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モーツアルトの『歌劇』:トップページへ戻る

2001年1月16日作成,2002年4月29日更新

         歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』 解説・批評集       編・ 池田博明

 歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』を見ることになったのは、小沢征爾がウィーン国立歌劇場の音楽監督になる予定で、 最初に上演するつもりの歌劇を『コシ・ファン・トゥッテ』だと言っていたからである。 それまでは、この歌劇のことをよく知らなかった。しかし、手に取ったDVDがポンネル(ポネル)演出のもので、 それを見た私はこの歌劇の象徴性に深く感動してしまった。

  登場人物はたったの六人。姉と妹、各々の恋人(士官)、老人と女中。 恋愛感情は永遠不変なものと認識している理想主義者の恋人たちに対して、 恋とは気まぐれなものと認識している現実主義者の老人と女中が対照される。 老人の提案で、士官たちは変装して別の恋人に求愛し、首尾よく心変わりさせられるかどうかを、賭けるのだ。 (写真はグルベローヴァに『コシ』の演技をつけるポネル)

Gruberova and Ponnell  急に徴兵になったという理由で、恋人たちが去っていったため、死ぬの生きるのと大袈裟に嘆く お嬢様たちに、女中は「(恋人は)帰ってくるんだし、まんいち死んだところで、他の男がいくらでもいますよ。 男はだれでも同じで、価値のないものですよ」と話す。つまり、老人は「女心は変わるもの。 女はみんなこうしたもの、ひとりの女のために命を懸けるなんて無駄なこと」と言い続け、 女中は「男はみんなこうしたもの」と言い続ける。現実主義者の老人と女中の間にも男女観の対照が 見られるのだ。この二人が協力して姉妹を他の男になびかせるのだが、 女中の方は士官の変装を見抜いていないので、謀略の真相を知っているのは、老人と観客だけという設定になる。

  その後の展開は非現実的である。突然、外国から訪問してきた客(実は変装した恋人たち)が姉妹に 会った直後に求婚するのも不自然だし、それで断られたからといって突然毒を飲むのも不自然である。 メスマー式の治療で毒の効果がすぐに消えてしまうのも不自然なら、 心変わりした姉妹がアッという間に不義の相手と結婚の祝宴までしてしまうのも不自然である。PONNEL:COSI

  しかし、展開の不自然さに憤慨するのは、私たち観客がリアリズムに慣れてしまっているからである。 この歌劇はリアリズムで見るべきものではない。この歌劇は理想と現実、善と悪、真実と嘘、男と女という対照の間の衝突と変化が身上の「喜劇的ジングシュピール」なのだ。そして、演出家レルトが指摘しているように、音楽は 「継続するシンメトリーの芸術であり」、この歌劇もアリアや重唱も含めて見事に「シンメトリックに構成」されている。 しかも、モーツアルトは「操り人形じみた非現実的で空虚なコメディア・ブッファ・デラルテを作曲したのではなく、 各タイプに具体的な人間的意味を与え、概念の化身たちに心理を持たせたのである」。 虚構の設定の中で、登場人物の感情の奔出を経験することになる。この歌劇は、もはや単純な喜劇ではありえず、 複雑な感情の渦に、私たち観客はとらえられてしまう。
  登場人物の心理も観客の認識も、終幕には変化してしまうので、私たち観客は、楽しい喜劇をみたなあ、 すべてはお芝居だったよと、安心して家路につくことは出来ない。私たちは、仮面の下に、複雑に変化し、 深まった精神を抱えて、生活をすることになる。

