2008.04.12
現在、多くの方々に、私ごときのブログを覗いていて、
本当にありがとうございます。
本当に嬉しい限りです。
今、私は新しいブログの開設を予定しております。
そうした中で、
「TWICE BOON アウトローから仏門へ」
という原稿が、まだ書き途中ではありますが、
改めて初めから書き直して、
全てが出来上がり次第、
新たなブログに掲載していこうと、
そう考えております。
ぶっちゃけた話、
編集しないで次々に書いていたので、
読み手側に私の意図が伝わらない形になっちゃいました。
笑っちゃいますね。
ですから原稿を一度全て書き上げて、
そして編集してから、
全ての原稿を一度に掲載する、
という形にしたいと思います。
本当に申し訳ありません。
しかし変わりといってはなんですが、
「心から痩せるダイエット」という題名で、
話をしていきたいと思います。
これも実は壮大なことがらであって、
決して私の様な未熟な凡人が、
その全てを書きつくことなどできるわけもないのですが、
しかし、あまりにも、あまりのも多くの方々が、
ダイエットによって苦しんでいる、
という現状を見るにつけて、
少しでもお役に立ちたいと想い、
微力ながら挑戦していきたいと思います。
私の現在の体重は70キロです。
しかし何と昔は、90キロもあった時があるのです。
ですから実は私も、ダイエットには苦しんだ経験があります。
しかし今では、簡単に痩せることもできれば、
太ることさえもできます。
それは一つのコツを掴んでいるからです。
そしてそのコツをよく人から聞かれるのですが、
「話すと一日かかる」と言って、
話せずじまいなのです。
「どうやったら痩せるの?」と、
たずねられるのですが、
やはり一言では非常に申し上げられないことです。
ですから私がこれまでの中で培ってきたこと、
あるいは私が分かってきたことを元に、
「心から痩せるダイエット」の話をしていきたいと、
そう考えております。
人は心の生き物でありますから、
ダイエットさえも実は心を抜きにして語ることはできない、
この真実を明らかにする為に、
若輩者ではありますが、真剣に取り組んでいきたいと、
その様に思います。
どうかよろしくお願いします。
幸せの心について考えられる方は
「HAPPY HEAR!」へ
この原稿は長いので、毎日、少しずつ読み進めて下さい。
この国について考えられる方は、
「真実の大和魂」へ
この原稿は短いので、30分で読めてしまうはずです。
携帯の方はお手数ですが、日記一覧からご覧下さい。
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2008.04.12 13:31:16
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bbsに寄せられた質問に対する、私なりの考えを述べてみたいと思います。
どんな質問かというと、人工的につくらた人間の創造主は誰か?という質問です。
私の妻は、今日も私に美味しい料理を作ってくれます。
しかし、料理は私の妻の手作りですが、その食材は、太陽が地球に光を降り注いで育った植物、あるいはそれを食べることで成長した生き物たちです。
ですから、作ってくれた妻にももちろん感謝しますが、私の血となり肉となってくれる食物にも感謝が必要ですし、もっと根源的なものに対しても、私達には感謝が必要です。
これと同様に、たとえ人工的に人間の生命が作られることがあったとしても、人間は無から存在を作り出すことはできません。
質量とエネルギーの関係でもお分かりになる様に、無から何かを誕生させるのではなく、全ては太陽が地球に光を降り注ぐことで、その光が形を変えて、ある時は野菜となったり、魚となったり、鶏となったり、豚となったり、牛となっているんです。
そして、もちろんこうした生命体にも、魂はあります。
それは私達より、遥かに進化の未発達な魂、そう言えると思います。
私達は両親の性の営みによって、精子と卵子が結合して、そして十月十日の月日を経て、この世に誕生します。
ご存知の様に、精子というものは生きており、小さな生命体の一つです。
そして精子と卵子が結合して、母となった方が、太陽の光が形を変えた食物を口にすることで、その小さな生命体は成長していきます。
すると元からあった、霊という名の知性あるエネルギー体が、その生命体に宿り、産声を上げるわけです。
この様に、無から有となるのではありません。
人間にはそんな力など実は無く、「形を変えていく中で手を加えていくことが限界である」、そうとも言えるのかもしれません。
ですから、人工的、あるいは科学的に人間を誕生させることが、正しいかそれとも間違っているのか、そうした倫理の問題は別としても、実は人間は大変に自惚れやすいのですが、実は一度も「無」から何かを創造しているのではないのです。
もともと創造していたものに、創造を加えていく、それが私達人間であるとも言えるわけですね。
また創造ということに関して申し上げるのならば、進化論に対して、次の様に語った人がいます。
「今ある遺伝子情報の様な複雑で整然としたシステムを、進化の突然変異によって造り上げる確率は、竜巻きがゴミを巻き上げたら、ジェット機が完成した様なものである」
つまり、アメーバーから猿へと進化して、そしてやがて人間に成り、これまで偶然に人間は繁栄して来たという「ダーウィンの説」が仮に正しいとしても、実はその仮説は、まるでレンガを放り投げていたら、勝手にギリシャ神殿が出来上がった様な、そんな奇跡の確率でしかありません。
しかし、偶然に荘厳なギリシャ神殿が出来上がることはありません。
その奇跡の背景には、紛れもなく「何か」が存在していなければならないのです。
たとえば地球の環境に良く似た惑星が在ったとします。
そこにアメーバーを繁殖させたからと言って、何十億年経つと人間に成っているでしょうか?
そして泣いたり、笑ったり、感動したりするでしょうか?
