西欧人が見た日本
フランシスコ・ザビエル『書簡』 (Francisco de Jassu y Xavier, 1506~1552) スペイン 宣教師
第一に、私たちが交際することによって知りえた限りでは、この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。
彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。 (3巻, p. 96)
ヴァリニャーノ『日本巡察記』(Alejandro Valignano, 1539~1606) イタリア 宣教師
人々はいずれも色白く、きわめて礼儀正しい。
一般庶民や労働者でもその社会では驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ、あたかも宮廷の使用人のように見受けられる。
この点においては、東洋の他の諸民族のみならず、我等ヨーロッパ人よりも優れている。 (p. 5)
国民は有能で、秀でた理解力を有し、子供達は我等の学問や規律をすべてよく学びとり、
ヨーロッパの子供達よりも、はるかに容易に、かつ短期間に我等の言葉で読み書きすることを覚える。
また下層の人々の間にも、我等ヨーロッパ人の間に見受けられる粗暴や無能力ということがなく、
一般にみな優れた理解力を有し、上品に育てられ、仕事に熟達している。 (p. 5)
牧畜も行なわれず、土地を利用するなんらの産業もなく、彼等の生活を保つ僅かの米があるのみである。
したがって一般には庶民も貴族もきわめて貧困である。
ただし彼等の間では、貧困は恥辱とは考えられていないし、ある場合には、彼等は貧しくとも清潔にして鄭重に待遇されるので、貧苦は他人の目につかないのである。 (p. 6)
日本人の家屋は、板や藁で覆われた木造で、はなはだ清潔でゆとりがあり、技術は精巧である。
屋内にはどこもコルクのような畳が敷かれているので、きわめて清潔であり、調和が保たれている。 (p. 6)
日本人は、全世界でもっとも面目と名誉を重んずる国民であると思われる。
日本人はきわめて忍耐強く、飢餓や寒気、また人間としてのあらゆる苦しみや不自由を堪え忍ぶ。
C・P・ツュンベリー『江戸参府随行記』(Carl Peter Tunberg, 1743~1828) スウェーデン 医学者・植物学者
地上の三大部分に居住する民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。
この国民は絶えず清潔を心がけており、家でも旅先でも自分の体を洗わずに過ごす日はない。
そのため、あらゆる町や村のすべての宿屋や個人の家には、常に小さな風呂小屋が備えられ、旅人その他の便宜をはかっている。 (p. 121)
注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。
子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。
まったく嘆かわしいことに、もっと教養があって洗練されているはずの民族に、そうした行為がよく見られる。
学校では子供たち全員が、非常に高い声で一緒に本を読む。そのような騒々しい場所では、ほとんど聴力を失ったようになる。 (p. 121)
その国のきれいさと快適さにおいて、かつてこんなにも気持ち良い旅ができたのはオランダ以外にはなかった。また人口の豊かさ、よく開墾された土地の様子は、言葉では言い尽くせないほどである。
国中見渡す限り、道の両側には肥沃な田畑以外の何物もない。 (p. 129)
私はヨーロッパ人が滅多に入国できないこの国で、長い旅の間に、
珍しい道の植物をたくさん採集することができるであろうと想像していた。
しかしこうした望みが、この国ほど当てはずれになった所はない。
私はここで、ほとんど種蒔きを終えていた耕地に一本の雑草すら見つけることができなかった。
それはどの地方でも同様であった。
一般的に言えば、国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にして礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、清潔好き、善良で友情に厚く、率直にして公正、正直にして誠実、疑い深く、迷信深く、高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして不屈である。 (p. 219)
自由は日本人の生命である。それは、我儘や放縦へと流れることなく、法律に準拠した自由である。
礼儀正しいことと服従することにおいて、日本人に比肩するものはほとんどいない。
彼らはヨーロッパ人が持ってきた物や所有している物ならなんでも、じっくりと熟視する。
そしてあらゆる事柄について知りたがり、オランダ人に尋ねる。それはしばしば苦痛を覚えるほどである。 (p. 222)
その国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。
そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。彼らの鋼や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。
その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい。 (pp. 222-223)
