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2008-01-12 「なぜスカートをめくるのか?」「そこにパンツがあるからだ」

実録・自己責任教の信者たち

id:fromdusktildawn氏、ついこないだまでどうしようもなくアレなことばかり言っていたのに、ほかのところでは鋭いことを言うから困ったものだ。それ自体彼のスタンスなのだろうけど。

……と思ったけどね。最初は。ぼくがつけたブクマコメントを読んだヒナギクが泣いて怒った。あなたはなんにもわかっていない、と。うろたえてid:hokusyuなどを交えてやりとりするうちに、ぼくは自分の甘さを思い知らされた。そしてヒナギクに跪かんばかりにして許しを乞うことになった。チクショウどうしてくれる、fromdusktildawn。

このエントリは、ぼくの八つ当たり気味の反省文のようなものである。さてと。


「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方 - 分裂勘違い君劇場

1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。より引用:

  • 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。
  • 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。

違うよ。全然違うよ。


(中略)


しかし現実には、

常日頃から「一発逆転」するポイントを検出するための鋭敏なアンテナを張り巡らせ、

徹底的に「近道を探す努力」をし続けた人間こそが、

自分と、周囲と、社会と、世界を豊かにし、幸せにするのである。

「近道はない」などという、「地道な努力が報われる」教の信者の妄言

惑わされて、1回しかない人生を台無しにしないようにしたい。

はじめに、id:guri_2氏の元エントリへのぼくの感想を述べる。思わず「web色紙売り」というタグをつけてしまうくらい嫌悪感を催した。id:setofuumi氏が、ああいう「みつを」シグネチャが付きそうな文章がウケてしまう背景についての考察エントリをお書きになったのでぜひ読んでいただきたいのだけど、彼の仰るとおり、あのような文章はある程度以上に恵まれた層、自分はダメだなあもっと頑張ろうと思える余裕のある層のあいだで流通し消費されるアイテムに見える。かのエントリ全体から漂う余裕臭というかリア充臭がぼくにはキツかった。翌日書かれた、でもこういうアドヴァイスは驕りだよねという自省エントリも、実に何というか、それ自体が驕りだろというか。

そして最初のエントリに、コロリとやられたブクマコメントの数々! エントリのコメント欄もそんなノリで、こういうweb色紙に感動できるくらいには充実した「平凡な人」たちスピリチュアルとかのカモになるんだろうなあ、と嘆息した。みんなまとめて赤木智弘氏にひっぱたかれてしまえ、と思った。


で、fromdusktildawn氏のエントリについて。「地道な努力」教ウザい、は仰るとおり。今のところ成功と無縁の身であるぼくが言うのも滑稽だが、成功につながった過程にはすべて価値があり、地道な努力だろうが効果的な努力だろうが、努力とまるで無縁の濡れ手に粟だろうが質は変わらない。というか、そんな価値観は時代背景によっていくらでも変わるのであり、「うまくやった」ひとがもてはやされる時代もあったのだ。遠くはグリム童話おとぎ話、近くは植木等の『無責任シリーズ』。そして最近だとマンガやアニメライトノベルでは「最初から最強」型の主人公が活躍することも多い。先に、余裕のある層にしかああいうのはウケないと書いたことも考え合わせると、同時代でもクラスタによって努力に対する価値観は違うと言える。

そして――否、しかし、と言うべきか。ブクマコメントには、元エントリへの反感から思わず「そのとおり」とまで書いてしまったが(ヒナギク、ぼくはバカだった)、冷静に考えるとfromdusktildawn氏のエントリもまた、リア充にのみ通用するものだ。それもおそらくは、guri_2氏に感銘を受けた多くの「平凡な人」たちよりもはるかに有能な、いっそ勝ち組候補と言い換えてもいいような人々に。ブクマではいつもどおり論点のすり替えだという批判が多いが、実のところ努力の効率の話をしているのではない。ビジネスの話をしながら、言外に、地道な努力を尊ぶ人々のメンタリティを問題にしている。反シンデレラ、とでも言おうか。自分のやっていることは間違いじゃないんだ、がんばろう、と例のエントリから癒しを得ている「平凡な人」たちを、おまえたちは負け組、と斬って捨てているのだ。なにしろ「「近道や一発逆転を狙わないで地道な努力を積み重ねる」という姿勢が、/自分と周囲を不幸にし、/格差と貧困を生み出し、日本を衰退させてきた。」とまで言っているのだから。そして、効果的な努力=近道を探す努力=勝ち組思考をして豊かになれと煽っているわけだが、これが弱者に対してどのような態度を取ることを意味するか、説明の必要もあるまい。なにしろ、おまえがダメなのはおまえがそんな考えだからだ、と言っているのだから。