  なんにせよ、傑作というのは、私たちの認識を深めるものである。

 序曲:うきうき、そわそわした様子を思わせる傑作序曲。【影絵はロッテ・ライニガー作,1971年】
sisiters ■このオペラの演劇的なリズムは相当遅い。第一幕賭けの場面には三つの三重唱を要し、恋人たちの別れの場面には五重唱、ニ重唱、合唱の繰り返しに続く別の五重唱、そして小三重唱を必要とする。・・・音楽のリズムもたびたび中断される。フェルマータは百五十回を数える(『フィガロの結婚』は四十五回、『ドン・ジョヴァンニ』は三十五回)。・・・
 視覚面の重要性もある。『コシ』は観衆に、色彩豊かな環境の明るい日光の場面を提供する。 このように「自然」を扱った例は、モーツアルトの円熟したオペラにはない。ルソー的な無垢な自然という概念でなく、人間によって修正された自然である。・・・
 音楽的に二人の姉妹はお互いに依存し、くっつき合い、旋律を交換しあう。ニ重唱において、一人の人物のイメージを呈示し、そこではさらに、さまざまな旋律的・リズム的モチーフによって音楽的に相互に関連している。(ノスケ訳書176,179ページ)
★写真はヴェッセリア・カサローヴァ扮するドラベッラ(左)と バーバラ・フリットリ扮するフィオルディリージ(右)。アン・デア・ウィーン劇場にて★

 第一幕   
 第一場カフェテラス/第1曲三重唱「僕のドラベッラには」。青年士官フェルランドはドラベッラを、グリエルモはフィオルディリージの貞操を称えている。 しかし、ドン・アルフォンソはそれに疑問をはさむ。アルフォンソは第2曲三重唱「女の貞操なんて」アラビアの不死鳥のようなもの、つまり誰も見たことが無いと言う。姉妹二人の貞操が堅固であるかどうか、賭けをすることになる。フェルランドは第3曲三重唱「楽隊を連れて」セレナードを歌ってあげたいと勝った気分である。
 ■グリエルモの平板な「感覚(センス)」とフェルランドの「感受性(センシビリティー)」を対比させている。フェルランドの旋律はグリエルモの旋律より幅広く上下し、・・・フレーズの変化に富んだ和声的リズムも、グリエルモより感情的であるということを示す(ノスケ訳書179ページ)。
Womens  第ニ場海辺の庭園/美しい姉妹はお互いの恋人の肖像画を見ている。第4曲ニ重唱「これをご覧、妹よ」

