無料ブログを簡単作成!『Ameba by CyberAgent アメブロ』
2007-12-16 14:14:03

佐世保銃乱射事件 続き

テーマ:著書・集団ストーカー

時間が経つにつれて新聞報道も、馬込容疑者について詳しく報道され始めた。


その中で気になる記事が中日新聞の


「消費者金融からの借金を父親の退職金で返してもらっていた」。近所の人には両親が甘やかしているように映った。


と言う部分である。


このブログで何度も書いている「自己愛性人格障害」の発症要素がある。


サンケイの

馬込容疑者の母親と親交があったという女性は「精神的に不安定で通院していると聞いた。最近顔を合わせたときは目がつり上がっていて恐ろしかった」と話していた。


と言う記事や、犯行を合わせて見ると「自己愛性人格障害」から「躁うつ病」を発症した可能性が高いと思う。


このパターンとして見れば、親友を殺害した犯行の動機などが全て理解出来る。


まず、自己愛性人格障害の人の、利用価値があると思った人への擦り寄り方は尋常ではない。

ほとんどの人は、その「擦り寄り方」を好意的に受け止めてしまう。

そして、それを友情や愛情と錯覚してしまう。

しかし本心は全く別の所にあり、そこには友情や愛情といった物は存在せず、冷淡に利用しているだけである。


その為、少しでも「裏切られた」などの不満が出た時、その感情は180℃変わり、敵対感情に変わる。

その「裏切られた」と言う感情は、単に約束を忘れていたなどと言う事だけで発生するし、非常識な申し出を断っただけでも発生する。


事実かどうかは知らないが、押しかけ厨で「G県厨 」と言う物がある。

少しでも、自己愛の人の心理を理解したいのであれば、かなり長いが一読をお奨めする。

これは、同人系での話しだが同人に限った事ではない。


しかし、この手の人は脳内のリミッターが外れている。

常人ならば、リミッターが効いているので、どこかで心のブレーキがかかり、力に加減が生じるのだが、この手の人に加減が無い。

人を刺せば背中まで貫通するほどの力で刺し、銃ならばアメリカの銃乱射に見られるように乱射しまくり、最後は自殺する。


そして、その根底にある原因が「親の愛情過多」である場合が多いのが悲しい所である。


こう言った事件や、集団ストーカーの問題や、G県厨などの「厨」の問題などは、同じ根を持った異なる芽であり、根本は同じで現れ方が違うだけである。



集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都


2007-12-15 18:41:48

佐世保銃乱射事件

テーマ:著書・集団ストーカー

佐世保の銃乱射事件の馬込容疑者が気になったのでネットで調べてみた。

気になったと言うのは、犯人像があの臭いがしたからだ。


するとMASサンケイニュースや読売に彼の「奇行」について色々書いてあった。


馬込容疑者は「近所の人があちこちで悪口を言うから就職できない」と周囲に漏らしていた・・・やはりね。

私が著書で書いている人と同じだ。


その他にも以下の記事があった。


6~7年前に病院を辞めてからは無職になり、知人は「このころから少しおかしくなったように思う」。自宅の離れにこもりがちになるなど、人を寄せ付けない雰囲気になり、教会にも年に数えるほどしか姿を見せなくなった。


近所の人は「4、5年前、深夜2時ごろに馬込容疑者に自宅の呼び鈴を鳴らされた。玄関に出ると『トイレを貸してほしい』と言われた。同じことが2度ほど続いた」


馬込容疑者の母親と親交があったという女性は「精神的に不安定で通院していると聞いた。最近顔を合わせたときは目がつり上がっていて恐ろしかった」と話していた。


私が著書で書いている人の基本的パターンが随所に見られる。



あのような事件が起きる前に、あのような人に早く気付き、あの様な悲惨な事件が起こらない為に本を書いたのだが、残念でならない。



まあ恐らく、勝手な思い込み被害からの逆恨みだろうと思うが、著書で書いているような人達は、勝手な思い込みを確信に変えて問題を起すから始末が悪い。





集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都

2007-11-24 16:51:56

今日感じた事・・・

テーマ:著書・集団ストーカー

これも、「いじめ」の心理につながる事と思うので、メモ書き程度に書いておこうと思う。


私の著書は近くの大きな本屋でも売られている。

そこは、レンタルビデオもやっているので、結構頻繁に行くのだが、そのついでに自分の本の売れ行きも見ていた。


同時発売の「プレステ3は何故失敗したのか」「タイと言う名のマンボウ」今の所、ブラック新書シリーズは、私の著書を含めて3冊である。


発売当初は、プレステ3と私の本は、常に5冊ずつ置いてあった。

これはこれで、いつも5冊あると「売れていないのかな?」等と心配になる。


そして、プレステ3より一冊少ないと「ヨッシャ!」と思い、プレステ3の方が一冊少ないと「クッソー!」と思ったりもする。

まあ人気度からすればプレステ3には遠く及ばない事も知っているのだが、不思議と競争心が沸いて来る。


それが、ブラック新書シリーズが各1冊ずつになった。


すると、少し寂しさを感じるようになる。


そして、私の著書が売り場から消えた。


それは、その売り場では同じブラック新書の中で、一番先に売り切れたと言う事であり、喜ばしい事なのに差別感を感じる。


同じブラック新書シリーズなのに、私の著書だけ置かれていない・・・


売り場での「売れ行き競争」で勝ったのに、仲間外れになっている感覚・・・


同じ感覚、何処かで味わった覚えがある。


思い出した!追試だ。

私はテストの点が赤点を取らなかったので、追試は無かったのだが友人達が受けていた。

それは喜ばしい事の筈なのに、追試を受けていた奴の話に入れない自分が、除け者になったような感覚と同じだ。

そんな時に、話しの中には入れないと「俺は追試無かったもんね!」と強がった言い方をして、無理に話しに加わろうとした自分を思い出した。

今思えば、嫌な奴だ。

そんな時は、「へ~そうなの!」と聞いているだけで良いはずなのに。

話を聞いているだけでも、話に参加しているはずなのに、自分で何か言えないと話に参加していると思えなかった馬鹿な自分がそこにいた。

それが「若さ」と言う者なのかも知れない。


人間の感覚とはなんと厄介な物だろう。




集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都