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2008年 04月 07日
わたしの仕事ですが、現在の勤務先での仕事は、今月いっぱいで終了です。で、その後の対応にあれこれと疑問ばかり出てくる現在の派遣会社との契約も、打ち切る予定です。っていうか、ほとんどケンカ状態と言ってもいい。ここにその派遣会社の名前を出して、そのあきれた営業ぶりをぶちまけてやりたいぐらいだわさ。こいつらがキチンとしていればわたしも博多行きになっていただろうに。勤務先の上司も、そのあたりの派遣会社の対応を笑っているので、仕事中にそんな話をして「あきれたね」と嘆息。 実は別のルートから、こんどは信州安曇野での仕事の話が舞い込んで来ています。松本のすぐそばですね。松本という町は行ったことないけれど、いろいろと環境は良さそうだし(由緒ある古本屋とかあるんだよね)、山がいっぱい見えるのはいいね。ネットでその地域の不動産調べると、この下館周辺よりも賃貸物件の家賃は高いよ。つまり、ちょっとハイカルチャー地域なんだな。そういうのは決して好きではない。ほんとうは今の仕事が終了したら失業保険手当でしばらくぶらぶらしようかなぁと思っているんだけれども、さっきメールが来て、なんだか社宅に入れるみたいなことも書いてある。長野、さっさと行っちゃおうかな? マジ貯金して、何年後かに東京で何か始めますか。また飲み屋の夢かァ。 しかしだんだんと北上する人生。長寿を全うしたら樺太あたりまで行ってしまいそう。 さて、去年から始まった「大江健三郎賞」という文学賞、これは大江健三郎当人があれこれ読んで自分で決める賞なのだけれども、去年は長嶋有さんで、今年はチェルフィッチュの岡田利規さんの『わたしたちに許された特別な時間の終わり』に決定したそうですね。おめでとうございます! わたしもこの本は気にかかっていたと言いますか、例の「三月の5日間」小説版よりも、もう一編の「わたしの場所の複数」がとっても興味深くって、また読み返してみましょう。 2008年 04月 04日
三月のおさらいです。まずは舞台関係。例年のように3月は立て込んでしまうのですが、月に12件14演目の観劇、というのはちょっと記憶にないです。印象に残る舞台も多く、特に『ムネモパーク』、『パレルモ、パレルモ』、『牛』、それからPINKの公演とか、記憶に留めました。
3/1 『手すり』(斉藤美音子 独舞)@三軒茶屋・シアタートラム 3/2 『春琴』(サイモン・マクバーニー:演出)@三軒茶屋・世田谷パブリックシアター 3/7 東京芸術見本市 演劇ショーケース @恵比寿ザ・ガーデンルーム *ARICA「KIOSK・Woman」 *カノコト「建築構造体は死体」 3/8 チェルフィッチュ『フリータイム』 @六本木Super DeLuxe 3/8 「踊りに行くぜ!! vol.8 SPECIAL IN TOKYO」@吾妻橋 アサヒ・アートスクエア 3/9 「土方巽生誕80年記念〜HOMAGE TO HIJIKATA vol.1」@目黒 東京都庭園美術館 *(小林嵯峨+Erehwon) 3/15 『チビルダミチルダ』(康本雅子) 3/16 東京国際芸術祭<TIFパフォーマンス> 『ムネモパーク』(リミニ・プロトコル:構成・演出)@にしすがも創造舎 3/20 『パレルモ、パレルモ』(ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団)@新百合丘 テアトロ ジ−リオ ショウワ 3/22 『牛』(黒沢美香)@神楽坂 セッションハウス 3/23 東京国際芸術祭<TIFパフォーマンス> 『スリー・スペルズ』@にしすがも創造舎 3/30 『COSMIC LIVE 2008』(PINK単独公演)@こまばアゴラ劇場 『即興ナイト』(PINK+α)@こまばアゴラ劇場 その他にも、これは舞台とは言えない「ツアー・パフォーマンス」。 3/21 『サンシャイン62』(Port B)池袋周辺地域 及び あうるすぽっと それに、音楽ライヴでは納まりきらない坂本さんの公演に、なんとか駆け付けることが出来ました。 3/29 坂本弘道独演『蝶と骨と虹と、』@木場公園多目的広場野外特設木製ドーム 美術展とかもかなりこなしました。『建築の記憶』での、明治時代の熊本城の写真が、わたしには衝撃的でした。 『わたしいまめまいしたわ〜現代美術にみる自己と他者 Self/Other』@竹橋 東京国立近代美術館 『建築の記憶−写真と建築の近現代−』@目黒 東京都庭園美術館 『VOCA2008展』@上野 上野の森美術館 『川俣正 通路』@木場 東京都現代美術館 MOTマニュアル2008『解きほぐすとき』@木場 東京都現代美術館 『山下律子展』@神楽坂 アトランティコギャラリー 読書のテーマは、日本の現代と明治。かな? 永井荷風は面白い。谷崎の初期「悪魔主義」作品群も「堪忍して下さい」ってな強烈さだし、岡本綺堂の、前近代非合理を近代的合理主義で割り切ろうとしながらも、なおその前近代にシンパシーを持つ視点の魅力。そして樋口一葉を現代関西弁に置きなおした川上未映子の、過激な才能。山崎ナオコーラの緩い才能。マーク・シェルという人の『芸術と貨幣』も、めさ面白かった。偽札と芸術、絵画に黄金色が使われない理由など、あれこれの思考が頭の中で交差します。 明治の文学25 永井荷風・谷崎潤一郎 (筑摩書房) *永井荷風 「地獄の花」「狐」「深川の唄」「すみだ川」 *谷崎潤一郎 「刺青」「麒麟」「少年」「幇間」「秘密」「悪魔」 永井荷風『墨東綺譚』(「墨」の字は「さんずい」+「墨」) 山崎ナオコーラ『浮世でランチ』 山崎ナオコーラ『カツラ美容室別室』 マーク・シェル(小澤博:訳)『芸術と貨幣』 岡本綺堂『半七捕物帳』(一) 岡本綺堂『半七捕物帳』(二) 川上未映子「乳と卵」(文藝春秋掲載) 映画はかろうじて三つ。この三作をつなげて考えて、まさしく「今」を読み解きたい誘惑にかられてしまう。とにかく万田邦敏監督の『接吻』は、ゼロ年代後半を象徴する作品として、わたしの記憶に残るでしょう。 井口奈己:監督『人のセックスを笑うな』 ジョエル・コーエン&イーサン・コーエン:監督『ノーカントリー』 万田邦敏:監督『接吻』 DVDはほんとうに観る時間がありません。かろうじて、 アピチャッポン・ウィーラセタクン『Blissfully Yours』 ジャック・リヴェット『彼女たちの舞台』 成瀬巳喜男『浮雲』 まだなにか忘れているかも知れません。 2008年 04月 02日
ふうむ、どうも仕事の方がなんだか面白い展開になって来て、とっても大きな手札が手に入ったような気がするのですが、このことを書くのはもうちょっとあとにいたしましょう。
で、3月30日日曜日です。予定としては予約を入れてある駒場アゴラでのPINK、そのCOSMIC LIVEと即興ナイトに行く予定が控えていまして、これが15時からだからそれまではフリー。で、気になる万田邦敏監督の最新作、『接吻』を観に行きます。とにかくわたしは、そのタイトルと、ポスターとかの小池栄子ちゃんがパラソルさしている絵柄とか見ただけで、勝手に恋愛ドラマなんだろうと想像していてその映画の内容はこれっぽっちも知らないで観て、だからそのタイトルに三回ぐらい騙されました。うわ、そういう映画なんだ、だったらタイトルの意味はこうだね、と思ったらはぐらかされて、それがまたはぐらかされて。 とにかくエポックメイキングな、そうですね、十年に一度の作品というか、みごとに時代を照射する傑作です。あれこれといろんな想念が渦巻き、とにかく観終って憶い出すだけで、うるうると涙腺がゆるくなります(いや、お涙ちょうだい映画ではないのですが)。小池栄子という人がここまで凄いとは思っていませんでしたね。笑顔が変、とは思っていましたけれど、それをも生かしたみごとなキャスティングでもあります。とにかく日本にも、ハネケだとかブリュノ・デュモンに対抗出来る映像作品があるということです。 で、駒場東大前に移動して、そのPINKの公演。これもすばらしい出来映えで、これはもうコンテンポラリー・ダンスなどという枠組みを越えて、みごとなまでのエンターテインメント。おそらくライヴァルは「コンドルズ」ぐらいのモノだろうけれども、戦略次第で容易にコンドルズを追い越せる。残念なことに(逆に喜ばしいことに、とも言えるのでしょうが)、メンバーの磯島未来さんがこの夏から二年間ベルリンに行ってしまうらしいのだけれども、その二年間がもったいない! 活動休止などしないで、残る須加めぐみさんと加藤若菜さんの二人で、「PINK LADY」路線ででも、なんとか継続していただきたいものです。 さて終演後、またまたお会いしてしまったMさんと「ちょっと飲もうよ」ということになって、駒場東大前の店は閉まっていたので渋谷。井の頭線そばの居酒屋「Y」。なんとも男臭い店内で、男二人で飲みました。最近はホッピーにはまっているわたしです。人と飲んで話しするのは大好きだからまた遅くまで。終電ギリギリ帰宅。 2008年 04月 01日
なんだか休みの時の上京話ばかり書いているようですが、またいつのまにか週末の休みがやって来て、終ってしまいました。
3月29日土曜日は、まず久しぶりの歯医者で治療。左上の奥の治療が終り、ようやく次回から、右下のど〜しよ〜もなくなってしまった部分の補強。これが終ればだいたいのところおしまい。右でも左でも前でも、自在にモノを噛むことができるようになるのでしょう。 で、その公園の近くの老舗っぽい和食屋で、ぜいたくにも鰻重なんか食べたりして(メニューはほとんど鰻重だけなのです)、また東京に出かけます。まずは今回は神田神保町などに出て、某中学校校舎でこの日開催されている、『反貧困フェスタ2008』などというイヴェントに行ってみます。これはもちろんわたし自身が貧困の瀬戸際に立たされているわけですから、自分ごととして行ってみるわけですが、ちょっと到着が遅れてしまって、もうほとんど終了一歩手前。ちょっと「反貧困映画祭」など観たかったのですが、ぐるりと会場を一回りするのがせいいっぱい。シンポジウム会場では、なんだか怒号が飛び交っているような雰囲気も。 ただ、あまり「貧困」などというのを表に出すのではなく、どうでしょうか、例えばつまりは「プレカリアート」の集う場所のようにして、表面的には貧困とはまだ縁がないような人たちといっしょに、何か考えられるようになった方がいいような気がします。つまり、派遣社員などという身分で生活し、とりあえず貧困からは距離があると思っているような人だって、同じディメンションで取り込まれているのだということがアピール出来た方が、良いと思うのですけれども。そこでもっと連帯出来る部分が拡がるのではないでしょうか。もちろんそこから「マルチチュード」への視点を発展させられれば。 で、この日はほんとうは他のダンス公演を観るつもりだったのですけれども、直前になって木場公園で坂本弘道さんのライヴがあることを知ってしまって、もうすでにチケットは売り切れとの情報だったのですが当日券目当てで行ってみました。 終演後、坂本さんと久しぶりにちょっとお話して、そう、昔、わたしのイヴェントに坂本さんには出演してもらったこともあるんですけれども、あれからずいぶんと経ってしまいました。で、ちょっとだけ、そのテントで引き続いて行われた打ち上げにもまぜてもらって、石丸だいこさんに声をかけたら先日の横浜公演のDVDをいただいてしまいました。 早めに会場をあとにして、最近ご無沙汰してしまった下北沢の「G」に、わざわざ足を運びます。というのも、カウンターのSさんが今月いっぱいで田舎に引っ込むので、最後にあいさつと思っていたのですが、もうすでに辞めちゃったあとでしたね。店には別のSさんとかが飲んでいて、この夜は他にお客さんもいないと同じになってしまったので(いや、いたんだけれども)、皆でジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』を観てしまいました(「G」にはちゃんとモニターがあるのです)。 2008年 03月 27日
