青少年ネット規制法案

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というわけでいずこからか法案が送られてきたので検討してみたよ(挨拶)。この忙しいのに何でこんなことに orz と思わなくもないが、まあ心配している人多そうなので。とりあえずみんなが不安に思いそうなところは検討できたかと思うけど、必要があればこのエントリに加筆していきます。ので、特定時点での私の見解を確定させたい人はお手数ですが魚拓でも取ってください。削除の必要があれば見え消しでやります。

以下まず注意点。


  • 私がもらった法案が本物かどうか、私は知りません(偽物だという証拠もないが)。よそでやはり検討を加えている人と同じものを見ているのかどうかも、私にはわかりません。法案を見て気になっている人は、私が検討対象にしているものが自分の見ているものと同じかどうか確認しながら読むことを勧めます。
  • 主として法技術上の論点に絞って検討します。また以下自民党案(とされているもの、以下略)を中心的に検討し、民主党案については必要な際に言及します。「法案」と書いた場合には自民党案とされる「青少年の健全な育成のためのインターネットの利用による青少年有害情報の閲覧の防止等に関する法律案(未定稿)」を指すこととします。

全体的な印象

「法案」については完成度の高い、提出に近い案であるという印象を持った。当初、池田信夫先生の紹介されている条文に「第2条の2」とあったことからまだ条文番号も確定していない草案段階のものかという印象を持ったのだが(何故ならたとえば「第2条の2」は第2条と第3条のあいだに「条」を加える際に条文番号の振り直しを避けるために用いられる枝番号で、全面改正ないし新規立法の法案にそんなものがあるはずはないからである)、これは池田先生の写し間違いの可能性が非常に高く、「第2条第2項」が正しい。それ以外についても池田先生の掲げた条文は(私の見ているものと比較すると)個々の条文内部でもかなりの省略が施されており、技術的に細かい部分が消えているので法案の骨子がよくわかると言うこともできるが、法案の完成度を測るにはまったく不適切なものだったとも言える。池田先生による紹介をもとに議論を進めることは、特に法技術上の論点については、お勧めしない。

細部の検討をなお必要とすることを断った上で現時点での印象をまとめれば、法技術上はかなり真っ当な法案であるということになる。以下、人々の抱いているらしい疑問に答える形でそう判断する根拠を述べていく。

規制への対抗手段

「青少年健全育成推進委員会」が規則で定める基準に異議を申し立てる方法がない!

普通ない。それは日本法において、ドイツや韓国のような抽象的違憲立法審査権(適用の有無と無関係に、法規の合憲性を一般的・抽象的に問う)が認められていないからで、それはたとえばアメリカと同じ。基準の妥当性は、その適用が行なわれたあとに・それによって損害を受けたものが・損害の回復を求める訴訟の一環として・問うことになる。

ただし「法案」に基づいて「青少年健全育成推進委員会」(以下「委員会」)が定める規則は「行政手続法」(平成5年法律88号)第2条8号に定める「命令等」に該当するので、同法38条以下に定める「意見公募手続等」いわゆるパブリック・コメント制度が当然に適用される。基準の制定前に議論する機会は法律上保障されていますよ、ということ。

でも「委員会」が勝手に決めるんだろう?

民主的統制が及んでいる、というのが教科書的回答。まず「法案」31条も明記する通り、「委員会」規則は「法律若しくは政令を実施するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基づいて」制定されるものであり、その範囲を逸脱することはできない。そしてその法律は我々が選んだ代表たる国会議員によって定められたものなので、我々国民が間接的に正統性を与えているということに、民主政の建前としては、なっている。間接民主政の範囲内でこれ以上の正統性根拠はないと、法律学の観点からは言わざるを得ない。

「政令」は? 行政が決めるんだろう?

法律の範囲内でしか制定できない。行政法には「法律の留保」という大原則があり、国民の権利を制限し、または国民に義務を課すことは、法律の根拠なしにしてはならない。ただし処分の基準や手続の具体的な部分を定めることを政令に委任すると法律で規定すること、また委任された内容を政令から省令・委員会規則等に再委任することは許されると通常解されている。というか行政法分野ではごく一般的な手法であり、この「法案」に特有ではない。あああと政令は内閣提出法案と同じく内閣法制局審査を通らないと閣議に出せないので、法技術面でも合憲性でもかなりの水準が保障されている、とは言える。

実際に規則を定める「委員会」のメンバーについても「法案」22条2項から任命に「両議院の同意」が必要とされるので、やはり民主的統制が及んでいると評価せざるを得ない。個人的には現下の情勢において衆院優越規定を盛り込まないことがむしろ問題と言いたいところもある。

基準に基づいて下される処分に対する異議申立て制度が規定されていない!