fromdusktildawn氏と、ぼくも含めて彼に同意した人々もまた、赤木氏にひっぱたかれるべき存在である。


guri_2氏もfromdusktildawn氏も、結局のところ自己責任教の信者なのである。自分の人生は自分でなんとかしろ。一見間違いではないが、しかし、自分でなんとかできるのはそれに足るリソースを確保できているひとだけではないのか? 彼らの視界からは、その段階にも達していないひとびとが見事に消え去っている。穢れたもの(ケガレ思想的な意味で)は見たくないとでも言うかのように。そして、そういうひとびとがそのようであるのは、彼らのせいばかりではない。fromdusktildawn氏が明言しなかったことを、guri_2氏ははっきりと「気持ちよく過ごせないのは周りじゃなくて自分が原因です。」と仰っているが(かのエントリで、もはや殺意にも似た反感を覚えた一文である。こんなにも、あまりにも奴隷根性!)、本当に周りが悪いことだってある。世の中が悪いこともある。さて、いったいどの程度の境遇のひとにまで、彼らは「自分が原因です」と言い放つのだろうか?


guri_2氏に関しては、それははっきりしている。

彼は元エントリのふたつ前にこのようなエントリを上げた。タイトルからして腹立たしいが。

自分がどんな生き方をしたいのかも決めずに世の中の文句を言うな - Attribute=51

livedoor ニュース - 【赤木智弘の眼光紙背】第14回:今年も流れは変わらないのか


(中略)


「社会的価値」という点で見れば、確かに労働力(その人の価値)の代償として賃金があるわけだから、

賃金が人間の価値を決めているというのも間違いじゃない。

でもそんなの、数十年前からそうなわけで。


(中略)


年収が多かろうと少なかろうと、その生活に見合った苦労と楽しさが同じだけあると思うんです。


(中略)


今、1人で衣食住まかなって、多少遊べて、毎月貯金も1万円ぐらいできる年収っていくらぐらいなんですかね。

都内だと250万ぐらいなのかな。地方だともう少し安くいけるって聞いたことがありますが。


個人的にはこのデッドラインさえなんとか超えられたら、あとは「自分がどうやって生きていきたいか」にかかってると思うんです。

ふざけんなと思ったぼくは、速攻でコメント欄に乗り込んだ。以下、やり取りの全文である。

y_arim 2008/01/06 19:02 「自分がどうやって生きていきたいか」なんてことに頭を回す余裕があるのは結局デッドラインを「かなり」超えた連中だけで、まさに持てる者の贅沢な悩みである。ということをおそらく赤木氏は仰りたいのだろうと思いました。イラストブログの作者が服の皺をうまいこと描けるのも、どうにかそれをする年収が確保できているからという。

1対1の人間の価値は賃金だけでは確かに決まりませんが、実はそれもあるライン以上の賃金が確保されていればの話なのだ、としたら? 本当に救われない人々は、その1対1の人間関係ステージにも上れない、目に見えない存在なのだとしたら……?

guri_2 2008/01/06 20:54 そっか、そういう意図だったのか。うーん。

確かに持てるものほど頭を回す余裕があるかもしれません。そう見えるだけで実はないのかもしれません。その「かなり」が果たしてどのくらいの量なのかはちょっと気になるところですね。

ただ、月並みですが電気ガス水道をたびたび止められ、狭い部屋で共同生活しながらも夢を追いかけている友人を見ていると、デッドラインはいくらもで下げられるのでは、と思ったりします。

「1対1のステージ」というのもわかるにはわかるんですが、「ステージ」というほど敷居の高いものなんでしょうか。上がろうとするだけでいいと思うんだけど、それって酷な意見なのかな…。スイマセン、そこはちょっと現場を見てみないと想像がいかないです。

y_arim 2008/01/07 12:24 問題は、ご友人が「電気ガス水道をたびたび止められ、狭い部屋で共同生活しながらも夢を追いかけ」られるからといって、だから文句言わず夢を追え! などとはそういう境遇のひとびとに向かって言えないということだと思います。ご友人の生活は、ご本人がどうお考えになっているかはともかくとして、第三者のぼくが拝読する限りひどく苦しいものに見えるわけで。これでも夢を追えるんだからその苦しさを受け入れるように、とは誰も要求できないのではないか、と。もちろん政府も。