3月23日日曜日。この日の予定は、2時からにしすがも創造舎での『スリー・スペルズ』と題されたダンス作品の観劇。それまで時間があるので、久しぶりに映画でも。
久々に見るコーエン兄弟の作品は、アカデミー賞をとってしまった『ノーカントリー』。クライムものを奇妙なユーモアを交えながら、ダークに描くコーエン兄弟の作品は大好き。わたしは『オー・ブラザー!』に少しばかり疑問もあったので、それ以来コーエン兄弟の作品は観ていない。今回は圧倒的な「悪」の仕掛人が現われ、人を追い詰める。エアボンベをひっ下げて、奇怪なヘアスタイルで登場する悪の化身、ハビエル・バルデムという役者が、強烈な印象を残します。 ミヒャエル・ハネケとかブリュノ・デュモンなどの影響を受けてしまったかのような、内省的なエンディングが宙に浮き、これはいままでのアメリカ映画にはなかった肌触りの作品になっていました。 映画が終ってすぐに西巣鴨に移動してそのダンス。なんだ、シディ・ラルビ・シェルカウィさんは出演していなかったのだ。タイトルは3つの小品を総括するものだけれども、「スペルズ」とはつまり、「呪文」とかの意味のヤツだろう。振付けの力とかは感じるのですが、あまりにあからさまな世界観はストレートすぎて、例えば昨夜の黒沢美香さんの舞台などと比べると、これは「娯楽作品」としてしまおう。 2時から始まって上演は一時間ほどなので、終ってもまだ3時。先日の超安値中華料理店でまた、などとその店の前に行くと5時までは昼休み中。こういう時はさっさと帰ってしまおうと、つまりはさっさと帰って来ました。とはいえ今回の上京は三泊四日のかなり長丁場。いろんなことがありましたなぁ。いろんな人にもお会いいたしましたです。 2008年 03月 26日
3月22日土曜日は木場の東京都現代美術館へ。川俣正『通路』展、そしてMOTアニュアル2008『解きほぐすとき』。それと常設展示。
MOTアニュアルは彦坂敏昭、高橋万里子、金氏徹平、手塚愛子、立花文穂の五人の展示。高橋万里子さんの写真がいい。って、なぜか最近写真作品ばかり気に入ってしまっています。表現としての写真には疑問があると言ってるのに。川俣正展は、つまりは大きな合板を立てて通路を造りましたという壮大なインスタレーションというか、そのすきまに川俣さんのアーカイヴの写真展示だとか、あれこれのラボつうかゼミが机の上に資料を拡げて活動しておる現在型。美術館全体が広大な舞台裏に見えてしまいます。そして普段は入れないスペースにも入って行けるし。わたしはあまりそんなラボとかに首突っ込んでみたりしなかったのでアレだけど、それぞれに興味を持ったりしたら一日では観覧終らない。 そういえば常設コーナー3階の岡本太郎は渋谷行きが決まったのでしたね。あの井の頭線改札を出たスペースに展示するのでしょう。真下を歩いていて、上からこの作品が外れて落ちて来て当ったら、死ねます。これからは井の頭線で渋谷に降りる時には気をつけます。 美術館を出て、ついでに深川のあたりをぶらぶらして、また江戸資料館なんかにも立ち寄って、清澄白河駅の前の「りんご書店」、ここはお気に入りブックマークなのでまた立ち寄って、光文社文庫になんとブルトンの『狂気の愛』。買いました。 このあとは神楽坂で黒沢美香さんのダンス公演『牛』。ちょっとだけ時間があるので、たしかこの近くのギャラリーでやっているはずの山下律子さんの、その個展会場を探す。昔山本現代とかが入っていた印刷屋の上のスペースに行ってみたら、田中偉一郎の個展とかもやっていた。そこに山下さんのDMがおいてあったので、場所を見るとやはり近く。ギャラリーの人に場所を聞いて外に出ると、久しぶりにジョニー・ウォーカーさんと彼の巨大な犬に出会ってしまった。ジョニーはわたしのこと憶えてくれてて、「ヲハヨウサン」とあいさつされた。 少し迷って、その山下さんの個展会場に着くと今日が初日で、そのオープニングパーティーなどやっていた。山下さんにあいさつ。って、彼女はあれこれと懐かしい知り合いで、それに、とてもすばらしい作品を描く人なのです。気に入った作品を指して、アレが好きだと言ったら、エッとびっくりされて、「手抜き」と言われると思っていたそうで。今日の搬入の直前まで描かれていたそうで、うん、とってもイイ作品でした。 で、セッションハウスに向かって、この日の黒沢さんのダンス、音楽は野口実さんという方で、衣裳は、のぎすみこさん。彼女も古い知り合いでした。というか、きっと山下さんともお知り合いだろうと思って、劇場入口にいたのぎさんにちょっと聞いてみたらやはり知り合いでした。 会場にはMさんがいて、彼の席の近くに席を占めると、Oさんが来てるよと言われて、そのすぐ近くに久しぶりにお会いするダンサーOさんが。彼女は実は京都に転居してしまったらしいのです。 とにかく舞台が終って、Mさん、Oさん、Hさんとわたしの四人で例によって「T」に飲みに行きました。あれこれと会話がはずんで、元「ロマンチカ」に在籍されていたOさんに、だったら山下さんを知っているのではと思って聞いたら、同じ時期にロマンチカにいたので良く知っているということでした。ちなみに山下さんは当時ロマンチカの美術をやっていらっしゃいました。世界は狭いのです。 アントニオ・ネグリの来日が中止になってしまった話を、ココで聞きました。日本の入管のやり方は信じられないぐらい反動で、世界の恥でもあって、そういえば先日のドキュメンタリー映画『靖国』をめぐる騒動もあって(結局新宿の映画館は上映を取り止めたのですな)、日本のあいもかわらない文化的低級さ、逆に近年その反動ぶりが大きくなって来ているようで、気をつけていないといけない。 2008年 03月 25日
3月21日は金曜日。四連休の2日目。朝メトロに乗るとずいぶんと混んでいて、それで、あぁそうだこの日は平日なのだと気がつきます。午前中はとにかく今後のこともあるので、まずはまた派遣会社に登録、面接。その面接の人がわたしのやっているスキルに詳しいわけではなく、なんだか微妙にすれ違いな空気。
午後からはYちゃんと待ち合わせて池袋。この日は「Port B」のツアー・パフォーマンス、「サンシャイン62」に参加。あうるすぽっとから四人で出発。ほんとうは五人一組なのだけれども、わたしたちの班は一名欠席。ま、とにかく、「班」って感じですね。池袋周辺、とにかくサンシャインビルの見える所をあちこちと移動します。 その旅の終わり近くに、サンシャインのとなりのプリンスホテルの客室に行ったりするんですけれども、このサンシャインのプリンスホテルはわたしには思い出深いと言いますか、このホテルが出来たとき、わたしは各客室の内装、というか、それぞれの部屋に額装した版画を設置する仕事をやっていたのでした。だからエレベーターで例えば31階とか降りて、そのエレベータールームのそばの壁面の、客室番号を書いてあるプレートが懐かしかった。一日中それを頼りにビルの中をぐるぐるまわっていた思い出がよみがえります。 これにはもうちょっと因縁があって、その版画、例えばカシニョールとかなんだけれども、それを額装する仕事を、当時は国土計画(今はなき西武系のカンパニー)の管理下にあった目黒の(現)庭園美術館、当時は旧迎賓館とか、朝香宮邸とか呼ばれて一般公開なんかされていなかったそのスポットで、毎日毎日版画の額装に励んでいたのですよ。その庭園美術館にもこのあいだ行ったばかり。 ツアーはまた「あうるすぽっと」に戻って終り。あれこれとこちらの思考まで誘導されている気分はあまりよくなかったし、「Yes」、「No」の二者選択を迫られるようなのは、ホントはわたしは好きでない。 いっしょにツアーを回ったYさんと、これはYちゃんとは別人ですが、いっしょに新宿まで出て、お別れして、Yちゃんとしばし飲みます。 遅くにYちゃんと別れ、また歌舞伎町を突破するわけですが、この夜は久しぶりにDさんの店に寄ってみようと思って、その区役所の近くのビルの地下に降りてみるのですが、その店らしきものはなく、「たしかココだったのに」という店のドアをばぁんと開けてみました。って、目の前の椅子に座ってビールを飲んでいるのは、懐かしいSさんでした。しばらくSさんの顔を見つめているとあちらもわたしに気がついて、「ずいぶんと白くなりましたねぇ」などと。 話ではDさんはもう飲み屋はやめて、ラーメン屋とかやってるらしいのだね。で、この店をやっている人も当然Dさんの知り合いで、新宿のバーとかの情報に詳しい。あれこれと、あの店はどうしたなどと話を聞いていたら、三丁目の「舞台裏」のオーナー、Mさんが去年亡くなられたということを聞いてほんとうに驚いてしまった。 「舞台裏」にはけっこう通いましたね。つまりはロック・バーでしたけど、かなり遅くまで飲んで、もういいかげん帰ろうとすると、そのMさんが、「まぁとにかくこれ聴いて行きなよ」とか、次々にCDをかけてくれるんです。ようやく解放されて店を出るともう朝日がまぶしいの。すんごく人懐っこい人で、いちど正月に花園神社でぶらぶらしていた時にMさんもいらっして、「おぉ〜」と、互いに雄叫びだけあげて、男どうしで抱き合って飛び跳ね回った記憶があります。いろいろ、あれこれと思い出すことがありますが、そんなに早く逝ってしまうなんて。ほんとうに心からご冥福をお祈りします。Mさんにお会い出来たことで、わたしは、この世界が少しは楽しい世界であるということを、ほんとうに実感出来たのですよ。 2008年 03月 23日
3月20日からは、怒濤の4連休でありました。初日の20日は、春の嵐の中を小田急線の新百合丘まで、ピナ・バウシュの『パレルモ・パレルモ』。開演前のロビーで、先日会ったばかりのFさんとか、久しぶりのNさんとか。
舞台を堪能して途中の休憩時間、外でタバコを吸っていたらスタッフの人に「禁煙です!」と怒られた。って、舞台でたばこ吸ってる場面があるのに、なんだか変じゃないだろうか。劇場の入口に「喫煙所」への道筋が書いてあるのだけれども、その「喫煙所」は、そこから歩いて5分以上かかりそうな場所。ま、「吸うな」ということなのだろうが、いちおうね、喫煙者として、どうなのよという疑問は呈しておきます。 終演後、そのFさんNさんとかと新宿に出て、西口のFさん紹介の居酒屋で例によって飲みます。FさんとNさんは初対面なのだけれども、話しているうちに二人が同年同月同日の生まれだと判明して、しかもNさんは希有なFさんの昔の舞台を観ていたりして、ま、もう二人で勝手にやって下さいよという感じ。 また場所を2丁目の「N」に移して、かなり遅くまで。新宿の夜は長い。 2008年 03月 18日
目が覚めると日曜日。Fさんちの豪華マンション。最近出た土方巽の評伝など見せていただく。この日の予定は、わたしは15時から西巣鴨での『ムネモパーク』、Fさんは囲碁のNHK杯決勝とかを見るのだよ、などとおっしゃっていたのだが、その時間のTVをつけても囲碁はやっていなくて、将棋ではないですか。って、Fさん大ショック。どうやらFさんの勘違いだったらしい。「だったら西巣鴨に行こうかな」というFさんといっしょに豪華マンションを出る。