旧約聖書には、「神と言われる創造主が、土をこねて人間を創り、そこに息吹を吹きかけた」という抽象的な物語が登場しますが、創ろうという想いと息吹が、大切であるのです。
ダーウィン出現以来、様々な調査がなされて、そして「アメーバーからどの様に人間は進化したのか?」という問題が検討され、膨大な量の化石が収集されてきましたが、しかし実は、それらの化石はどれも、その問題の答えを明らかにすることはできませんでした。
「ミッシング・リンク」「失われた環」という意味でありますが、猿がどの様に人間へと進化を遂げたという問題の答えは、実は未だに闇の中なのです。
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2008.04.12 12:31:58
2008.04.11
まぁ「次元」なんていう、厄介な話が続いているわけだけど、
もう少しつづけさせて下さい。
高次元世界は、下次元世界を内包している為に、
三次元世界から二次元世界を説明することはできるが、
その逆はできない。
つまり下次元世界は高次元世界の中に存在している為に、
一次元の「直線の世界」では、二次元の「平面の世界」を説明できないし、
二次元の「平面の世界」では、三次元の「立体の世界」を説明することはできないんだ。
そしてこれと同様なことが、三次元世界と四次元世界の間でも考えられるはずだ。
すなわち、この三次元の物質世界では、
高次元の世界に対して想像を巡らせ、少しばかり解き明かすことができたとしても、
その世界の全てを語り尽くすことは不可能なのである。
こうしたことを踏まえてみると、次のようなことが十分に考えられる。
たとえば部屋の中に金魚鉢を置いたとしよう。
その金魚鉢の中にいる金魚は、
鉢の外の世界を眺めて想像することまでならばできる。
しかし鉢の中の金魚は、部屋の隅々まで調べ尽くし、語り尽くす事までは到底不可能だ。
金魚が鉢から抜け出すことは、「死」を意味する。
これと同様に、この金魚こそがまさしくオイラ達人間であり、
そして金魚鉢こそが、この三次元物質世界であり、
そして「死」を通した人だけが、
三次元を超えた高次元世界を探訪することができるとも、
十分に考えられる。
すなわち、オイラ達人間の肉体の中に、
未だに科学では確認も、発見もされていない「未知な物質」が宿っていて、
そしてその「謎の物質」が、
「死」によって肉体を抜け出し、
高次元の四次元以降の世界へと還っていくとも、
十分に考えられるはずだ。
つまり、「霊魂」と名付けられた、
時には不思議な印象さえ受ける謎の物質が、
オイラ達人間の肉体の中に宿っていて、
そして死を通すことによって、
語り尽くす事の出来ない未知な世界、
すなわち霊界へ還っていくとも、十分に考えられるはずだ。
アラン・カルデックはこう言っている。
「霊界世界と呼ばれる、あの世というものは、
遥か上空にあるのでもなければ、遥か地中にあるのでもなく、
現在私達が生きている、この物質世界、すなわちこの世いうものと、
同時に存在している世界であるのだ」
そうしたことは、シルバーバーチも、そしてスウェーデンボルグも言っている。
天国や地獄の世界の想像を巡らせる為に、
アラン・カルデックという方が行った、霊との対話を少し引用してみたい。
当然ながら、このアラン・カルデックという方は、
宗教家でもなんでもなく、霊的価値観を世に広げようとした、
ただスピリチュアリストに過ぎない。
最初は幾人もの人間の命を殺めた為に、
死刑に成った男性の霊との対話である。
「ああ、どうか哀れみを!私には哀れみが必要なのです。
ああ、何という苦しみ、ギロチンなど、今の苦しみに比べたら、全く何でもありません。
なぜならギロチンは一瞬の苦しみに過ぎないのですから。
しかし私の体を舐めるこの炎ときたら、もっと酷いものです。
それは絶えることのない死なのです。
その苦しみは途切れることが無いのです。
この苦しみには休息というものが無いのです。そして終わりが無いのです・・・。
しかも、私が手にかけた者達が、周りにいる。
私に傷口を見せつけ、ずっと私を見ている。
ああ!私の目の前に、私が殺した者達がいる。全員いる!
そう全員です!全員の姿が見える!逃げることができない!
それに血の海が見える!地に濡れた金も見える!
全てがそこに、私の目の前にある。
ああ!私は永遠にこれを見せられるのだろうか?
血、血まみれだ!ああ、可愛そうな犠牲者達!
命乞いするのに、私は容赦なく彼等を殺す。
匕首で突き刺し、そして殺す。血が、私を興奮させる。
私は死ねば全てが終わりであると想っていました。
だから死刑台に向かったのです。
私は神に挑み、神を私は否定したのです。
全てが永遠に帰すると想っていから。
しかし、なんと!恐ろしい目覚めがあったのです。
ああ、恐ろしい!何てことだ!
私は犠牲者の死体に取り囲まれて、彼等の恐ろしい顔を見る。
血の海を歩き、死ぬと想っていたのにこうして生きている!
ああ!いやだ!恐ろしい!地上のどんな拷問よりも恐ろしい!
ああ!死んだらどうなるかを知っておけば良かった!
悪いことをしたらどうなるかを知っておけば良かった!
そうしたら人を殺すことなんか絶対になかったのに!
私が殺した者達の視線が、まるでナイフの様に私の心を突き刺す!」
さて、肉体を既に失って、心だけの存在と成っているはずなのに、
この殺人者は、肉体を炎で焼かれていると語っている。
そして自分が殺した死者に取り囲まれて、ナイフの様な視線を突き刺され、
傷口を見せられて、血の海の中にいるというのだ。
そんなことはこ地上世界の中では絶対に起こらない。
地獄と呼ばれる心の世界は、想いの世界である以上、
この地上では想像も付かない、
言語を絶した世界であり、まさしく地獄である。
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2008.04.11 18:35:02
さてさて、過去を見て来た木内氏は、
「過去にも行けるのであるならば、未来にも行けるのではないだろうか?」
その様に考えた。
しかし未来は、過去とは勝手が違う。
なぜなら過去は、その場所や状況を思い出して、
心で念じることができるけれども、
未来といものは、未だ来ない世界である為に、
想像が付かず、状況を思い浮かべて、心で念じることができないからだ。
しかしそれでも木内氏は、未来を見て来た。
彼は臨死体験の中で、他にも不思議な様々な体験をしているのだが、
ここではあえて、それらは省かせて頂いて、
木内氏が見て来た未来の光景を、一つだけ紹介させて頂く。
彼が見てきた未来の光景、それは大きな畳の部屋で、
一人の男性が、三十人くらいの人に何かを話していて、
人々が熱心に彼の話を聞いているという状況だった。
心だけの存在となっている木内氏は、
その男性の背後から、その様子を見守っていた。
内容が理解できなかった彼は、「何を話しているのかな?」そう想って、
話している男性の前へ行って、
何かを熱く語っているその男性の顔を覗き込んでみた。
すると驚いたことに、その男性は中年に成った木内氏本人であったんだ。
もちろんまだ見ぬ未来である為に、
それがどういう状況で、どこの場所であるのか、
彼にはさっぱり理解できなかった。
こうした臨死体験の後、奇跡的に回復を果たした木内氏は、
その後、天文観測家の道を歩み、彗星の発見によって天文学界に衝撃を与えた。
今では彼は天文観測家として、世界的に有名になっているんだ。
あの臨死体験から十九年後、
木内氏は高野山で天文学会の講演を行うことになった。
そしてそれはかつて臨死体験で見た場面と全く同じであったんだ。
三十人くらいの人々や部屋の様子を見て、
彼はあの臨死体験で見てきた未来を思い出したという。
さてさて、なんかとんでもない話だ。
しかし、果たして時間や空間の壁を越えることは、果たしてできるんだろうか?