Arfonso tells the story  第三場/そこへ沈んだ様子のアルフォンソが登場、第5曲アリア「言いたいけれど勇気が出ない」、恋人たちが戦地に召集されたと告げる。
 第四場/旅支度をして士官たちは姉妹にしばしの別れを告げる。第6曲五重唱「この足は震えて前に進まない」。士官たちは第7曲小二重唱「愛くるしい君の目が」、見つめる限り、きっと帰ってくると言う。
 第五場/海岸に船が到着する。第8曲合唱「軍隊生活は楽しい」。なごりをおしむ二組、第9曲五重唱と合唱「毎日手紙を書いて」。船が出て行く。
 第六場/残った姉妹とアルフォンソが航海の無事を祈る。第10曲小三重唱「風よおだやかなれ」
 第七場/アルフォンソは自分の首尾を語る。
 第八場/姉妹の屋敷の一室。侍女のデスピーナがチョコレートをかき回している。
Despina tells the wise Wise Despina  
  第九場/姉妹が嘆きながら現われ、第11曲アリア「この心の中いらだちどうしようもない思いよ」(ドラベッラ)。 侍女は姉妹をなだめて、戦死したら新しい男に恋すればいいと話す。第12曲アリア「男に兵隊に誠実を期待するなんて」(デスピーナ)。全員退場。
Arfonso induce Despina  第十場/アルフォンソはデスピーナを味方につけないと計画がうまくいかないと判断し、女中への交渉を開始する。
 第十一場/仮装した青年を、アルフォンソは第13曲六重唱「可愛いデスピーナちゃん」と紹介し、外国人のようなこの二人は早速、姉妹にお互いの恋人相手を替えて求愛する。姉妹は怒る。
Yong boys Cort the women  第14曲アリア「岩のように動かずに」(フィオルディリージ)。自分の貞節は堅いと宣言する。
★写真はグラインドボーン音楽祭でのバーバラ・フリットリ扮するフィオルディリージ★ Fiordilige
 ■歌詞、音楽両面に関して、このアリアはオペラ・セリアのパロディーである(ノスケ訳書184ページ)。
 ■力強い曲想も持ち、幅広い音域にわたって、豊かなコロラトゥーラを駆使している。 その意味ではたいへん聴き栄えのするアリアなのであるが、じつのところ、聴いて感動するような曲ではない。 むしろモーツアルトには似合わぬ、ごつごつとしてわざとらしい音楽になっている。 (中略)そう聞こえるように、モーツアルトはわざと書いているのである。 このアリアは、オペラ・セリアの大仰なスタイルを、ブッファの世界に持ち込むものに他ならないのである。 (中略)モーツアルトは、女性に要求される「貞操」観念の重さ、不自然さを、これによって示そうとしているのではないだろうか。 思えば、「岩」のイメージほど、恋愛に、また女性に不似合いなものはない。(磯山雅)。
 さらにドラベッラに求婚する15曲アリア「愛らしい瞳よ」(グリエルモ)。しかし、姉妹は青年たちを相手にせず退場。
 第十二場/残った青年たちは賭けに勝ったようなものだと大笑いする。アルフォンソは 第16曲三重唱「お笑いなさるか」、勝負はまだまだこれからだと言いすくめる。 自分の恋人の貞節を確信してフェルランドは、第17曲アリア「いとしき人の愛のそよ風は」を歌う。
 第十三場/アルフォンソと女中は成り行きを笑う。レシタテイーヴ「お笑いぐさだ」
 第十四場/庭先である。第18曲フィナーレ「今や失われたと」。姉妹は恋人たちの不在を嘆いている。
false love  第十五場/突然男たち二人が乱入して、愛が受け入れられないのでと言いつつ、毒を飲み干して倒れる。 「なんて悲劇」、助けを呼ぶ姉妹。「まあ」大変」。デスピーナは医者を呼びに去る。 「どうしましょう」とあわてる姉妹。「助けが遅れたら」、死んでしまう。
 第十六場/そこへデスピーナが医者に化けて到着。「サルヴェーテ、アマビレス」と謎の呪文を唱える医者は「メスマーの磁石です」と棒を取り出す。電気刺激のせいか、息を吹き返すふりをする二人。「夢か、どこだろう」と再び姉妹に求愛する。 「耐えられないわ」、私たちの「名誉はどうなるの。キスまでは出来ないわ」と抵抗する姉妹。 「あの怒りが愛に」変わるだろうと予想するアルフォンソ。
  第ニ幕
 第一場/室内で姉妹とデスピーナが話している。第19曲アリア「女が十五にもなれば」(デスピーナ)。女中は色目を使って男を誘惑し、操りなさいと諭す。
Womens  第二場/女中の言葉に迷わされはじめる姉妹。もしという仮定で選ぶとしたら、第20曲二重唱「私は黒髪の方を」選ぶとドラベッラ。 男たちの甘い言葉がまんざらでもない、この気晴らしは楽しいわと、だんだん気持ちが傾いてきた。 Drabella

 第三場/アルフォンソが姉妹を呼びに来る。
 第四場/浜辺。仮装した人々の中に青年たちもいる。青年たちは第21曲小二重唱(合唱付)「聞いておくれそよ風よ」と歌い、第22曲四重唱「お嬢さまお手をどうぞ」と誘惑する。
Cort again  第五場/青年たちの求愛が始まる。第23曲二重唱「この心を贈ります」。ドラベッラはグリエルモになびいてきてフェルランドから貰ったロケットを取られてもそれを認めてしまう。 Drabella and griermo
 ■グリエルモの無味乾燥な性格は薄っぺらなドラベッラに似つかわしい。彼女の誘惑は、レチタティーヴォ・セッコであわてて片付けられる、ほとんど情緒のこもっていない出来事である。カップルのその二重唱がオペラ中もっとも精巧をきわめた曲の一つであるという事実。それはかなりひねくれた演劇的イロニーの一例と考えられよう(ノスケ訳書207ページ)
 第六場/一方、フィオルディリージはフェルランドから逃げる。繰り返し求愛する、フェルランドは第24曲アリア「よくわかる、その美しい魂が」友愛を示したからといって、それが裏切りではないでしょうと責める。  

 第七場/千路に乱れる想いに迷うフィオルディリージ、第25曲ロンド「許して恋人よ」
 第八場/青年たちは恋の首尾を語る。ドラベッラが落ちたことを知って憤るフェルランド。グリエルモは、第26曲「女性たちよ、本当のことを言うと」、よく浮気をしますねと歌う。
 ■レチタティーヴォで、ポジティヴな結果(誘惑に失敗し賭けに勝つ)はシャープで (イ長調、ニ長調、ト長調、嬰ヘ短調、ロ短調などに転調する)、ネガティヴな結果 (ドラベッラのことを尋ねるフェルランド)はフラットで (ヘ長調、変ロ長調、変ホ長調、ヘ短調、ト短調など)表現されている(ノスケ訳書176ページ)。
 第九場/ドラベッラに裏切られたフェルランド、第27曲カヴァティーナ「不実な心から裏切られて」