近くの中華料理屋がすこぶる美味だという話で、そのランチタイムなので行ってみる。ニラレバ定食を頼んだら強烈な分量でおどろいた。Fさんが頼んでくれた餃子は、ほんとうにおいしかった。 JRの巣鴨駅から歩いて「にしすがも創造舎」。まだ開演には時間があるけれど、Fさんが当日券を買おうとしたらキャンセル待ち。へぇ、人気なんだ。って、実はこの公演はひそかに鉄道模型マニアの間でも評判になっていることを、わたしは知っている。あたたかい日ざしを浴びながらタバコとかすっていると、Fさんのお知り合いのKさんがいらっしゃって、彼女も当日券キャンセル待ち、Fさんは整理番号1番でKさん2番。えっと、Kさんはむかしっからいろんな劇場のロビーとかでお見かけしていた方で、そのお顔はよく記憶に残っておりまして、それはKさんの方もわたしのことはわかっていてくださって、ま、初対面というのではない、古い知り合い同士のような気のおけない空気になります。 前売チケットを持っていたのはわたしだけだから、先に入場したので、良くないことだけれども、あとのお二人の席も確保します。あの二人が結局キャンセル席が出なくて入場出来なかったらどうしようとか、ちょっとハラハラ。 さてFさんKさんと外に出て、Kさんの「西巣鴨ならココしかない」という中華(また中華かよ!)に行き、これが驚異の安値の店でねぇあなた、ピータンとかあれこれ一皿200円。とにかくあれこれ注文して飲んでいたら、次の予定に間に合わなくなってしまいました。「ごめんなさい」とメールを入れて、やはり飲んだり食べたり人とおしゃべりするのが大好きですから、帰宅の終電ギリギリまで飲んで食べておしゃべりいたしました。 2008年 03月 17日
やれやれ。読者がたくさんいることはありがたい限りであります。どうもお世話さまであります。
また週末。15日午前中、借りてあったジャック・リヴェットの『彼女たちの舞台』を観る。舞台と現実、そして映画がミステリーの中で交錯する。ゴダールのような原色の使い方と、すばらしいカメラ・ワーク。 メトロの銀座線で浅草に出て、この日は康本雅子さんのソロ公演。開演前に食通通りに足を運んで、前に一度来た「寺方蕎麦 長浦」で、そばとろ。まさしく美味。わたしの貧しい食体験の中では最高の蕎麦。こんど来た時は「そば般若」にトライしてみよう。 で、5時半からアートスクエアでの康本さんのソロ。康本さんは決してバレエとかモダンダンスから出て来た人ではなく、いわばクラバーの延長形な人で、しかもアフリカ。しかも小劇場演劇。いかにも10年ぐらい前のクラブでかかっていたような曲での群舞が、それこそグルーヴィーだった。わたしも10年ぐらい前は、クラブとかそれなりに行っていたものなのだ。小劇場的な部分にはやや疑問符も。 終演してもまだ7時前なので、いや、終うのの早い浅草のこの時間、貴重なのでちょっと探検。カウンターのある、チェーン店ではない小奇麗な居酒屋に入ってみた。BGMがJ−POPだったり、ちょっと小奇麗すぎたけれども、逆にコレが薄汚れて貫禄のある店だと、勘定がいくらになるか、初見の鮨屋に飛び込むような気持ちになってしまうので、ま、このあたりが恐ろしくはない境界線。しらす明太子とかおいしい。仲居のおねえさんが、凛として素敵だ。カウンターのとなりのお客さんたちが大声で話していても、それはやはり地元の人で、なんだか、そういうことが浅草ッ子よぉ、っていう気風を感じさせて、それも酒に味を添えるのです。そのとなりのお客さんがケータイで知人を呼び寄せたりして、その人が来たりすると話では十三年ぶりの逢瀬だとか、妙に濃厚な世界。「お騒がせして申し訳ありません」とかそのお客さんに言われたりして、いいってことよぉ、なんて江戸っ子気分。 飲みながらFさんとかにメールしてみて、ジャック・リヴェットの映画祭も始まったから、都合がついたらいっしょに行ったりしましょうよ、などと送信したら、返信は今そのリヴェットの『狂気の愛』を観終えて出て来た所、なんて。あっちは渋谷、こっちは浅草で、銀座線で一本だから渋谷で合流することにした。 渋谷の待ち合わせの店に着いたら、これも久しぶりの音楽家のIさんも来る。Iさんはこの日は上野文化会館でのオペラに行って来たということで、浅草〜上野〜渋谷と、銀座線一直線集合でした。その渋谷でしばらく飲んで、ではもう一軒とこんどは新宿に出て、2丁目のゲイではない店「N」へ。ここは70年代から脈々と続くアングラ文化人の巣窟。この夜は、わたしでも知っている唐組の俳優さんとかが何人もいらっしゃったのです。なぜか星座とか血液型などという俗っぽい話になり、十人ほど居たお客さんのうち、たしか四人までが魚座のA型。つまりわたしも、そしてFさんも。魚座の確率が1/12で8パーセント強。A型は40パーセントだから、確率的には魚座でA型の人が存在するのはせいぜい4パーセントなのに、その十倍だよ。 またものすごく遅くまで飲んでしまって、三時近くに「N」を出て、FさんIさんとで天神ラーメンを食べ、この夜は皆でFさんちに泊まる。暖かい夜でした。 2008年 03月 13日
2〜3日前の朝のニュース、というか「目覚ましTV」だったかな、小山で女子高校生が襲われて、制服のスカートの下に履いていた「スパッツ」をはぎ取られたのだよ、というニュースをやっていました。しかも小山の犯行現場の映像(スチルではない、雑木林の中の寂しい道を、歩きながら撮影したヴィデオ映像!)までも。「小山警察署では強盗容疑で犯人を捜索中です」とのコメントも。ひょっとしたら被害者の顔写真も出てくるのかな、という期待は裏切られました。気になって(なんで?)、グーグルのニュースで検索したけれどもそんなニュースはどこにも出ていませんでした。このニュース、ある意味でフジテレビの独占スクープだったのでしょう。このあたりではスカートの下にジャージとかはいたコはよく見かけますけれども、スパッツというのはあまりお目にかかる機会がありません。ってぇか、ジャージに比べてスパッツを脱がせるのって、なかなか大変そうな気がします。そのあたりにこだわった犯人だったのではないかと推理いたしました。とにかく被害者が失ったのがスパッツだけだったというのは、不幸中のお笑い、いや、不幸中の幸いではあったでしょう。
さてさて、わたしのお仕事はいったいどうなってしまうのでしょう。またまた異なる情報が入って来たり、訳判りません。とにかく、現在の仕事を失う確率は70パーセントかな。博多転勤の確率が残り30パーセントです。で、失職したあと、また東京に舞い戻る確率が30パーセントほどあります。4月から長期失職状態に陥る確率50パーセント。いったいどうなってしまうんでしょうね。 だったら遊ぶだね、そういうのがわたしの姿勢なのですけれども、4月からはダンスとか演劇の公演でめぼしいモノもありませんし。で、先週末にあちこちで拾って来たチラシなど眺めていると、うわぉ! 今年の「フランス映画祭」では、なんと、ジャック・リヴェットのお祭りなのではないですか! ちょうど今、リヴェットの『彼女たちの舞台』(むかし映画館で観ましたが、とにかくジャック・リヴェットの作品ではわたしはコレが大好きなのでした)のDVDを借りているところなのですが、あの『アウト・ワン』全編、12時間上映というのもあるようです。ただこれは字幕無し状態での上映らしいので、きっと観に行ったら死にます。未公開作品があれこれ並んでいるのですが、とにかく『ジャンヌ・ダルク』の長尺版、たしか出演者へのインタヴューがその作品に含まれているヴァージョンが公開されるようなので、これは必ず行きます! それからう〜ん、未公開のはあれこれ観たいけれど、リヴェット版の『嵐が丘』は観たいなぁ。 2008年 03月 12日
で、3月9日の日曜日です。とにかく土曜日の夜というか、日曜日の朝はまったく寝ていません。で、「芸術見本市」でいただいた資料も大きな荷物になってしまいましたし、とにかく一度下館に帰って、また東京に出てくることにしました。まだ6時にもならない早朝の上野から宇都宮線に乗って、電車の中ではもちろん眠って、下館には8時ごろに戻って来ました。少し休んでからまた東京に出かけます。わたしもタフですね。もちろん電車の中ではすっかり眠って、この日は目黒。庭園美術館で小林嵯峨さんの舞踏です。
駅から庭園美術館へ歩く途中の鮨屋で、ランチのちらし。おいしかった。で、庭園美術館。この日曜日はほんとうにのどかな春うららな陽気で、とにかく街では半袖で歩いている人の姿も見かけたし、この美術館の庭園にも、おおぜいの人がちょっと早い春気分を楽しんでおられるようでした。美術館の展示は、『建築の記憶〜写真と建築の近現代〜』というヤツ。これがちょっとさぶいぼが立つような、つわもの展示で、明治時代の建築物を撮影した写真、とりわけ中国の紫禁城、そして江戸城、なによりもとりわけ熊本城の写真にすっかり心を奪われてしまいます。現在日本に残っている城建築は、たいていは改築された観光シンボルとしての存在で、実は鉄筋のコンクリート城壁だったりするのですが、ここに記録された明治初期の熊本城は完全に木造で、しかもこれはもう「廃墟」でしかありません。「城」の形をした、巨大な、廃墟としての木造建築、そんな姿は、この写真の撮影された明治初期のほんのわずかな時期にのみ、人の前に見せた姿ではあったのでしょう。なんだかとんでもないすごいモノを観てしまったという感覚。 2時半頃になって、別館ホールの方に足を向けると、そこは「土方巽生誕80年記念〜HOMAGE TO HIJIKATA vol.1」の会場で、なんだかこう、どう見ても堅気には見えない風貌の方々が、数多く集合されておられます。こういっちゃなんですが、やくざの襲名披露パーティーというのは、きっとこういう雰囲気なのではないでしょうか。で、今回のメインは小林嵯峨さんの舞踏なわけで、そのバックの音がご近所のErehwonが担当。IさんやHさん、そしてAGさんなどにお会いいたしました。それから昨夜の「踊りに行くぜ!」での照明スタッフのAMさんにまたお会いしてしまいました。「昨日あれからどうしたの?」と聞かれて、「朝まで飲んでました」って答えたら、「カハハ」と笑われてしまいました。そりゃそうだ。 さて、嵯峨さんの舞踏は、まずはバックに映される土方巽の映像とオーバーラップするように展開して、例えば先日観たサイモン・マクバーニーの『春琴』が谷崎の『陰翳礼讃』を典拠にしているとしたら、こちらこそ正統な『陰翳礼讃』ではないかと言えるような、薄暗闇の中で蠢くようなミステリアスな舞台でした。 舞台途中で、「わたしはとっても退屈」みたいな歌詞の妙な歌が流されて、とても気になっていたんだけれども、終演後Iさんに聞いたらそれは緑魔子の歌で、AGさんが見つけて来たのだということでした。奇怪でした。 鼎談が終って、しばしのパーティー・タイム。あれこれの人にお会いしたり、(ここにもわたしの分身がいるらしくて)わたしがあれこれの人に間違えられたり。考えてみれば、この週末の東京滞在三日間で、わたしが最近親しくさせていただいている知人友人の皆さん、そのほとんどの人に出会うことが出来ました。わたしの九州行きが決定していたら格好の送別会三連チャンではあったことでしょう。 AGさんが他のCD音源を聞かせてくれて、それが、解散引退まぎわのザ・ピーナッツのライヴ音源だったのですが、なぜかユーライア・ヒープの「対自核」とか、アッと驚くクリムゾンの「エピタフ」なども唄ってる。AGさんとも話したんだけれども、ザ・ピーナッツというデュオは、古今東西世界中探してもお目にかかれないというか聴くことの出来ない、希有なハーモニーを聴かせてくれるデュオではあったのですよ。(おととい書いた「Sound Of Feeling」も双児姉妹のデュオだったけれど、まぁハモるというのではこの「ザ・ピーナッツ」にかなうものではありません。多重録音のカーペンターズをライヴで実現してしまう雰囲気ですから!)いずれ再評価されるでしょうが、とりあえずこの音源はわたしも欲しくなってしまいました。 2008年 03月 11日
3月8日土曜。まずは渋谷で映画。先日山崎ナオコーラの原作を読んだ『人のセックスを笑うな』。監督は井口奈己というひと。原作は39歳の講師と19歳の生徒との恋愛話で、出演者が永作博美というのはちょっと若すぎるんじゃないのかな、なんて思っていたら、永作博美はいつの間にか実年齢37歳になっちゃっていたのですね。若いというよりも、この人は童顔。えっと、原作からずいぶんとあれこれ動かしてるんだけれども、あくまで演技臭さを排した自然体演技にこだわって、イイ感じに仕上がっていました。美術がなんと木村威夫。あちこち出てくる黄色い風船ね。ただ、ほとんど照明使わない自然光主体の撮影で、場面によってはやはりちゃんとメリハリをつけて欲しい気もしました。タイトルが出た時に英文タイトルも出て、それが「Don't Laugh At My Romance」。って、そうなのか? ちょっと違う気がしないでもない。
