パリ不戦条約と憲法9条
パリ不戦条約とは1928年8月27日に、アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、日本、イタリア、ベルギー、チェコスロバキアによってパリで署名された「戦争放棄に関する条約」(Treaty for the Renunciation of War)-ケロッグ・ブリアン条約-のことです。この条約が現行の日本国憲法9条の参照元であることは憲法学の常識です。
このエントリーでは、パリ不戦条約の条文の趣旨を条約前文および関係公文から読み解き、条約の本質を理解した上で、条文の表層のみを受け売りした日本国憲法9条を批判します。
また一方で、当時すでに集団的自衛権の概念が主要国間で肯定的に認識されていたことを当時の公文を通して紹介します。否定論者が集団的自衛権を矮小化する文脈でしばしば用いる「集団的自衛権は国連憲章に条文化されたから生じたもので、それまでは無かった(あるいは一般には通用しなかった)概念」だという類の話が事実誤認であることをアピールし、集団的自衛権否容認派の論拠をひとつ潰しておきます。
パリ不戦条約と憲法9条
パリ不戦条約第1条、第2条と日本国憲法9条を併記しますので、まずは読み比べてください。
パリ不戦条約
第1条
締約国は国家間の紛争の解決のために戦争に訴えることを非とし、且つ彼ら相互間の関係において、国家政策の手段としての戦争を放棄することを、各々の人民の名において厳粛に宣言する。
第2条
締約国は彼らの間に起こる総ての争議または紛争は、その性質又は原因の如何を問わず、平和的解決によるの外にその処理または解決を求めないことを約束する。
日本国憲法
第9条
日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
どちらの条文も、一般人が普通に読めば、全面的武力禁止を明示していると解釈されるでしょう。次に、日本国憲法には明示されず、パリ不戦条約には明示されている、激しい相違点を紹介します。
不戦義務に対する例外規定
日本国憲法には存在せずパリ不戦条約には存在する重大点は不戦義務に対する例外規定です。パリ不戦条約前文第3項は次のように宣言しています。
どの締約国も、今後その国家的利益を推し進めるため戦争に訴えるものは、本条約の与える利益を拒否されねばならない。
「本条約の与える利益」とは自国が他の何れの締約国からも武力を行使されないことで得る安全保障のことであり、「戦争に訴えるもの」は最早集団安全保障を失効するので、何れの締約国がその「戦争に訴えるもの」に対して武力を行使しても、条約違反とはならないということです。
ここがパリ不戦条約と日本国憲法の大きな違いです。日本国憲法9条では、日本は戦争を放棄しても他国が日本に対して「戦争に訴える」場合の対処が明示されていません。その為、憲法制定直後から現在に至るまで9条解釈で問題が絶えません。
パリ不戦条約には解釈公文が存在する
パリ不戦条約には不戦義務に対する例外が前文に明記されていましたが、それでも各国は無条件で署名することはありませんでした。
パリ不戦条約には手続きに関して取り決めた第3条を除けば、全部で2ヵ条しかありません。それだけに締約国間で解釈に幅が生じやすくなることが予想されていました。ある国が条文の「国家政策の手段としての戦争」を条文の趣旨以上に厳格化して解釈した為に武力行使の判断が遅れて不利益を被ったり、またある国は武力の禁止を軽く解釈しすぎて戦中戦後に条約違反を指摘されるという問題が生じる恐れがありました。
そこで各国は署名の前に自国はこのように条約を解釈し、その解釈に基づいて署名する(この解釈が他国に否定されるのなら署名しない)と公式に明文化し、交換公文として留保条件をつけました。これを解釈公文と称しています。
ドイツ政府解釈公文
ドイツ政府による解釈公文から引用します。
ドイツ政府は合衆国政府の提出した案に基づく条約は、どの国も持つ自己を防衛する主体的権利に影響するものでないと信ずる。もしある国がこの条約を破れば他の締約国がその国に対する関係において行動の自由を回復するのは自明の理である。従ってこのような条約違反により損害を受けた国が平和を乱す国に対して武器を取るのは何ら妨げられることはない。
アメリカ政府解釈公文
不戦条約の米国草案は、如何なる形ででも自衛権を制限し、または傷つける何者をも含まない。この権利はどの主権国家にも固有のものであり、どの条約にも暗黙に含まれている。各国は如何なる時にも、また条約の条項の如何を問わず、自国の領土を攻撃または侵入から守る自由を持ち、また事態が自衛の為の戦争に訴えることを必要ならしめるか否かを独自に決定する権利を持つ。
イギリス政府解釈公文
世界のある地域は、その繁栄と保全が我々の平和と安全に特別且つ死活的利害関係を持つ・・・これらの地域を攻撃に対して護ることは英帝国にとって一つの自衛手段である。我々が新条約がこの点につき政府の自由行動を害しないものと了解してこの条約に賛成するものであることを明らかにしておかねばならない。
自衛手段であると主張しています。これはまさに後の国連憲章で明示されることになる集団的自衛権と同概念に基づく主張です。 このイギリス政府の交換公文を各締約国は認めました。イギリスの主張もまた前文の例外規定の範疇に過ぎないからです。
再びパリ不戦条約と憲法9条
これが憲法9条のモデルであったパリ不戦条約の実情です。国家の安全を保障するために無くてはならないはずの前文例外規定と解釈公文を無視し、本質知らずに条文の表面だけを撫でたのが憲法9条なのです。
もともと罰則付き、不戦義務に対する例外つきの多国間条約の内容を自国にしか効力を発しない憲法に注釈抜きで落とし込んだのですから無理が生じて当然です。
どうしても戦争放棄を憲法に条文化したいのならば、戦争放棄と併記して自衛軍の保持を明示した上で、自衛権の保持を妨げない旨を記載すべきです。その際には国連憲章を参考にして、「個別的自衛権と集団的自衛権は日本国固有の権利である」とすれば、長引く解釈問題にも決着がつくことでしょう。
新ブログ開設おめでとう
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楽しみにしてましたよ。
パリ不戦条約を各国が承認する際、どのような付帯を付けたのか知りませんでしたので勉強になりました。
ただ、各国の条件を読むと、『個別的自衛権は、放棄してませんぜ』としか読めませんね。「集団的自衛権」の行使を認めたと言うからには、複数の国が協調して対処する権利を明記していないといけませんが、そういう文はどこにも見あたりません。
そして、日本国憲法も「個別的自衛権」の行使権は放棄していないというのが通説ですよね。
となると、同じ解釈ですよね。なので、特に日本国憲法が「本質知らずに条文の表面だけを撫でた」という主張には、説得力を感じません。
静流さんは、「集団的自衛権」と「個別的自衛権」の違いを曖昧にしたまま主張を展開していますが、国連憲章では、「個別的自衛権」は主権国家が持つ固有の権利とされていますが、「集団的自衛権」は、緊急対策用の限定的行使しか認められておらず、明確な違いがあります。つまり、世界の常識では、「集団的自衛権」は、主権国家がいつでも使える当たり前の権利などではないのですよ。
この両者の区別を明確にして主張を展開していただかないと、説得力が出てこないと思われます。