ここでオイラ達が現在住んでいる、
この三次元世界について少しだけ考えてみたい。
仮に三次元世界のオイラ達が、二次元の世界に赴いたとしよう。
もしも二次元の世界が存在するのならば、
その世界は、「縦」と「横」だけで、
「高さ」というものが存在しない「平面の世界」だ。
だから二次元世界に赴いたオイラ達は、立体ではいられず、
厚みの無い紙のような平面になってしまうだろう。
では二次元の世界から、さらに下次元の一次元の世界にオイラ達が赴いたとしよう。
一次元の世界は、「横」さえも無い、
「縦」だけの曲がるの事の無い「直線の世界」だ。
だからその世界では、オイラ達はただの線になってしまうんだ。
そしてその一次元の世界から、
二次元の世界へと戻る為には、一つ「軸」を増やして、
「縦」と「横」の二つの「軸」が必要となり、
そしてその二次元の世界から、この三次元世界に帰る為には、
さらにもう一つ「軸」を増やして、「高さ」が必要となる。
こうしてオイラ達は「縦」「横」「高さ」の三つの軸によって、
「空間」というものが存在する「立体の三次元世界」の中で生活をしているんだ。
ではこの「縦」「横」「高さ」の「立体の三次元世界」から、
もう一つ「軸」を増やして、四次元の世界に私達が赴く為には、
何と言う名の「軸」が必要なのだろうか?
「縦」だけの直線の一次元世界から、
二次元世界に行く為には、「横」が必要だった。
「縦」と「横」の平面の二次元世界から、
三次元世界に行く為には、「高さ」が必要だった。
では立体の三次元世界から、四次元世界に行く為には、
何という名の「軸」を持たなければならないのだろうか?
そして一次元世界が直線の世界であり、
二次元世界が平面の世界であり、
三次元世界が立体の世界であるならば、
四次元世界はどんな世界なのだろうか?
ここでオイラ達はまず考えてみなければならないことがある。
それは「縦」しか無い一次元の世界では、
二次元の世界の「横」というものを語り尽くすことができないということだ。
また「縦」と「横」しか無い二次元の世界では、三
次元の「高さ」というものを語り尽くすことができないということだ。
つまりこうしたの流れからくると、
必然的にこの三次元の世界の中では、
四次元のもう一つの「軸」を語り尽くすことはできないということになる。
では、四次元世界の「軸」は永遠の謎であり、
三次元世界を超えた世界は、ただの想像だけの産物なのだろうか?
実は四次元の世界が、現実に実在すると考える数学者は大勢いる。
そしてそうした数学者の考える四次元世界のもう一つの「軸」とは、
「時間」だと言われているんだ。
じゃあ「時間」て何だろうか?
まぁアインシュタインによって、「時間」というものが、
伸び縮みして、相対的あることが分かっている。
たとえば、まぁ「同時性の不一致」なんて言うんだけれども、
二人の人が一秒を計測したとしても、
その人が移動する速度によって、
同じ一秒が同時にはならないことがあるんだ。
この様に「時間」というものは、まだまだ謎だらけなんだよ。
そしてもしも仮に四次元の世界が、現実に存在していて、
そしてその世界には「時間」という「謎の軸」が、
さらに付け足されているのであるならば、
その世界とは、
二つの物質が同じ時間に同じ空間に存在することができる世界なのかもしれない。
もしくは、ある物質が時間を使わずに空間を移動できる世界なのかもしれない。
つまり四次元以降の多次元世界とは、
二つの握り拳を重ね合わせることの出来る世界であり、
ワープすることのできる世界なのかもしれない。
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2008.04.11 18:06:21
なぜ「ニュートリノ」という素粒子が、謎であるのかというと、
こうしたミクロの物質世界の中では、
マクロの宇宙の世界と同様に、
オイラ達の目で見ることのできる世界の常識が全く通じないからだ。
たとえば、この「ニュートリノ」という素粒子は、
まるでこの三次元世界の常識を、完全に無視しているかのようなんだ。
なぜならこれらのミクロの中でも、さらにミクロな世界では、
まるで「空間」や「時間」を無視しているかの様に、
幽霊みたいに壁を突き抜けたり、消えたり、現れたりすることがあるからだ。
その為に、この謎の粒子は、幽子などとも呼ばれていたんだ。
「壁を突き抜けたり、消えたり、現れたりする」
これがどういうことかというと、
それはもしかしたら
「同じ時間、同じ空間に、二つの物質が存在していて、
空間をねじ曲げているのかもしれない」
ということであり、もしくは、
「時間を使わずに、空間を移動していて、
時間を縮めているのかもしれない」
ということでもあるんだ。
こうしたことを考えてみると、もしかしたらオイラ達の肉体の中に、
霊魂という名の「未知な物質」が宿っているとも、充分に考えられるはずだ。
さて、ではここで、ダニオン・ブリンクリーにも負けない、
特に変わった臨死体験を一つ紹介してみたい。
それは日本人の木内鶴彦氏の臨死体験だ。
木内氏は6才の頃のある思い出が、ずっと気になっていた。
その思い出とは、2つ年上の姉と外で遊んでいた時のこと。
「危ない!」という不思議な声が、どこからともなく聞こえてきたので、
ふと前を見ると、前を歩く姉を目がけて大きな石が転げ落ちてきた。
そこで幼い木内氏は、とっさに姉を突き飛ばした。