で、その渋谷からバスに乗って六本木。Super DeLuxeでのチェルフィッチュ新作『フリータイム』。会場に入るとちょうど音楽がフレッド・フリスの「Step Across The Border」だったりして、これもきっと岡田さんの趣味というか、この舞台への意気込み、なんでしょう。観客席にびっくりするような超大物女優さんのお姿とか(吉永小百合ではありませんが、同じくらいの世代の方?)。 開演前に時間があったので、タバコとか吸っていたら、出演者のYさんんから「どうですか、飲み物でも?」なんて勧誘を受けて、「ウン、時間あるからあとでね」とか答えて、実はその直前にランチでビールとか飲んでいるので、ココはまぁ控えておこうと、コーヒー(美味だった!)など飲んでいたらまたYさんが来て、「アレ? アルコールじゃないんですか?」なんて突っ込まれる。「いやまだ昼間だから」なんて答えます。 で、その劇が始まってみたら、ファミレスが舞台になるわけだけれども、セリフの中に「昼間から酒を飲んでいる中年オヤジ」なんてのがあって、あ、Yさんはわたしにこのセリフで恥ずかしい思いをさせようとしたのではないかと勘ぐってしまった。おあいにくさま。舞台の感想はまた別に書きましょう。 またまたMさんに会ってしまって、このあとわたしは浅草で「踊りに行くぜ!」、MさんはTIFで西巣鴨なんだけれども、それまでの時間またお茶などします。 「踊りに行くぜ!」、今回出場の4組は基本的にみな初めて観ます。いや、「KIKIKIKIKIKI」は一度観ていました。皆それぞれ可能性を秘めたエネルギッシュな舞台でした。わたしのお気に入りは「プロジェクト大山」。これも感想を書く時間が取れれば良いですけれども。 終演後、久しぶりのTさんとか、昨日もお会いしたS&Sさんとかといっしょに、打ち上げに参加します。ここで広川太一郎さんがお亡くなりになられたことなど聞きますが、えっと、あとから来た声の大きな人がいて、ちょっとなんだかね、いやんなっちゃった。わたしはいわゆる「KY」とかいう言い方は大嫌いだけれども、複数で飲む時には複数で楽しむ飲み方がある。そうじゃなくてわたしがわたしがとか、わたしのお気に入りはこの中ではこの人なんだからなんて態度を出されるといやんなっちゃう。少なくともそういう飲み方をしないように自戒するし、でももうそんな人と同席したいという気持ちもなくなるのだよ。 「プロジェクト大山」の皆さんとちょっと話をして、舞台の途中でかかった大げさな曲を「今はなくなってしまった社会主義国の国歌みたいな」と言ったら、それはペルーの国歌だったそうで、当らずと言えども遠からず、かな? あとは音響のSさんと少しだけ話したり、JCDNのSさんMさんと話したりして、なんと! 朝まで飲んでしまったのです。 2008年 03月 10日
3月7日金曜日、昨年の医療費がつまり十万円越えたので、確定申告をいたします。というか、午後から東京にお出かけしたいので、確定申告を理由に有給を取りました。これから日曜日まで三日間在京の予定です。
で、その医療費控除の還付金は、750円でした。ありがたいことであります。 そのあと、電車で東京へ。この日は恵比寿で開催中の「東京芸術見本市」、そのショーケースで2団体の出演、それが「ARICA」と「カノコト」と、どちらもわたしのよく知っているユニットなものだから、これはある意味マイ・フェスティヴァル。どうして行かないですむでしょうか。 ショーケースは4時半からなのに2時半には会場に着いてしまって、ブースのプレゼンとかを見てまわります。えっと、入場する時に名札に名前と所属とか役職(?)とか書き込んで、それをぶら下げて入るんですけれども、何年か前にもこの「芸術見本市」に来たことがあって、その時は有楽町の国際フォーラムが会場だったと思いますけれど、その時は調子に乗って「プロデューサー」とか何とか書いて入ったんですね。そしたらアレですよ。各ブースで「うわ、プロデューサーさんだ!」とかって、大歓迎されて、あれこれ山のように資料とかヴィデオとかいただいてしまって、大変だったのさ。今回は一般観客。 でも、テーブルの上に資料とかDVDとかいっぱい置かれていて、欲張りなわたしは結局あれこれとDVDもらって来ちゃった。「マレビトの会」の『クリプトグラフ』がそっくり収められたDVDとか、「地点」のこれまでの公演のダイジェストDVDとか、涙が出そう。他の人はケベック(カナダのね)のブースで、マリー・シュイナールの映像が流れているのを見ていたらそのマリー・シュイナールのDVDを貰えたらしい。実はわたしもそのマリー・シュイナールの映像が流れているのは一瞬見ていたんだけれども、DVDは貰えなかったのよ。もうちょっと長い時間観ていればよかった。あ、でもマリー・シュイナールは、来年2月に来日公演があるみたい。わたしきっとマリー・シュイナールがいちばん好きですからね。もう来年まで生きていなくっちゃ。 会場内でMさんにお会いして、ショーケースが始まるまでちょっとお茶などしてから、それで「ARICA」と「カノコト」。終演後、カノコトの戸田さんとかスタッフのKさんIさんとお話したりして、「ARICA」の打ち上げにまぜていただきました。東京一日目終了。 2008年 03月 05日
いよいよもってして情況は錯綜して来ているのですが、ま、その、企業間の話でもありますので、ここでは残念ながら詳細を書くことは出来ません。って、ど〜なるのよ、わたし。
そんなこんなしているウチに2月も終ってしまいましたので、まとめておかなければなりません。気持ちはもう4月以降の面倒にしか向かっていないのですが。 で、2月の舞台は忙しいと思っていたわりに、5件にとどまりました。 2月2日(土)バットシェバ舞踊団『テロファーザ』(神奈川県民ホール) 2月9日(土)ヤン・ファーブル『死の天使』(彩の国さいたま芸術劇場) 2月10日(日)大橋可也&ダンサーズ『明晰の鎖』(吉祥寺シアター) 2月10日(日)花上直人『人間洗濯機』(新小岩劇場) 2月16日(土)神村恵カンパニー『どん底』(BankART 1929) この五つ。 美術展は二つかな。 伊藤篤宏@BankART NYK(これは伊藤さんのOptrumライヴ付き) UBSアートコレクション展@森美術館 映画2本。 『アメリカン・ギャングスター』リドリー・スコット:監督 『ミスター・ロンリー』ハーモニー・コリン:監督 で、この2月ですごかったのは、とにかくDVDとかヴィデオとかまともに観ていないこと。かろうじて、Mさんに借りているアピチャッポン・ウィーラセタクンの「Tropical Malady」というのは観ましたが、摩訶不思議な作品でした。 読書は以下の通り。 竹熊 健太郎『篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝』 ボブ・ディラン『ボブ・ディラン自伝』 田山花袋『蒲団』『田舎教師』『禮拝』『百夜』 トマス・ピンチョン『スロー・ラーナー』(最後まで読まないでなくしてしまった) 川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』 こんなところです。 2008年 03月 04日
情況がいよいよ錯綜して来てしまって、福岡に行くという決定も、行かないという決定もしづらい様子なのです。結局、どうすればバカを見ないで済むか、損をしないで何かを得るかなどと、はかりながら動いて行くしかないのかな。こういう情況なのだというのを書いてみたいけれども、それはインサイドの出来事ですからね、あまり公には出来ません。
で、日曜日のことですけれども、この日の午前中は竹橋の近代美術館の企画、『わたしいまめまいしたわ』を観て、そのあとは午後から、世田谷パブリックシアターでのサイモン・・マクバーニ−演出の『春琴』観劇予定。 渋谷から半蔵門線。九段下で東西線に乗り換えて竹橋までと思っていたのだけど、半蔵門の駅に着いた時に急に、そこから歩いて行きたくなって、ふっと電車から飛び下ります。で、千鳥が淵なんかの遊歩道をぶらぶらと歩きながら、でもまだ春にはちょっと早いし、このあたりはそれこそずらりと桜並木なのだけれども、その桜のつぼみもまだあるようなないような景色で、あたりはジョギングするトレーニングウエア姿の人たちにあふれ、みんな勤勉だなぁと感心しながら武道館の方に曲がり、科学技術館のわきを通って近代美術館到着は開館10分前。エントランスを見ると、「本日は観覧無料日」との掲示が。って、先日180円で買った前売券がさっそく無駄になってしまって、それはみるまに180円の大きなしおりに変身し、こうしてわたしはまたしてもバカを見て損しちゃったのです。 『わたしいまめまいしたわ』はもちろんなかなか良い意味合いの回文で、副題は「現代美術にみる自己と他者 Self/Other」。わたしにとってのメイン展示は、その副題の「Self/Other」にきわめて近い、牛腸茂雄の「SELF AND OTHERS」全60点展示、それから澤田知子ちゃんの「ID400」。「ID400」は以前にも観たことがあるけれど、やはりその印画紙の前に立つと負ける。牛腸茂雄さんのは現物を観るのは初めて。明確なコンセプトを写真自体がずらして行くようなところがあって、やはり全60点を見ないとその狙いは解らない作品なのです。で、そのうちの一点、四角い部屋の真ん中にテーブルがあって、そのテーブルの上に徳用マッチ箱、壁にはシタールとかが掛けられている喫茶店のようなスペースの奥にウエイトレスみたいな女の子が座っている写真、この場所って、絶対に高円寺に昔(30年以上前!)あったロック喫茶「ジェファーソン」なのだと思うんだけれども。ちょっと確信が持てないので牛腸さん本人に「ねぇ、これって高円寺のジェファーソンでしょ?」と聞いてみたいのだけれども、牛腸さんはもういない。 あと記憶に残ったのは、高嶺格さんの、「シュヴァンクマイエルがなんぼのもんじゃい!」とケンカを売っているみたいな映像作品とか、コレもやはり映像作品キム・スージャさんの「針の女」という作品。大嫌いな梅原龍三郎の自画像(どんな絵心のない人が描いても、コレ以下の絵は描けないでしょう。そういう意味では貴重かも!)が展示してあったのは、早くゴミ箱に捨ててほしい。 近代美術館を出てそのまま日曜日の神田神保町まで歩き、ちょっとだけ古本屋探索。わたしの行く店は三軒ぐらいしかないし、そのどこも日曜日も開いてるからいいの。古本屋というわけではない「日本特価書籍」で、ゾッキ本になってしまっているピエール・ガスカールの『博物学者ビュフォン』を購入。その平台に夢野久作や久生十蘭の全集(新本)がすっごい定価割れして山積みされていてびっくりしたけど、そうだ、三一書房は倒産してしまったんだった。中井英夫の作品集もメチャ安で置いてあって、ちょっと欲しくなった。 また神保町から半蔵門線に乗って、そのまま三軒茶屋まで。世田谷パブリックシアターに上がって行くと、立ち見の当日券狙いの人が列を作っていた。いちおうパンフレットを買って観劇。ま、『陰翳礼讃』だから、どうせ舞台を暗くするんだろうとは思っていたけれど、畳は出てくるわ、映像は障子にうつった木枝だったりと、おもいきり日本趣味。幼少期の春琴に人形を使って、そののちの春琴を演じる深津絵里とかがそれを操るのとか、影に隠れていても出ずっぱりの役者たちがそれぞれ黒子の役を果たすのとか、ことばにすれば陳腐だけれども、演出がしっかりしているので堪能する。全体の構成がラジオドラマの収録ということにして、役者さんの「声」の力が大きな舞台だった。視覚的には、篠田正浩の『心中天網島』とか、吉田喜重の『エロス+虐殺』を思い出す。三味線の音にも惹かれたけれど。 2008年 03月 03日
