さあ、どこまでが本当なの?
1.独島が最初に扱われた日本の古い文献も独島は高麗の領土として記録しており、東海側の日本の領土は隠岐島を境界とするとある。
2.日本政府が歴史的な根拠として提示している1618年の「竹島渡海免許」と1656年(一説によると1661年)の「松島渡海免許」は、むしろ鬱陵島と独島が朝鮮領であったことを証明する資料である。当時の「渡海免許」は、江戸幕府が鎖国政策の下で、日本人が外国に渡航する際に発給した許可状だったからである。
3.1693年(一説によると1692年)、安龍福(アン・ヨンボク)の日本への連行により始まった鬱陵島・独島の領有権争いにおいて、江戸幕府は1696年1月に鬱陵島・独島を朝鮮領であることをあらためて確認、日本からの漁夫の出漁を禁止した。すでにこの時、領有権争いには終止符が打たれている。(日本では竹島一件と呼ばれている。)
4.1696年1月に日本は鬱陵島と独島を朝鮮の領土であるとあらためて確認しこれを決定した。この事実は外交文書化され、朝鮮と交換された。
5.1696年1月の江戸幕府による「鬱陵島・独島=朝鮮の領土」の再確認は、鬱陵島だけでなく独島も朝鮮領であることの再確認も含むものである。
6.1696年1月以降のすべての日本地図は、幕府が「鬱陵島・独島=朝鮮の領土」と再確認したことを反映し、鬱陵島と独島を朝鮮の領土としている。その代表例が林子平の三国接壌之図である。
7.日本政府は1905年に独島を日本領土として編入し、国際法上も適法だと主張しているが、これは独島を当時「主なき島」であることを前提としており、完全に不法かつ無効の、成り立ち得ない主張である。
8.日本政府は1905年の独島の領土編入を国際的に告示できず、地方の県でのみ告示を行った。これは明らかに、独島の所有主である韓国と世界に知られることのないよう処置を取ったものである。
9.日本は1945年の敗戦後、「韓国に返還する領土は1910年8月当時、日本が併呑した領土に限定され、1905年に編入した独島は該当しない」と主張しているが、連合国の旧日本領土の処理原則は1894年1月1日を基準日としており、それ以後に日本が併合した領土はすべて原住人の国に返還されることになっていた。
10.連合国は1946年1月29日に連合軍総司令部覚書第677号で、独島を日本の領土から除外し韓国に返還した。その後も連合国はこれを修正していない。
11.連合国はサンフランシスコ対日平和条約締結に先立ち1950年に作成された「連合国の旧日本領土処理に関する合意書」で、独島を韓国領土として合意している。
(1951年のサンフランシスコ平和条約において、日本がその独立を承認し、すべての権利、権原及び請求権を放棄した「朝鮮」に竹島が含まれていないことは、米国記録公開文書等で明らかである。)
12.サンフランシスコ平和条約の本文から独島の名称が漏れたのは、日本のロビー活動のためである。アメリカは第1-5次草案では独島を韓国領土に、第6次草案では日本領土に含めたが、第7-9次草案からは独島の名称を消した。
13.サンフランシスコ平和条約本文から独島の名称が漏れたことについて、アメリカ内部でも意見は一致していなかった。アメリカ国務省の地理担当官は独島を韓国領土と表示しておこうと強く主張した。
14.サンフランシスコ平和条約で、イギリス・ニュージーランド・オーストラリアは独島を韓国領土と明記することを希望し、イギリス草案では独島を韓国領土に入れている。
15.サンフランシスコ平和条約から独島名称が除かれたことで日本のロビー活動は結局失敗し、独島の領土帰属について連合国が以前に合意した「独島は韓国領土」という合意・決定が引き続き有効となった。
16.サンフランシスコ平和条約から独島の名称が漏れたことは、結果的に独島が韓国領土であると公認することになる。なぜならサンフランシスコ平和条約も、連合国が独島を韓国領土と認めた、1945-1951年に明文化された領土規定の一貫した体系に依拠しているからである。
http://www.korea.or.jp/hot_View_a.asp
こんな言い方を韓国政府が韓国人にしていたら、本当に日本が間違っているように思える。
