11月20日(火)
暴力団組員が大阪府警を訴える
11月19日付中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007111990060007.html
名古屋の組員、大阪府提訴 府警の捜索で「虫けらのように」
2007年11月19日 09時48分
名古屋市の暴力団事務所にいた組員3人が大阪府警の家宅捜索を受けた際、捜索を妨害していないのにけられて骨折したほか精神的屈辱を受けたとして、大阪府を相手に300万円の損害賠償を求める訴訟を名古屋地裁に起こしていることが分かった。原告側は「組員とはいえ、虫けらのように扱うのは許せない。警察による組織的犯罪だ」と主張、大阪府は全面的に争う姿勢を示している。司法関係者は「こんな訴訟は聞いたことがない」と驚いている。
訴状によると、府警は今年3月、山口組系の元組員が大阪府和泉市で起こした銃による殺人未遂事件の裏付け捜査のため、名古屋市東区の山口組系浜健組事務所を捜索した。
警官らは留守番をしていた3人に「開けんか、てめえら、なめとんか」と怒鳴りながらドアを開けさせた上、胸ぐらをつかんで外へ引きずりだした。組員らが路上に引き倒されてうずくまったところ、「大げさにするな」と、胸や脚などもけった。組員らはそれぞれ肋骨(ろっこつ)骨折など1−2週間のけがを負ったという。
さらに組員の1人が応接間に連れ戻されると、既に部屋にいた警官に尻をけられ、正座をさせられたとしている。
中日新聞の取材に対し、府警は、事件や訴訟について一切明らかにしていない。
(中日新聞)
「あなたであれば望まないようなことを、人にすることのないように」とは『論語』の言葉ですが、人を虫けらのように扱う暴力団であるからと言ってそれを虫けらのように扱ってはいけない、とは思います。 心の中では「どの口がそれを言うか!」と思っても、法治国家なのですから警察の公務執行はかならず法律の範囲内で行うべきでしょう。 ただ、「捜索を妨害していない」というのはあくまで暴力団組員の主張でありそれが争点となるやもしれず。
11月19日(月)
JUMP
『ベルモンド』はそろそろ打ち切りに向けて話をまとめているな、と思ったら全然まとまらないまま主人公とダルタニァンの剣劇中に終了。
お疲れ様でした。
中世ヨーロッパのダークファンタジーというのはメジャー誌では貴重なのでふたたびこのジャンルで挑戦していただけるとうれしいです。
それ以外の漫画は記憶に残りませんでした。
『ワンピース』とか、話を進める気ゼロでしょ。
最近。
『ハンタ^2』は、もうキャラの名前も能力も全然記憶にねーし。
ネウロの段ボールの人がやたら数式を持ち出すのは森博嗣先生への反論かと思いましたが、反応が早すぎるので分かりません。 そして、数式が成立しているのかどうかも分かりませんが、いままでの作者のこだわり具合からするに成り立つ数式で書いている可能性大。
年末のお楽しみ
「白い恋人、赤福、世間じゃこれを紅白ウソ合戦というんだそうで。」
というのは昨日笑点の大喜利コーナーで誰かが言っていたネタ。
一方の本家歌合戦はどうなっているのかといいますと、
11月19日付日刊ゲンダイ
http://newsflash.nifty.com/news/tt/tt__gendai_07024052.htm
トラブル続出の「紅白」に頭を抱えるNHK(日刊ゲンダイ)
紅白に早くも暗雲が漂い始めている。
今年のNHK「紅白歌合戦」の司会者は紅組が中居正広(35)、白組が笑福亭鶴瓶(55)というコンビに決まった。51年ぶりの男同士の司会にあ然としている人も多い中、NHK側は「丁々発止のやりとりができる最高の組み合わせ」と胸を張っている。しかし、そんな自画自賛とは裏腹にNHKには抗議が殺到しているという。
「司会者発表の翌朝9時から視聴者相談センターの回線がパンク状態です。そのほとんどが男性タレント2人の司会に対するもので、“男女同権が叫ばれて久しいのに、なぜ紅組の司会が男性なのか”という反発がほとんど。“鶴瓶が司会というのは違和感があるし見劣りする”“ジャニーズ事務所の都合に押し切られたんじゃないのか。情けない”といった声もあります」(テレビ関係者)
視聴者は司会者がダレによるかで見るわけではないだろうが、これだけ非難を浴びるとは思っていなかっただろう。
出場歌手の選定でもNHKはアタマを抱えている。先月、“円天”を使った出資法違反容疑で本社や関連会社が家宅捜索を受けた「L&G」事件の影響だという。
「L&Gの無料会員コンサートに何度も出演していた細川たかしをはじめ、何人もの演歌歌手が“広告塔”として名前を報道されてしまった。実際、かなりの大物歌手が関係していて、彼らも気が気でない状況です。本人には責任がないとはいえ、NHKとしてはL&Gに関わってしまった歌手を出場させることに慎重になっている。事実関係がハッキリしないので、うかつに発表できないようです。出場歌手が正式に決まるのは例年よりも遅くなる可能性が高い」(マスコミ関係者)
司会者も歌手も誤算だらけでは、かつての国民的番組の復調はとても望めない。NHKが今回のテーマに掲げている「歌力」に頼るしかない?
