自称集団ストーカー被害者
テーマ:著書・集団ストーカー著書で書いている自称集団ストーカー被害者は、多くの場合が学生時代に「いじめ」やそれに類する経験を持っている。
そして進学、就職して行く訳だが、何処か勘違いをしている人が多い。
それが、学歴と実績だ。
学歴などと言う物は、就職する際の目安の一つでしかない。
会社での評価は「実績」だ。
ネットには「学歴厨」なる物もいる。
そいつらは「高卒」や「専門学校卒」を目の敵のように馬鹿にする。
「上司が高卒だから気に入らない」
馬鹿丸出しだ。
上司は実績を残しているから出世したんだろう。
実績も無い奴が何を言っても説得力は無い。
自称集団ストーカー被害者も同じだ。
社会で何の実績もなく引きこもっている奴を、組織的にストーカーする必要が何処にあると言うのだろう?
狙われる理由があると思っているのは自分だけ、つまり誰も狙う理由など無いと言う事だ。
多分、自分では明晰な頭脳の持ち主と思っているのだろう、相手(思い込んでいるだけ)の事を、低脳とか言いまくる。
しかし、その被害内容は小学生の理科も理解していない内容を根拠にしている。
そんな事を根拠に、仮想犯人を「低脳」と蔑む。
その事が、自分のレベルの低さを証明している事にすら気付いていない。
社会から抹殺する為に?・・・引きこもっている時点で、すでに社会から消えている事にすら気付いていない。
すでに社会から消えている人を、社会から抹殺する必要など何処にも無い。
大真面目に、小学校で習う事を応用出来ていないだけの被害内容を訴えている時点で、他人は明晰な頭脳の持ち主とは思わない。
普通、病気の症状が自分に当てはまっていれば自分の体を心配して病院へ行く。
しかし、彼等はその症状が自分に当てはまっても、病院に行かない。
それどころか、精神医学自体を否定する。
そしてあまりのレベルの低さに反論する事すら躊躇してしまう事すらある。
昔、旅行会社にいた時に一般常識問題を出し合って遊んでいたのだが、部下の一人にお馬鹿が一人いた。
「日本の国立公園を3箇所答えろ」との質問に「代々木公園」「日比谷公園」「井の頭公園」・・・ハア~?
「アメリカの首都は?」・・・「ニューヨーク」・・・え?
「世界一高い山は?」・・・「ヒマラヤ」・・・位置的には合ってるけど・・・
そいつが、反撃に出てきた
「じゃあ先輩、これ知ってますか・・・パリの首都は何処ですか」・・・・答えに詰まる。
頭を抱えてすぐに答えなかったら「あ~先輩知らないんだ!」
そいつに営業会議の時に、自分に何が足りないかのレポートを出させた。
そのレポートにはこの様に記されていた「僕には脳波が無いので・・・・」
「死んどるのかお前は!」
そいつはノウハウの事をを脳波と勘違いしていた。
集団ストーカー被害者とのやり取りは、この時の感覚と同じだ。
この部下と、集団ストーカー被害者の違いは、後者は学歴も高い人が多く、かなり高い知識は持っている所だ。
ただし、持っているだけで何の応用も出来ていない。
知識は持っていても、使えなければ昔の部下と同じだ。
問題は、そんなお馬鹿な部分ではない。
お馬鹿は愛嬌でもある。
自分のお馬鹿を認識出来ず、自分のお馬鹿さを自分でさらけ出しているのに、自分を「特別な存在」と主張している所にある。
それは、学歴と言うプライドがなせる業なのだろうか?それとも自己愛がなせる業なのだろうか?
それをスケールダウンして想像すれば、その人のこれまでの人間関係が目に浮かぶ。
集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都