節約は日本では最も尊重されることである。それは将軍の宮殿だろうと粗末な小屋のなかだろうと、
変わらず愛すべき美徳なのである。
節約というものは、貧しい者には自分の所有するわずかな物で満足を与え、
富める者にはその富を度外れに派手に浪費させない。
節約のおかげで、他の国々に見られる飢餓や物価暴騰と称する現象は見られず、
またこんなにも人口の多い国でありながら、どこにも生活困窮者や乞食はほとんどいない。
清潔さは、彼らの身体や衣服、家、飲食物、容器等から一目瞭然である。
彼らが風呂に入って身体を洗うのは、週一回などというものではなく、毎日熱い湯に入るのである。
正義と忠実は、国中に見られる。そしてこの国ほど盗みの少ない国はほとんどないであろう。強奪はまったくない。窃盗はごく稀に耳にするだけである。
ゴロヴニン『日本幽囚記』 (Vasilii Mikhailovich Golovnin, 1776~1831) ロシア 海軍軍人
日本の國民教育については、全體として一國民を他國民と比較すれば、日本人は天下を通じて最も教育の進んだ國民である。日本には讀み書きの出來ない人間や、祖國の法律を知らない人間は一人もいない。
日本の法律は滅多に變らないが、その要點は大きな板に書いて、町々村々の廣場や人目にたつ場所に掲示されるのである。 (下巻, p. 31)
日本人は農業、園藝、漁業、狩獵、絹および綿布の製造、陶磁器および漆器の製作、金屬の研磨については、殆んどヨーロッパ人に劣らない。彼らは礦物の精煉もよく承知して居り、いろいろな金屬製品を非常に巧妙に作つてゐる。
指物および轆轤業は日本では完成の域に達してゐる。その上、日本人はあらゆる家庭用品の製造が巧妙である。だから庶民にとつてはこれ以上、開化の必要は少しもないのである。 (下巻, p. 31)
M・C・ペリー『日本遠征記』(Matthew Calbraith Perry, 1794~1858) 米国 海軍軍人
日本人は極めて勤勉で器用な人民であり、或る製造業について見ると、如何なる國民もそれを凌駕し得ないのである。 (1巻, p. 141)
彼等は外國人によつて齎された改良を觀察するのが極めて早く、忽ち自らそれを會得し、
非常な巧みさと精確さとを以てそれを模するのである。
金属に彫刻するのは甚だ巧みであり、金属の肖像を鑄ることもできる。 (1巻, p. 142)
木材及び竹材加工に於て、彼等に優る國民はない。彼等は又世界に優るものなき一つの技術を有してゐる。それは木材製品の漆塗りの技術である。他の諸國民は多年に亙つて、この技術に於て彼らと形を比べようと試みたが成功しなかつた。 (1巻, p. 143)
彼等は磁器を製作してゐるのだし、また或る人の語るところによれば支那人よりももつと立派に製作することができると云ふ。兎に角、吾々が見た日本磁器の見本は甚だ織巧美麗である。
ハリス『日本滞在期』(Townsend Harris, 1804-1878) 米国 外交官
柿崎は小さくて、貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度も丁寧である。
世界のあらゆる國で貧乏に何時も附き物になっている不潔さというものが、少しも見られない。
彼らの家屋は、必要なだけの淸潔さを保っている。土地は一吋もあまさず開墾されている。 (中巻, p. 14)
料理は立派なもので、見る目も至って綺れいで、淸潔なものであった。私は、彼らの料理に甚だ好い印象をうけた。 (中巻, p. 23)
そして、我々一同はみな日本人の容姿と態度とに甚だ滿足した。
私は、日本人は喜望峰以東のいかなる民族よりも優秀であることを、繰りかえして言う。 (中巻, p. 24)
日本人は淸潔な國民である。誰でも毎日沐浴する。
或る時ヒュースケン君が温泉へゆき、眞裸の男三人が湯槽に入っているのを見た。
彼が見ていると、一人の十四歳ぐらいの若い女が入ってきて、平氣で着物を脱ぎ、「まる裸」となって、
二十歳ぐらいの若い男の直ぐそばの湯の中に身を横たえた。
このような男女の混浴は女性の貞操にとって危檢ではないかと、私は副奉行に聞いてみた。彼は、往々そのようなこともあると答えた。
カッテンディーケ『長崎海軍伝習所の日々』 (Willem Johan Cornelis Huyssen van Kattendijke, 1816~1866)オランダ 海軍軍人
日本では婦人は、他の東洋諸国と違って、一般に非常に丁寧に扱われ、女性の当然受くべき名誉を与えられている。もっとも婦人は、ヨーロッパの夫人のように、余りでしゃばらない。
そうして男よりも一段へり下った立場に甘んじ、夫婦連れの時でさえ、我々がヨーロッパで見馴れているような、あの調子で振る舞うようなことは決してない。そうだといって、決して婦人は軽蔑されているのではない。
私は日本美人の礼賛者という訳ではないが、彼女らの涼しい目、美しい歯、粗いが房々とした黒髪を綺麗に結った姿のあでやかさを、誰が否定できようか。
この国が幸福であることは、一般に見受けられる繁栄が、何よりの証拠である。
百姓も日雇い労働者も、皆十分な衣服を纏い、下層民の食物とても、少なくとも長崎では、申分のないものを摂っている。
ああ日本、その国こそは、私がその国民と結んだ交際並びに日夜眺めた荘厳な自然の光景とともに、
永く愉快な記憶に残るであろう。 (p. 207)
オールコック『大君の都』 (Rutherford Alcock, 1809~1897) 英国 外交官
日本人は、おそらく世界中でもっとも器用な大工であり、指物師であり、桶屋である。
かれらの桶・風呂・籠はすべて完全な細工の見本である。 (上巻, p. 375)