[日刊ゲンダイ:2007年11月18日 10時19分]
まあゲンダイですから半分に聞いておいて。
「頭を抱える」や「暗雲」は記者の願望ですよね。
抗議の電話が来ていることはまああり得るとは思いますが、パンク状態というのはあやしいし、男女同権だのJ事務所が云々というのはスメル・オブ・電凸を感じさせます。
ただ、私がすっかり忘れていた「L&Gグループ」。 そんなのあったね(笑)。 円天に関係するあかり研究所の「あかりコンサート」に関しては10月2日にメモしておきました。 (が、これも日刊ゲンダイなんですね。 私の言葉の根拠自体うさんくさいなあ。)
L&Gは、04年頃から昨年まで、会員や出資者向けに無料コンサート「あかりコンサート」を開催。開演前に投資にまつわる説明会を設け、巧みに勧誘していた。出演者は細川たかし、キム・ヨンジャ、長山洋子、中村美律子、伍代夏子、瀬川瑛子、小柳ルミ子、小林旭、松崎しげるなど。歌謡界の大御所たちが“広告塔”だったわけだが、同社との関係が気になるところだ。
なかなかの顔ぶれでございまして、これらのお歴々やその所属事務所を除外すればNHKを支える「みなさま」であるところの、地方の善男善女たるご老人たちに与える影響は大きいといわざるを得ませんでしょうな。
ちゃちな正義にこだわるか、視聴料の回収を円滑にするべく詐欺団体の存在に目をつぶるか、本当に悩ましいことと存じ上げます。
もう少し詳しくは、kingcurtis 氏のサイトにありますが、
http://blog.livedoor.jp/kingcurtis/archives/50379812.html
細川たかし キムヨンジャ 小林旭 千昌夫 伍代夏子 藤あや子 八代亜紀 清水アキラ 栗田貫一 美川憲一 瀬川瑛子 香西かおり 研ナオコ 山本譲二 桂銀淑 松方弘樹 日野美歌 にしきのあきら 島倉千代子 コージー富田 三田明 平浩二 北原ミレイ 長山洋子(2006年度出演者例)
詐欺とは知らずにコンサートの仕事を受けてしまった皆様、お気の毒さまでした。 むしろ被害者ですよね、被害者。 (お金をもらっておいて被害者というのも変ですが、信用を失うことはのちのちもっと大きな損失になるという意味で被害者。)
しかし、私のようにテレビ局嫌いの立場からいわせていただきますと、そもそも見識の高いわけでもない(低いわけでもない)芸人を、まるで人生の機微を承知した人格者であるかのように権威づけてしまったことに対するマスコミの責任というものも考えていただきたいですね。
それがひいては詐欺集団に利用されてしまうわけですから。
まあ責任を取るという意味では、NHKこそ、責任を取ってこうした歌手を紅白に呼ばないとか、紅白自体を中止するとかいうふうに検討してもよいのではないでしょうか。
(検討した結果、紅白はやることになっても、検討せずにやるよりはまし。)
娯楽番組の視聴率を稼ぐことと詐欺の被害を減らしていくことを天秤にかけたら、どちらの結論をとるのが日本のため「みなさま」のためかはわかりましょう。
全然調べずに記憶でかきますが、稲尾さんがお亡くなりになったとき近未来通信の話をしないのは礼儀にかなっていたと思います。 ただし、詐欺事件の啓発を行うときにはこうしたことをタブー視すべきではないですよね。 (近未来通信は詐欺だったのかホントの倒産だったのかあいまいだったような記憶がありますが。 危険な会社は危険だよね、というはなし。)
今日は
寒い。
昨日は関東で木枯らし一号だった由。
朝から寒い。
晴れても寒い。
晴れればこそ、放射で寒い。
もう自動車のタイヤが限界まですり減っているので早めにスタッドレスタイヤに履き替えして、来春にタイヤを買い換えます。
思い出してよかった。
ニュースを見たり、新聞を読んだりすればするほどわからないことが増えてゆく。
それが楽しい時期もありましたが、最近は少し食傷気味。
肝臓が悪いのでけだるいのでしょうか。
お医者さんは、数字を見て「体がだるくないですか」とかよく聞いてきます。
「そうですね」などと答えようものなら肝炎の血液検査をされてしまうので「そんなことないんですが」などという。
咳が二週間続いたら結核を疑うべきですが、インフルエンザも襲来してきましたし、不摂生人間にはきびしい季節なのでしょうか。
11月18日(日)
流行語大賞
集英社イミダスの広告を見ました。 分かっていたこととはいえ、ちょっとショックでした。 知恵蔵も。 今年はどれを買おうか、あるいはどれも買わずにいるかという悩みが、年末のささやかな楽しみであった時代は終わったわけです。
家族の電算機
ニンテンドーDSやWiiのテレビコマーシャルを見ていると、「ファミリーコンピュータ」の目指した姿が目に浮かぶようです。 って、また漫画の画像を貼りたいだけなんですけれども、改造君が言っていたことがいま着々と現実になろうとしているんだなあ、と思います。
ワッフルもビールもおいしい
日本版ニューズウィーク11月21日号
ベルギー化するニッポン
ピーター・タスカ(アーカス・インベストメント共同設立者)
「小沢ショック」の話をする前に、ある遠くの小さな国の最近の状況を見てみよう。 ヨーロッパでは今、ベルギーの政治が西欧民主主義国の歴史でも有数のラジカルな展開を見せている。 その経験は、日本の未来を予測するヒントになるかもしれない。
6月の総選挙からすでに5ヵ月。 どの政党も過半数に届かなかった選挙結果を受けたベルギーの主要政党の連立交渉は、いまだにまとまっていない。 新しい政府は樹立されず、新しい法律も一つも成立していない。 首相の記者会見もなければ、あいまいな公約を盛り込んだ高尚な演説もなく、外国への公式訪問もない。 新しい政策がメディアで物議をかもすこともない。
国の一大事? 政治家にとっては、確かにそうかもしれない。 しかし、国民の生活に変化はない。 税金は徴収され続けているし、ごみの回収もストップしていない。 ワッフルとビールは相変わらずうまい。
選挙で敗れた旧連立与党が暫定内閣を組織しているが、権限は緊急事態への対応だけ。 つまりこの国には、現状維持のみを任務とする最低限の政府しか存在していない。 「政治的混乱」とひとことで言っても、ベルギーや日本のような国とパキスタンのような国とではまるで意味が違う。 パキスタンの政情不安は社会不信の反映であり、生きるか死ぬかの問題だ。
一方、ベルギーや日本では、政治家が物事を動かす力は弱まるばかり。 日本のこの3ヵ月間の展開。――阿部晋三首相の突然の辞任、福田康夫首相と民主党の小沢一郎代表の会談、小沢の辞任表明と撤回――は政治の地殻変動などではなく、政治の断末魔の叫び声だ。 未来の人々は小泉時代を振り返って、政治がずるずる衰退する中で一時的に勢いを盛り返した時期だったと考えるだろう。
アメリカの政治学者マンカー・オルソンの言葉を借りれば、先進国の一般有権者のほとんどは、政治に対して「合理主義的無関心」の状態にある。 個人の暮らしが政府の政策の影響を受ける可能性は小さいので、いろいろな政党の政策を比較検討する労力は割に合わない。
主要政党の政策の違いが小さいほど、国民が政治に関心を持つ理由も小さくなる。 冷戦後の政治対立が中道勢力間の対立にほぼ終始してきたことも、政治への無関心の蔓延に拍車をかけた。 その証拠に、成熟した民主主義国では政党加入率と選挙の投票率が急激に落ち込んでいる。
現在の日本では、この傾向がとりわけ強い。 日本のエリート層の間で、ほぼすべての主要テーマについて政治的なコンセンサスができあがっているからだ。
(中略)
日本はベルギーよりも深刻だ
もう一つは、価値観やアイデンティティーにかかわる問題に訴えて、国民の感情を揺さぶるというやり方。 アメリカの人工妊娠中絶、ドイツの原子力がこうした論点に該当する。 安倍首相の「美しい国」はこの路線をねらったものだったが、国民の冷めた反応を見るかぎり、事前のマーケティングリサーチが不十分だったようだ。
政治のベルギー化は、よくないことなのか。 短期的にはおそらく問題はない。 だが長い目で見れば、政治の衰退は、停滞と腐敗、危機に直面したときの機能マヒを招く。