その為に姉は、落石の直撃は逃れたものの、転んで怪我をしてしまった。
しかし周囲を見回してみても、彼と姉以外には誰もいなかった。
姉もそんな「危ない!」という声は聞いていないと言う。
その為に、彼は姉から突き飛ばされて怪我をさせられたと、責められたのだった。
それから十六年後、木内氏は激しい腹痛で病院に運ばれた。
上腸間膜動脈性十二指腸閉塞という、当時世界でも120例しか症例のない難病であり、
これまでに助かった前例はない為に、彼はあと1週間の命と医者に宣告された。
72キロあった体重も、なんと翌日には42キロにまで落ちるという激しい脱水症状で、
臓器機能も低下して体力も消耗した為に、満足な検査をすることさえできなかった。
そして彼はナースコールを押そうとした瞬間に、首がガクンとうなだれて、
こめかみに感じていた脈動が消えるのを感じたのだった。
さて、ここから彼のSF的な臨死体験が始まる。
彼は心臓も停止したというのに、不思議なことに意識は保たれていたそうだ。
それどころか何時の間にか苦しみは消え去り、身体は軽くなっていた。
そして彼の足下には、父親が呆然と立ち尽くしていたそうだ。
彼はそんな父親の姿を見て、
「自分を死んだと想っているのではないか?」
そう想い、とりあえず軽く成った上半身を起こしてみた。
しかし父親は、相変わらず微動だにせずに、木内氏の腹部を見つめていた。
次に彼は父親の所に行こうとベッドの脇に立った。
しかしふとベッドを見ると、なんとそこにはまだ、
自分の肉体が横たわったままになっていたんだ。
当然、彼はパニックに陥った。
意識は普段通りにありながら、見えるものも、聞こえるものも、
すべてが普段と全く変わらないというのに、
今、自分は肉体の外にいて、そして自分の肉体を見下ろしているからだ。
つまり彼は肉体を離れて、意識だけ、個性だけ、心だけの存在となってしまったんだ。
その為に、彼はそうした状況に遭遇して、どうしたら良いのか分からなくなった。
「とりあえず自分はまだ生きているのだということを、父親に伝えなくてはならない」
そう考えた彼は、呆然としている父親の耳元で、大声で叫ぼうとした。
ところが次の瞬間、さらに驚く事件が起こった。
なんと父親が目の前から消えたかと思うと、
彼は自分の肉体を、足下の方から見下ろしていたのだ。
つまり彼は、意識や心だけの存在と成り、
しかも父親に向かって叫ぼうとしたら、次の瞬間には、
父親の肉体の中にすっぽりと入ってしまったというのだ。
次に彼は、「母親はどうしているのだろう?どこに行ったのだろう?」と想った。
すると不思議なことに、その様に想った次の瞬間、
彼は病院の一階のホールで電話をかけている母親の横にいた。
母親は息子が難病を患い、死にそうになっていることで、
酷く気が動転しているらしく、なかなかダイヤルが回せないでいるようだった。
そこで木内氏はアドレス帳を覗き込み、電話番号を読みあげた。
だが当然、母親に声は全く聞こえなかった。
彼は次に自分の肉体のある病室が気になった。
するとやはりその次の瞬間には、彼は病室に戻っていたのだ。
そしてどうやら彼が病室を離れている間に、看護婦さんが駆け付けたらしくて、
看護婦さんが彼の肉体に馬乗りになって、心臓マッサージを行っていた。
その様子を木内氏は、まるで他人事の様に、
「大丈夫だろうか?助かるのだろうか?」
と、心配そうに眺めていたという。
そんな様々なやり取りを続けている内に、
木内氏はだんだんと落ち着きを取り戻していった。
そして冷静に成ると同時に、今置かれている自分の状態に対して、
彼は好奇心すら沸いてきたのだ。
父親の中に入り込んだり、または母親を想うだけで移動できるということは、
紛れも無く「時間」とか、「空間」というものの常識が
完全に覆されていると、理系の人であった彼は「確信」したのだ。
確かに今オイラ達が生きているこの世界は、
二つの握り拳を重ね合わすことができない様に、
同じ「時間」、同じ「空間」に、二つの物質が同時に存在することはできない。
またある物質が「空間」を移動する為には、必ず「時間」を必要とするのであって、
「時間」を一切使わずに、物質が「空間」を移動するということもできない。
しかし木内氏は、肉体を離れて、
意識や心だけの存在と成ったことによって、
二つの物質が同じ「時間」に、同じ「空間」に存在することができて、
ある物質が「時間」を一切使わずに、「空間」を移動することを可能にしたのだ。
そこで彼は次の様に考えた。
「三次元の常識が覆されているのならば、
時間と空間をも飛び越えられるのではないだろうか?」
そして彼は実験を試みてみようと想い立ち、
ずっと気になっていたあの6才の頃のことを心に念じてみたんだ。
なぜなら、あの時の「声の主」が誰であったのかを、彼は知りたかったからだ。
すると次の瞬間には、彼の意識は、あの6才の頃に戻っていた。
つまり信じられないことに、心だけの存在と成った彼は、
「時間」も「空間」も飛び越えて、すなわち「時空」を飛び越えて、
崖道を歩いてくる幼い自分と姉の姿を、崖の上から見下ろしていたのだ。
ふと見ると、やはり崖の上から大きな石が、幼い姉を目掛けて落ちてくる。
その様子を見ていた、心だけの存在と成った木内氏は、
思わず「危ない!」と叫んでしまった。
そして木内氏は、
長年に渡って悩んでいた「声の主」が、誰であったのかに気が付いたんだ。
まるで、漫画のドラえもんの様でしょ?