かれらの全生活におよんでいるように思えるこのスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、称賛すべきなにものかかがある。そして、かれらはそれをみずから誇っている。 (中巻, p. 27)
自分の農地を整然と保っていることにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはないであろう。
田畑は、念入りに除草されているばかりか、他の点でも目に見えて整然と手入れされていて、まことに気持ちがよい。 (中巻, p. 49)
この土地は、土壌と気候の面で珍しいほど恵まれており、その国民の満足そうな性格と簡素な習慣の面でひじょうに幸福でありつつ、物質文明にかんしては、日本人がすべての東洋の国民の最前列に位することは否定しえない。すべての職人的技術においては、日本人は問題なしにひじょうな優秀さに達している。
磁器・青銅製品・絹織り物・漆器・冶金一般や意匠と仕上げの点で精巧な技術をみせている製品にかけては、ヨーロッパの最高の製品に匹敵するのみならず、それぞれの分野においてわれわれが模倣したり、
肩を並べることができないような品物を製造することができる、となんのためらいもなしにいえる。 (下巻, p. 177)
人物画や動物画では、わたしは墨でえがいた習作を多少所有しているが、まったく活き活きとしており、
写実的であって、かくもあざやかに示されているたしかなタッチや軽快な筆の動きは、
われわれの最大の画家でさえうらやむほどだ。 (下巻, p. 179)
漆器については、なにもいう必要はない。
この製品の創始者はおそらく日本人であり、アジアでもヨーロッパでもこれに迫るものはいまだかつてなかった。
日本人はきわめてかんたんな方法で、そしてできるだけ時間や金や材料を使わないで、できるだけ大きな結果をえているが、おそらくこういったばあいの驚くべき天才は、日本人のもっとも称賛すべき点であろう。 (下巻, p. 181)
すなわち、かれらの文明は高度の物質文明であり、すべての産業技術は蒸気の力や機械の助けによらずに到達することができるかぎりの完成度を見せている。
ハインリッヒ・シュリーマン『シュリーマン旅行記 清国・日本』 (Heinrich Schlieman, 1822~1890) ドイツ 考古学者
道を歩きながら日本人の家庭生活のしくみを観察することができる。
家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。
日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。 (p. 81)
日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。
どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。 (p. 87)
「なんと清らかな素朴さだろう!」始めて公衆浴場の前を通り、三、四十人の全裸の男女を目にしたとき、私はこう叫んだものである。私の時計の鎖についている大きな、奇妙な形の紅珊瑚の飾りを間近に見ようと、彼らが浴場を飛び出してきた。誰かにとやかく言われる心配もせず、しかもどんな礼儀作法にもふれることなく、彼らは衣服を身につけていないことに何の恥じらいも感じていない。その清らかな素朴さよ! (p. 88)
[豊顕寺の]内に足を踏み入れるや、私はそこに漲るこのうえない秩序と清潔さに心を打たれた。
大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾りたてた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも退廃的だったから、
嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺々は、鄙びたといってもいいほど簡素な風情ではあるが、
秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた。 (p. 104)
僧侶たちはといえば、老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、
無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。 (p. 105)
一方、金で模様を施した素晴らしい、まるでガラスのように光り輝く漆器や蒔絵の盆や壷等を商っている店はずいぶんたくさん目にした。模様の美しさといい、精緻な作風といい、セーブル焼き〔フランスの代表的な陶器〕に勝るとも劣らぬ陶器を売る店もあった。 (p. 134)
木彫に関しては正真正銘の傑作を並べている店が実に多い。日本人はとりわけ鳥の木彫に秀でている。
しかし石の彫刻は不得手であり、たまに見かける軟石を使った石彫もつまらないものである。
大理石は日本ではまったく知られていないようだ。 (p. 135)
さらに、大きな玩具屋も多かった。玩具の値もたいへん安かったが、仕上げは完璧、しかも仕掛けがきわめて巧妙なので、ニュルンベルクやパリの玩具製造業者はとても太刀うちできない。
たとえば玩具の小鳥が入っている鳥籠は五~六スーで売られているが、
小鳥は機械が起こすほんのわずかな風でくるくる廻るようになっているし、仕掛けで動く亀などは三スーで買える。日本の玩具のうちとりわけ素晴らしいのは独楽で、百種類以上もあり、どれをとっても面白い。 (p. 137)