ベルギーでも、チェコスロバキアのように国が分裂するのではないかと恐れる声がある。 最近、誰かがeベイのネットオークションに「ベルギー王国」を売りに出したところ、最高入札価格はたったの1000万ユーロだった。 笑うに笑えないジョークだ。
日本の場合、問題はもっと深刻だ。 裕福で友好的な国に囲まれているベルギーとは状況が違う。 日本は、NATO(北大西洋条約機構)やEU(欧州連合)のような強力なクラブのメンバーでもない。 日本の近隣にあるのは、核をもった独裁国家や、巨大な人口を要する超大国だ。
しかもユーロ高のベルギーと異なり、円の価値は上昇していない。 その結果、日本の企業や消費者の海外での購買力は強まらず、外国の投資家が日本で企業や不動産などを買収するハードルは低いままだ。
ほとんどの状況で、日本は政治のリーダーシップがなくても問題ないだろう。 危機に直面したとき初めて、政治の不在を痛感することになる。 そしてそのときには、もう手遅れなのかもしれない。
ご心配いただいてありがたいことですが、手遅れになったりしませんよ。 危機に直面どころか滅亡しかけるまで、自分からは改革をしないのが日本ですから。 そしてそんなことで大丈夫かというときもなんとかやってきたのが日本でしたから。
いまはただ、春の喜びにうたい、踊るときなのです。
堯治天下五十年、不知天下治歟、不治歟、億兆願戴己歟、不願戴己歟。
問左右、不知。 問外朝、不知。 問在野、不知。乃微服遊於康衢、聞童謠。
曰、
立我蒸民、莫匪爾極。 不識不知、順帝之則。有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、
日出而作、日入而息。 鑿井而飮、畊田而食。 帝力何有於我哉。(十八史略)
問一 「左右」・「外朝」・「在野」の関係を説明し、かつそれぞれが何を意味するかを述べよ。
二 「微服遊於康衢」とは、どんなことか。 また、何のためにそのようなことをしたのか。
三 文中の二つの詩の趣を比較して論ぜよ。
四 右の文を通して、中国における理想的な治者の姿を推測して述べよ。小林信明『漢文研究法』洛陽社
問三のアバウトさもたいがいですが、ここでは、問四にかかわることになりましょう。 すなわち、政治に対する「合理的無関心」というのは、古代聖王の時代と同じ幸福で理想的な時代に我々が生きているということになるのであります。 わかったか、外国の資本家がなにを買うかなんて知ったことか! パワーポリティクスだの国民国家なんて、はじめからお呼びじゃなかったんですよ。
午前中
日曜は政治ニュースが多いのですが、国会が混乱しているところへテレビが議員を呼んでも、あまり実りはないのではないでしょうか。 わあわあ騒いでいるところを見た、以上の
海上給油問題は、テレビ朝日社のアンケートで「どちらとも言えない」が40%を占めたそうですが、私としては「難しくてわからない」という選択肢が欲しいところ。 継続するにしろ中止するにしろ、それぞれにメリットとデメリットがありますが、そのバランスを取ることができるかがわかりません。 もちろん、ホワイトハウスに行ってくれば賛成にならざるを得ないのでしょうが。
あと、守屋さんが実名を公表したというのにされたおふた方は「記憶にない」とのたまっていまして、起訴さえされなければ選挙には通るのでシラを切り通すのでしょうね。 それはなんとなく理解できます。 選挙区の人からしたら、会食の何が悪い?くらいのものでしょう。 ちゃちな正義を上回る利得がある。
藤子先生がオタクを支持
とみに話題のJukeneetさんの考察
藤子・F・不二雄「名言」コピペの嘘:大卒無職がなぜか大学受験の勉強をする
http://d.hatena.ne.jp/jukeneet/20071022/1193047901
たぶんF先生はこんな偉そうで出しゃばった発言はしないと思うし、口調もなじまないし、「ロブスター」「ハーブ類」などの語彙も藤子ファンとしてはあまりピンと来ない。読んでいてまったくF先生の顔が浮かんでこない。「SF生活ギャグまんが」を描き続けてきたF先生が「ありふれた学校生活」を批判的に持ち出すのも少々違和感がある。何よりも、F先生は基本的に「私」という一人称を使わない。「ぼく」だ。「ぼく」という一人称はたぶん「子どものためのまんが」を描き続けたF先生を象徴するものだと思うので、F先生の言葉として「私」という一人称が使われるともの凄く変な感じがする(たぶん探してもほとんどないだろうなあ)。
その批判の矛先となったコピペとやらも同じ記事より。
藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか
「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、
私の持っている漫画観は全く逆です。
人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。
自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。
それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。
家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか?
近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・
どの家の冷蔵庫も然して変わりません。
多くの『人並に人生を送った漫画家達』は
「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。
思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。
しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。
人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。
必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。
漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。
全てはそこから始まる。
その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。
つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。
ここから可能性は無限に広がるのです。私はそういう人が描いた漫画を支持したい。
卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。』
(註)
このコピペは、前段として手塚・宮崎・富野・庵野がそれぞれ「まんがばっかよむな」「人生経験を積め」などなどオタクに苦言を呈するのに対して、というかたちをとります。 これで、「藤子先生は引きこもりオタク支持だヤッホー」という人たちが調子に乗っているのにjukeneet氏が「藤子先生はそんなことをいったのかなあ」と疑問を呈しつつ、「言っていない」というソースを示すこともできずにいるので同じように疑問を感じていたブックマーカたちをやきもきさせる、と言う構図。
もとより2ch系のコピペに出典を要求したり、そんな高レベルの書き込みを期待する方がお門違いなので、やはりここはファンのあいだから、こんなことはおかしいと声を上げる必要があると思います。
私にしても、この藤子先生の言葉とされる文章がどこにも存在しない、ということを証明できるわけではありませんが、藤子先生がこどもたちに語りかけた文章と比較することで、このコピペと共通する部分、異なる部分を分析してみたいと思います。
●「人気まんが」のかき手は、普通の人!?