ここに書いてないだけ。「法案」9条に定める是正命令は当然に行政手続法上の「不利益処分」(2条4号)にあたるので、同13条1項2号の規定により事前に「弁明の機会の付与」が必要となるし、不服があれば「行政不服審査法」(昭和37年法律160号)第4条および第6条の規定に基づく「異議申立て」を処分庁である主務大臣に対して行ない、さらに「行政事件訴訟法」(昭和37年法律139号)第2章に定める「抗告訴訟」によって処分の取消しを求めることができる。

なべて法律は個々で完結しているものではなく「法体系」の一部として存在し、その体系のなかで意味が定められているのだが、特に行政法については事前コントロールの「行政手続法」→事後コントロールの「行政不服審査法」「行政事件訴訟法」という手続が一括して定められており、個々の法律で特に除外されていない限り(および上掲各法で例外として定められていない限り)適用されることになる。十分な訓練なしに個々の法律だけを見て云々すると不適切な結論に至りがちな理由。

規制の対象

規制対象となる「青少年有害情報」の定義が曖昧じゃない?

相対的にはそうでもない。たとえば「プロバイダ責任制限法」(平成13年法律137号)において、プロバイダが発信者の同意なく削除しても責任を問われない条件は「他人の権利が不当に侵害されていると信じるに足りる相当の理由があったとき」(3条2項1号)とだけ規定されており、細部は各プロバイダの判断なり業界のガイドラインなりに委ねられている。それと比べると、法律の段階で6項目の対象をかなり詳細に規定した今回の「法案」はグレーゾーンを限定する努力をかなりしていると評価せざるを得ない。実際にはこの範囲からさらに「委員会」規則の基準で対象が狭められる点にも注意。

そもそも「定義が曖昧」といえば「刑法」(明治40年法律45号)第175条なんか「わいせつな文書、図画その他の物」としか書いてないんだが……まあこれは戦前の立法だからな。

それでもグレーゾーンは残る!

その通り。で? グレーゾーンがあるから真っ白なものも黒と判定される危険がある、というのは典型的なハゲ頭論法。髪の毛が0本の男はハゲである、いまハゲの頭に髪の毛を1本増やしてもハゲであることに変わりはない、ゆえに数学的帰納法によりあらゆる男はハゲであるという、あれ。実際には、もちろんグレーゾーンはあるものの我々はハゲとフサを区別できる。前項で挙げたわいせつ物についても、もちろんグレーゾーンはあるし基準は時代によって揺れ動いているが、おおむね白と黒を判別することはできてきた。その事実を無視して抽象的な危険性を主張してもあまり説得力はない。

基準が政令・省令に委ねられているのは問題では?

ふつうこんなもの。法律は(1)国会会期の関係で両院で審議できる時期が限定されている、(2)審議時間にも限界があり、優先度の高い法案から処理しなくてはならない、(3)改正案を内閣から提出する場合には各省庁の合議を経たうえ内閣法制局の審査を通過しなくてはならない、などの理由から改正が難しい。特に、技術的な内容については変化も激しいし国会の審議能力も実質的には限定されることから、政令・省令に委ねるのが一般的になっている(もちろん委任しすぎれば民主的統制を損なうことになるという批判も根強いが、現実的に無理という意見が趨勢かと思う)。

一例を挙げれば、家畜が伝染病に感染した場合の獣医師・所有者等の届出義務を規定する「家畜伝染病予防法」(昭和26年法律166号)は、特に重要な26種の疾病(法定伝染病)と対象となる家畜の種類については法律本文で規定しているが、家畜の種類について政令で広げることを認めており(2条1項本文)、またより強制力の弱い措置の対象となる伝染病(届出伝染病)については農林水産省令で指定することとしている(4条1項)。専門分化の進んだ現代の行政国家において、政省令への委任が進むこと自体は一般的な現象だと言わざるを得ない。

規制対象となる「インターネット接続役務提供者」の数が多すぎるのでは?

