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ルフェーブル大司教の命日に

一般のカトリック信徒に聖ピオ十世会やルフェーブル大司教のことを説明するのは、なかなか困難なことである。なぜならば、これは信仰に関わる問題であるのに、相手は信仰に基づいて受け止めてくれないからである。

無論、その人たちに信仰が無い訳ではない。ただ、何かを知らなかったり、忘れていたりするだけである。これから書こうとしていることも、何も難しいことではない。ただ思い出してもらうために書くのである。

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pinpincorori 2008年04月08日(火)12時45分 編集・削除

ルフェーブル大司教は、前の教皇によって破門となりました。この厳粛な事実はどうなるのでしょうか?小野田神父は、破門前のものを訳していますが、破門の事実について公表すべきものと思います。ラテン語ミサを崇敬するあるいはグレゴリオ聖歌でカモフラージュすることは人々を騙し惑わすと思います。
小野田神父は日本ではミサができないとなっていますが、どう理解すればよいのでしょうか。

管理人 2008年04月10日(木)07時02分 編集・削除

>ルフェーブル大司教は、前の教皇によって破門となりました。この厳粛な事実はどうなるのでしょうか?

教会法の適用を間違っているので破門宣告は無効だと考えています。ただし、後の質問の回答に必要なので、以下鍵括弧付きで「破門」としておきます。

私はこの「破門」について説明するために弁明を書こうとしていますが、pinpincorori さんはそれがまだ始まったばかりだということを理解できているのでしょうか。

>小野田神父は、破門前のものを訳していますが、

1905年生まれで1991年に亡くなったルフェーブル大司教の主たる著作や説教が、1988年の「破門」以前のものであるのは当然過ぎるほど当然のことです。それでも pinpincorori さんは、小野田神父様が意図的に「破門」前のものを選んで翻訳していると言いたいのでしょうか。

>破門の事実について公表すべきものと思います。

聖ピオ十世会は、この「破門」に対する反論を会全体で行っています。小野田神父様も同様に、非公式サイトやメールマガジン、そしてブログの中で何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も取り上げています。そのうち早いものは少なくとも5年以上前からネット上に存在しています。今更何を公表すべきなのでしょうか。

>ラテン語ミサを崇敬するあるいはグレゴリオ聖歌でカモフラージュすることは人々を騙し惑わすと思います。

聖ピオ十世会は創立当時からトリエントミサを捧げグレゴリオ聖歌を歌ってきました。ある時から始めたならばいざ知らず、既に実践していることを継続することがどうしてカモフラージュになるのでしょうか。

>小野田神父は日本ではミサができないとなっていますが、どう理解すればよいのでしょうか。

こんな説明不足の質問をどう理解すればよいのでしょうか。逆にお聞きしたいです。

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