とは言っても心は揺らぎます。このまま福岡に行ってしまおうか? そういう選択も現実味を帯びて迫って来ます。福岡に行って何もお金使わないで貯金して、また東京に戻って来て、飲み屋でも始めるというのも良き老後であるとも思う。って、いちどそういう道を選ぼうとしてやり損ねたことあるし。うん、やり損ねたことをもう一度やろうとするのは、悪あがきだな。
金曜日の夜中に目が覚めてしまって、また眠って土曜日の朝に目覚めると、なんだか鼻水が出てね、風邪っぽい。きっと夜中の目覚め方が悪かったのだと思うけれど、こういうふうに鼻水あたりから始まる風邪は悪化させない自信がある。 土曜日の午後から東京に出かけ、この夜は三茶のシアター・トラムにてイデビアン.クルーの踊り姫、斉藤美音子さんの「独舞」、『手すり』。東京への電車の中で山崎ナオコーラさんの『浮世でランチ』を読み始めたら、主人公が転職する話で、しかも手すりにさわるという感覚が、思いきりフロントに持って来られていた。 斉藤さんの舞台にはヴァイオリニストが登場して、それが斉藤ネコさんで、なんだよ、名前がほとんど同じだからかよ、って、どれだけあの音楽が効果的だったのかなどと、正直言ってちょっとあれこれと消化不良になる舞台。 終演後のアフタートークのゲストが、ジョセフ・ナジの作品(この時の斉藤さんがとっても魅惑的だった記憶があるのでこの日の舞台を観に来たのですけれどもね、わたしには軽く空振りでした)で斉藤美音子さんと共演した黒田育世さんで、司会がイデビアンの井出さん。この噛み合わない司会ぶりがいちばんおかしかった。 アフタートークが終って客席の階段を登って行くと、いちばん上に黒田さんの音楽やってる(と言うにとどまらないのですが)Mさんがいて、しばらく外でタバコ吸いながらお話しました。 Mさんとお別れしてバスで下北沢に出向いて、Recofanを見てまわって、Frank Zappaがサタデイナイトライヴに出演した時の音源とか、Richard Thompsonの昔持っていて処分してしまったアルバムの紙ジャケ盤とか、なんだかあれこれと買い込んでしまいました。で、また「G」に足を運んで、Frank Zappaのとかかけてもらうと、えっとこれは最強のメンバーの時の音源で、テリー・ボジオはドラムだし、とにかくラス・アンダーウッドのマリンバが入ってるし、ブルース・ファウラーとかのブラス・セクションもばっちり。ちょっと興奮しました。 で、この夜は久々に渋谷のカプセルホテルなどに宿泊し、ゆっくりと風呂に入って、すっかりあたたまって繭の中の孵化する幼虫のように、ぐっすりとあたたかい眠りにつきました。これで日曜日は風邪も全快しているでしょう。 2008年 03月 01日
わたしはあれこれと妙な生き方をして来ているなという意識はありまして、そういうことの中のひとつに、戸籍上の改名というのがあります。だから名前を正式に変えたのです。
わたしの親の事はまたいづれ書きますが、つまりは変な親でした。だからこういうことになってしまったと言えるのですが、とにかく変な名前を付けられました。わたしが生まれた時の戸籍上の名前は「小坂荘厳」といいます。素直に読める人は手を挙げて下さい。「そうごん」とか「そうげん」は違います。わたしの人生で出会った人の中でただひとり、高校の時の世界史の先生だけが、正解を導き出しましたね。 小さい頃はそれなりに、偉そうな名前だとか思わないわけでもなかったのですけれども、やっぱりおとなになるとこういう名前は不便だわさ。つまり、漢字で書いてもらう時に説明する煩わしさ、そして、すでに書かれている文字の読み方を言う煩わしさ。学生時代であればそういうこともあまり苦にはならなかったけれども、とにかく社会人というんですか、そういうのになってしまうと、いちいち説明しなければいけないんですよね。「あの、べート−ヴェンの『荘厳ミサ』ってあるじゃないですか、あの『荘厳』って書くんですけれども」などと説明しても、その相手が「荘厳ミサ」を知らなければ、ものごとは錯綜します。ま、つまりは他人への嫌がらせみたいな名前です。特に、これ、手書きで縦書きすると、漢字ごとにだんだん画数が増えてくるので、二等辺三角形とか、下手すると正三角形ぐらいのスペースになってしまう。「小」という字が最小単位(「八」には負けるけれど)で下に拡がってるし、「厳」がまたコレだし。ま、末広がりは縁起がいいのだという言い方はありますが。 二十歳ぐらいの時に、何かの拍子におやじにね、「オレの名前って、失敗だったんじゃないの?」って直接聞いたことがあって、そしたらおやじが「うん、失敗だった」って答えやがって、って、冗談では済みませんよという世界なのですが、その時から「もうこの名前は使わねぇ」と決めたのですけれども、さすがに戸籍名から正式に変えてしまおうという発想は、その時にはありませんでした。 名前を変える、その新しい名前を自分で決めるというのは、かなり勇気のいることで、姓まで変えて完全にペンネームみたいなのならでっち上げられるのですが(そういう名前をつけて通したこともありましたし、その時のペンネームには今も愛着があります)、ま、姓はそのまま残してというのはなかなかね、やっかいなんです。その二十歳ぐらいの頃は、「美都治」というので通していたこともあります。これは両親の名前をくっつけただけ。つなげると思いのほか気恥ずかしい名前なので、あまり使いませんでした。 だから美術作品を発表するようになって、その、自分で自分に名前をつけるという行為の重さには耐えられなくて、なんだか自分の人生をそこで自分で決めてしまうような気がして、そこは姓名判断の専門家にお金を払って決めてもらいました。その第一弾は「龍輝」だったな。ふん、わたしの責任ではありませんよ。その姓名判断のボンクラがいけない。これもイヤで、結局、何がきっかけだったのか、もうこの際正式に改名しましょうと、きっと何かあったのだろうけれども、調べて、家庭裁判所に「変更許可申立」というのをいたしまして、その時にはもう、出来るだけシンプルにしたいと思っていて、でも自分で名付けるのはイヤでやはりそういう姓名判断のアレにお願いして、現在の「圭司」っちゅうのに改名したわけです。 結局、この「改名」のあとに、親戚から「親から授かった名前を捨てた」という批難を、直接いただきましたね。ふん。勝手に言えばいい。 その時の家庭裁判所の結審の書類、「審判」のコピーは、今でもなんだか大事にとってあります。って、改名っていうのはそれほど大変なことではなくて、例えば「通称」としてずっとこういう名前で生活してるんですとか、そういう実績を作れば、おそらく必ずどんな人でも改名は出来ます。ただ、姓を変えるのは容易くはないと思いますけれども。ね、勝手に「ありすがわ」とか「島津」にしますというわけにもイカンでしょう。 今その審判の書類を出してみたら、日付けは「平成2年11月29日」になっています。つまり、「小坂圭司」という人間はまだ18年ぐらいしかこの世に在籍していないのです。って、そうか、成人していなかったのか。 という、改名の話でした。はたして、「小坂荘厳」、いったいどんな読みだったのでしょう? 2008年 02月 29日
それはほとんど「事件」というか、そういう宿命の下に生まれた来たのだよというか、またもや不条理な出来事が起きるのです。
今年になってちょっとだけ、そういう事は職場でほのめかされていたのですけれども、こんなに急に、猶予もなく決定してしまうとは全く考えてもいませんでした。‥‥つまりですね、わたしの勤めている宇都宮の某大企業の中の、その設計部署が、すべてそっくり、この4月1日(「しがつ・いっぴ」と発音します)から福岡に移転してしまうのです。福岡って、博多駅のすぐそば。って、あと一ヶ月? いちおう、すぐにわたしはお払い箱というのではなく、その福岡行きの人員の中にカウントされてるんよ。一派遣社員にとっては名誉なことに。それで、28日はわたしの誕生日だというのに、わたしの所属する派遣会社の営業マンが職場にわたしを訪ねて来て、つまりは福岡行きになった時のあれこれの条件を伝えてくれるわけです。もちろん引っ越し費用はむこうが全額負担してくれる。それプラス家賃の補助、赴任手当ての支給などなど。つまり金銭的にマイナス材料はない。 しかしやっぱり、こうしてふらっと週末の休みに東京とかに出かけられることからも、この下館という土地を選んだのであって、その、いろいろな知り合いとか友人知人だな、そして秘密のカノジョとかとこれ以上はなれてしまうのはやっぱり考えてしまう。ま、移転しても2〜3年の辛抱、またこちらに戻ってくるさ、などと考えても、その2〜3年はやはり、今のわたしにははかり知れない時の長さに思える。東京に出て来ようとして飛行機を使えばそれなりに金がかかるし、カノジョにそれほど会えなくなると(ま、今でもそんなに頻繁には会っていないのだけれども)、なんだか博多の街でフ〜ゾクとかにはまってしまう可能性もある。そうすると収入の増加した分が、そんなこんなで消えてしまわないか? それに、今日になって、どうやらわたしが頭数に含められたのは、社内での政治的な駆け引きの道具にされている気配も読めて来た。つまり、転属になる人たちが、その中で自分(たち)の要求を通すためのひとつの条件として、わたしも福岡に呼ぶという案件が加えられたに過ぎない気配なのです。だから、はい、呼ばれましたからといって、へこへこついて行くと、その先に尚、わたしという存在は、そんな社内抗争の端的な現象になってしまうにすぎないのではないか。「なんだよ、本気にしてついて来たのかよ」とか、「こいつがそのアイツらの要求のひとつなのか」とかね。昨日の派遣会社の営業マンの応対も、「これは栄転ですよ」という言質も気に入らない。だいたいわたしは、今の派遣会社の姿勢が非常に気に入らないでいるわけですし。つまり「おまえはオレたちが職場を探してやったのだから働けや!」という姿勢ばかりで、こちらの労苦には基本的に無関心。出来れば縁を切りたい連中だ。 だからやはりまた、「転職」という道を選びますか。となると、しばらくは失業保険で暮してみたい気もします。とにかく90日分はバイトで稼ぐのと同額ぐらいのお金がもらえるんだから、これは是非ともやってみたい。でもネックがあって、国民健康保険だな。今歯医者に通っているから当分はその治療費がかかるし、ま、国民健康保険は、代替手段のない場合は強制加入だし。そうするとその自治体ごとに定められた税率にしたがった保険税を払うことになるのだけれども、この筑西市は、次の4月から、国民健康保険税の税率を28パーセント(!)もアップする法案を市議会に提出するというのをニュースで知ったばかりなのだ。下手したら月5万円だな。バカげているけれども、これが日本の現実なのだよ。つまり、月に5万円とかの健康保険税を支払えば医療費は個人は3割負担で済むんだ、なんて言ってみても、あなた、全額負担であったとしてもそんな国民健康保険のために払い込む金額よりは、絶対に、はるかに安く済むんですけれどもね。 うん、退職して今の社会保険から脱退して、その国民健康保険に加入しなければならないのだったら、「いやです。全額自己負担で結構ですから」と言って、国民健康保険への加入を断ろうかしら。それはできないのか? 不思議な税制だなぁ。 2008年 02月 27日
というわけで日曜日。午後からBフレッツの工事があるので、とにかく急いで帰宅します。ふむ、もう春が来たような暖かい陽気で、窓を開け放っても気持ちがいいのです。洗濯をして掃除をして、多少は浄化されたような気持ちになります。