グリフィス『明治日本体験記』 (William Elliot Griffis, 1843~1928) 米国 牧師・東洋学者
けれども日本人は石鹸を表す言葉を知らないし、今日になってもそれを使ったことがない。
にもかかわらず、どのアジア人よりも身なりも住居も清潔である。 (p. 42)
娘は十七歳ぐらいで姿が美しく、後ろに大きな蝶結びのある広い帯できちんと着物をむすび、首には白粉が塗ってある。笑うと白い美しい歯が並ぶ。まっ黒の髪が娘らしく結ってある。日本で最も美しい見物は美しい日本娘である。 (p. 45)
日本を無双の自然美、礼儀正しい国民、善良で勇敢な男、美しい娘、やさしい婦人の国として描いたらどうか。日本人一般の道徳的性格は、率直、正直、忠実、親切、柔和、鄭重、孝行、愛情、忠誠などである。
モース『日本その日その日』 (Edward Sylvester Morse, 1838~1925) 米国・動物学者
日本の町の街々をさまよい歩いた第一印象は、いつまでも消え失せぬであろう。
――不思議な建築、最も清潔な陳列箱に似たのが多い見馴れぬ開け放した店、店員たちの礼譲、
いろいろなこまかい物品の新奇さ、人々の立てる奇妙な物音、空気を充たす杉と茶の香。
我々にとって珍しからぬ物とては、足の下の大地と、暖かい輝かしい陽光と位であった。 (1巻, p. 6)
巡査がいないのにも係らず、見物人は完全に静かで秩序的である。上機嫌で丁寧である。
悪臭や、ムッとするような香が全然しない……これ等のことが私に印象を残した。
そして演技が終って見物人が続々と出てきたのを見ると、押し合いへし合いするするものもなければ、高声で喋舌る者もなく、またウイスキーを売る店に押しよせる者もない(こんな店が無いからである)。
只多くの人々がこの場所を取りまく小さな小屋に歩み寄って、静かにお茶を飲むか、酒の小盃をあげるかに止った。再び私はこの行為と、我国に於る同じような演技に伴う行為とを比較せずにはいられなかった。 (1巻, p. 18)
日本人がいろいろな新しい考案を素速く採用するやり口を見ると、この古い国民は、
支那で見られる万事を死滅させるような保守主義に、縛りつけられていないことが非常にハッキリ判る。 (1巻, p. 30)
汽車に間に合わせるためには、大きに急がねばならなかったので、途中、私の人力車の車輪が前に行く人力車の甑にぶつかった。車夫たちはお互に邪魔したことを微笑で詫び合った丈で走り続けた。
私は即刻この行為と、我国でこのような場合に必ず起る罵詈雑言とを比較した。 (1巻, p. 30)
人々が正直である国にいることは実に気持がよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。 (1巻, p. 34)
いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供たちの天国だということである。
この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、
その自由を濫用することはより少なく、気持のよい経験の、より多くの変化を持っている。 (1巻, p. 37)
汽車に乗って東京へ近づくと、長い防海壁のある入江を横切る。この防海壁に接して、簡単な住宅がならんでいるが、清潔で品がよい。田舎の村と都会とを問わず、富んだ家も貧しい家も、決して台所の屑物や灰やガラクタ等で見っともなくされていないことを思うと、うそみたいである。 (1巻, p. 38)
日本人が丁寧であることを物語る最も力強い事実は、最高階級から最低階級にいたる迄、
すべての人々がいずれも行儀がいいということである。
日本人の特性は、米国と欧洲とから取り入れた非常に多数の装置に見られた。
ある国民が、ある装置の便利さと有効さとを直ちに識別するのみならず、その採用と製造とに取りかかる能力は、彼等が長期にわたる文明を持っていた証例である。
これを行い得るのは、只文明の程度の高い人々だけで、未開人や野蛮人には不可能である。 (3巻, pp. 32-33)
ラフカディオ・ハーン『日本の面影』 (Lafcadio Hearn, 1850~1904) ギリシア ジャーナリスト・作家
日本人は、野蛮な西洋人がするように、花先だけを乱暴に切り取って、意味のない色の塊を作り上げたりはしない。日本人はそんな無粋なことをするには、自然を愛しすぎていると言える。 (pp. 108-109)
私が思うに、日本の生徒の平均的な図画の才能は、西洋の生徒より少なくとも五十パーセントは上回っている。この民族の精神は、本来が芸術的なのだ。 (p. 276)
しかし、心得るべきことは、どんなに貧しくて、身分が低いものであろうと、日本人は、不当な仕打ちにはまず従わないということである。日本人が一見おとなしそうなのは、主に道徳の観念に照らして、そうしているのである。
遊び半分に日本人を叩いたりする外国人は、自分が深刻な誤りを犯したと思い知るだろう。
日本人は、いい加減に扱われるべき国民ではないのである。あえてそんな愚挙に出ては、
あたら命を落してしまった外国人が何人もいるのである。 (p. 313)
日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。
人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、
われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。 (p. 317)