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【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博 ベトナムの知略に学ぶ
かねて、中国の流儀に対するベトナムの知略には敬意を表してきた。中越関係一千年の歴史をベトナムから見ると、災いは常に北方からやってきた。
ベトナムは今もなお、日本と同じように中国との「係争海域」や「歴史教科書」問題なるものを抱え、中国を相手に巧みな外交戦を演じてきた。きまじめな日本外交と違うのは、愛想の裏でヌエのような詐術を心得ていることか。
まず、地図を広げてベトナム東部のトンキン湾を見ていただきたい。東側から中国の海南島がグイと張り出していることが分かる。ベトナム戦争時に米駆逐艦2隻が撃沈されたとして、北爆開始の引き金になった戦略的な要衝だ。
この海域でベトナムは大陸棚の自然延長論の立場から、海南島の際までが自国の海だと主張した。対する中国は、双方の中間線が妥当な落としどころだと反撃して“30年交渉”となった。
中国の主張を聞いて、誰もが「ハテナ?」と考えるはずだ。日本と係争中の東シナ海では中国が自然延長論をいい、ベトナムに自身が唱えた中間線はおくびにも出さない。日本との交渉では、明らかに別のモノサシを持ち出している。理由はその方が有利だから。
どうやらトンキン湾では、海南島近くに海溝があるためにベトナムは自然延長論で終始した。中国はそこで、1980年以降、国際判例がいずれも中間線を基礎に解決しているところに着目し、判例をタテに押し戻した。
古来、中国外交は高圧的なホンネ一本でゴリ押しする。実利のためには、法や判例を無視することもあれば曲解して利用する。
かくて中越は2000年12月に、中間線近くに線を引いてめでたく合意した。それでも、ともに行儀が悪いから、漁船同士の大げんかがあとを絶たない。
もちろん、わが外交当局はこの戦法を研究するために国際法局長をベトナム外務省に派遣して、ことの顛末(てんまつ)とノウハウを仕入れた。東シナ海の対中交渉では、中国自身も加わった国際判例でチクチクとやったらよい。
もうひとつ、中国との交渉でお手本となるベトナムの高校歴史教科書問題というのがある。東南アジアの移動特派員だったころの2002年2月、当時の江沢民国家主席がベトナムを訪問した際、「指導部を叱責(しっせき)していた」との情報が漏れてきた。
江主席は共産党書記長らと会談して、ベトナムの高校教科書に書かれた中越戦争の記述を「友好的な表現にすべきだ」と踏み込んだという。この「友好的」とは「中国寄り」の同義語である。
1979年の中越戦争では、中国はベトナムへの「懲罰」として人民解放軍が侵攻した。ところが戦争慣れした越軍の反撃にあって、あわれ10万の大軍はほうほうのていで逃げ帰った。
ベトナムにとっては侵略を跳ね返したのだから、教科書に「大勝利」を刻印するのは当然だ。これに侵略者の方が「友好優先」で墨を塗れというのだから身勝手なものである。
日本に対しては「歴史を鑑に」と説教しつつ、ベトナムには「歴史を鑑(かがみ)にすべからず」とここでも二重基準を使う。ただ、ベトナムの賢者は「はいはい」といいながらただ受け流すところがいい。
正義や価値観は、相手しだい、時代しだいで変化する。さて、胡錦濤主席の5月訪日には、どんな正義を引き出してくるのやら。