戦後初の空席が続いていた日銀総裁人事が、混迷の末に決着した。就任して間もない白川方明副総裁を総裁に昇格させる政府の人事案が国会で同意され、総裁不在という異常事態は約三週間ぶりに解消された。
白川氏の後任の副総裁として前財務省財務官の渡辺博史一橋大大学院教授を起用する案は、参院本会議で民主、共産、社民各党などの反対多数で否決された。二人の副総裁のうち一人を欠く不正常な体制は続く。
それにしても後味の悪い総裁人事となった。副総裁に任命した白川氏を、政治の対立で総裁が決まらないという理由から昇格させたのは、何とも苦しい選択としか言いようがない。
総裁は日本の金融政策の指令塔であり、中央銀行の「顔」でもある。国内外の市場などに対する日銀総裁の権威や信認が傷ついたのは間違いない。発言力の低下は免れず、そのツケは大きい。日銀出身の白川氏本人が一番、受けたダメージを懸念しているのではないか。こういう事態を招いた政治の責任は極めて重い。
福田康夫首相が描いていた構想とはかけ離れた人事になった。「その場しのぎ」のような手法で迷走し、指導力のなさを露呈した。
民主党の対応も理解に苦しむ。福田首相が提示した総裁候補者は二度とも財務省OBだったが、いずれも拒否した。「財政と金融の分離」「天下り禁止」などの反対理由を掲げたが、説得力に欠けた。欧米では珍しいことではなく、あくまで人物本位で判断すべきだった。
「政争の具にした」と言わざるを得ない。さらに参院の副総裁人事案採決で一部の民主党議員が造反し、小沢一郎代表の指導力にも疑問符が付いた。火種を残す結果を招いたといえる。
瀬戸大橋(本四連絡橋児島―坂出ルート)は十日、開通して二十周年を迎えた。人の世なら二十歳を祝福するところだが、手放しでは喜べない。本州と四国をつなぐ大動脈としての機能を、十分に果たしているとはいえないからだ。
瀬戸内海で隔てられた両岸を橋が結び、陸続きになった意味は大きい。生活圏、経済圏が飛躍的に広がり、人や物の往来を促した。移動時間の短縮は岡山から香川へ、あるいは香川から岡山へと会社や大学への通勤、通学を可能にした。JR瀬戸大橋線の利用者は年間八百万人を超えている。
しかし、車の利用は開通時の見込みの半分以下、一日当たり約一万四千台にとどまっている。ネックは高い通行料金だ。早島―坂出間の普通車の料金は開通時には片道六千三百円だった。その後、往復割引の導入や改定によって段階的に引き下げられ、現在は同四千百円になっている。それでも同じ距離を通常の高速道路を利用した場合に比べると約四倍になる。高過ぎて使おうにも使えない。
本四公団は三年前に民営化されて本州四国連絡高速道路会社となり、日本高速道路保有・債務返済機構から橋や道路を借りて、リース料を払う仕組みになった。公団から同機構が引き取った借金は二兆円に上る。本四高速は借金返済が第一として、通行料金の抜本的な引き下げに及び腰だ。
しかし、大幅な料金引き下げを実現しなければ、利用増にはつながらないだろう。岡山、香川両県知事は定例会見で、通行料引き下げのために道路特定財源の投入を国に求める意向を示した。先例もある。本四公団が民営化する際、借金の一部一兆三千四百億円を国が肩代わりしたが、これには道路特定財源が充てられた。
道路特定財源をめぐっては、福田康夫首相が一般財源化を打ち出すなど国政の焦点になっている。また、政府、与党は揮発油税の暫定税率維持を盛り込んだ税制改正法案が参院で否決、あるいは採決が先送りされても、衆院で再議決し、ガソリンにかかる税金を元に戻す方針だ。自動車のユーザーが負担する税金である。復活させるのなら、高速道や本四連絡橋などの料金引き下げにつながるような使い道を探ってほしい。
瀬戸大橋は自然景観にマッチした世界に誇れる長大橋である。将来の道州制時代もにらんだ中四国の地域戦略を描く時、重要なインフラだ。この地域全体の発展のために、広く利用できる橋にしなければならない。
(2008年4月10日掲載)