あの漫画のおかげで、随分と時間とか空間の話を、
多くの人が受け入れられるんじゃないだろうか?
いや〜アホなオイラにとっちゃあ、大助かりだ。
幸せの心について考えられる方は
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2008.04.11 16:48:06
まぁ、もう少し、厄介な科学の話が続くかな。
実は、他にも空間や時間が歪んだり、縮んだりすることは、実証されている。
たとえば、宇宙からは様々な「宇宙線」という粒子が地球に降り注いでいて、
そしてその宇宙線が大気圏に入ると、大気の分子と衝突して、
ミューオンという物質が誕生するんだ。
そしてこの誕生したミューオンの中には、
光の速度に近い速さで、飛び出していくものもある。
でも、このミューオンの寿命は、僅か100万分の2秒程度しかないから、
いくら光の速さに近い速度で、地上に向けて降下したとても、
僅か数百メートルまでしか進めずに、寿命が尽き果ててしまうはずなんだ。
(秒速30万キロ×100万分の2秒=約600m)
しかし、このミューオンは光の速度に近い速さで移動してくる為に、
空間を歪めて、地上にまで到達するんだ。
それは地上にいるオイラたちから見れば、
時間を歪めて、寿命を延ばしている様に見える。
この様にね、難しい話だけど、
まぁ空間と時間が伸び縮みすることは、
既に分かっているんだ。
分かっているんだけれども実用段階にまで、辿り付かないだけなんだ。
だから、ロケットに乗って、光の速さで宇宙空間を移動して、
数日だけのつもりで地球に帰ってきたら、
実は自分達は時間を縮めていて、
地球では既に数十年の月日が経っていたという
「タイムパラドックス」が、よくSF映画などに登場するけど、
こうしたことは現実に起こりえるんだな、これがさ。
「時間」が縮むとか、「空間」が曲がるとか、
あるいはSFに登場する「ワープ」であるとか
これらはどちらもアインシュタインの理論であり、
こしたことは空想の世界の出来事であって、
なかなか現代の常識からは、信じることが難しいかもしれない。
しかし、たとえ信じることが難しくとも、
真実であり、そして科学的真理であるんだ。
それに過去には、信じることが不可能であり、
空想の世界でしか語ることのできなかった出来事が、
科学の発展によって、現在では当然の常識となっていることなどたくさんある。
つまり今現在では空想の世界の出来事であったとしても、
科学の発展によって、常識が覆り、空想が現実と成り、
未来では空間と時間をねじ曲げて、
広大な宇宙を行き来することが、
当然の常識と成っていることも、十分に考えられるはずだ。
そしてこれと同様に、霊魂の存在も、
空想の産物だと捉える人もいるかもしれないけど、
科学に発展によって、その存在が未来には当然の常識となっていることも、
十分に可能性としては考えられるはずだ。
なぜなら科学を発達させることによって、
オイラ達人間は、常に常識を覆して、そして不可能を可能にしてきたんだからさ。
だけど、もしかしたら、この様に考える人もいるかもしれない。
「科学が発展して、たとえ広大な宇宙を行き来する時代が来たとしても、
霊魂と科学は、永遠に交わることのない、
水と油のような関係なのではないだろうか?」
まぁその様に考える人もいるかもしれないが、
しかし広大な宇宙を行き来して、
マクロの世界の謎を解き明かすほどに科学が発達すれば、
その科学の進歩によって、
小さなミクロの世界の謎を解き明かすこともできるだろう。
つまりは科学の発展によって、
外の宇宙を解明することができたら、
内なる宇宙を解明することだってできるはずだ。
オイラ達人間の肉体も、本も、電気も、机も、椅子も、
全ては原子からできていると言われている。
そしてその原子というものの大きさは、一千万分の一ミリだ。
これはどのくらいの小ささかというと、
人間の肉体の細胞が百分の一ミリであるから、
原子の大きさは肉体細胞よりも、遥かに、遥かに小さいということになる。
百円玉一個しか持っていない人と、一千万円持っている人くらい違う。
仮に全ての物を拡大して、一千万分の一ミリの原子を、
直径一センチのビー玉にまで大きくしてみる。
すると、その時の倍率で野球ボールを大きくすると、
直径七センチの野球ボールが、地球とほぼ同じ大きさにまで大きく成ってしまう。
それほどまでに原子というものは小さく、
そしてそうしたミクロの物質によって、全ての物は出来上がっているんだ。
しかし科学の発見によって、その原子というものも、
陽子、中性子、電子などの粒子によって構成されていることが確認された。
これらの粒子が最も小さい物質の単位で、
これ以上に物質は細かくできないと、そう科学者達は信じていたんだ。
しかしやがて科学の発展によって、
電子と陽子の中間の重さを持つ粒子が発見された。
湯川秀樹博士だね。
この粒子は中間子と名付けられたが、
当時の科学者達は中間子が発見された時、
「誰がこんな粒子を注文したんだ」と叫んだという。
なぜなら、この粒子の発見は、科学者達にとって予想外であったからだ。
そして「誰がこんな粒子を注文したんだ」という叫びから数十年後、
謎の物質、「素粒子ニュートリノ」がさらに発見されたんだ。
原子は英語で「アトム」であり、
ギリシャ語の「分割できない」という言葉が語源となっている。
しかし陽子、中性子、電子が発見され、そして中間子が発見され、
さらには素粒子が発見された訳だ。
現在の物理学において、素粒子は物質を構成する最小の単位と言われている。
つまり科学者達は、
「もうこれ以上、小さな物質はないだろう」と信じていながらも、
科学者自らの日々の努力によって、
その思い込みはいとも簡単に裏切られ、
さらに小さな物質が発見されてきたんだ。
それが物理学の歴史であり、そうして科学は発展してきた。
ならば魂の重さが本当に21グラムかどうか、
その辺りは明らかではないが、
未だ未知の物質が、オイラたちの肉体の中に宿っているとも、
十分に考えられるはずだ。
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2008.04.11 16:15:04
この辺の話は、科学に興味の無い人は、
飛ばして読んでも構いませんよ。
自分で書いててなんですが、厄介な話ですからね。
まぁ考えてみて下さいな。
空気中に散乱する花粉も、微生物も、
もしくは分子も、原子も、素粒子も、
ラジオの電波も、放射能も、
オイラ達の目には見えないんだぜ?