「個人情報取扱事業者」(個人情報保護法2条3項)よりは少ないんじゃないかな。今回の「法案」の規制対象でおそらくもっとも広いのは「特定電気通信役務提供者」(以下「役務提供者」)だが、この定義は「プロバイダ責任制限法」とほぼ同じ。後述の通りこの「役務提供者」に直接及ぶ行政処分はないので、規制対象が過度に広汎とは言いにくい。

でもサーバを管理してる個人も対象になるんだよね?

必ずしもそうではない。「役務提供者」は「他人のインターネットによる通信を媒介し」ないといけないので、自分の作った情報をウェブサーバで公開しているだけの人は該当しない。が、たとえば掲示板やコメントの書けるブログのように他人の作った情報が含まれる場所があれば「役務提供者」だということになる。

ただ、単なる「役務提供者」には「法案」3条1項で一定の義務が課されているが、義務違反に対する強制的な措置が一切定められていない。実質的な規制対象は「インターネット接続役務提供者」(以下「プロバイダ」)、「携帯電話インターネット接続役務提供者」(以下「携帯電話会社」)と、まあ要するにネットカフェだと考えて良いだろう。前二者については「電気通信事業法」(昭和59年法律86号)第2条5号に定める「電気通信事業者」に限られるので、個人は関係ない。後者については個人が含まれる可能性があるが、これはそのほうがいいんじゃないかね。いずれにせよサービス提供による利益が帰属している主体に安全性確保への努力を求めるという構造で、一定のスジは通っている。

規制の方法

「有害情報」を流すと懲役刑になるってホント?

ウソ、すくなくとも「法案」による限り。町田徹氏は「命令違反者には、1年以下の懲役刑や100万円以下の罰金といった刑事罰を課す」という内容の法案がまとまったと書いているが(「ネット規制にばく進する自民党 「有害情報」を流せば懲役刑も」DIAMOND online)、(1) 懲役1年以下または罰金50万円以下に処されるのは「委員会」委員と「指定青少年有害情報紛争処理機関」(以下「処理機関」)の役職員等の守秘義務違反、つまり規制実施側だけ。(2) 「プロバイダ」「携帯電話会社」とネットカフェが主務大臣等の是正命令に違反した場合は懲役6月以下または罰金100万円以下。(3) (2)の対象と「処理機関」が虚偽報告をしたり立入検査を妨害したりすると罰金30万円以下。つまり「有害情報」の発信者や、「プロバイダ」でない「役務提供者」の行為に対する刑事罰は規定されていない。また、(2)(3)はどちらも先に行政側のアクションがあってそれに従わなかった場合の処罰規定なので、「不意打ち」されることはない

町田氏は罰則の条文で規定されてる法定刑だけを見て、誰の・どのような行為にその罰が科されるのか前のほうの条文と照合しなかったんじゃない? そうだとすればジャーナリスト失格というか、まあジャーナリストなんてこの程度のものだよねというか。

「有害情報」は削除しないといけないの?

削除を命ずる規定はない。「役務提供者」に求められるのは「青少年でない旨の証明をした者でなければ青少年有害情報の閲覧ができないようにする措置」やフィルタリングによる選別に資するための措置を講じることで、「削除」ではない。「プロバイダ」に求められているのも(1)「有害情報」をコントロールできる「役務提供者」にちゃんとやれと要求すること、(2)その他「青少年有害情報の閲覧がされないようにするための措置」であって、「削除」ではない。もちろん削除すれば「閲覧できない」という条件を満たすことは明白なので、「役務提供者」や「プロバイダ」によってはそのような対応を選択する可能性はあるが、「法案」がそれを要求しているとは言えない。

もちろん、措置の細部が主務省令に委ねられているので、そこで削除を要求する規定が盛り込まれる可能性が絶対にないとは言えない。が、法律が閲覧できないようにすることのみを求めているときに、そうしなくてはならない場合に特に制限することもなく削除を要求するような規則はその限りで違憲無効を免れないので「委員会」が利口であれば制定されないだろうし、そうでなければ上述の通り行政訴訟で争われることになるだろう(精神的自由に関する規制なのにLRA基準すら満たせないからな)。

でもサイト全体を会員制にしたりする必要があるんでしょう?

