北京五輪の聖火リレーがロンドンやパリなど行く先々で、激しい抗議の嵐にさらされている。
5大陸21都市を巡る史上最長の聖火リレー。五輪開催に国の威信を懸ける中国が、世界へのアピールを狙い演出した。これを逆に、チベット暴動に象徴される中国の人権抑圧を世界に訴える最大のチャンス、ととらえたのが反対派だ。
スポーツの祭典である五輪の歴史は、残念ながら、国際政治の歴史と言っても言い過ぎではない。前触れでしかないはずの聖火リレーも、しばしば政治の渦に巻き込まれてきた。
聖火リレーが初めて行われたのは、1936年のベルリン大会。「古代と近代を結ぶ」聖火は、五輪発祥の地オリンピアから7カ国を北上して運ばれた。綿密な調査に基づく一糸乱れぬリレーは「ヒトラーの五輪」を大成功に導いた。
その後、第2次世界大戦に突入するや、ドイツ軍はこのルートをそのまま反対に南下し、ギリシャに侵攻する。このため、聖火リレーはナチスの陰謀だったのではないか、との見方が今も根強く残っている。
聖火リレーには、その起源から政治のきな臭さがまとわり付いていた、と言えるのかもしれない。
日本に立ち寄ったチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は、こう訴えた。「人間には心を表現する自由がある。中国はこれを認めるべきだ。表現する側も、暴力は絶対にいけない」。双方にかみしめてもらいたい言葉だ。
サンフランシスコでは、妨害を防ぐため急きょ、予定とは全く別のコースに変更され、聖火は人目を避けるように運ばれた。市民の一人はテレビのインタビューに「裏道をこそこそ走るなんて、この街には似合わないわよ」と。
私は思わず叫びそうになった。「オリンピックにはもっと似合わない」
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