じゃあ、これらは見えないから存在していないかといえば、
これらは目には見えないけれども、
確かに存在している。
そしてこれらのものも、
かつてはその存在が確認されてはいなかったけれども、
しかしこれらのものは、科学が発達することによって、
その存在が確認され、解明されてきた。
科学によって解明され、確認されている為に、
花粉や原子などは、「信じる対象」ではなく、「知る対象」と成っているんだ。
科学で確認できないものは、全て「非科学的」であると考えて、
「死ねば心も滅んで、全てが終わりである。霊魂は存在しない」
と考える人は多いものさ。
しかしその証明に使っている現代の科学こそが、
実はまだまだ未発達であるんだ。
科学自体が、かつては空が飛べなかった様に、
未だに広大な宇宙を行き来できない様に、
まだまだ赤子同然なんだ。
たとえば今の科学の常識では、
オイラ達人間が銀河系を飛び出していくなんてことは、
はっきりいって不可能だ。
なぜなら今の科学では「光の速度を超えることはできない」とされているからね。
そして宇宙には光の速度、つまり秒速三十万キロで進んだとしても、
何万年も掛る遠い星が無数に在る。
だからそういった遠い星に、オイラ達地球人が行く為には、
空間が曲がるか、時間が縮まない限りは、永遠に不可能んだ。
それはつまりSF映画などに登場する「ワープ」だね。
ワープでもしない限りは、オイラ達地球人は、
遥か遠い星に行くことは、永遠に不可能なんだ。
しかし誰もがさ、
「空間が曲がったり歪んだり、
もしくは時間が遅く進んだり縮んだりすることなんて、
果たして現実にあり得るのだろうか?
そういったことは、映画や小説の空想の世界だけの話なのではないだろうか?」
と、その様に考えるだろうな。
しかし実は、そういったことは現実に起こっているんだ。
たとえばAという星、太陽、地球が、
この順番で一直線に一列に並んだとしよう。
すると当然、地球にいるオイラ達からは、太陽に遮られてAの星の姿は見えない。
しかし太陽の重力によって、空間が曲げられている為に、
地球から見えないはずの星が見えるんだ。
つまりニュートンの万有引力によって、
太陽の様な大きな天体というのは、もの凄い重力を持っていることが分かってる。
だから太陽の周辺では、そのもの凄い重力によって、
空間が歪み、大きな窪みができあがっているんだ。
これを解り易く説明するならば、
例えば弾力性のあるベッドに、シーツをピンと張ったとする。
そこに重たい鉄のボールを置くと、その部分のベッドが、
ボールの重みで歪んで沈む。
これを宇宙空間とした時に、同じ様に空間に歪みや窪みができる為に、
太陽に遮られていて、地球からは見えるはずのないA星が、確かに見えるんだ。
このことを証明する為には、太陽に望遠鏡を向けてみなければならない。
しかし太陽は強い光を発している為に、
その光が邪魔をして、その奥を見ることができないし、
またそんな事をしたら、太陽の強い光によって目が焼けてしまう。
だから月が太陽の光を遮る、皆既日食の時に、望遠鏡を向けなければならない。
そしてこのことは既に実験によって証明されているんだ。
つまり皆既日食の日に太陽に望遠鏡を向けてみたら、
その奥にある太陽に遮られて見えるはずのない星が、確かに見えたんだ。
それはすなわち、空間が歪むということが、科学的に確認されたということだ。
空間だけではない。
時間においてもオイラ達の普段の常識からは考えられない不思議なことはある。
物理の世界では、「光の速度で動いた時に時間は止まる」
あるいは「光の速度に近づけば時間の進み方が遅くなる」
という理論がある。
この理論を確認する為には、実際に光の速度か、
もしくはそれに近い速度で移動してみればよいんだけれども、
しかし、人工的に光の速度を作り出すことなど未だにできない。
だから、なかなこの理論の実験も、簡単にはできないんだけれども、
しかし光の速度とまではいかなくとも、
とても速い他の速度に置き換えて、実験することならば可能だ。
たとえばガリレオが言った様に、地球は自転しながら、太陽の周りを公転している。
つまりオイラ達は実はもの凄い速さで、宇宙の空間を移動しているんだ。
しかし、それは、新幹線や飛行機の中で、
速さを感じないのと一緒だね。
地球の公転速度は時速約十万キロメートル。
つまり光の速さ秒速三十万キロには、遠く及ばないにしても、
地球は一秒間に三十キロも宇宙空間を移動していることになる。
そして北極点と赤道上では、同じ地球内であっても、
宇宙空間を移動するその速度は、実は随分と異なっているんだ。
なぜなら北極点は、地球の自転の影響を全く受けないけれども、
赤道上は地球の中でも、最も自転速度の速い土地であるからね。
だから赤道上と北極点では、時速1700キロの速度の差があることになるんだ。
そしてこの両地点に正確な時計を置いてみたら、
すなわち10億分の一秒というナノ秒まで測れる時計を赤道に置いてみたら、
一定の比率で遅れていたことが明らかになったんだ。
それはつまり、
「速度が速く動いた方が、時間の流れがゆっくりになる」
もしくは
「光の速度に近い速度で移動した為に、時間が遅く進んだ」
ということが、科学的に確認されたということだ。
他にも、ジェット機にこうした正確な時計を積んで、
地球の赤道上を西回りと東回りで飛ばして、
時間を測る実験を行ってみたら、やはり時間の遅れが確認できた。
しかし現代の石油燃料などに頼っている科学技術では、
