ascii.jpのインタビューや香山さんとの対談などで「二分法思考」の危険性について改めて話したので、たぶん、またしても「そういう菊池も科学かニセ科学かという二分法ではないか」などと言われたり書かれたりしてしまうのでしょう。言うのも書くのも勝手ですが、念のため、もういちど「グレーゾーン」について書いておきます。
もちろん、このブログをご覧のかたがたは、これまでに「グレーゾーン問題」に関する長い長い議論があったことはよくご存じだと思います。
僕に限らず、現行の「ニセ科学批判」では、「科学とニセ科学のあいだにはグレーゾーン(それも、たぶん非常に広い)があり、線引きはできないし、してもしかたがない」という認識を共有しているし、また、そういう話を積極的にしてます。
科学哲学の分野でそれに相当するのが伊勢田さんに代表されるベイズ主義です。伊勢田さんがベイズ主義の本を書かれた時期と僕たちがグレーゾーンを前提としてニセ科学批判を積極的にやりはじめた時期が近いのはまったくの偶然なのですが、もしかしたら、時代の要請のようなものなのかもしれません。
それに対して、大槻先生に代表される「少し前の疑似科学批判」では、この点があまり重視されてこなかったような気がします。
まあ、そんなわけで、「ニセ科学批判者も科学とニセ科学の二分法ではないか」という言説を見かけたら、それが相手にしているのは少なくとも僕たちではないのだ、と理解しておいてください。
グレーゾーン問題はこれからますます重要になると思います。
この記事に対するコメント[9件]
1. トンデモブラウ — April 7, 2008 @08:39:50
我々一般人は、簡単な二分法で「ああ、やっぱり、この説明はニセ科学なのだなあ。騙されないゾ。」というのが安全。
科学の海岸を目指して暗黒の海原へ、黒い崖から飛び降りたばかりのものも、もう白い海岸から這い出るばかりのものも、ひっくるめて認めないという方式。
そのグレーゾーンのものが正しい海岸の方向に向かっている(科学の範疇から外れていない)と認識するのは、同じ海を同じ方向に泳いでいる科学者だけで十分。
わからないことを「わからない」と認識できない人たちが911陰謀論とかになってしまうわけですよ。
黒いものは黒いが黒くないものが白いとは限らない、というのは重要だと思います。
むしろ、グレーゾーンがあるという事実から「ダメな相対主義」に行ってしまう人がいるのが問題ではないですかね
3. 技術開発者 — April 7, 2008 @08:49:26
悪徳商法批判をしていた頃に、「茸狩りのたとえ話」という事を言っていました。山に入って色んな種類の茸を採るなら、「食べておいしい茸」というのを覚えてから山に入って採れば良くって、「食べたら食中毒を起こす茸」を覚えて山に入って、「これは知っている毒茸じゃないから採ろう」とするべきではないなんて話です。
私なんかは山の子ですから、子供たちだけで山に入って茸採りをした経験もあるんですね。でもって、子供のことですから「わからない茸」というのもみんな採って帰る訳です。でもって、その頃の田舎には、もう田んぼに出られないくらいに弱った老人がひなたぼっこしながら、紐を引っ張って空き缶を鳴らして雀を追ったりしていますので、その爺さんのところに持っていきまして、「食べておいしい茸」を選んで貰うわけですね。その爺さんの鑑定というのは非常にスッキリしていまして、「食べたことがある」を基準に食べる茸を選ぶわけで、「中った事がある」なんぞ基準に排除する訳ではないんですね(考えてみると当たり前ですが)。
なんとなく、現代というのがそういう「グレーゾーンを安全な方に排除する」というノウハウが失われている気がするんですね。なんていうか、それは飢饉の年で、「食えるなら何でも食わなくてはならない」という時なら、グレーゾーンに踏み込む必要もあるんでしょうが、単なる「秋の楽しみ」としての茸狩りなら、私はその爺さんの鑑定で充分だと思っています。
でも、
『わからないことを「わからない」と認識できない人たちが911陰謀論とかになってしまうわけですよ。
黒いものは黒いが黒くないものが白いとは限らない、というのは重要だと思います。
むしろ、グレーゾーンがあるという事実から「ダメな相対主義」に行ってしまう人がいるのが問題ではないですかね』
なら、グレーゾーンを(白っぽのも)全てひっくるめて黒と思いましょうという私の意見に近いのではないでしょうか。
技術開発者さんの「グレーゾーンを安全な方に排除する」というノウハウにもマッチするし。
違うのかな?
たぶんね、使うかどうかに関していうなら、「白くなければ使わない」にしとけってことが、多くの場合にうまくいくんです。
ただ、それが社会全体で常にうまくいくかというと、必ずしもそうではない場合があって、グレーなものをがんばっていろいろ考えて意志決定しなくちゃならないことは多々あるはずなんです。その話はいわゆる「予防原則」につながると思うのですけど。
7. e10go — April 7, 2008 @10:40:25
>なら、グレーゾーンを(白っぽのも)全てひっくるめて黒と思いましょうという私の意見に近いのではないでしょうか。
新型インフルエンザが流行れば、「タミフルは服用後の異常行動がグレーゾーンだから治療に使わない」という訳には行かないでしょう。
「グレーゾーンだから黒と同じ」と判断してそこで思考停止して済む問題ばかりじゃありません。
技術開発者さん、も言っているように、
>なんていうか、それは飢饉の年で、「食えるなら何でも食わなくてはならない」という時なら、グレーゾーンに踏み込む必要もあるんでしょうが
「グレーゾーンの物を使う『メリット』と『考えられるデメリット』を比べて『メリット』が勝るなら採用する」という判断をせまられる事もあるでしょ。
それには、なるべく正確な知識を習得して、知識の枠を広げる事が必要でしょう。
8. 佐藤 — April 7, 2008 @10:58:04
「科学」と「ニセ科学」のグレーゾーンの話じゃないですよね。
非科学はいけないことだという考えに誘導したいのでしょうか。
> これまでに「グレーゾーン問題」に関する長い長い議論があった
posted by きくち at 10:03 pm
9. トンデモブラウ — April 7, 2008 @10:55:07
『新型インフルエンザが流行れば、「タミフルは服用後の異常行動がグレーゾーンだから治療に使わない」という訳には行かないでしょう。
「グレーゾーンだから黒と同じ」と判断してそこで思考停止して済む問題ばかりじゃありません。』
ちょっと違うなぁ。
グレーゾーンの判断やリスク・マネジメントに関して、全て個人で判断しなくてもすめばそれに越したことはないと思うのですよ。
知識の幅を広げる必要は否定していないのですが、ただ、一般人すべてに求めなくてもいいじゃん、ということです。
専門家がしっかりグレーゾーンの度合いを理解してれば十分。