直接には関係ないことながらも、生活保護関係のニュースとネットでの反応を見るたびに漠然と考えるのですが、健康で文化的な最低限度の生活」を制度で保障することと、「健康で文化的な最低限度の生活」を押しつけることは別なのではないかと。どうも後者を主張するひとが一部にはいるような気がします。

ご覧のとおりである。これこそが真の「上から目線」というものだ。赤木氏に象徴的な意味でひっぱたかれるどころか、目の前にいたらリアルでぶん殴られるんではなかろうか。こういうひとが「今は少し気楽に生きている自分のロジック」とやらを「同じ目線」(ブクマコメントやコメント欄より。だから、それはリア充向けの視線なんだってば!)で綴ったところで、その言葉は届かないよ、としか言いようがないのだ。

そしてfromdusktildawn氏については、これまで述べてきたように、またhokusyuがブクマで述べたとおりに、このエントリの裏返しでしかない。


ところで。fromdusktildawn氏はまたも、ろくな知識もないまま南京大虐殺に口を挟んだ一連のゴタゴタと同じ愚を犯している。

マルクスでさえ、「労働価値説」を信じていたぐらいだし、

ほとんど動物的なレベルで「努力に比例して価値が生み出される」ということが

正しいと思えるのが、人間という生き物なのだろう。

あのう。労働価値説ってどういうものかご存知?

彼と同じくアルファブロガー(らしいよ)のid:finalvent氏がまさに「マルクスの労働価値説」というエントリをお書きになっているので、そこから引用しよう。というか、Wikipediaの孫引き。

マルクス経済学では、交換される二財には、二つを釣り合わせる何かがあると考え、これを価値と呼んだ。交換は価値の等しい二財間で行われることになる。等しくなければ、どちらかが一方的に損をすることになり、いずれは交換が成立しなくなってしまうからである(等価交換の原則)。そして、これらの価値を測る絶対的尺度が、商品に投下された「労働量」である。価値は、抽象的人間労働によって生み出されるものであり、希少性や一時的な需要によるものでないとマルクス経済学では考える。(労働価値説)

諸々すっ飛ばして大雑把に言えば、商品の「価値」は投下された労働量によって決まる。そのような意味で、「労働」は「価値」を生む。ちなみにマル経用語で、「労働」と「労働力」は厳密に区別される。「価値」と「使用価値」も違う。(価値を)生む=「生産」ですら、「資本の生産過程=剰余価値が生産される価値増殖過程+使用価値が生産される労働過程」というクソややこしい定義がある(どうぞ、お調べになってください!)。

彼の素朴な書きっぷりは、このあたりの定義を理解していたとは思いがたいのだ。

それに、なぜ「労働」が「努力」にすり替わっているのか? その努力という語は労働価値説のどこから出てきたのだ? 地道な努力を積んでいけばそれに従って価値が生まれるという話と、マル経の労働価値説はまったく関係ない。文系ではあるものの、経済学は基本的に門外漢のぼくでさえ10分調べれば突っ込めることだ。いや本当に、いい加減な話をしないでいただきたいものである。


繰り返しになるが、結局guri_2氏もfromdusktildawn氏も自己責任教の信者なのである。彼らの言葉で救われた気になるひとびと(そもそもその程度の消費しかされない時点で色々とアレだ)には、こう問うておきたい。メッセンジャーでのhokusyuの言葉を借りることになるが。

不幸な人に自分が遭遇してしまったときに何をするかを考えてみよう。自分への不条理は自分を変えることでどうにかなるとする。では、他者への不条理は? その他者が変われというのだろうか? それはまさに自己責任論だ。guri_2氏ならばその他者を助けようとはするかもしれない。しかし、世界の不条理に眼を閉ざすなかで、その行為は意味があるだろうか?