未だに人間が作り出す速度は、光の速さからはほど遠い。
その為に時間を縮ませるにしても、ナノ秒単位までが限界なんだ。
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2008.04.11 14:19:08
近年、科学が発達して、様々なことが確認、解明されてきた為に、
「知る」ということに重点が置かれる様になった。
しかしその一方で、まだまだオイラ達人間には、
確認、解明できないことがたくさんある。
つまり、人間に「知る」ことのできないものなど、
この世界にはまだまだたくさんあるんだ。
そうであるにも関わらず、「信じる」ということが失われつつあるのが、
実は現代の悲しき社会だな。
つまりオイラたちは、科学的に確認、解明して、
知ることができる世界だけが「全てである」と、
そう考えはじめているのかもしれない。
しかし人間が亡くなると、何故か数グラム体重が軽くなるそうだ。
最低で3グラム、最高では21グラム、
僅か角砂糖ほど、実は体重が軽くなるという実験結果もある。
こうしたことから、「霊魂の重さは21グラム」と主張する人さえいる。
万能と呼ばれて、「解明できないものは何も無い」とさえ、
時には考えられてしまう「科学」というものについて、
今一度、オイラ達は考え直してみる必要があるようだ。
確かにさ、地球四十五億の歴史の中で、
百年前、二百年前に比べたら、
今の科学は素晴らしい発達を遂げましたよ。
そりゃまぁ、確かにそうよ。
じゃあ百年後、二百年後の科学に比べたら、
どうですか?って言いたいね、オイラはさ。
今の科学も、実はまだまだ赤子同然であることを、
オイラ達は忘れちゃあいけねぇよ。
過去を見れば現在の科学は凄いけど、
未来とその可能性を想像すれば、
現在の科学はまだまだでしょ。
ライト兄弟が空を飛ぶ時も、当時の常識に縛られている人々は、
「人間が空を飛べるはずがない」と彼等を馬鹿にして、
信じるということができなかった。
当時のキリスト教徒達は、
「空は神の領域であり、人間が侵してはならない」
とさえ考えていたんだ。
その為に、飛行機という乗り物は、
空想や神話の世界の中でしか語られることはなかった。
1903年に、彼等が初めて飛行した時の記録は、
僅か十二秒、36メートル。
しかしそれでも当時としては、人間が空を飛ぶという行為は大変な事件だった。
そしてそれから百年の月日が経たない内に、
イスラム教徒によって、世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだんだ。
ガリレオ・ガリレイにしてもそうだね。
当時の人々は「地球の周りを太陽が回っている」と信じていた。
そんな中で、ガリレオだけが、
「地球こそが動いていて、太陽の周りを回っている」と人々に訴えた。
しかし当時の人々は、彼の真実の言葉を聞いても、
誰も信じることができなかった。
「そんな馬鹿なことあるかい!」って、みんなしてツッコミいれた。
なぜなら当時の人々は、常識に縛られていたが為に、
真実を虚偽だと思い込み、虚偽を真実だと信じていたからだ。
そして当時の人々は、ガリレオにこう言うわけよ。
「もしも地球が動いていて太陽の周りを回っているのならば、
我々人間が生活できる訳がないではないか?
それに現にこうして我々は止まっているではないか?
もしも地球が動いていて、太陽の周りを回っているのならば、
その証明を見せよ」
そう言われても、ガリレオは人々を上手く納得させる説明ができなかった。
その為に彼は、真実を語った人間であったにも関わらず、
人々の嘲笑の的となり、やがて裁判に掛けられて、牢屋に入れられてしまったんだ。
真実を語る人間が嘲笑され、批判され、社会的に抹殺されるということは、
実はこれまでの人類の歴史の中で、幾度となくあった。
しかしいつの時代も、真実がどちらにあるかは、時間が証明して来た。
確かにオイラ達の目には、死んだ人の姿は見えない。
だから「人間は死ねば終わりである」という言い分の方が、
確かに現代の常識からすれば、まともに聞こえるかもしれない。
確かに脳は科学技術によって、その断面図を確認することが出来て、
そして少しずつ解明されつつさえある。
しかしその一方で、霊魂の存在は、
未だに科学技術では見られず、解明はおろか、確認さえされていない。
その為に「死んでも心だけは残る」という言い分の方が、
確かに現代の常識からすれば、おかしく聞こえるかもしれない。
こうしたことから考えると、
「肉体が滅んでも、心だけは残る。死は全ての終わりではない」
ということを信じる人が、
嘲笑され、バカにされ、批判をされることも充分に理解できる。
確かに現代の常識からすれば、
目には見えない霊魂の存在を信じるということが、
「古くからの迷信」を信じていると想われて、
しかもカルトとオカルトがごちゃ混ぜになって、
「あ〜あ、可哀相に、ご愁傷様」って思われてしまっても、
仕方のないことなのかもしれない。
しかしそれはさ、
「地球が動いている様に我々の目には見えないから、
地球が動いているとは、到底信じることができない。
我々の目には太陽が動いている様に見えるのだから、
やはり太陽こそが動いているのだ。」という言い分に、
少し似ているんじゃあないだろうか?
もしくはさ、
「空は神の領域であり、人間は永遠に侵してはならないのだ」
という言い分にも、少し似ているんじゃあないだろうか?
