"と恐れられていた坂だった。
 鬼塚車掌はすぐにバスを飛び降り、道わきの大きな石を車輪の下に入れたが、加速がついていたバスは石をはねのけ、崖まであと一歩と迫った。この時、鬼塚車掌はとっさに後部車輪の下に飛び込み、自らの体を輪止めにした。バスは間一髪のところでストップ、買い出しの主婦ら30数人は危うく難をのがれたが、鬼塚車掌は運転者とかけつけた同僚が病院に運んだ直後に息を引き取った。
 敗戦後の荒廃した社会の中、自らの命を犠牲にして乗客を救った鬼塚車掌の殉職は人々に大きな感銘を与えた。

 当社では、この勇気のある鬼塚車掌の行為を
たたえるとともに交通事故の絶滅を祈って、
昭和49年10月、事故現場近くに地蔵尊を
建立した。

――長崎自動車株式会社
    『五十年の歩み』より抜粋
打坂地蔵尊(元村バス停近く)
書籍:愛の地蔵(PDF形式) 通常版[9.7MB] / 高解像度版[19MB]
絵本:みちお地蔵(PDF形式) 通常版[3.5MB] / 高解像度版[10MB]
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