で、午後になって工事の方々が到着して、配線工事着工。約1時間で終了。いやどうもごくろうさまでした。さてさてと先に送られて来ていたCD−ROMで接続設定をしようとするのですが、なんだかその設定ファイルをインストールしようとすると、パソコンがフリーズ。これが何度やっても同じなので、たまりかねてNTTのサービスセンターに電話。って、ウチの場合はMacのOS9.2なのだけれども、どうやらこれはそもそもそのCD−ROMのファイルは使えないようなのだ。そうならそうと一言、マニュアルに書いておいてほしいものです。で、オペレーターの優しい声のおねえさまに親切に教えていただいて無事開通。 って、とにかく読み込みとかものすごく早くなったんだけれども、楽しみにしていたYOUTUBEが見ることが出来ません。どうやら旧型のFlash Playerが悪さをしているようです。いろいろやったけれどダメ。ま、いいや。またヒマな時に。 で、今月はまったくDVDを観ていなくて、とにかくTSUTAYAで借りっ放しになっているのを観てしまおうと、夜になってから横になって見始めるのですが、案の定そのまま眠ってしまいました。夜中に目が覚めたりして、あらら、寝ちゃったよ、なんて思ったけれど、えい、ままよとばかりにまた眠ります。 2008年 02月 25日
アカデミー賞、多少は興味があるのですけれども、今回はなんと、助演女優賞にティルダ・スウィントンさまが選ばれてしまったようで、なんつうか、うれしいです。ま、『ナルニア』なんかで受賞したりしたのだったら、うれしくもなんともないけれども。
さて、23日の土曜日ですけれども、まずは歯医者へ行って、これからしばらくは左奥歯の神経の治療。麻酔がさめたあと、いまでも奥歯でモノを噛むと飛び上がるほど痛い。 新宿へ出て、最近買っていなかった『BIG ISSURE』を、いつものおじさんからまとめ買い。このおじさんも『BIG ISSURE』の販売員からキャリアアップなされてほしいなどと思ったりするけれども、やっぱりその先は大変なんだろうな。一日50冊売れると8000円かァ。コンスタントに50冊売るのは相当ムリがありそうだし。 で、このあとはYちゃんと待ち合わせして、六本木・森美術館での「UBSアートコレクション展」。チケットショップで前売券を売っていないものかと新宿西口をみてまわったけれど、どこにもない。でも、近代美術館の「わたしいまめまいしたわ」のチケットがなんと180円。それと、MOTアニュアルのが680円と合わせて購入。ポツドールの新作のチケットがこの日売出されるのを思い出して、チケットぴあで購入。ついでに森美術館の前売でも当日券でも扱っていないのかと聞いてみたら、前売があった。1200円だったので美術館窓口で買うより300円得した。 新宿の駅でYちゃんと遭遇して、大江戸線で六本木。駅のそばの比較的安いレストランでランチを食べて、六本木ヒルズ。美術館の前にひとしきり展望台からの眺めを楽しんで、この日は曇っていたけれど、なんだか横浜の方が黄色く霞んでいて、廃墟をさらした旧都市の姿のように見える。あとで考えたらあの黄色い空は「黄砂」の到来なんだった。砂の中に農薬とか入ってなければいいのだが。 「UBSアートコレクション展」は、正直言って少々期待外れ。って、実はわたしはデミアン・ハーストの作品目当てだったのだけれども、あぁ、この作品でしたか。あのパステルカラーの水玉模様のヤツだわさ。ま、あまり時間もないので、会場にいっぱい置かれていたパソコン(iBookだわさ!)を観ている時間もなかったけれど。えっと、全体に写真作品に心惹かれるモノが多かったです。宮本隆司さんの阪神大震災の写真とか。会場内のショップにはそのデミアン・ハーストの画集があれこれ置いてあって、やっぱ今回の目玉ッちゅうか、おそらく彼の作品が日本でちゃんと公開されるのって初めて??? って、例の人頭骨(つまり「しゃれこうべ」)に一面にダイヤモンドを貼りめぐらせた、「世界で一番高価な美術作品」の、ブックレットを売っていましたね。 さて、外に出るとものすごい風。これがつまりは今年の「春一番」だったそうです。知らなかったけれども、電車なんかみんな止まっちゃうぐらいの風だったそうな。 で、渋谷に移動して、映画。ハーモニー・コリンの『ミスター・ロンリー』。映画のドラマ性とドキュメント性を、リアルさとフェイクの間で見事に横断し、ハーモニー・コリンを含め出演者たち(レオス・カラックスとかヴェルナー・ヘルツォークとかその他)の映画人としての実人生をも照射するような、やはりハーモニー・コリンは並の映画作家ではないことを再確認出来る、素晴らしい作品でした。 映画のあとは居酒屋。映画館の外に出ると風も納まっていたので、ちょっと宮益坂の方まで。知っている店が休みだったのでチェーン店で我慢する。でも、今はチェーン店でも料理とかびっくりするぐらい美味だったりするし、この日に行った店も、食べ物はたいていおいしくて、しかもものすご〜安。 Yちゃんとは10時になる前にお別れして、この時間ならわたしもギリギリ帰れるなと思ってJRに乗ろうとしたら、湘南新宿ラインは運転を取り止めているとのアナウンスがあったので、やっぱり帰れない。 だからまた下北沢に出て「G」。カウンターに座るとすぐにギタリストのAさんが来た。実に久しぶりにAさんと会話。つい先日までアメリカ・ツアーされていたそうで、おみやげのレコードはなぜかDylan Thomasのポエトリー・リーディングのレコードだったりして、しかも自分の詩ではなくてThomas Hardyの詩なんかを実に格調高く読み上げていらっしゃった。ちょっと退屈。で、わたしの持っていたAlex ChiltonのベルギーでのライヴのCDをかけてもらう。AさんももちろんAlex Chiltonを知っていて、「いつ頃の録音?」と聞かれて、3〜4年前のだよ、と言ったら、「とても3〜4年前とは思えない」とびっくりされていた。このCDは他のお客さんも気にいって下さったようです。AさんにEspersの近況などの話を聴いたり(AさんはEspersのメンバーと知り合いなのだ!)、コソボ独立の話(Aさんはコソボでライヴをやっているのだ!)とか聴いたりとか、あれこれあれこれ。そのうちに昔カウンターの中にいたKさんがやって来て、Kさんはもうじき結婚されるのですね。そんな話とかしながら、夜は更けて行きます。 2008年 02月 22日
今週は、宇都宮線で2回も踏切事故がありました。
最初は月曜日の夜で、岡本の駅10時15分頃の電車に乗って、宇都宮の駅に着こうとする時に車内アナウンスで事故の知らせ。宇都宮駅と雀宮駅の間の踏切で事故ったらしい。一電車早いのに乗っていたらきっとわたしの乗っていた電車だったのだろう。で、復旧して電車が動き出すのは午前0時の予定だと言う。駅の掲示板にも「復旧予定時刻は0時00分』なんて、いやに細かく出てやがる。本当に予告通りに0時00分ピタリに動くのかよ。って、0時までのそんなに長い間、こんな宇都宮の街になんかいたくないやい。また以前のように代行タクシー出して下さいよぉ、と、駅員に詰め寄りますが、今回は首を縦に振ってくれません。なんでも、上野からかどこかからの指令がないと出来ない、こっちには決定権はないのだとか。去年の代行タクシーのあとで、勝手にタクシー出したことが問題になったのかもね。 しっかし、困ったなぁと思っていると、まだ動いている新幹線、そいつは普段は小山の駅は素通りするんだけれども、この夜は在来線の代行としてその小山駅にも停車することにしたよう。OK、グッドであります。てなわけで、新幹線。ゆったりと座れて帰れました。在来線だと宇都宮から小山まで30分近くかかるのですが、そこはさすがに「新幹線」、わずか10分で走破してしまうのです。余裕で水戸線の最終電車にも間に合い、ふふ、ちょっと得した気分になってしまいましたね。 そんでもって、二回目は木曜日の朝。水戸線の電車が小山駅に滑り込もうとする時になって、やはり車内アナウンスで、小山駅と間々田駅の間の踏切で貨物車と乗用車が衝突したんだって。なんか、3日と置かずに同じ線区で同じような事故が起きるなんて、JRの皆さんも大変だったことでしょう。ねぎらい。しかし、小山の駅から間々田の方への途中では、火曜日だかも夜中に火事があり、小さな子供が二人も焼死したという、かわいそうなニュースを聞いたばかり。 ってえか、下館の駅でチャンとアナウンスしてもイイじゃないか。小山の駅に着こうとする時に急に聞かされて、心の準備が出来ていなかったよ。しかしそこは前回の事故からまだわずか三日。ふふ、そうですよ。今回も宇都宮まで新幹線で代行サービス、だったのです。ま、朝のラッシュ時で小山から宇都宮に行く人はかなりいますから、この朝は新幹線車内で座れませんでしたけれども、とにかく10分で着いてしまうのですから、立っていてもさほど苦にはなりません。 そんなわけで、今週は二回も新幹線に乗って通勤をしてしまいました。二年間この路線を使って来て、それなりに事故とかで遅れたりしたこともあったのに、いままで新幹線での代行って一度もなかったのにね。これからはどんどんやって下さい。人が傷つかなければ、週に一回ぐらいは事故ってもいいですよ、って。ウソウソ。安全運転を心掛けて下さい。 読書は『スロー・ラーナー』はちょっとお休みして、こんどの芥川賞を受賞された川上未映子さんの前作『わたくし率 イン 歯ー、または世界』を読了。いくつものエクリチュールが戯れ合って、「コギト」の問題を実体化して行くような小説で、タイトルはイヤだったけれども、読み終えると納得。独特の強引な才能のある人だと思いました。ちょっと彼女の音楽も聴いてみたくなったり。 2008年 02月 20日
アラン・ロブ=グリエさんがお亡くなりになられたそうです。まぁいろいろとお世話になったお方でした。って、あのころのヌーヴォー・ロマン全盛期の小説って、今はもう、たいていが入手困難なんですね。なぜかビュトールだけが岩波文庫とか河出文庫とかになっているのに、ロブ=グリエの本っていうのは今どんなのが手に入るでしょう。『ニューヨーク革命計画』とか、『快楽の漸進的横滑り』とか、中期の小説もまた読みたいのです(当時読んで全く歯が立たなかった!)。この人は、あの『去年マリエンバードにて』だけではなくて、自分で監督した映画作品もかなりあるはずです。昔どこかの配給会社が彼の監督する『囚われの美女』を一般公開するという、まことにもって勇気ある行動をとって下さったおかげで、ま、とにかく観れたのよ。彼の映画。動くマグリットみたいな映画でしたが。
さ、去年古本屋で買った『嫉妬』、大掃除したら出て来たのでまた読んでみましょうか。 先日までは、BOOK−OFFで105円で買った日本文学全集の端本、「田山花袋」の巻を読んでいました。『蒲団』はめちゃおかしかった。『田舎教師』が、読んだ中ではいちばん良かった。最後の、新聞に連載された絶筆、『百夜』はひどかったな。自分の事書いていればそれで小説になって、それで金になるというつまらない世界。 今は、トマス・ピンチョンの短編集『スロー・ラーナー』。理工学と文学の出合いはやはり(解らないとは言えども)面白いです。 さて、ついにわが家に光通信といいますか、フレッツが開通いたします。今はとにかくダイアル・アップですからね。YOUTUBEとか観ようと思ったら、ダウンロードに何時間もかかるのですよ。こんどの日曜日がその工事なので、だから大掃除で忙しいんです。しっかし、フレッツにしたら、こんどは現在のわたしのパソコンの性能が問題になってくるのでしょうね。えっと、ごく初期のiMacですからね。OSは9.2。フレッツ申し込む時に、「マックの9.2では動作保証はいたしかねます」なんて言われてしまいましたし。 しかし仕事が忙しい。 2008年 02月 18日
クルマにぶつかりそうになりました。人と話をしながら歩いていて、そこが横断歩道だとも気がつかないでいたら、急に相手が「あ、だめだ」って道の途中で引き返して、見るとそれは赤信号の横断歩道のほぼ真ん中。一瞬こちらに進んでくるヘッドライトが目にはいって、情況は相当ヤバい。引き返す神経が急には働かず、ダッシュでクルマの前をすりぬけて、横断歩道を渡ってしまいました。クラクション、そりゃ鳴らすよね。あ〜コワかった。
