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2008年04月09日(水曜日)付

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白川総裁―難産の子を育てるには

 与野党の対立で宙に浮いていた日本銀行の新総裁がやっと固まった。白川方明(まさあき)副総裁の総裁昇格がきょう国会で決まる見通しである。

 渡辺博史氏の副総裁案は民主党の不同意で白紙に戻りそうだが、新総裁は11日にワシントンで開かれる主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)に何とか出席できる。米国発の金融危機が世界の市場を揺さぶっているときに総裁不在では、日本の対応力が問われるところだった。

 それにしても、なぜこんな混迷が生じたのか。日本の政治が中央銀行という存在をここまで軽く見ていたのか、との思いが募る。

 中央銀行が政治や政府から独立して金融政策を行うのは先進国の常識だ。どこの国でも、政治は目先の景気をよくするために利下げを求め、利上げを嫌がるものだ。ただそれに従っていては、やがてインフレを招いて経済を台無しにしてしまう。

 「中央銀行の独立」とは、そうした歴史の教訓が生み出した人間の知恵にほかならない。残念なことだが、日本の政界にその意識が薄い。

 バブル崩壊後の92年、当時の金丸信自民党副総裁が「首相の言うことを聞かない日銀総裁は首を切れ」と利下げを迫ったことがあった。

 ゼロ金利解除などで政府与党と対立した速水優総裁は、98年から5年間の任期中に延べ450回も国会に呼ばれ、質問攻勢にあった。

 日銀は法的にも実態としても、政治に対して弱い立場に置かれてきた。独立性を高めるため10年前に日銀法が全面改正されたが、新法の趣旨を実現するにはまだ長い時間がかかる。与野党の政局への思惑が招いた今回の騒動を見て、そう思わざるを得ない。

 総裁人事が政治に翻弄(ほん・ろう)されたことで新総裁が政治への抵抗力を失わないか。それがいちばん心配だ。

 ただ、逆の期待もある。白川氏は自民党も民主党も同意して誕生する総裁である。与野党には「白川総裁」をともに支える責任がある。白川氏にはそれを強みとして生かしてもらいたい。

 総裁としては線の細さが心配された白川氏だが、芯の強さもある。日銀理事をしていた当時、政府の政策に配慮して量的緩和政策を拡大する福井俊彦総裁の方針に異を唱えた。

 財政と金融の健全な関係を築くため、時には政府の財政政策に注文をつける局面も出てこよう。白川氏にはその資質があるはずだ。

 日銀の独立は制度だけで保障されるものではない。実績を積み重ね、政府や市場、国民から尊敬され信頼されることで、名実ともに得られるものだ。

 難産の子はよく育つと言う。政治にはうまく育てるための自制と賢明さを求めたい。

聖火リレー―中国が試されている

 五輪を開くことは、開催国のありのままの姿が世界にさらされ、試されることでもある。

 世界各地からの選手団や数百万人もの観光客を受け入れる十分な態勢があるのか。交通や住民の生活をまひさせることなく、円滑に大会を運営できるのか。その国の都市づくりや社会のあり方にまで目が向けられる。そこには当然、人権や民族問題も含まれる。

 北京五輪の開催を盛り上げる聖火リレーに対する妨害が、激しさを増している。中国のチベット政策に抗議し、世界に訴えようというのである。

 ロンドンでは、聖火リレーを阻止しようとする人たちが、沿道から次々に飛び出した。それをかわしながら聖火ランナーや警備陣が走る姿は、ラグビーの試合を見るようだった。

 続くパリでも国家元首並みに3千人の警備態勢を敷いたが、相次ぐ妨害で聖火をバスに乗せて移動せざるをえない場面さえあった。

 抗議行動にはチベット人や人権団体が目立ったが、応援する市民の姿もあった。欧州には移民や難民のチベット人もいて、英国のように歴史的にかかわりの深い国もある。人権問題に敏感なことに加え、そうしたことがチベットに関心を向ける理由となっているのだろう。

 チベット政策が国際社会でどう受け止められているのか。中国は「ダライ・ラマ派の策動」と切って捨てるのではなく、現実に向かい合うべきだ。

 中国はスポーツの祭典は政治と切り離すべきだといいたいだろうが、現実にはそうはいかない。

 そもそも聖火リレーは1936年のベルリン五輪から始まった。ナチスの宣伝だった面は否めない。五輪の開催だけでなく、世界を回る聖火リレーにも開催国の威信がかかっている。

 各国は大がかりな警備の態勢を整える一方で、フランスでは聖火の周辺にローラースケート隊を配備するなどソフトな演出を試みた。暴力は許さないが、聖火を守るのと同じように言論の自由も尊重する、というメッセージだろう。

 心配なのは、中国国内の反応である。聖火リレーへの妨害が報じられるたびに、反発が広がっているようだ。妨害行動を沿道の各国が放置しているような印象を与えれば、中国人のナショナリズムをあおることにもなりかねない。

 五輪は政治とは切り離せないが、成功させるためには、政治に引きずり回されないようにする知恵が必要だ。それは開催国にも国際社会にも求められている。

 聖火はこれから北南米、アフリカ、中東、オーストラリアを経て、日本にも回ってくる。聖火をどのように迎えるか、ひとごとではない。

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