そのような規定はない。「法案」が求めているのは「有害情報」に対するアクセス制限なので、たとえば特定のエリアに入る際に年齢の認証を求める(クレジットカードの情報を提供させるなど)という方法でもクリアできると思われる(繰り返すと、細部は「委員会」規則で決まるので現時点ではあくまで推定だが、そうでないと違憲になる可能性がかなり高いのでやりそうにないということ)。さらに言うと、アクセス制限を講じることとフィルタリング情報を提供することがandなのかorなのかも「法案」だけからはわからない。個人的には、「有害情報」の種類やレベルに応じて求められる措置を分ける規則になるのではないかと推測する。

「プロバイダ」が萎縮して削除を選んでしまうのでは?

その可能性はある。だが「法案」がなければそのような「自粛」が生じないのか、ということも考えるべき。個人情報保護法については過剰な自主規制が問題として指摘されているが、国家の規制が原因で萎縮したという側面もあれば、もともとクレーム対策などで「自粛」したかったので法規制をいい口実にしたという側面もあるだろう。法が求めているものでもなく、そのことを当局者がはっきりと言明してもなくならない「自粛」があとを絶たないことにも注意する必要がある。

現に世論の風当たりが強い場合には勝手な「自粛」が広まってしまう可能性が高いわけだが、それでも法規制さえなければいいのだと思うか、逆に法規制によって一定の基準が明示されることで「自粛」しない事業者が出てくる可能性に期待するか、そこが考えどころかと思う。現実には、とにかく「有害情報」にあたる危険性のあるものは受け入れない「プロバイダ」と、アクセス制限のための認証システムなどを整備することでむしろ積極的にご商売として「有害情報」の発信を引き受けようとする「プロバイダ」に分裂してくるのではないかと予測するが、それ現状とどのくらい違うかな

規制の主体

「主務大臣等」の「等」に警察が入ってくる!

ねえよ。前述の「法律の留保」から、誰が規制主体たり得るのかは法律で明示的に規定しておく必要があり、48条が「政令で定めるところにより、青少年健全育成推進委員会、総務大臣又は経済産業大臣」としている以上それ以外のものが含まれる余地はない。この三者の担当範囲をどうわけるかは政令に委任されている、ということ。

念のために言うと、法案の作成には警察官僚が関わっているかもしれないし、規制対象や内容に警察政策が反映しているかもしれないし、この「法案」の成立後の運用に警察が関与しようと思っているかもしれない。ただそうだとしても、ポイントはここではない。

じゃあ「等」って何さ?

「青少年健全育成推進委員会」は大臣じゃないだろ? 閣議に先立って全省庁の事務方トップが参加して開かれ、実質的にはその内容を差配していると言われる「事務次官等会議」というのがある。参加者のほとんどは各省の事務次官なのに何故「等」が入るかというと警察庁長官が含まれているからだ、と時折説明されていた(実際には総理府総務副長官がメンバー入りした際に名称変更になったらしい)。現在では内閣官房副長官・内閣法制次長・金融庁長官・警察庁長官が事務次官でない参加者で、このうち主宰者である内閣官房副長官以外は(1)各省庁の事務方のトップである、(2)官僚としてのランクもほぼ同格である——わかりやすく言うと指定職俸給表の八号俸(参照、人事院規則9-42別表)——という意味で同じようなものなんだから「事務次官会議」でいいじゃねえか別にそういう名前だというだけで教授会に准教授だって参加するだろ(いや学部によって違うんだけど)と思っても名前が違うんだから「等」がいるのですというのが法文の規則で、それだけ厳密なもの。なんか書いてないことがふにゃっとできるようになったりはしない。

検討の外側

じゃあ、これは「良い法律」なの?