で、これは16日土曜日の横浜。この日はBankART1929での神村恵カンパニーの公演と、そのあとは同じBankART、こちらはNYKの方で、伊藤篤宏さんのExhibition & Live、といううれしい二本立て。 というか、この日は、部屋を片付けなければいけないという緊急指令が発生したので、ギリギリの時間まで下館の部屋のお片付け。とにかくゴミ屋敷。すごいのはあちこちから靴下がどんどん出土されてくることで、とにかく「靴下がない」と思うと、すぐに買ってしまいますからね。で、しかも基本的に皆黒系の靴下だから、こうして発掘されてももう、組み合わせがわからないのですね。それこそこのあとは考古学的作業、その本来の組み合わせを発見していく作業が待っています。手がかりは微妙な色の違い、織り方の違いとか。でも、サイドに模様があれば重要な手がかりになります。 腰を少し落として演じられる神村さんのカンパニーのダンスは、やはりいつものようにダンスのグルーヴ感などからは遠く距離をおいて、まるで武術の稽古のようです。なぜか先日の大橋可也さんの公演を思い出しましたが、それがどういうことなのか考えてみて、また別に書いてみましょう。 で、会場でお会いしたSさんとかといっしょに次の会場に向かう途中で、そのクルマに轢かれそうになったのですけれども、ま、そういうこともあります。 休憩をはさんでの「Optrum」はドラムとの二人ユニットなんだけれども、スケルトンなバスドラんとこにレーザー光線とか仕込んであって、音に合わせて緑のレーサー光線が会場を飛び交う。なにこれ。しかもドラムの進揚一郎さんのかけたメガネにも、その視線方向にやはり緑のレーザー光線。なにこれ。うんまぁこれはこれで。 終演後下北沢に移動して「G」。Mike Oldfieldの「Tubler Bells」(って、綴りが違う???)をリクエスト。だいたいわたしが聴きたいと思うものはたいてい揃ってますからね。ライナーノートを間章が書いているぼろぼろの国内盤で聴かせていただく。カウンターのとなりに美術作家さんらしい二人組がいらっして、ジャケットのチューブラ・ベルの絵が「又」の字みたいだとか、やっぱ「エクソシスト」を思い浮かべるよねとかそういえばリンダ・ブレアーはどうしたのかとか盛り上がる。 また最後まで居残って、居合わせたオーナーのIさんのオーナー談議に付き合う。FさんSさんご苦労さまです。 掃除が残っているので、日曜日は早々に下館に帰宅。ほんとうは何か映画を観るとか美術展を観るとかしたかったし、実は夜のシェシズのライヴに予約してあったんだけれども、とても無理。向井さんごめんなさい。 2008年 02月 13日
だから2月10日日曜日は、そのMさん宅の暖かい布団の中で迎えました。さいたまのヤン・ファーブルを観に行くというMさんといっしょに、午後になってから駅に向かい、そういえば昨夜の雪、みぞれはどこへいってしまったのか、おだやかな快晴です。
さてわたしの予定は吉祥寺シアター、2時からの大橋可也&ダンサーズ『明晰の鎖』。吉祥寺に到着して、その吉祥寺シアター近くのガード下のラーメン屋でまた坦々麺。おぉ、この店の坦々麺は鍋焼き風で、差し出された坦々麺はまだ煮えたぎっています。うん、かなり旨いっすね。こってりして。って、昨日のまずい坦々麺はいったい何だったのか。この日のこの坦々麺より高かったのに。 そのラーメン屋を出てシアターの方を向いて一服していると、照明のEさんだとかカンパニー主宰張本人の大橋さんとかのお姿が。で、会場に行くとすぐに、今年初めてお顔を合わせるSさんと。しばらくSさんとお話。で、開演。 舞台は大橋さんらしい問題意識が明確に示された作品で、音楽とか照明とか、その舞台の盛り上がりをサポートする演出にも惹かれて、演出自分なりにとても刺激を受けた舞台でした。終演後、客席の後ろの方に意外な人、ミュージシャンのMさんのお姿を発見して挨拶、ちょっと話する。考えてみればMさんのお家は吉祥寺に近いのでした。外に出て又一服していると、今回の音楽の舩橋さんがやってこられたので又ちょっと会話。今回はチューブラ・ベルズみたいだったね、なんて感想を言うと、それは意図していなかったけれど、マイク・オールドフィールドは大好きだし、意識下にあったかも知れないな、などと、とても喜んでくれました。ダンス自体の感想もちょっと語ると、それは大橋さんに直接言わないと、とかって大橋さんのところに連行されて、自白させられてしまいました。ごめんなさい、とってもよかったんです。もっといろいろお話したかったけれど、次の予定があるので皆さんとお別れ。 次は東京の反対側、新小岩劇場での花上直人さんの『人間洗濯機』(!)。その前に新宿で降りてHMVでお買い物。昨日話を聞いたVashti Bunyanの未発表曲集2枚組と、Linda Thompsonの新作と購入。新小岩駅まで向かい、ちょっと裏通りのひなびた洋食屋(「洋食」と書いた看板が出ている)で、盛り合わせ定食とビール。オーソドックスだけれどもまろやかな味で、そのいかにも食堂然としたたたずまいといっしょにお気に入りです。こんど新小岩に来たら又ここで食べよう。 江戸川区役所のそば、工場の上にある「新小岩劇場」に着くと、すぐあとにまたMさん。本当にこの頃はMさんとの遭遇率が高くて楽しいです。開演まで、昨日のヤン・ファーブルのことなどあれこれ語り合います。 終演後、その劇場でいつものように飲み会になって、いつものようにわたしはその劇場に泊めさせていただきます。またもや暖かい布団。夜中にふと眼がさめて、果たして今わたしはいったいどこの旅館に泊まっているのか? なんてちょっと考えてしまいました。 月曜日休日の朝はまた日ざしのまぶしい朝です。花上さんとすみれちゃんの出勤を待って、ちょっとだけ仕込みの手伝いをして、下館に帰って来ました。駅を降りてスーパー「やましん」に行くと、野菜売り場に「たらの芽」とか、「菜の花」なんかが並んでいて、もう春だなぁなんて思ってしまいます。家への道も日ざしが暖かで、五行川の川沿いにはうんかのような小さな羽虫が群れていますし、ベンチには中学生みたいな制服の男の子と女の子が仲良く並んで座っていました。春。(今日のタイトルはぜんぜん春ではないのですが、花上さんの舞台、その休憩時間にこの曲がかかっていたので。) 2008年 02月 11日
スケジュール的におそらくはいちばん立て込んでいる、二月第二週の週末になりました。まず久しぶりの歯医者さんへ行って、下顎右側の歯列の補強工事の開始です。去年の暮れに奥歯を一本抜いて、その後ろにある奥歯ももうダメ、ぐらぐらしているのです。この部分を抜かして、残った歯でなんとか支えきれるようにしなければなりません。
治療後、そのまま宇都宮線に乗って大宮まで。少し雪。駅の近くの中華料理店で坦々麺とビール。残念ながら坦々麺はおいしくありませんでした。そんなに安くもなかったのに残念です。で、近くのBOOK−OFFに寄り道して、105円で買える本とかチェックします。まず、赤瀬川原平さんが20年以上前に「キネマ旬報」に連載されていた『妄想映画館』を発見。あとは特に買いたい本もなく、そういえばBOOK−OFFは詩集とか歌集はほとんど無条件に105円なんだよな、なんて思って詩集/歌集コーナーを見てみると、ほらほら、塚本邦雄の歌集『黄金律』美本(帯にもパラフィン紙が巻いてあって、キレイに保存してあるのです)が105円ですよ。信じられない。買っちゃいました。 そのまま今度は埼京線で与野本町。さいたま芸術劇場でヤン・ファーブルの公演『死の天使』。駅から歩いてさいたま芸術劇場の前に着いて、そこに掲げられた大きな看板は、康本さんと井手さんの『日本むかしばなし』のとか、蜷川『リア王』とか、終ってしまった公演の看板ばかりで、「だいじょうぶなのか?」と、さいたま芸術劇場の今後が少し心配になってしまいました。 で、荷物とかオーバーとか、劇場に入ってクロークに預けることになるんだろうけれど、わたしのオーバーとかよれよれで汚いからね、クロークの受付嬢に差し出すのも恥ずかしいので、下のフロアのコイン・ロッカーを使います。これが図らずも大金星といいますか、ホールに入ると、お客さんはほとんど皆、クロークに上着とか預けようとしてすごい行列になっていて、これだと終演後にまた皆行列になるわけだから、わたしはとっても賢い選択をしていたのです。 さて、その『死の天使』は、大ホールの舞台の上、四方を暗幕で囲った狭いスペースでの、「畳半畳」的空間で、わたしはねずみのように、こういう狭い薄暗い所が好きなので、胸がわくわく。公演自体も、みていてそこはかとなく疑問もあったのですけれども、まずは楽しむことが出来ました。感想はまた別に。 終演後は下の「映像ホール」で「videodance」、つまりセレクトされたダンスの映像作品を観ます。ここでまた、『死の天使』を夜の回で観るというMさんにお会いして、ちょっとあれこれとお話をしました。この日の映像作品プログラムは最悪で、ま、最後の「The Moebius Strip」というのはちょっとときめいたのですけれども、あとのヴァンデケイビュスのとかほんとうにウンザリ。イメージフォーラムのフェスティヴァルで外れの日に当ったみたいな感触。 観終って駅まで雪の中を早足で歩き、こんどは神楽坂まで。駅のホームでTさんにお会いして、電車の中であれこれと話を伺います。特に今度やってくる「リミニ・プロトコル」の話とか。これは行かなくっちゃ。 さて、神楽坂に着いて、die pratzeでのARICAプロデュース、首くくり栲象さんのソロ公演。で、わたしはてっきりこの公演は7時からだと思い込んでいて、会場に着いたのは6時40分。でも、die pratzeの前は真っ暗で、ひとっこひとりいません。え、ひょっとしたら8時から?などとバカなことを考えたりしながら、とりあえず劇場に電話してみようと駅の方に引き返して本屋に入り、「シアターガイド」とかを立ち読みしてしっかりdie pratzeの電話番号を暗記して外に出て電話すると、公演は6時から始まってるとのことで、もうほとんど終わりですよ。ま、せっかく近くまで来たんだし、終演後にでもあいさつしようとか妙なこと考えて、神楽坂をちょっと下って、左側の中華の店、「福竜」でしたっけ、そこで晩酌セットというの、ビールと餃子と五目焼そばのセットとか食べて飲んで、それからまたdie pratzeに行く。ちょうど舞台がはねたようで下の道からぞろぞろと人が登ってきます。その中にダンサー/ライターなMさんがいて、見つけられてしまって、「あれ、どこ行くの?」と尋問されてしまいました。 で、die pratzeに着くと、Aさんとかが受付の場所にいらっしゃっていて見つけてもらいました。我、発見されたり。そのARICAのいつものメンバーさんたちといっしょに、図々しくも打ち上げにまぜてもらって、いっしょに飲みました。久しぶりのSさんとかにもお会いすることが出来ました。で、つまりはほんとうはARICAの新作公演になるはずだった今回のスケジュール、Aさんの急病のためこうなってしまったのですが、そのAさんの手術までの苦吟難吟のお話とか伺ったり、楽器を変えたというSさんの話を聞いたり、FさんもAさんもなぜかVashti Bunyanをご存知で、この夜はその曲を掛けたりされたなどという話とか、あれこれといろいろな会話の連続でした。外に出ると雪、というか、霙(みぞれ)。 つまりそれで、この夜は、ARICAの企画担当Mさんちに泊めていただいてしまったのです。なんてあたたかなお布団! あまりの極楽に、たっぷり眼らせていただきました。本当にありがとうございましたです。 日曜日のことは又。 2008年 02月 08日
「わたしたちの家」という場合、これはわたしの父母とわたし、そしてわたしより四歳下の弟との四人、この一家族が「わたしたち」でした。おそらくわたしのもっとも古い記憶は、まだ赤ん坊の弟を背負った母といっしょに、駅から家への踏切のそばに立っている光景で、その母の着ていた「ねんねこ」の色とか柄、そういうのも憶えていますけれども、なんだか母の背中でその「ねんねこ」にくるまれて、その黒にちりめん模様のような赤い色の入っている生地の模様を、間近に見た記憶もあるような気がします。