最後に。ようやく表情を緩めたヒナギク、こう言った。でもあなたはまず働くことが先決よ。こういう風に物申せるのも、それに見合ったリソースのあるひとだけだから。

そのとおりだ、と思った。

hogehogehogehoge 2008/01/12 11:39 働いたら負けかなと思っている。

rteedarsrteedars 2008/01/12 11:59 Guri_2氏は、というかあの文章はそもそもhashigotanにむけて書いた文章なんだから他の人に適用されなくても別に構わないのでは? とか自分では思ったんですが。自己責任教、確かにもっともだと思いますが、社会は個人の集まりで、個人はやはり自分が代わらなければ変わらない。個人が変わらず社会が変わる、という状況が、自分にはちょっと実感わかないです。偉そうですいません

hokusyuhokusyu 2008/01/12 12:41 ところで『今日の5の2』はリア充だと思うのだがどうか。

y_arimy_arim 2008/01/12 13:13 #hogehogeさん
おれ負けっぱなしだよ最近! 週5日負けている人たちは偉すぎる。おれももっと敗北を知りたい。

#rteedarsさん
>あの文章はそもそもhashigotanにむけて書いた文章
もしかしてそうなんじゃないのかなあとは思っていたのですが、やはりそうなのでしょうか?
本当にそうだとしたら、もう輪をかけて最悪と言わねばなりません。あのような物言いこそ彼女の憎むものではないですか。ぼく自身はhashigotanは大嫌いですが、「敵の敵は味方」戦法は採りません。
>個人はやはり自分が代わらなければ変わらない。
われわれは社会や制度の奴隷ではありません。

rteedarsrteedars 2008/01/12 13:47 >われわれは社会や制度の奴隷ではありません。
うーん、じゃあ社会の奴隷制度改革のためには何が出来ますか?
やはり自分が行動を起こさなければ、つまり”自分が変わる”というか、自分のやり方を今までと変えなければ、結果は今まで自分がやってきた時のものと変わらないんじゃないんですかね?
”今現在の自分自身の状況”って、国家制度とか大きな事を言わなければ自分の生き方の結果だと思うんですよ。同じような目にあっても自分の気の持ちようによって絶望して立ち上がれなくなって埋没、あるいは奮起して周りの環境を変えようと努力したり。
そう考えると、社会は力のぶつかり合いでなりたってるんだから、変えたければまず自分の周りを変えていければ、少なくとも自分の周りの環境は変わっていく(あるいは自分の気の持ち方を変えていく。それは社会や状況に負けた、とかではなく)。
自分が社会の奴隷でないなら、それは自分から社会(の縮図である自分の周りの環境)に発信しなければ社会はまったく変わらないような気がします。

   2008/01/12 15:30 遠回りでも歩き続けるのと近道を探すのと、どっちが早いかを語れるのは、目的地に着いた人だけですから。
着いてない人に何を言っても上から目線になるのはしょうがないですよね。

みつきみつき 2008/01/12 15:38 若いなあ。キミたち(上から目線で)

doplxyzdoplxyz 2008/01/12 18:58 ↑年寄りだなぁアンタ(下から目線で)

通りすがり通りすがり 2008/01/13 01:57 デスクワークで週6日、1日12時間 負けている人間ですが、何か?

志村志村 2008/01/13 04:35 自己責任なんて糞食らえ、責任は全部他人にある。
俺に責任が無いんだから、お前らが何とかしろ。

tamaotamao 2008/01/13 20:32 >「気持ちよく過ごせないのは周りじゃなくて自分が原因です。」
これって、
気持ちよくないのは、
「気持ちよくない」と思う自分がいる、思うか思わないかは自分次第だということですよね?受け取り方だと。

じゃあですよ、じゃあ。

いきなり自分に殴りかかってきた人がいたとして、
その場合も、そいつが悪いんじゃなくて
「痛いと思う自分がいなければ、
痛い目にあわせた人もいない」
と思えるのでしょうかね??
それとも、殴られるような場所にいた自分が悪い?
全てはあり得べくして起こったこと??

これって屁理屈なんでしょうか??