オイラはそう想うね。
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2008.04.11 14:10:57
2008.04.10
「神秘現象など存在せず、霊魂など無い」
確かにそうした考え方が、一般的になるのも無理はないかもな。
なぜなら科学によって様々な言い伝えが暴かれて、「迷信」にされていく一方で、
霊魂の存在は確認できていないからさ。
月に行く事よりも、肉体の中を解明することの方が、遥かに簡単そうだ。
しかし科学は決して万能じゃあない。
既に「その10」で述べた様に、宇宙はとても広大だ。
科学は、宇宙の成り立ちはおろか、太陽系の成り立ちさえ未だに解らない。
水星、金星、地球、火星などの惑星が、
果たしてどの様に誕生したのかさえも解らないんだ。
そうした惑星誕生の真実を明らかにしようと、
科学者達は日夜、研究に励んでいるが、
実は未だに惑星誕生の物語はおろか、あらすじさえも掴めず、
足りないジグゾーパズルのピースを探して模索しながら、
日々、頭を悩ませているのが現状なんだ
これで科学を万能だと信じて、
全てを知り尽くした気分になっているのならば、
それは海の波打ち際に片足を入れて、
それで海の全てを知り尽くした気分となっているよりも、
遥かに傲慢なことだ。
つまり、確かに科学は進歩し、
古くから伝わる様々な言い伝えを暴き、
そして月にまで行ったことは事実だ。
しかしそれは広大な宇宙から見れば、ほんの些細なことであり、
それで「分からないことは何もない」と自惚れてしまうのでは、
あまりにも滑稽過ぎるわkなんだ。
たとえるならば、やっとカエルに成れたオタマジャクシが、
井戸の中で、「自分はもう何でも知っている。
自分の知らないものは存在しないのだ」と自惚れているにも似ている。
すなわち科学によって月に行ったくらいで、
「科学は未だに死後の生命の存在を明らかにできないから、
人間は死ねば何も無くなり、死は全ての終わりである。
霊魂は存在せず、神秘現象を信じる人間はカルトだ」
と断言するのは、答えを出すのが早すぎるわけだ。
なぜならオイラ達人間の心も、ある意味において宇宙だからね。
科学の父とも呼ばれることもある、ニュートンも言っているよ。
「宇宙の天体の運動はいくらでも計算できる。しかし人の心だけはそうはいかない」とさ。
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2008.04.10 18:50:09
「カルト」と「オカルト」というは言葉は似ているが、
実は持っている意味は全く違う。
既に述べた様に、「オカルト」というのは、
「神秘現象」という意味だ。
一方の「カルト」というのは、
「宗教的崇拝」とか、あるいは「熱烈な支持」って意味だ。
だから、音楽歌手のファンなんかでも、
「カルトファン」なんて呼ばれることがあるね。
つまりだよ、この「カルト」って言葉には、
何か「盲目」とか、「非常識」とか、「狂信」って臭いがつきまとうんだ。
しかしね、現代の様な唯物的風潮の中には、
「霊」などの神秘現象を語る人間全てを、
「盲目で非常識で狂信している人」って決め付ける傾向があるんだな。
あ〜あ、本当、嫌になっちまうよ。
「どうしてそうなるんだよ!」ってツッコミ入れたいよ。
「HAPPY HEART!」を読めばお分かりの様に、
あの原稿は、随分と常識的だし、
オイラは何にも盲目的じゃなく、広く色々なことを学んでいるし、
ましてや何にも狂信的じゃあない。
けれども、
「あ〜あ、谷山(旧制)は良い奴だったけど、
与国は霊を語るから、カルトで嫌になっちまう」
なんて言われるけれども、オイラは言いたいね。
「おいおい!違うだろ!
カルトとオカルトと、ごっちゃ混ぜになってねぇか!」ってさ。
現代の常識が唯物的であって、
そこに問題があると感じているから、
オイラは勇気を持って、神秘的な真実を語って、
試合まで出て、胸まで痛てぇってぇのに、
真実を語っても、それが神秘的なことも含んでいるばかりに、
「あ〜あ、ご愁傷様」って言われちまうだな、これがさ。
頼みますよ、皆さん、カルトとオカルトは全然違うから。
まぁ科学があまり発達していない時代ならば、
神秘的現象を信じることは、それほど難しくはなかったよ。
なぜならオイラ達人間は、ありとあらゆることを知らず、
ありとあらゆることが不可能な状態の中で生活を営んでいたからね。
しかし科学の発達によって、海外旅行が簡単になり、地球の隅々まで行き渡り、
そして人間が月にまで行ったことで、
そうした神秘的な事柄を信じることは、少しばかり難しくなったと言えるな。
しかしね、神秘的な事柄を信じることが難しくなったのは、
実は他にもきちんとした理由があるんだな、これがさ。
その理由とは、様々な宗教の中にある古くからの言い伝えが、
科学の発展によって、いとも簡単に暴かれたことだ。
そして多くの人々が、神秘そのものを「迷信」と考えた。
たとえばキリスト教やユダヤ教などにおいては、
かつて「エデンの園」にアダムとイブが住んでいて、
食べてはいけないと言われていた林檎を食べたことで、二人は追放されて、
そして人類の歴史が始まったと信じられていた。
しかし、キリスト教徒であっても、
この話をそのまま事実として信じている人はなかなかいないだろうな。
またかつての科学の無い時代では、
死後の世界、つまり天国や地獄と呼ばれる世界は、
天空と地中にあると信じられていたけど、
文明国に住む人間なら、こうしたことを未だに信じている人はいないだろう。
一方で、後進国の人々は未だに独自の宗教を持っていて、
こうした事柄をよく信じているんだ。
彼等に「死んだ人間はどこに行くのか?」と訊ねると、
彼は迷うことなく空や地面を指差すことがあるかれね。
生前に清き心を持って善行を積んだ人間は、空にある天国に趣き、
汚れた心を持って悪行を積んだ人間は、地面の中にある地獄に行く、
そう未だに信じていることがあるんだ。
なぜなら彼等には科学がない為に、「古い言い伝え」が未だに暴かれていないからだ。
この様に、宗教の中には様々な言い伝があるんだが、
それらはどれも科学の発展に伴って、いとも簡単に「迷信」にされた。
そしてその一方で、月に行く程の偉大な科学が、
霊魂の存在を未だに確認、解明することができてはいない。
その為に、
「人間は死んでも、その人の心だけは残るということが信じられていたのは、
科学が無かった頃の未発達の時代であって、
哀れな人間が勝手に造り上げた迷信である。
霊魂など存在せず、神秘的なことなどない」
という考え方を持つ人が増えてしまったんだ。
幸せの心について考えられる方は
「HAPPY HEAR!」へ
この原稿は長いので、毎日、少しずつ読み進めて下さい。
この国について考えられる方は、
「真実の大和魂」へ
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2008.04.10 14:37:19