きょう十日は瀬戸大橋が開通して二十年の記念日です。週末には多彩な催しがあり、参加される読者の方も多いでしょう。
三月の本欄で「玉野には四月、空襲のほかに、折りに触れて伝えていかなければならない大きな出来事がある」と書きました。それは、二十年前に姿を消した宇高連絡船のことです。
七十八年間にわたり、本州と四国を結ぶ大動脈の役割を果たしてきた連絡船。旅立ち、帰省、出会い、別れ…幾多の思い出の舞台ともなりました。そして瀬戸大橋架橋とともにその役割を終えました。
玉野圏版では一月から十五回にわたり企画「連絡船廃止から20年 宇野港の軌跡」を連載しました。操船に携わった人たち、活気づいていた港の様子、しぼんだ大型開発構想…。往時を知っている人には懐かしさを、知らない若い人には目新しさをもって読んでもらえたと思います。九日からは“第二弾”として現在、宇野港で頑張る人たちを取り上げた企画「港に生きる」を連載しています。
瀬戸大橋開通で、本州四国間の交通は便利になりました。ただ、料金の高さなど課題もあり、すべてが順風満帆というわけでもないようです。一方、玉野は“連絡船の街”から脱皮する試行錯誤を今なお続けているように見えます。
歴史から学ぶことは多いはずです。連絡船廃止後の地域の歩みを振り返ってみることは、玉野の将来を考えるときに必要なことです。節目の日に当たり、あらためて感じています。
(玉野支社・高木一郎)