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【デジタル】

<パソ困教室>選択肢が多すぎる 加藤寛一郎

2008年4月7日

 私はパソコン世界に乗り遅れたが、たまたま電子辞書だけは人並みに使いこなしていると思う。

 最近、二つ目を購入した。いま、ダイニングテーブルの上に置かれている。いままで、電子辞書は鞄(かばん)の中に入っていた。調べたい言葉があっても、「まあ、いいや」と、そのままになった。それがいまや、あらゆる言葉が調べられる。

 ハードボイルド小説の訳本で、娼婦(しょうふ)に「ホア」とルビがふられていた。苦心して、それが「WHORE」だと分かった。

 SFの訳本では、テーブルの数を数えるのに、「脚」を用いることを知った。脚は「脚のある道具を数える言葉」だそうである。

 電器店では、電子辞書が十五種類以上売られている。しかし身につまされているから、どれを買うべきか即座に選べる。

 いま私は、パソコンも買い替えたいと思う。しかしこちらは、種類が多すぎて選べない。

 理由は簡単である。使用目的が明確でないからである。しかしそういう人間向きに、典型的な少数機種を、大胆に推薦する試みがあっても良いのではないか。

 デパートでは、電器店より遙(はる)かに高額のテレビが売られている。この理由をご存じだろうか。老舗デパートの売り場責任者が次のように言っている。

 「当店でブランド商品をお買いになりたいお客さまが、いらっしゃいます。ここには二、三種類しか置いてございません。種類が多いとわからない。二、三種類の中からご自分で選びたい。そういうご年配のお客さまが、結構いらっしゃるのでございます」

  (東大名誉教授)

 

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