 第十場/室内。女中にドラベッラは告白している。そこへ焦心の姉が来るので、妹は第28曲アリア「恋は心を盗む」(ドラベッラ)と歌う。思い切れない姉に恋心に逆らわないでと諭す生き生きしたアリア。
 第十一場/フィオルディリージは侍女に軍服を持ってこさせる。
Fiordelige 第十二場/恋人の軍服を着て戦地に行こうと考える姉。ところが自分にはフェルランドの軍服がぴったりだ。第29曲二重唱「もうすぐ私の婚約者の胸に」。フェルランドが現われて、とうとう姉も落ちてしまう。
Dessy▼高橋英郎“もし演奏者が素晴らしければ恍惚とさせる場面がある。許婚を追って、戦場へ行くため軍服を着て歌う二重唱「もうすぐあの人の腕の中に」である。
 この三月、ウィーン国立歌劇場で見た『コシ』では、華やいだピンクの服の上に黒の軍服をまとった。 それによって,一変して女らしい色気が増す。ケルビーノが女装する以上に女盛りの魅力が出て来る。 男が着れば何の変哲も無いがさつな軍服が、女っぽい女性によって着られることによって倒錯の効果があるのだ.
 これまで私の観たかぎりでは、スカラ座の『コシ』でフィオルディリージを演じたダニエラ・デッシィが最高である。ベージュのドレスの上に黒いコートをはおり、衿もとや袖口は朱色、 肩には金モールとカラフルにそろっているうえ、気品あるその表情に揺れ動く女心が見事に表れていた。フェランドが剣を差し出して迫るのにこらえきれず、「神さま、助けて」と天を仰ぐのと、 「もうどうぞお好きなように」と陥落するのがほぼ同時で、フェランドに軍服を脱がされて抱擁される。 実にぞくぞくする場面であった。”『モーツアルト366日』(2002年)。
 ■このすばらしい二重唱を通じてモーツアルトが表現しようとしたことは、 いつわりの愛のおかしみではもちろんありえない。またそれは、女性はかくも誘惑されやすいもの、という卑俗な認識でもないと思う。モーツアルトはここで、愛のすばらしさをたたえているのである。たしかに出発点においては、 フェルランドの求愛はいつわりのものと設定されていた。しかしモーツアルトの音楽とともに、それはいつしか純粋でひたむきな訴えへと高まっている。 だからこそそれが、善意のフィオルディリージの心をも、ゆり動かすことに成功するのである。(磯山雅p150)