自分が変われば、世の中の見え方が変わることは解るけど、
問題は自分なんだから、自分が変わればOK!
みたいな論調はある種の無責任では無いのでしょうか

himadjhimadj 2008/01/13 21:30 とりあえず一ヶ月間がんばろう
→それは自己責任教だ

自分が気持ちよく過ごせないのは相手が悪い
→それは甘えだ

さて、この辺のさじ加減が難しいな

y_arimy_arim 2008/01/14 08:37 #rteedarsさん
>やはり自分が行動を起こさなければ、つまり”自分が変わる”というか、自分のやり方を今までと変えなければ
そこ、ちょっと話が混ざっていますね。気持ちよく過ごせないのを自分のせいにして自分を変革して事足れりとするのと、外部に原因を求めてアクションを起こす(=自分が変わる)のは別の話です。ぼくは前者を自己責任教として批判していますが、rteedarsさんは反論として後者の話をなさっています。微妙なすれ違い。
で、後者。弱者の戦いを肯定する意味で悪くはないのですが、やはり陥穽はあります。この言い方だと、社会はおまえらのためには何もしてくれないよ、と暗に主張していることになるのです。それはやはり形を変えた自己責任論でしょう。
「立ち上がる気力」も結局リソースの問題だと思います。そんなことに頭を使う間もなく「生存」せねばならない(文字通り、命がけで)レベルのひとには、何が言えるのか? 奮起せよ、ではあまりに冷酷です。
……もっとも。そういう階層のひとがインターネットに接続できる環境にあるとはあまり思えないので、何を言っても虚しい気はします。

# さん
結局、気がついたらたどってきた道ができていた、という性質のものでしょうね。それを似たような目的地に着いた他のひとと比較することに、さてどこまで意味があるのか、と。

#みつき・doplxyzさん
(・∀・)ニヤニヤ(神視点で)

#通りすがりさん
いい負けっぷりですね! あなたの負ける姿は美しい。や、本当に。
ただ、気をつけなければならないのは、自分はこんなに負けているんだぜ、とマイナス自慢をしてはならないということです。「おれのほうが負けている」「いいやおれだね」「「だからおまえらも負けろ」」というのでは、単なる奴隷根性になってしまいます。誇らしく在りましょう。

#志村さん
うしろうしろ!
まさに仰るとおりの状況が世の中には存在する、ということです。
このあたり、世代によって感じ方も違うんじゃないのかなあ。

y_arimy_arim 2008/01/14 09:01 #tamaoさん
俗流自己責任論がある種の無責任さに基づいているというのは興味深いですね。ぼくもそう思います。自分の受け取り方しだいというのは、ある種の独我論ですから。
北守id:hokusyuが最新のエントリでそういう話をしています。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080112/p1
内容自体は、自分の専門分野にひきつけて物を言いすぎ、そこで西洋思想を持ち出しても現代日本の努力教ハゲタカ教からそこまで遡れるのか微妙、という問題をはらんでいますが、仰るような「すべてはありうべくして起こったこと」という思想に近しいものとしてライプニッツの最善説が紹介されています。
西洋だとまず無謬の神がいますから、楽観的に考えれば現在の世の中は神によって最適化された状態であり、あなたがぶん殴られたのも大きな流れの中で見れば予定調和の中にある、ということですね。やってられっか! まあ、ライプニッツ氏の時代から200年を経ずして神は死にましたけれど。
んで、そういう神がとりあえず大昔にもいなかった本邦の今のご時世、自分が変われば世界は優しくなるよ(=世界は本来いい感じなんだよ)という実感はおよそ持ちにくいと思うのです。誰がその世界のよさを保証してくれるんだ? おまえか? おまえ神か? とりあえず殴らせてくんね? という感じで。

#himadj
まあ、クラスタにもよるとは思います。自責と他責の比率。
ただ、どんな状況であろうと、片一方がゼロになることはありえません。そして、なんとなくいい感じのひとが「不平不満は自分おせい! 自分が変わらなきゃ! 頑張ろうよ!」と言うのはとても胡散臭いのです。

heartless00heartless00 2008/01/14 10:18 rteedarsさんへ

自分が変わればって言われても・・

残業1日4時間、休日出勤あたりまえ、低収入、ワーキングプアです・・起きる、働く、食う、寝る、だけで手一杯なんです。時間が無くてブログの更新が滞るんです。ラノベ買う金が無くて禁煙してるんです。車検が近いから新作ゲームに手が届かないんです。車の維持費すらままならないから売却、電車通できる会社に行こうと思ってるんです。将来は父の介護も・・こんな食っていくだけで精一杯の奴隷のような状態で努力って言われても・・私のような底辺労働者にとって「自己責任」は死刑宣告です。赤木君と同じく、戦争やテロを夢見てしまいます。なんとかシステム変革が起こらない限り私は将来首を吊るかもしれない・・もしくは単独テロを起こして、死刑囚として首を括られるかもしれない。私の様な底辺にとっては誰かシステム変革のための「連帯」に導いてくれる、余裕があり頭脳が優れている人が立ち上がってくれる事を祈るしかないのです。