「人気まんが」をかこうとする時、かき手はふうつ(ママ)の人でなければならない、というのがぼくの考えです。
人気があるまんがということは、大勢の読者が喜んで読んでくれたということです。 つまり、そのまんがのかき手と読者とのあいだに、共感を持つ部分がたくさんあったということなのです。 非常に偏ったものの見方や考え方をする人は、大勢の人の共感を得ることができないということはいうまでもありません。
最初に、「ふつうの人であれ」といったのは、そういう意味なのです。 しかし、ただ単に、「ふつうの人」であったのでは、まんがはかけません。 プラスアルファーとして、何か自分だけの世界を、最低ひとつはもっているべきなのです。
それは、かならずしも、そのかこうとしているまんがの内容に関係していなくてもよいのです。 釣りが上手であれば釣りについて調べ、SFが好きであればSFについて勉強しましょう。 そういったことが、しだいに時間がたつにつれて、いろいろプラスされ、その人の個性になってくるのではないかと思います。 プロのまんが家としてデビューする時には、それまでのまんがにない新しい面がひとつでもあれば、しばらくのうちは、もてはやされてかいていることができます。 たいていの場合、読者は新しいものに弱いものです。 新しいものが出ると、その印象が強ければ強いほど、ひきずられてしまう傾向があるものです。
しかし、それだけでやっていけるほど、まんがの世界はあまくありません。 一年、あるいは二年ほどもたつと、いくら自分を新しいと思っていても、あきられてしまうことになります。 そこから先は、その人の内面的なものが充実しているかということの勝負になってくるわけです。
藤子・F・不二雄『藤子・F・不二雄のまんが技法』小学館文庫
まず、コピペの方を要約してみます。
一読して、すでにこの文章に疑問点がありますが(「取材」と「殻に閉じこもる」って両立するの?)、まあこんなものとします。
藤子先生の言葉
いかがでしょうか。 コピペが「取材」を強調するのに呼応して藤子先生の言葉の中にも「好きなことについて勉強する」という内容がかかれています。 ただ、その扱いは違いますね。 前者「取材」が、漫画を書く題材を調べることであるのに対し、藤子先生の「勉強」は、「かこうとしているまんがの内容に関係していなくてもよい」とされています。 このあたり、やっていることは似ているようでも大きな開きがあると私は考えます。
それ以外の部分はもっとはっきりしていますね。 「退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家」よりも「ふつうの人」であることが、読者の共感を呼ぶ「人気まんが」をかく資質であるとされていますし、個性というのはそこにプラスアルファーされるものだから、「殻に閉じこもった落ちこぼれ」にこそ、藤子先生は「ふつうの人であれ」とおっしゃりたかったのではないでしょうか。
どんなに屁理屈をこね回してもこのコピペのような藤子先生の「名言」がなかったことは証明できませんが、少なくとも「記録されている藤子先生の意見とはだいぶかけ離れた文章であることよ」、くらいの感想を残してもいいのではないかと思いました。
すこしそれた話題を。 どうしてこんなコピペが共感を呼ぶのか。 オタクはこんな言葉で藤子先生から励まされてうれしいのでしょうか。 もしもそうであるなら、『ドラえもん』を読むリテラシが低くなっているせいなのかなあ、と悲しく思います。
ドラえもんはしばしばいわれるような「怠け者礼讃まんが」ではありません。 これは藤子先生がおっしゃっていたのを私小学生の頃「1000ページ」で読んだので本当です。 捨ててしまったので引用はできませんが、のび太の存在は、藤子先生の温かい目線でかかれてはいますが決して褒められるものとしては描かれていません。
むしろ、のび太自身が自分の心の弱さを恥ずかしく思いそれを克服しようとするシーンや、便利な道具を手に入れてもそれに驕ってしまったために手痛いしっぺ返しをうける場面が登場します。 克服してしまったら、『ドラえもん』は最終回。 ドラえもんは22世紀から「タイムテレビで応援してるぞ!」というだけの存在になってしまうわけです。
殻に閉じこもった落ちこぼれの人がまんがをかくにせよ、そのまえにまず、「ふつうの人」になろうね。 ドラえもんを読めば結論は描いてあると思うのですが。 (でもどんなふうに読んでもそれは読者の自由か。 なんとも難しいものです。)
註:この文章の論理の矛盾や用語の不統一(他の藤子先生の文章を含めて)については今回の考察からは除かせていただきます。 「ロブスター」「ハーブ類」のたとえ話をjukeneet氏は問題視したようですが、「冷蔵庫」などとの照応を見るに何か食べ物関係の話題を受けてのものと考えるのが妥当のようなこと。 明らかな談話形式なので一人称や語尾は口頭ゆえかインタビュアや記者・編集者の段階で改変されている可能性も大いにありえるからです。
今日は
今朝もだいぶ寝坊しました。 遅く起きると一日が早い。 家で進める予定だった仕事もほとんど手をつけずに週明けを迎えそうです。
明け方の夢で、わたしは部屋の中で何人かの人と話していました。
談論風発、その中で私は話題をリードし、他人の疑問を解決し、多くの賛同と賞賛を得ていました。
なんだこの夢は。
わかりやすいのか知りませんが、私の自己顕示欲求が高まっているのでしょうか。
起きてしまうと、面倒くさい、しゃべるのもいやだ、となるのですが。
それとも、webで目立ちたいのか?
11月17日(土)
自転車のタイヤに空気を入れて出かけました。 しかしブレーキが両輪ともほとんど効かない。 ワイヤーが伸びてしまった? 原因不明。
11月16日(金)
暴走親爺
11月13日付毎日新聞
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071113mog00m040066000c.html
道交法違反:“暴走オヤジ”41歳男性を逮捕「100人率いた昔懐かしく」/札幌
暴走族約10人を率いて暴走行為をしたとして、北海道警札幌北署は札幌市北区新琴似1の3、トラック運転手、吉田隆人容疑者(41)ら2人を道交法違反(共同危険行為)容疑で逮捕した。吉田容疑者は20歳のころに約100人の暴走族を率いたことがあり「昔が懐かしくて参加した」と供述しているという。道内の暴走行為による逮捕者のうち、41歳は今年の最高齢。
同署や道警交通指導課によると、吉田容疑者は7月21日午前0時すぎ、暴走族の少年ら約10人と同区内などの国道5号や市道など約2・2キロを乗用車で蛇行運転したり、信号無視するなどして暴走した疑い。
吉田容疑者は今月6日に逮捕され「(暴走族をやめてからも)これまでに2、3回やった。年がいもなく、バカなことをした」と反省しているという。この日は少年らが走ると知人から聞きつけて参加した。【田中裕之】
メモ。 特に言うことはありません。 ただ、おもしろいなあ、と思って。
ストラップでストップ
11月16日付朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1116/OSK200711150090.html
キティちゃんストラップで電車ストップ JR大阪環状線
2007年11月16日00時36分
15日午後7時55分ごろ、大阪市都島区のJR大阪環状線桜ノ宮駅で、停車中の桜島発天王寺行き外回り普通電車のドア1カ所が閉まらず、発車できなくなった。
車掌が点検すると、約2センチ大のキティちゃんの人形が、女性専用車両のドアの溝部分に挟まっていた。乗客の携帯電話のストラップから外れたとみられる。
電車は約20分後に運転を再開したが、後続の21本に運休や遅れが出て、約2万人に影響した。JR西日本は「携帯ストラップで電車ストップなんて前代未聞」。
