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2008年04月11日(金曜日)付

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一般財源化―首相は法案修正で確約を

 やる気はあるのだろう。だが、本当にできるのか――。そんな疑いの目で見られているのが、福田首相が明言した道路特定財源の一般財源化である。

 さきの党首討論でも、小沢民主党代表に「首相のお考えは政府で正式に決めたものなのか、与党で決定されたものなのか」と詰められた。

 自民党内の道路族議員たちは強力だ。首相は彼らの反対を押し切って、09年度からの一般財源化という約束を果たせるのか。疑念を抱かれるのは仕方のない面がある。

 いまの特定財源の仕組みでは、ガソリン税などから入る税収は道路だけにしか使えない。それを何にでも使える一般財源にするのは、郵政民営化を成し遂げた小泉元首相ですら党内の反対で先送りせざるを得なかった難題だ。

 それを考えれば、単なる口約束では納得できないという野党の言い分はもっともだ。首相はきのう、政府・与党合意をつくろうと動き出したが、ここはもっと大胆に踏み出すべきだ。

 それは、特定財源制度の土台となっている特例法を手直しすることだ。

 この特例法の規定が3月末で期限切れとなるため、さらに10年間延長する改正案がこの国会にかかっている。これを「08年度限り」と直せば、次からは一般財源化する。首相の約束の支えとして、これほどの重しはない。

 むろん、道路族を説得することが前提だ。党の正式決定も必要になる。この困難な作業を先にやってみせることが、何よりの証しになる。

 政府与党は、とりあえず「10年延長」の改正案を衆院で再可決してでも成立させる構えだ。一般財源化は来年の国会で法改正すればいいということだろう。だが、首相の約束と矛盾する内容の改正案をそのまま押し通すというのでは、信じてくれと言う方が無理ではないか。

 首相は、財政運営の基本方針を定める夏の「骨太方針08」に一般財源化を書き込むと言っている。これも約束の担保になるか疑わしい。その方針づくりや法改正で道路族が骨抜きに動くのは目に見えているからだ。

 首相や与党幹部が改正案の修正に及び腰なのは、道路族の説得に自信がないからではないのか。このままでは、そんな見方が広がってしまうことを、首相は真剣に考える必要がある。

 「福田首相誕生」にあたって道路族の後押しが大きかったことを思えば、なおさらだ。

 幸い、首相には応援団がいる。数はまだ少ないものの、自民党の若手や公明党内に修正を求める声がある。何よりも、世論調査で6割が一般財源化を支持しているという追い風がある。

 政局はこれから激動が予想されるが、首相が活路を開くには、まず道路族にひるまない姿を見せることだ。

少年調書引用―講談社の脇の甘さの罪

 権力の介入を招いた要因に筆者と出版社の脇の甘さがあり、表現の自由に悪影響を与えた社会的責任は重い。

 奈良県で起きた放火殺人事件を題材にした単行本をめぐり、講談社が自ら設けた第三者調査委員会から、このように指摘された。

 講談社が、自宅に放火した少年の供述調書をほぼそのまま引用して出版したため、調書を見せた鑑定医が秘密漏示容疑で逮捕、起訴された。取材源を守れなかった出版社が厳しく批判されるのは当然だろう。

 学者やノンフィクション作家、弁護士ら5人でつくる調査委の報告を読むと、権力の介入への無防備さと出版物へのチェック態勢の甘さという構造的な問題が浮かんでくる。

 元少年鑑別所法務教官の筆者と週刊現代の取材班は、鑑定医の自宅で調書を見せてもらった。医師が勤めに出た後、取材班は調書を撮影した。だが、鑑定医との間では「コピーせず、直接引用もしない。原稿は鑑定医が点検する」との約束が交わされていた。

 筆者は、週刊現代と月刊現代に調書を引用して原稿を書いた。このときはいずれも編集者が手を入れ、直接の引用を避けた。

 ところが、単行本にするため、担当の編集者が代わったときに、社内で鑑定医との約束が引き継がれなかった。単行本はほとんどが調書の引用で埋まり、カバーには少年が捜査段階で描いた図が使われた。本の題名も当初は「供述調書」だった。調書の入手を売りにしようとしたのは明らかだ。

 講談社が調書を大量に引用したことの問題点は、それによって取材源を突き止められたということにとどまらない。少年や家族のプライバシーにあまりに踏み込みすぎたのではないか。とくに少年に対しては、更生を妨げないようにしなければならないのに、そうした目配りが欠けていた。

 深刻なのは、社内でチェック機能が働かなかったことだ。担当の部長や局長、法務部、役員らが原稿に目を通したが、出版に反対したのは週刊現代編集長だけで、それも無視された。

 今回のような報道や表現の自由にかかわる問題では、捜査当局が介入すべきではないことは言うまでもない。このことは改めて強調しておきたい。

 講談社は今回の不祥事の責任の所在を明らかにしたうえで、調査委の検証を生かし、再発防止を早急に図らなければならない。

 起訴された医師は「少年に殺意がなかったことを理解してもらいたかった。調書を見せたことは後悔していない。見せる相手を間違えたことを後悔している」と調査委に語った。

 メディアにとって、取材先から信頼されなくなる損失は計り知れない。このことを胸に刻んでいきたい。

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