無期懲役。連続児童殺害事件で秋田地裁の判決は、凶悪と卑劣の言葉で、畠山鈴香被告を断罪した。親が子を殺す、虐待する。それが日常化している。現代社会に異常性が潜む現実を直視したい。
最大の争点が、橋から川に転落した長女彩香ちゃん=当時(9つ)=への殺意と近所の米山豪憲君=同(7つ)=殺害時の刑事責任能力だった。判決はともに認めて、畠山被告が二人を殺害したと断じた。検察側が求めた死刑でなかったのは、犯行に「計画性がない」という点が最も大きいといえよう。
判決では、「(彩香ちゃんの)養育・保護責任を放棄したい」などという、あまりに身勝手な畠山被告の動機が指摘された。親として許されぬ特異で異常な犯行だが、類似する事件にも目を向けねばならない。
警察庁によれば、昨年に全国の警察が摘発した児童虐待事件は三百件に上り、統計開始の一九九九年以降で最多となった。
厚生労働省の調査でも、児童相談所が二〇〇六年度に対応した虐待の相談件数は、約三万七千件に達している。この数字は二〇〇〇年度と比べて約二倍、九六年度の約九倍という、急激な右肩上がりのカーブを描いている。
尋常ではない。虐待による死亡事例を同省で検証したところ、心中以外では、「望まない妊娠」や「子どもがなつかない」などの動機が多かった。「地域社会との接触がほとんどない」家庭が、約七割を占める事実も見逃せない。
些細(ささい)なことで“キレる親”が、たんなる己の腹立ちを幼子にぶつけているのなら、地獄絵に等しい。
先月には大阪府寝屋川市で、六歳の女児が虐待で死亡する事件があった。今月にも奈良市で、生後四カ月の男児が意識不明に陥った。男児の腹には「死ね」と落書きがあったという。寝屋川のケースでは、市側が女児にあざなどがあったことを把握しながら、児童相談所に連絡しなかった問題が浮かんでいる。
秋田の事件でも、週に一、二度、畠山被告の家から、どなり声と「ごめんなさい」という彩香ちゃんの泣き声が聞こえたと、近所の人が証言した。鍵がかけられ、玄関前で教科書を読む姿も目撃された。
県警は当初、「(彩香ちゃんは)誤って川に落ちたとみられる」と発表し、捜査批判が相次いだ。豪憲君の殺害は防げなかったものか、今なおもどかしい。いらない玩具のように子どもを扱う非道が、地域で起きていないか。危険を発信する命のサインに耳を澄ましたい。
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