これ、ホーム側の人が指やコートを挟まれたまま列車が出発する事故があったためにドアがきちんと閉まるまで そういえば私が子供の頃はよく近所の中学生がドアに足を挟めて車掌さんの仕事の邪魔をしていましたなあ。 安全を取れば不便になるのはしかたありません。 もうダイヤなんて守る必要なし。
起床
昨日は守屋氏が実名をあげて驚きました。 イニシャルでも「死者が出るぞ」なんてことを言っていた代議士もいましたが、あれは誰だったのでしょう。
11月15日(木)
言葉もありません
10月16日付毎日新聞
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071016k0000e040095000c.html
わいせつ質問:中学講師が水泳授業で 親抗議で辞職…福岡
福岡県新宮町の町立新宮中学校(佐藤勝志校長)で、保健体育担当の男性講師(32)が、水泳の授業中に「バストは何センチ」などの質問を書いたゴルフボールをプールに沈め、拾った生徒に回答させていたことが分かった。講師は今月10日付で辞職した。
同町教育委員会などによると、講師は9月21日、2年生女子生徒の授業を計3時限担当。その際、ゴルフボール約40個をプールに沈め、生徒に拾う競争をさせた。うち3個にそれぞれ「バストは何センチ」「セックスしたい」「好きな恋人の名前を言いなさい」と書き込んでいたという。
生徒の保護者が同日夜に学校へ抗議し、問題が発覚。講師は「水に慣れさせる目的で、授業を盛り上げようと考えたが、軽率だった」などと話したという。講師と佐藤校長はPTAの会合などで、保護者に謝罪した。佐藤校長は「こういう問題が起きて、非常に残念。全職員で信頼回復に向けて取り組みたい」とコメントした。【河津啓介】
毎日新聞 2007年10月16日 16時34分
だいぶ古いニュースですが、今頃気づいたので。
男性講師(32)と言う表記の微妙さが気になる私は気にしすぎなのかもしれませんが、こういう事例は、いつの時代もあちこちで起きる「異常な事件」なのでしょう。 教育の問題ではなくてその講師、その学校の問題。 そもそも100人を相手の授業であれば教員は3人(やむを得なければ2人)であるべきで、
10月16日付産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071016/edc0710161054002-n1.htm
水泳授業で「バスト何センチ」 福岡の中学体育講師
2007.10.16 10:53
福岡県新宮町の町立新宮中学校で9月、保健体育の男性講師(32)が水泳の授業中に「バストは何センチ」などのわいせつな質問を女子生徒に答えさせていたことが16日、分かった。保護者が学校側に抗議。講師は今月になって辞職した。
町教育委員会によると、講師は9月21日、2年生の女子生徒約100人を対象に水泳の授業を計3回した際、ゴルフボール約40個をプールに沈め「当たりを探せ」と潜って拾わせるゲームをした。
「当たり」は3個あり、それぞれに「バストは何センチ」「恋人の名前を言いなさい」「セックスしたいか」と書き込んでいた。拾った生徒に講師は質問に答えるよう促し、冗談交じりで応じた生徒がいた一方、困惑して答えられない生徒もいたという。
学校や町教委の調査に、講師は「授業を盛り上げようと考えてやったが、軽率だった。反省している」と謝罪した。
講師は4月に赴任し、体育と野球部顧問を担当していた。
産経新聞の方が詳しいでしょうか。 ううん、なんちゅうか本中華。
増える知的障害
11月13日付東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007111390070924.html
増える知的障害の子ども 特別支援学級56%増 自治体の対応に遅れ
2007年11月13日 07時09分
子どもの総数は減り続けているが、特別支援学級(特殊学級)や養護学校に通う知的障害の子どもは急増している。全国の養護学校は教室数不足に苦慮し、文部科学省は養護学校の新築・増築で補助金アップを計画する。急増の原因はよくわからない。 (渡部穣)
神奈川県内の養護学校の廊下にずらりと並べられた荷物…。行事の準備や引っ越しなどではない。児童生徒数の増加で教室が足りず、図工室や理科室などを一般教室に割り当てるため、運び出された教材だ。
「もうつぶす教室がない。トイレも足りない。あまりの生徒の増え方に対応のしようがない」
「何とかしないと、障害者の人権問題になる」
今月四日の神奈川県内の養護学校教員らでつくる障害児学校教職員組合のシンポジウム「養護学校を増やそう」では、学校現場の教諭から次々と窮状が訴えられた。
きめ細かな指導が必要な養護学校は一教室に十五人までが基準。児童・生徒の急増で教室は当然足りなくなる。四百人以上のマンモス校を複数抱える愛知県のある養護学校は「アコーディオンのカーテンで仕切っただけの教室も。授業の質にも影響してきている」。
少子化で、小・中・高校の普通学級の人数は最近十年間で二十四万人以上減少しているが、養護学校の児童・生徒数は25%増。特別支援学級では56%も増加している。その結果、全児童・生徒に占める特別支援学級や養護学校に通う子どもの割合も0・85%から1・40%に増えた=表参照。
知的障害者対象の療育手帳=メモ参照=の発給数(十八歳未満)も、一九九七年の十一万七千三百七十八冊から、二〇〇五年の十七万三千四百三十八冊と47%も増加している。
知的障害者ばかり増えているが、原因はよくわからない。ろう学校、盲学校では生徒数は微減。養護学校では肢体不自由者や病弱者はほぼ増減がない。茨城大学の荒川智教授(特別支援教育)は「一九九〇年代から国が始めた特別支援教育の必要性に保護者らの理解が深まり、潜在化していた障害者が表に出てきた。普通学級に居づらい軽度の障害児と保護者が新しい居場所として特別支援学級などを求めたことも考えられる」と分析する。
一方、千葉大学の梅谷忠勇教授(障害児教育)は「大脳の障害に起因する障害が増えている可能性もある」。文科省特別支援教育課は「『医学の進歩で、重度の障害でも生存率が高まった影響もあるのでは』という見方もある」とする。同省では、知的障害者急増の原因について、現場から意見聴取することも考えているという。
中央大学の上林靖子教授(小児精神医学)は、国が進める特別支援教育を評価する一方、「施設の整備が追いついていない」と対応の遅れを批判する。
文科省は、事態を改善しようと、来年度予算で養護学校の新築・増築の補助金増を概算要求している。しかし、要求の内容は、各都道府県への補助金5%以下の小幅増で、財政難に苦しむ自治体の対応は難しくなりそうだ。
<療育手帳> 都道府県などが発行する知的障害の障害者手帳。認定基準は自治体によって異なるが、おおむね知能指数(IQ)50または70以下が対象。養育者への特別児童扶養手当の支給、税金・医療費の減免、JR運賃の割引、NHK受信料の減免が受けられる。養護学校高等部への入学希望者が急増し、手帳所有者を優先的に入学させる学校も出ている。
(東京新聞)
専門家の方々で意見が異なるというのは、原因が複数あると言うことなのでしょう。 専門外の私が付け加えることはありません。
言い間違い
11月15日付スポーツ報知
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20071115-OHT1T00086.htm
朝青龍1勝!?行司赤っ恥、朝赤龍勝ち名乗り間違えた…九州場所4日目
◆大相撲九州場所4日目 ○朝赤龍(寄り切り)時天空●(14日・福岡国際センター) えっ! 朝青龍(27)=高砂=が勝った!? 関脇・朝赤龍(26)=高砂=と西前頭3枚目の時天空(28)=時津風=の一番で、行司の木村玉光(57)が勝った朝赤龍への勝ち名乗りを「朝青龍」と間違えてしまった。木村玉光は土俵に上がった時の名乗りも「朝青龍」と呼んでしまい、合計3度もミス。事態を重く見た三保ケ関審判副部長(元大関・増位山)は5日目の15日に玉光を審判部に呼び出し、厳重注意を伝える方針だ。全勝は大関・千代大海(31)=九重=ら3人。