駅から西に向かった道を進んで、坂を登りきった右側に、わたしたちの家がありました。ここのまわりは工場の廃虚でした。その工場自体の建物はもう取り壊されていましたけれども、道を隔てた反対側の小高くなった場所、そこの階段の上には、しばらくはその工場の事務所の建物が残っていました。で、わたしたちの家は、おそらくはその管理人の住居だった場所で、つまりはわたしの父はこの工場で働いていたらしいのです。わたしがものごころついた時には、父は線路の向こう側の鉄工所に勤めていたはずですが、その、わたしが生まれる前の物語がここにあったはずなのです。 真ん中に道路をはさんで両側にその工場の跡地が拡がっていて、その建物の柱の土台であったらしいコンクリートの跳び箱のような形の立方体が等間隔に並んでいました。それと、父からは「木型」だと聞かされていた、木製のいろいろな形の、かなり大きな変な形のあれこれが放置されていました。つまりそれがわたしの遊び道具でした。小学校に上がってからは、そんな木材を組み合わせて「基地」とか「家」なんかを作っては、中にこもったりしていました。嵩じては家の裏側の小山の中にまであれこれと運び込んで、隠れ家を作って遊んでいました。そのころの夢は、そんな隠れ家で夜を明かしてみたいという気持ちだったような気がします。 けっきょく、もうちょっと後になると、そんな空き地を母が耕地して、じゃがいもや茄子やかぼちゃの採れる畑にしてしまいました。 家の裏側の小山はその側面がくずれていて、柔らかい粘土質の赤土がむき出しになっていたのですが、土が柔らかいので掘りやすくて、わたしはひとりでその小山の側面の赤土を掘り崩して、トンネルを作るつもりでいたこともありました。あれを妙に掘り進んでいたら、山自体が崩れ落ちてわたしは生き埋めになって、もうこの世にはいなかったかも知れません。 わたしたちの家の向かい側をまた西に進むと、しばらくして下り坂になって、その炭住とか農家が軒を列ねるようになります。小学校はその先にありました。その下り坂になる手前、そこを左に行くと、明神池というそれなりの大きさの池がありました。わたしの父は釣りなどという趣味を持っていたという記憶はないのですが、いちどだけ、父が釣をするのについていって、この池のほとりで父の釣り道具をいじったり、エサのごかいをさわったりした記憶が残っています。父の釣りという思い出はこの時かぎりですから、きっと父に何か魔がさした時だったのでしょう。 直方市の東の境には、福智山という山がありました。直方の風景の原点には、いつもこの山の姿があります。市内のどこからでもこの山の姿を見ることが出来ました。記憶していますが、この山の標高は900メートルちょうど。この山の向こう側はもう小倉です。言ってしまうと、今わたしがこの下館に住むことを選んだのも、この土地から見える筑波山の姿が、その福智山を思い出させる所があるからなのだと言ってしまえると思います。筑波山の標高もたしか870メートルとかそこらあたりで、福智山とかなり近い所があります。 小学校の四年生のときの遠足で、この福智山の山頂まで登ったことがありました。で、これはわたしの記憶のねつ造なのかも知れませんが、その晴天の山頂からの眺めで、遠く四国の方まで見渡せた記憶があって、あれは何というのでしたっけ、佐多岬ですか、四国の西に飛び出したアンテナのような地形、その姿を「地図と同じ形してるよ」などと思いながら見た記憶があるのですけれども。可能ならばもういちど、その福智山の山頂を制覇して、あの時の記憶が正しかったのかどうか、確かめてみてからこの生を終りにしたいなぁ、などと考えることがよくあります。 2008年 02月 05日
二月第一週の週末は横浜から。バットシェバ舞踊団『テロファーザ』を、神奈川県民ホールにて。いや、すごく大勢のダンサー。数えてみたりしたら31人。これは文句なしに楽しい公演で、ああ何だかスッキリした。感想はまた別のところに書きたいと思っています。
終演後、Mさんと関内の「949」で飲んで食べて。「949」で飲み食いするのは始めてなのだけれども、料理類はおいしいものもありました。って、変な言い方ですね。うん、頭のキレるMさんとの会話は、ほんとうに刺激になって楽しいのです。遅くまで飲んで食べて、京浜東北線で東京方面へ。わたしは上野でMさんとお別れして、カプセルへ。 雪。 日曜日。カプセルホテルの誰もいない浴場から、外に雪が降っているのが見えて、理由はわからないけれども、満ち足りた気分になります。朝風呂という贅沢に雪見という贅沢がプラスされたというのでしょうか。 有楽町に出かけ、なぜかリドリー・スコット監督の『アメリカン・ギャングスター』を観ます。「ギャングスター」というのは「Gangstar」なのかと思っていたら、「Gangster」という綴りでした。コッポラでもスコセッジでもないリドリー・スコットは、それでも、コッポラでもスコセッジでもないからこそ面白いところがあります。感想は別に。 先週なくした「篦棒(べラボ−)な人々」を買い直そうと、教文館とか有楽町の三省堂とか行っても見つからなくて、しょうがなく雑誌コーナーで見つけた「BRUTUS」の現代アート特集号を買います。欲しい本が見つからないとしゃくなので、けっきょく雪の中を東京駅の方まで歩いて、丸善でようやく見つけました。って、単に「河出文庫」と「ちくま文庫」を勘違いしていたわたしが悪かったのです。 その「BRUTUS」の現代アート特集号を読んでいて、90年代なんかは、わたしも主だったところはほとんどチェックしていたのだなぁと、あらためて感慨深いものがありました。というか、この2〜3年、やっぱ観るべきものがないのだわさ。でも、この(今年の)4月末から『ターナー賞の歩み』という展示が企画されていて、ついにあの、デミアン・ハーストの、『母と子』(まっぷたつの牛)の現物を観ることが出来るようです。って、近年ずっと観ている現代美術館の「MOTアニュアル」も、もう始まっている時期ですね。 『ボブ・ディラン自伝』読了。『篦棒な人々』読了。非凡な人の話は面白い。ボブ・ディランでは非凡ゆえの悩みが語られ、そして『篦棒な人々』の糸井寛二には、やはり圧倒されます。楽しい読書でした。 2008年 02月 02日
寒い‥‥。
っつうことで二◯◯八年一月のおさらいです。 舞台は演劇二つとダンス二つ。 ●1/12(土)『ダンスが見たい!』新人シリーズのどこかのプログラム @神楽坂die pratze ●1/13(日)芝居流通センター デス電所『残魂エンド摂氏零度』@下北沢ザ・スズナリ ●1/19(土)三条会『メディア モノガタリ』@下北沢ザ・スズナリ ●1/20(日)ニブロール『ロミオORジュリエット』@世田谷パブリックシアター 映画四本、うちグラインドハウス二本は名画座でまとめて。 ●『デス・プルーフinグラインドハウス』クエンティン・タランティーノ:監督 ●『プラネット・テラーinグラインドハウス』ロバート・ロドリゲス:監督 ●『いのちの食べ方』ニコラウス・ゲイハルター:監督 ●『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』ティム・バートン:監督 美術はなぜか写真展中心に。 ●アピチャッポン・ウィーラセタクン『Replicas』@谷中SCAI THE BATHHOUSE ●『ART@AGNES』@飯田橋 アグネスホテル ●日本の新進作家vol.6『スティル|アライヴ』@恵比寿写真美術館 ●『文学の領域』@恵比寿写真美術館 ●『写真ゲーム』@川崎市民ミュージアム 知り合いの楽しいライヴが一件。 ●2525稼業+高橋裕&鈴木新 『遊びの情景−ながいながい午後のために−』@川崎市民ミュージアム逍遥展示空間 読書。あと少しだった『篦棒な人々』は紛失してしまいました。 ●サミュエル・べケット『モロイ』 ●綿矢りさ『夢を与える』 ●松浦寿輝『川の光』 ●田中小実昌『田中小実昌紀行集』 ●森達也対談集『豊かで複雑な、僕たちのこの世界』 お正月はDVDばかり観ていて、長尺ものをこなしました。 ●ピーター・ジャクソン:監督『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』 ●ピーター・ジャクソン:監督『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』 ●ピーター・ジャクソン:監督『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』 ●デイヴィッド・リンチ:監督『デューン/砂の惑星 TV放映長尺版』 ●『ツインピークス』vol.1 vol.2 ●監督わからない『フェスティバル・エクスプレス』 ●クレイグ・ブリュアー:監督『ハッスル&フロウ』 ●ブリュノ・デュモン:監督『フランドル』 ●監督わからない『ロスト・イン・ラ・マンチャ』 ●監督わからない『GOOD TO SEE YOU AGAIN-ALICE COOPER LIVE1973』 さて、過密スケジュールの二月がやってまいりました。三月もすごいです。先の話ですけれども、十月の、「地点」によるチェーホフ四作品連続公演というのも、今から楽しみではあります。 2008年 01月 29日
覚え書き
1月19日(土)午後からYちゃんと、下北沢ザ・スズナリにて三条会の『メディアモノガタリ』。観劇後下北沢で飲む。焼酎をボトルで注文して、それをひとりで空にしてしまい、何かを失う。気がついたら独りで客のいなくなった「G」に居た。こういう飲み方はやめよう。「DORAMA」で『田中小実昌紀行集』購入。 1月20日(日)目がさめたら下北沢のカプセルホテルに居た。昨夜のアルコールはすっかり抜け、爽快ですらあります。しかしこのマフラーについた大量の枯れ葉は何? というかジャケットがない。青山のシアターイメージフォーラムで映画『いのちの食べ方』を観る。「G」に電話してこっそりと、ジャケットを忘れていなかったか聞いてみる。なかったので、最初の飲み屋に忘れたのだと判明。三軒茶屋にてニブロールの『ロミオORジュリエット』。終演後下北沢に行ってジャケット無事奪還。そのまま上野へ移動し、Mさんと落ち合い、「たる松」でまた飲む。日本酒旨し。9時40分頃の、わたしの家方面への最終になる電車で帰宅。 21日訃報。仕事を休んでIさん宅を訪ね、あれこれと話をする。25日までいつもの仕事。今週はひま。25日はその勤め先での新年会。こんどはワインを痛飲。帰宅する電車の中で寝過ごし、目覚めるともう引き返しても乗り換えに間に合わず帰れなくなっていたので、そのまま上野に出てカプセルホテルに宿泊。 26日、ティム・バートンの『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』。武蔵小杉に移動してバスで川崎市民ミュージアム。パティオでの2525(にっこにこ)稼業のライヴ。同じ美術館での「写真ゲーム」展初日。出品しているMさんにお会いして歓談。うちわのオープニングパーティーに誘われて図々しく参加。ドイツビールやワイン。2525稼業のHさんにも誘われていたので、かけもちでそっちにも。武蔵小杉駅近くでこんどはベルギー・ビール。最後は東急東横線で渋谷、そしてまたも下北沢に移動して「G」。ここでは基本的にハバナクラブしか飲まないわたし。HMVでErnie Grahamのソロ、Annette Peacockの紙ジャケ「The Perfect Release」、それから3枚組のすばらしい選曲のコンピレーション、「The Essential Guide To Folk」。濫費。読んでいた『篦棒な人々』、最後の糸井寛二の章を読み残してどこかで紛失。また買わなくては。 Hさんから2月の公演の案内。FさんにメールしたらFさんも次の週に公演。二月の第二週と第三週とは、週末が三日ぐらいないとやっていけません。Fさんごめんなさい。どうしてもスケジュールがたちません。
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