 第十三場/帰ってきたフェルランドに対して怒るグリエルモ。アルフォンソが取り成す。ヘルツ演出では第十四場のデスピーナが三人の所に現われ、「ご主人さまたちはお客様を気にいったようです」と報告し、男たちが嬉しそうでないのを一瞬訝る場面が、ここに挿入されている。アルフォンソが賭けの勝ちを宣告し、第30曲アンダンテ「女はみんなこうしたもの」
 (第十四場/女中は首尾を男たちに報告する)
 第十五場/第31曲フィナーレ「急いで皆さん」(デスピーナ)と召使たちと一緒に婚礼の準備がされる。
 第十六場/合唱「二組の花婿に祝福あれ」。二組の恋人たちは四重唱「すべての喜びが」と歌う。特にドラベッラは「お互いグラスの中に過去を沈めましょう」と歌う。グリエルモだけは「毒でも飲むがいい」と楽しめない。
 第十七場/アルフォンソが「皆様、用意はできました」と公証人に化けたデスピーナを連れてくる。二人が書類にサインをすると、合唱「軍隊生活楽しいぞ」とともに恋人たちの帰還が告げられる。姉妹「何?あの歌は」、アルフォンソは「一大事だ」とうそぶき、「隠れなくては」と あわてふためく四人。男たちが隠れた後も、「心が乱れて落ち着けない」と姉妹。
mariagge letter Bartoli 終場/「喜び勇んで恋人の」もとへ帰ってくる士官二人。しかし、姉妹には「言葉がない」。公証人の正体がデスピーナと暴かれて驚く姉妹。女中は仮面舞踏会に出るところと言う。婚姻証明書を拾い、「言い訳は聞かぬ」と姉妹を責める男たち二人。「どうか殺して下さい」と言われて、正体を明かす二人。今度は姉妹が驚愕する。デスピーナも事の成り行きに驚く。「今回は恥をかいた。次はもっと騙してやる」(註)と決意を新たにするデスピーナ。
apologize  全員が「良い面だけを見るものは幸せ」と歌い上げて幕となる。
 ■音楽的に考えると、喜劇は(作品の中心調である)ハ長調で終わらなくてはならない。 にもかかわらずイ短調で終わり、それが観客の心の中でこだまする。これがドラマの最後のイロニーだ。
 底流にはメランコリーが感じられる。これは作曲家の根本的なペシミズムの現われなのだろうか。 スコアを徹底的に調べると、『コシ・ファン・トゥッテ』は、われわれを魅惑し、困惑させるだけでなく、 常に完全な理解から逃れるオペラであるという結論が残る(ノスケ訳書217-218ページ)。
truth finale ■老哲学者は、たしかに、オペラにおける賭けの勝利者である。しかし、モーツアルトの音楽を聞いてみるがいい。ドン・アルフォンソのどこに、音楽による栄光が与えられいるであろうか?・・・デスピーナのページもドン・アルフォンソのそれと同じく、《コシ・ファン・トゥッテ》における最良のページとはいえないのである。「愛を信じることができないなんて、なんて哀れな連中なんだ!」と、モーツアルトは叫んでいるかのようだ。(磯山雅p148)
■恐ろしい作品である。おそらく人間の愚かさやどうしようもなさをここまで表してしまったオペラは、これ以外にはあと『ヴォツエック』があるだけだ。(許光俊,2005)。

:『オペラ対訳ライブラリー コシ・ファン・トゥッテ』(音楽之友社、小瀬村幸子による)でのデスピーナの台詞は、「覚めてるんだか、夢みてるんだか、分からないわ。混乱しちまってみっともないこと。でもまあいいわ、あの人たちが、あたしを騙したんなら、あたしも大勢他の人を騙してやるから」。映像に付される訳によっては「多くのヒトを騙しているかも」とされる場合がある。

  歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』視聴データ   池田博明

参考文献
アッティラ・チャンバイ&ホラント(編)『名作オペラ・ブックス9 コシ・ファン・トゥッテ』(1988,音楽之友社.)
Brown, Bruce Alan., 1995. Cosi fan tutte. Cambridge Opera Handbooks. Cambridge Univ. Press. 208p.
エドワード・J・デント『モーツアルトのオペラ』(1985,草思社.原著1947)Cosiの本
フリッツ・ノスケ『MOZART オペラの解読』(1985,冬樹社.原著1977)
ヨアヒム・カイザー『モーツアルトオペラ人物事典』(柏書房,1991.原著1990)
ヘレナ・マテオプーロス『ブラヴォー/ディーヴァ』(アルファベータ,2000.原著1986&1991)
ヘレナ・マテオプーロス『プラシド・ドミンゴ オペラ62役を語る(アルファベータ,2001.原著2001)
Helena Matheopoulos,“DIVA Great sopranos and Mezzos Discuss Their Art”.1991Victor Gollantcz
アニー・パラディ『モーツアルト 魔法のオペラ』(2005,白水社.原著1999)
音楽之友社(編)『オペラ・キャラクター解読事典』(音楽之友社,2000)
音楽之友社(編)『名曲解説全集13 歌劇(上)』(音楽之友社,1961)
磯山雅『モーツアルトあるいは翼を得た時間』(東京書籍,1988)
磯山雅『モーツアルト 二つの顔』(講談社,2000)
井上太郎『モーツアルト、いき・エロス・秘儀』(平凡社ライブラリー,1997)
海老沢敏『超越の響き』(小学館,1999)
岡田暁生『オペラの運命』(中央公論社,2001)
モーツアルト・アーカイヴ、小学館CD-ROM
                                   

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