空席が目立つ館内に、いるはずのない横綱の名前が響き渡った。「かたや朝青龍〜、朝青龍〜」。土俵に上がったのは朝赤龍。しかし行司・木村玉光は出場停止中の横綱への思いが募ったのか、朝青龍の名前を堂々と名乗り上げた。
桟敷席は失笑。たまらないのは朝赤龍だ。「最初は聞き間違えかと思ったよ。最悪だよ」。なえる闘志を奮い立たせ、何とか時天空を寄り切り3勝目を決めた。ところが、ハプニングはこれで終わりではなかった。
勝ち名乗りで飛び出したしこ名は、またも「朝青龍〜」。さすがに朝赤龍も「懸賞金をもらうのやめようかと思った」と手刀を切る時に木村玉光をにらみ返した。正面の土俵下で三保ケ関審判長が言い直すように注意したが、行司の耳には届かなかった。木村玉光はキャリア42年の三役格行司。取組を終え本人は「確か朝赤龍と言ったはずですが…。朝青龍と言った記憶はないんですよ」としどろもどろ。三保ケ関審判長は「力士に失礼。明日、呼び出して注意します」と厳重注意を言い渡すことを明言した。
土俵での珍事に北の湖理事長は「朝赤龍だけでなく朝青龍にも失礼。気を付けてやって欲しい」と注意。5日目も木村玉光は朝赤龍と琴奨菊戦を裁く。まさかの“朝青龍2勝目”に、ならなければいいが…。
(2007年11月15日06時02分 スポーツ報知)
2回間違えたと言うところで厳重注意は妥当か。 相撲界は結構すごいことになっているようですが、当事者たちに緊張感はないのでしょうね。 それはそれで無責任な側からすれば面白いのでどんどんやって下さい。
今日は
ちょっと買い物にスーパーに出かけたらこんなど田舎にもボージョレ=ヌーヴォが。 値段を見るのを失念しましたが、私が好む紙パックワイン(2リットル千円ちょい)とは違うのでしょうね。 とにかくたくさん積んであって、普段ワインを飲む数から類推できたんではないだろうか、と言うよりも遙かに多い気がしました。 ま、期限が過ぎてからが商売、と言うのが日本の伝統(註)ですから、年が明けたくらいでボージョレを楽しむのが和の心。 雅の心。 なのでしょう。
今月は『論座』だけではなく『諸君』『Voice』なんて雑誌も買ってしまいました。
『論座』はFOREIGN AFFAIRS提携が売りの雑誌ですが、ここ最近アメリカのアジアに対する関心は中国にあり、「いずれもパワフルでナショナリスティック、しかも反目の歴史を持つ中国、日本、韓国という3ヵ国が、同時に対外的低姿勢の時代を脱して覚醒しつつあり、パワーを競い合っている。」などという文章がさらっと出てきます。 だからやめられない。
日本にばかり目を向ける人は、中日韓を「だんご三兄弟」のように扱われていることが想像しがたいでしょうし、この並び順にさえ違和感を覚えるかもしれません。
対外的低姿勢を脱したということに関しても、今そうなっているとアメリカから目されていることに、「もっと前からそうだった」と考える人と「全然そんなことなくて今でも低姿勢だ」と考える人といそうな感じ。
ま、そういうふうに見ている人も世界にはいるよ、という感じで『論座』を読んでいるのですが。
最近記事がうまく頭に入ってこないのでバランスを取ろうとよその雑誌も見るわけです。
福田首相が訪米します。 日米安保はあくまで東西冷戦用であり、対中問題には昨日しない!? 事実、北朝鮮問題に関しては、日米は遠くなってしまったわけですし。 いやあ、困ったものですねえ。
註:くりかえして言っておきます。 最近偽装が増えたのではないですよ! 最近、「偽装が発覚」しているんです!
11月14日(水)
小朝&泰葉があっけらかん離婚
11月付サンケイスポーツ
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200711/gt2007111400.html
小朝&泰葉があっけらかん離婚、金屏風の前でにぎやか発表
落語家、春風亭小朝(52)と、故・初代林家三平の二女で元シンガー・ソングライターの泰葉(46)が13日、東京・内幸町の帝国ホテルで会見を開き、前日12日に離婚届を提出したことを発表した。音楽などの仕事を優先したい泰葉から別れを切り出したもので、お互いの異性問題は否定した。会見には泰葉の弟で落語家の林家正蔵(44)、林家いっ平(36)も同席、和やかな雰囲気で行われた。
◇
背後には金屏風(びょうぶ)、傍らには前妻と2人の義弟。離婚会見とは思えない雰囲気の中、小朝は“家庭不和”を否定した。
「9月に奥さんのポジションから外してほしいと言われました。もう一度考え直して決めようといいましたが、彼女の決心が固かったので折れました。これからもツーショットで出るだろうし、あくまで(離婚は)紙の上でのことです」
音楽という共通の趣味を持ち、レコード交換をきっかけに昭和63年に結婚してから20年目。『師匠』と『おかみさん』の関係は、限界に達していた。泰葉は「小朝師匠のおかみさんというのは、並大抵のことではなかった」と実感を込めた。
子宝に恵まれなかった泰葉は、平成17年の林家正蔵襲名パレードをプロデュースして仕事に目覚め、今年に入ってから株式会社「アイアン・キャンドル」を設立。テレビ朝日系「徹子の部屋」に出演するなど活動の幅を広げ、故・林家三平の命日の9月20日に突然、別れ話を切り出した。小朝の説得も実らず、12日の午前中に都内の区役所に離婚届を提出した。
ともに異性問題は否定し、今後もお互いにサポートしていくと強調。小朝は林家一門を離れず、同じマンションの別室で生活する。泰葉の新会社へ資金援助を続け、泰葉も小朝の所属事務所『春々堂』の役員を続ける。泰葉が「小朝さんが好きなことは変わりない」と言えば、小朝も「夫婦から援助交際に変わったようなもの」と説明した。
まるで“夫婦漫才”のように会見が進んだが、その裏で溝も浮き彫りになった。泰葉は夫婦愛についての質問に「それがないから、こうなっちゃったのかな」と本音をポロリ。小朝は「今のも何気ない一言だけど、どうだったのかな、と思います」と視線を落とした。
落語一家らしく、締めくくりの言葉は泰葉の謎かけ。「この会見とかけて泰葉ととく。そのこころは『小朝(こわさ)知らず』」。満面の笑みの泰葉に対し、小朝は表情を引きつらせていた。
■春風亭小朝(しゅんぷうてい・こあさ)
本名・花岡宏行。昭和30年3月6日、東京生まれ。45年に春風亭柳朝に入門。55年5月、先輩36人を抜き真打ち昇進。「横丁の若様」のニックネームで人気となる。平成9年10月、日本武道館で落語家として初の独演会を開催。15年には、笑福亭鶴瓶や林家正蔵らと東西、団体の枠を超え「六人の会」を旗揚げし、リーダーを務める。
■泰葉(やすは)
本名・海老名泰葉。昭和36年1月17日、東京生まれ。都立芸術高校音楽科卒業後、56年に「フライデー・チャイナタウン」で歌手デビュー。第11回東京音楽祭世界大会銀賞や有線放送大賞新人賞などを受賞。9月いっぱいで終了した日本テレビ系「午後は〇〇おもいッきりテレビ」の初代アシスタントを務めた。 握手で写真撮影に臨んだ春風亭小朝と泰葉。後ろの金屏風は泰葉が「おめでたい門出だから」と希望した=東京・内幸町(撮影・鈴木健児)
★2人に聞く
離婚を発表した落語家の春風亭小朝(52)と元シンガー・ソングライターの泰葉(46)。ときおり笑いを交え、まるで“夫婦漫才”のような泣き笑いの会見は、1時間弱に及んだ。
――(冒頭で)
小朝「本日、雲一つなく晴れ渡った青空で、2人の門出を祝福しているようです。今年9月に『話がある』といってきた。『奥さんのポジションから外してほしい』という。いまだに現実感ないんです。彼女に感謝している。離婚届がラブレターです」
泰葉「師匠、ありがとうございます。私は江戸っ子気質というか、白黒付ける性質で『仕事やらせて』といったら、師匠は器が大きく、『いいよ』といってくれた」
――理解離婚か?
小朝「仲が悪いわけじゃない。いろんな番組に彼女と出てきた。仲のいい夫婦大賞も受けた。でも(泰葉が)『テレビ番組は思い出を作ってきたんだ』と。僕は思い出作りとは知らなかった」
――離婚届を出した心境は?