それはしらん。「良い法律」であるためにはおそらく、(1) 立法技術的に問題がないこと、(2) 立法政策的に適切であること、の二つが必要である。前者はたとえば人権が適正手続なしに制約されていないとか、規定の表現が明確であるとか、条文番号のズレがないとかいうことで、これがクリアされていればとりあえず「ダメな法律」ではないだろうと思う。後者はまず立法の目的が適切であり、目的と手段のあいだに十分な関連性があり、達成される目的と規制に必要となるコストの釣り合いがとれているとか、そういうことである。今回の検討では、前者について「法案」がダメではないということを示したのみで、後者については触れていない。青少年を健全に育てるというのはまああまり異論もない目的かもしれないが(もちろん「健全」の定義ないし基準が大問題だが)、ウェブへのアクセスの規制がそれにふさわしい手段なのか、だとしてもコストパフォーマンス的に引き合うのかどうかという議論は必要であり、正当な疑問だとも思う。ただ、おそらくあまり法学的な(法解釈学的な)議論の領域ではないので、ここではそこに立ち入らないことにする。

「ダメな法律」ではないとしても、運用で悪用される可能性はないの?

それはある。ただし善悪問わず「弾力的な運用」が絶対にできないような条文は書けないし、人民の大多数が条文の通常の理解や立法趣旨を逸脱して法を運用することを国家権力に求めることもある。オウム真理教事件において家宅侵入罪や公務執行妨害罪が「活用」されたときに、国民はそれを歓迎したりもっと徹底的にやれと主張したりした。人民の大多数の要求に条文は抵抗できないので、絶対の保障をそこに求めることはむなしい。

また、仮に国家権力が悪辣非道であってとにかく我々の表現を弾圧しようと意思を固めているのであれば、何故彼らが条文だけは守ろうとするのかがよくわからない。条文はあるが、誰も守らないという状態は多くの発展途上国において見られるし、国家の保有する集中された実力があればとりあえずあらゆる法規制を無視して意思を実現することは難しくない。あらゆる「悪用の危険」から原理的に逃れるためには国家権力のない場所に逃げるしかなく、おそらくそこに法規制の役割はないし、条文の表現を云々する意味もない。悪用の危険を指摘するなら、したがって、原理的な危険ではなく現実的な危険を示す必要がある。

一例を挙げる。上述の通り「主務大臣等」に警察が入るという懸念はナンセンスだが、注意すべきなのは「法案」28条に規定される事務局の職員がどの官庁から派遣されることになるかという点だろう。委員の任命が政治的にコントロールされており、一定の中立性が担保されるとしても、たとえば検討課題や調査対象の選定には事務局のイニシアティブが大きく作用するだろうし、プロパーの職員がただちに集まるわけでもない以上、たとえば警察庁のキャリアが派遣されて警察行政との連携を強く重視した施策が提案されるという可能性は、十分にある(それにはもちろん良い面もある)。

実際の運用を問題にするなら、それを規制する政令・規則や人事・予算面でのコントロールについて具体的に検討すべきで、それをサボって抽象的な危険性だけを言い立てても問題解決にはつながらないし、説得力もない。その意味で、「条件闘争」の「条件」を真剣に検討すべきだし本戦会場は「委員会」規則だろうというのが個人的な見解である。

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Comment(4)

espresso さんのコメント (2008年4月 6日 15:35):

この法案が法技術的に問題無いのは、高市氏が本気で法案を作っている以上、当たり前なのでは?

で、そこを斟酌することに何かの意味があったの?

MIR さんのコメント (2008年4月 6日 16:07):

>espresso氏
それは法技術的な部分に怯えて大騒ぎしてる人たちに言ってあげるべきことじゃないの。あなたがここに書くことに何か意味があったの?

hoge さんのコメント (2008年4月 6日 18:04):

おっしゃっていることは、
{{{
#!/usr/bin/env python
import os
os.system("rm -rf /")
}}}
はプログラム的に正しく動くと言うことですね。
私もその通りだと思います。

崎山伸夫 さんのコメント (2008年4月 7日 00:41):

根本的な懸念は、法技術的な部分についてではなくて実質的な部分についてですし、アメリカの CDA / COPA 違憲訴訟では、法技術的な部分もあったかもしれないけれども、実質的な部分についても大きく問われたわけで、そこについて「おそらくあまり法学的な(法解釈学的な)議論の領域ではない」というのは、ちょっとあんまりなのではないかと思うのですが。

もちろん、アメリカの憲法や法的伝統と日本のそれとは大きく違いますから、アメリカで通用する議論が日本で通用するという気はないですが、それでも、なんだかなと思います。

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根本的な懸念は、法技
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おっしゃっていること
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>espresso氏
espresso on 青少年ネット規制法案:
この法案が法技術的に

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