余裕があるなら自分以外の事のためにも少しは動いてください。自己責任とか言わないでください。私は精一杯の努力をしてきた・・しかし環境に抗えるはずもない。母を亡くし父が体を壊す、この環境に生まれた責任は、私にはない・・

rteedarsrteedars 2008/01/14 21:11 人様のコメント欄で何度も失礼します。申し訳ありません。

>y_arimさん
実際問題として社会は何もしない、主張もしない者を助けてくれるんでしょうか?
日本でも世界でも、何か社会が変革するときは必ず大衆(あるいは少人数の個々人)から始まったと思うんです。
何か苦しいことがあった時、誰か(上司だったりとか)に相談したり、誰も助けてくれなくて、だったら自分らでやっていこう、自分らの活動を大きくしていこうという風に社会に波及していったと思います。
自己責任、という言い方が非難の対象になっていますが、自分の欲しい物は自分で伝え、求めなければ手に入らないのは何時の時代も変わらないと思います。
日本人は待っていたら助けが来る的な、悪く言ってしまえば白馬の王子様的な幻想を抱きがちだと思いますが、誰も来てくれなければ自分でやるしか方法はないのだと、自分ではそう思います。

>heartless00さん
システム変革のためには変革されるべき社会にそれを伝えることをしなければどうにもならないと思います。
例えば薬害問題でも被害者は大衆に、そして国に身を晒し、主張しそしてマスコミ(巨大勢力)がバックについたからこそ何もやる気のない福田首相を動かすところまで行けた訳です。
毎日の生活の中でも、ワーキングプア問題に積極的な団体に相談したり、あるいは日々の現状を伝えるだけでも彼らの活動に参加していることになると思います。
正直、自分も4月からプログラマです。
学校にいるだけでもIT産業従事者の悲鳴に近いような声が聞こえてきます。かなりの(精神的、肉体的な)重労働になるかと思いますが、自分に出来る範囲でやっていこうと思っています。
甘い世界じゃないのは分かっていますが、主張、提言できる事はあると思います。
自分の住んでいる世界は自分で変えるしかないと思いますが、何か出来ることがあればお手伝いしたいと思います。

おいっおいっ 2008/01/15 12:38 >heartless00さん

定職と収入があって自由意志での会社変更選択の余地まであって
どこが限界なのだと小一時間・・・
充分恵まれていますよ!

tamaotamao 2008/01/15 22:36 >y_arimさん

>あなたがぶん殴られたのも大きな流れの中で見れば予定調和の中にある、ということですね。

自分が恵まれた立場にいれば(いると感じられれば)、
自分が変われば世界は優しくなる、
世界は自分の感じ方で、見え方が変わる。
と思えるのでしょうね。

その人たちが、厳しい状況になっても
同じように思えるかどうかは、微妙だろうなと思います。

社会の問題や世代間の問題は
心のありようとは別問題だと思いますし、
社会の機能不全などを、心のありようで解決(納得?)させようとするのは少し乱暴だと思います。

heartless00heartless00 2008/01/16 12:51 >rteedarsさん

ワーキングプア問題に積極的なNPO・・余裕があって頭脳も優れている人の良き運動だと思います。ファイザーから献金を受けていたりといろいろ問題はありそうですが。薬害問題についても弁護士の方々の後押しがあってのことだと思います。真の弱者はノブレス・オブリージュを自覚している強者に頼るしかありません。
ご理解頂けているようなのでこれ以上言う事は有りません。
お互い踏ん張って生き抜きましょう。

>おいっさん

それなら尚更問題です。私が恵まれているかどうかは「?」ですが、ネット環境があるだけでも幸いだと感じているのは確かです。ブログで非モテとかオタクとかごちゃごちゃ書いてる理由も書くことで目に見えないほどちょっとでも変化を求めているからです。10円募金の感覚でミーム養殖・・

勝手にコメ欄拝借申し訳ないです><

ゲスト