小朝「本当なのかと信じられない気持ち。まあ、しようがないかな」
――夫婦間に問題は?
小朝「途中、問題があったわけじゃない」
泰葉「もっとドロドロしてたほうが、わかりやすかったですか?」
――結婚生活は?
泰葉「修業でした。師弟のようでした。すべてが落語にいっちゃう。落語の話なら5、6時間でもしてる。普通の生活じゃないのが実情でした」
――泰葉さんに我慢させすぎた?
小朝「踊りや三味線の師範にもなったし、お茶やギターも始めた。どこに出しても恥ずかしくない芸人になりました」
――泰葉さんは今後?
泰葉「早く自立してバンバン稼ぎたい。海老名に戻り、16歳のころ、まだ父が生きていた、夢や希望がいっぱいあったころに戻れると思うと、わくわくする」
――新しい恋愛は?
泰葉「今は考えられません」
小朝「ミュージシャンと一緒になったら? もうひと花咲かせたら。いやですよ、いやだけど(かつてうわさになった歌手)やしきたかじんとかいいんじゃないかな」
――両親への思いは?
泰葉「父に申し訳ありませんという感じ。母には『ダメだ、何を考えているんだ、あんたは』といわれた。でも、出たがりの私の性格を知っているので納得してくれました」
★弟2人は動揺
泰葉の弟2人は動揺しきり。正蔵は「9月に(離婚すると)聞いて、とまどいました。今もとまどっています。両肩を出した服で離婚会見するなんて母も嫌がると思いますが、姉の生き方なので」と思いやった。
いっ平は「独身の私が離婚会見に出るとは…」と笑いを誘ったが、腫れぼったい目について泰葉に「昨日飲んだくれて泣いて『別れるな』って」と暴露されると、「大好きな兄(小朝)と姉なので離婚してほしくなかった」と泣きっ面。いっ平の「二代目林家三平」襲名披露興行が平成21年3月からスタートするが、小朝は「この4人は本当に仲がいいんです。力を合わせてやっていきますので、よろしくお願いします」と締めた。
★「姉と仲悪い」ドッキリ発言
定員200人という会場は、埋め尽くされた報道陣で熱気ムンムン。中央最前列には芸能リポーターが陣取り、矢継ぎ早の質問を浴びせた。泰葉に飛んだ鋭い質問にも小朝がかばうように答える場面が多かった。
ただ、姉夫婦(海老名美どりと峰竜太)の反応は?の質問には当初、小朝が「他に質問は…」とトボケたものの、泰葉がドッキリ発言。「私と姉は仲悪いんです。今日はこの件について言及するなといろいろな人に言われているので、スミマセン」と答えた。
★母・香葉子さん「子供いたら」
小朝と泰葉の離婚発表を受けて、泰葉の母・海老名香葉子さん(74)は東京・根岸の「ねぎし三平堂」で報道陣に対応した。「泰葉のわがままで…。小朝さんに申し訳ない」と頭を下げたが、泰葉が仕事に没頭していったことには「仕事を与えてしまった小朝さんにも責任はある」と複雑な表情。2人に子供が誕生しなかっただけに「泰葉は子供ほしいよねと言っていた。子供がいたら、ガマンできたかも」と残念がった。
★たかじんも9月に2度目離婚
泰葉は20年以上前、大阪のラジオ番組で歌手、やしきたかじん(58)とレギュラー共演していたことがあり、今年8月には毎日テレビ「たかじんONEMAN」(関西ローカル、放送終了)で久々に共演も果たした。番組で泰葉はかつて、たかじんにほのかに思いを寄せていたことを告白。たかじんもまんざらでもなかった様子だった。
たかじんは、今年9月に2回目の離婚をしていたことを明かしている。泰葉の離婚について、この日はコメントしなかったが、奇妙な符合は果たして…。
高座に一度も行ったことのないヌル落語ファンなのでこういうことには口を挟むべきではないのでしょう。 だいたい、私が落語の話を知ったのは咄ではなくて小学校の頃図書室で小咄の本を読んだからなので、落語は基本的に活字で楽しむものでした。 小学生の頃は「あたまやま」とか「ばかにつけるくすり」とかが好きでしたね。 「千本木さん」とか「どっこいしょ」もよかった。 中学生の砌には「寿限無」を暗唱したこと、ご多分に漏れず。 あと、「魔太郎が来る!」で「死神」を読んで(高座ではどう表現するのだろう)とか無駄な心配をしました。 (「ああ、消える」でおわしたり、ばったり倒れたりとそれぞれ工夫を凝らすらしいです。) 高校の頃から「やかん」「芝浜」「粗忽の釘」、結局活字で親しみました。
春風亭小朝さんに関しては、金髪にしてからは信頼していません。 テレビでしか落語を聞かない身としては、テレビ向けの噺家はうさんくさく見えるのですよね。 そうすると「坊主袈裟」の理屈で小朝さんが絶賛する正蔵さんや三平(予定)さんまでもが色眼鏡を通して見ざるを得なくなります。 なので、こんなときは、「沈黙が金」
11月13日(火)
ネウロ
ネウロが面白い。 笑いが進化している。 「私どう見えますか?」ときいて「こんなふうに見える」と答えが返ってきた瞬間に「人を見た目で判断するな!」というカウンター。 ページをめくる驚きを追求した絵柄。 なんかすでに登場済みのキャラのようですが、面白い。
で、全然違うことを思い起こしました。 「こども教育委員会」と称するACのラジオコマーシャル。 『論座』12月号にも広告がありましたが、いったいなにを言いたいのかが分からないコマーシャルだな、と思っていました。
知らない人に説明すると、こどもが大人(親や先生、かな?)への不満を言い連ねるだけという単純なもので、大人の欺瞞を糾弾する、という感じのものです。
しかし、内容が浅いのですよね。
CMを流す側の「こんなことを言われると胸が痛むでしょ?」という意図ばかりが透けて見えて、私のメタボな胸はちっとも痛みませんでした。
子供の台詞が「いかにも」というのばかり採用されていたのと、そのいかにもな台詞がとんちんかんだからです。
なぜ選挙権が20才からなのか?
未成年は判断力が未発達だからそんなニューロンのつながっていない人の意見を聞く必要がない、というのが憲法の趣旨であるなら、「私たちの声を聞いて!」なんてわがままに妥協したら憲法違反ではないですかね。
なんか最近アホなことばっかりいっている気がしますが、子供の意見といえども聞くべきは聞き、アホな意見は聞かないでよろしい。
子供の純真な意見なんだから全部その通りにすべき!のような世論が盛り上がってきませんように。
見た目で人を判断してはいけない、というのは幼児教育のための「ホワイトライ」なんですけどね。 小さな子供は、「見た目で人を判断する能力に欠ける」から、「見た目で判断してはいけない」と言われるわけで、大人の世界では「人は見た目が9割」ですよ。 まあ、この本も嘘ばっかりです(見た目が9割ではないです)が、そういう社会に出て行ったとき、「見た目で判断するな」という意見を通そうとすれば、ネウロの人のようにしなければならない。 そういう点を含めて、今週号はおもしろうございました。
昼に
神様仏様稲尾様。
現役時代を知るよしもありませんが、合掌(註)。
NECの関本会長にも合掌。
全然知らない人ですが。
しかしぽかぽかしていると眠くなりますね。
新聞を読んでいられません。
ぽかぽかふわふわ…
おひさまらっぱぱ くものうえ
らっぱぱ らっぱぱ らっぱぱ らっぱぱあしたがあるから ゆめがある
だれかのかたを たたきたい
註:ニーチェのギャグをかましたいのですが自粛。
11月12日(月)
今晩は
たくさん本を買っていますが、私が死んだら全部燃やして下さい。 書き込みを入れたり、蛍光マーカで線を引いたり、不審紙(附箋)を何年もはっていたので剥がすと糊がページの方に残っていたりします。 それよりなにより、ほとんどの本の背中を割っているので文庫や新書はページが外れてばらばらです。
まあ、そんなことはどうでもいいのです。 とにかく、私は本に書き込むことに躊躇しない人間なんです。 近年のBibliomaniaとしては少数派に属するでしょう。 もとより稀覯本なぞ手に入らず、むしろベストセラー大好きっ子ですが。 図書館派にはなれない宿命です。
今日は、明らかな誤記(eratum)を見つけて「修正してやる!」とばかりにペンに赤インクをひたしたのですが、痛恨のドリップ! もうなんというか、もろもろやる気が起きません。
今日の教訓
酒は飲んでも飲まれるな
ではなく、
諸行一切苦
小春日和 日陰は寒い
新聞休刊日。 NHKの朝のニュースが秋田県の教育をrespect. 文部科学省が「学力テストが競争を煽るようになってはいけない」と配慮を重ねていたにもかかわらず、小学校6年生のテストで平均点が全国1位であった秋田県の教育を紹介。 これではまるで平均を下回った都道府県が無為無策で教育に手を抜いているようではないですか。 NHKの意図が量りかねて(註)、すこし不愉快を感じました。
註:邪推するなら、NHKは受信料をきまじめに払ってくれる限界集落界隈のジジババが好きなので田舎のいいところを最優先で報道する態勢になっていませんか。 もし都市部が上位を独占していたら、囂々たる非難を展開していたような気がしないでもありません。 あくまでも邪推です。
11月11日(日)チーズの日
ドラマの中の数学者
MLA 2007年11月6日
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/11/index.php
【算数】 ドラマの中の数学者
ドラマの中で数学者がときどき登場する(記憶で比較的新しいのは、古畑任三郎とか<新しいか?)。そういう人間が、数式を書く場面があるのだが、たいてい全然関係のないデタラメなのだ。これは何だろう、つまりTVを観ている人たちは、みんな数式が読めない人なのだろうか? もちろん、ドラマを作っている人たちはみんな文系なのだろう。だから、「数式ならばなんでも良い」「雰囲気が伝われば良い」くらいに考えているのである。しかし、「英語なら良い」「外国だという雰囲気が伝われば良い」とばかりに、外国人の台詞を全部「アップル、バナナ、ショートケーキ、ドラゴンズ」みたいに言わせているのと同じで、英語が少しでもわかる人間が見たら、「これは、ギャグなのか」「もしかして、笑わそうとしているのか」という「超寒い場面」になる。素晴らしい場面が一転、台無しになるのだ。
読んだ瞬間に、「大傑作『火の鳥 未来編』がdisられている!」と怒髪天を衝き目眦ことごとく裂けたのですが、でたらめな数式は「意味のないおしゃべり」とされていたのでセーフ(何が?)
(ところで、この人造タマミの話す数式って、式として成立していませんよね(自信ない…)。その前にうたうポエムもデタラメなので手塚ノミコトはなにか意図を込めているのかもしれません。インテグラルに。)
「これはギャグなのか」という事で言えば、そういうギャグであるとも言えますし、ギャグが浸透した上での定型、様式であるとも言えますね。 漫画で外国人が「ペラペ〜ラ」とか話すのと同じこと。 しかもそれは、漫画の世界では一周まわってギャグの対象になり、現代ではもう突っ込み自体も古いものとなってしまっています。
つまり、森先生はあいだ先生レベルだったんですよ!
(な、なんだって〜〜)
ま、それも、森先生が言及したドラマがすべてギャグであるという前提に基づいてのことですが。 『古畑〜』はギャグです、間違いありません。
数式ではなくて、例えば黒板に漢文を書く場合どうするか。 なんとなく、その筋からのツッコミを予測して一応意味が通るようにするのではないでしょうか。 そこから言えば、数式を理解する人たちからの批判というものを、ドラマの制作者は想定してはいないような気がするのでしょうがどうでしょう。
ところで、漫画の新しい外国語表現とは何か。
それを切り開いたのは、私の管見では『のだめカンタービレ』だと言うことで衆目が一致しているようです。
漫棚通信ブログ版:漫画の中の外国語
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_e889.html
漫棚通信ブログ版:漫画の中の外国語:「のだめカンタービレ」の場合
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_dc40.html
二ノ宮知子「のだめカンタービレ」では、クラシック音楽界が舞台だけあって複数言語がとびかっています。この作品で外国語はどのように処理されているでしょうか。
この作品は今のところ、前半の日本編と10巻以降のフランス編に別れます。日本編での外国語は主に横書きで表現され、フランス編の外国語は主にフォントの違いで表現されています。
すると次は、多民族国家での言語の扱いが気になりますよね。 ハリウッド映画などではみんな英語を話して、ときおり主題と関係するような状況では他の言語が使用されているような感じ。 それはシェイクスピアの戯曲なんかでも決めぜりふ(「君もかブルゥタス!!」とか)だけラテン語で出てくるような範囲を逸脱はしていないのではないでしょうか。
数式も、言語ですからね。 「なんだ、こんなところでデタラメな」と違和感を覚える人が増えれば、そういったところに考証のための予算がつくようになるのでしょう。 宮崎御大『紅の豚』の冒頭ではたくさんの言語で豚(ポルコ)の紹介をするシーンがありましたが、あれはきちんとすべて意味が成り立つようになっていました。 右から書くアラビア語もあったようですが、そこまでクオリティにこだわっているわけですよね。 ギャグ映画といえども。
まあ、「のだめ」読んだことないし興味もありませんが。 ドラマではどうしたのでしょうね。
雨が降り続く
昨夜寝る前に聞いていた「ラジオ深夜便 心の時代」で神社に行くのは、感謝の気持ちを示しにいくのだ、ということを言っていて、確かにそうだと思いました。 柏手を打ち、カミを呼んで一体なにを祈るのかというと、日々の感謝しかないですよね。 お寺は、これは祈ったりお願いしたりするところではますますないと言うのもその通りだと思いました。
グルジアにおける政治危機は、ロシアが関与しているとグルジアのサーカシビリ大統領が指摘して問題となった事件の報道で、始めの国名を聞き逃していたため、いったいどこの話題だろうかと思いましたが、カスピ海沿岸や中央アジア・東ヨーロッパを見渡して、ロシアと良好でない関係の国があまりに多くて想像もつきませんでした。 グルジアと知って、それはそれで納得。
ブッシュ氏とメルケル女史が会談。 サルコジ氏もそうですが、明らかにブッシュ氏退陣後もアメリカとの関係を維持しなければならない国々にとって、2008年の外交は微妙な形になるでしょう。 日本もおそらくポストブッシュ体制に移行することを見越していることでしょう。